第13話 麦畑
静まり返る馬車の室内。長く重たい空気を全く読まずに、カトリーナは質問を続ける。
「逃げ出したクリスは、どういう扱いになるんだ?」
「……王の意向に逆らった訳だから、良い扱いにはならないわね。王位継承レースからは脱落よ」
「君と結婚した場合は?」
「王宮が商業ギルドから借りていた、膨大な借金が軽減される筈だったの。上位三位には喰い込めたわよ!」
ダイアナは腕を組んで、頬をふくらませると横を向いた。赤髪の美女は肩を竦める。
「こんなに可愛い嫁ができて、王族内の順位も上がるというのに、クリスは何を考えているんだろうな?」
金髪の美少女は殺人光線を、その緑色の瞳から発射する。しかしその光線はカトリーナには、何の作用も及ぼさない様だった。
「貴方、本気でそう思っているの? 何だが必死になっている私が、馬鹿馬鹿しくなって来たわ」
「所で千歯の件だが、明日には最新の試作版が出来上がる予定なんだ。それの量産や歯を取り付ける台の制作を頼めないかな」
「クリスの話は、もう終わりなの!」
ダイアナは顔を顰め赤髪の美女の手を取ると、ブンブンと激しく振り回す。小さな傷の目立つ、肉の厚い労働者の手だった。
「私はクリスの行き先を知らない。だから君の役には立てない。それなら役に立つ話をするべきだ」
金髪の美少女は、ガクリと肩を落として、カトリーナの手を離した。
「分かったわよ。その試作版とやらは、実家に送っておいて。こちらでも改良してみるから。販売契約だけど……」
「それには及ばない。便利な道具をなるべく早く、多くの農家に使って貰いたいんだ。欲を言えば出来るだけ、丈夫で安価な道具にして貰いたいのだが」
ダイアナはマジマジと、赤髪の美女を見つめ首を振った。
「……負けたわ。調査していた人間も呆れていたけど、貴方は本当に変わり者ね。貴方の手、貴族の女の手じゃないわよ。一体どうしたら、そんなにゴツくなるのよ」
「武術と乗馬の鍛錬、それに農作業だろうか?」
それを聞いた金髪の美少女は突然立ち上がり、カトリーナを馬車の外へと追い立てた。
「もう、分かったから! トットと馬車から出て行って」
「ちょ、ちょっと待て。そんなに押したら危ないだろうが。千歯の件だが……」
「いい事! 私は負けた訳じゃないですからね。本当にもう、馬鹿馬鹿しい! 千歯の代金? 貴方がビックリする位、くれて差し上げますとも!」
赤髪の美女を降ろした馬車は来た時と同じように、アッという間に姿を消してしまった。ポツリと取り残されたカトリーナは、頻りと首を傾げている。
「何であんなに情緒が不安定なんだろう? 『月夜の晩ばかりじゃありません事よ!!!』ってどういう意味なのかな」
その晩、カトリーナが二階の自室に戻り本を読んでいると、コツリと窓ガラスが鳴った。不思議に思い窓を開ける。階下で金髪の青年が手を振っていた。
「クリス。お前、一体何をやっているんだ!」
彼は口元に人差し指を当てて、微笑んでいる。舌打ちしながら赤髪の美女は部屋を飛び出した。庭先に留め置いた馬に乗せられ、相乗りした二人は屋敷から離れた収穫前の麦畑に移動した。
今宵は満月。特に灯火が無くても、十分に足元が明るかった。曇天が多いアルバ地方には、珍しい天気である。金色の絨毯が蒼い光に照らされていた。
「今日の昼、ダイアナが此処に来たぞ。お前、何を考えているんだ」
「……ずいぶん行動が早いな。しかし説明する手間が省けた」
赤髪の美女の前に、片膝を折り跪く王族の青年。彼は彼女の右手を取り、自分の額に当てた。
「前にも話したと思う。僕が一生をかけて、護りたいのはカトリーナ。君なんだ」
「ど、ど、ど、どうした急に!!!」
青年の真剣な告白に、カトリーナの身体は凍り付いた様に固まる。
「僕は王命に背いて、何の後ろ盾も無い男になってしまった。それでも僕は君を愛している。……結婚してほしい」
月夜が明けて朝日が昇り、その日が暮れる程の時間を感じる沈黙。その重さに耐えかねたクリスが、顔を上げ求婚者の顔を見上げた。驚きの表情を浮かべ息を呑んだ青年は、黙って立ち上がる。
「すまない。自分勝手な要求を君にぶつけてしまったようだ」
カトリーナは月明かり照らされて輝く、美しい涙を流していた。それを見た青年は肩を落とし、彼女から離れようとした。
「待て、どこに行く」
「君に迷惑の掛からない場所へ。つまらない事を言ってすまなかった」
赤髪の美女は歩を進めると、おもむろにクリスを抱きしめた。突然の展開に、今度は彼が凍り付く。
「これは嬉し涙だ。君は私のような出来損ないを選んで、後悔しないのか?」
青年は激しく首を振る。それから歯を食いしばって、掠れた声を絞り出した。
「僕はこれから、もっと頑張るから。絶対に君たちに悲しい思いをさせないから」
そう言うと、カトリーナを強く抱きしめた。クリスの言葉を聞いた彼女は苦笑する。
「何だか随分前に聞いたセリフだな。ウブッ!」
しばらくの間、二人は言葉を交わす事が出来なくなった。
アルバ地方には珍しい満天の星空と、満月の明るい月明かりが幸せな二人を優しく照らしている。彼らを包む金色の麦穂が、そよ風に揺れていた。
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