第11話 婚約おめでとう



 カトリーナが初めて入った王宮は、上から下まで大騒ぎをしていた。

「王宮とは随分、賑やかな場所なんだな」

「イエイエ。いつもは落ち着いていて、荘厳な雰囲気の場所ですよ」

 ローブの魔術師は肩を竦めた。クリスは王宮の正門を潜った所で、衛兵達に囲まれ国王の待つ部屋へと連行された。取り残されたカトリーナとイワンは、呆然として広大な庭に立ち尽くす。


「あの豪華な美少女は、一体誰なんだ?」

「ダイアナ・マクレガー様と言います。ご存じとは思いますが、商業ギルドの有力者であるマクレガー家の御令嬢です」

 ローブの魔術師は説明を始めた。アルバは伝統的に農業立国であり、工業製品の製造には他国より、一歩も二歩も遅れてしまっている事。農産物販売および換金、工業製品の購入などには商業ギルドが深く関連している事。アルバ王室は赤字続きであり、商業ギルドに多額の借金がある事。


「商業ギルドとしては、この時期に王室との繋がりを深めて行こうとしています。先ほどの婚約騒ぎも、その一環かと」

「地方貴族の赤字経営は良く聞くが王室すらも、その伝に漏れずか。世知辛い世の中だ」

「何より、ダイアナ様は以前からクリス様に、御執心だったようでして。彼女と結婚すれば、王位継承順位も跳ね上がると猛アピールしておりました」

 赤髪の美女は肩を竦めて、踵を返した。慌ててイワンが後を追いかける。

「ど、どちらに行かれるのですか?」

「今日は帰る。どのみち今日は、クリスに会えないだろう」


「カトリーナ! 待ってくれ!」


二人の頭上から、件の王族の声が聞こえてきた。見上げれば三階のバルコニーから、クリスが身を乗り出して声を上げている。周りの衛兵や官僚たちが、慌てて中に引き入れようとしていた。

「すぐ戻るから、手を放してくれ」

 金髪の青年は自分を拘束していた衛兵の手を取ると、フワリと彼を投げ飛ばす。そして自由になった身体を、バルコニーから投げ出した。


 バキバキバキ!


 植込みの枝を伝って、何とか無事に着地するクリス。しかし無傷ではいられなかった様だ。すぐに立ち上がる事が出来ず、その場にへたり込む。慌てて二人は彼に駆け寄った。

「クリス様! 何という無茶を!」

「カトリーナ、聞いてくれ! 僕は、この婚約に同意していない! 僕が一生を掛けて守りたいのは……」

 赤髪の美女は、クリスの口を右手で抑えた。彼の息が整うのを待って手を外して、身体を離すカトリーナ。

「貴族世界では、結婚も稼業の一環だ。お前一人が抵抗した所で、どうにかなる訳ではない」


 淡々と話す赤髪の美女の言葉に、クリスもイワンも返答することが出来なかった。苦笑しながら立ち上がるカトリーナ。パンパンと手の埃を払う。

「まぁ、何だ。婚約おめでとう」

 そう言うと今度こそ、赤髪の美女は王宮を後にした。



「姫様、姫様」


 カトリーナは気が付くと、フレミング家の馬車の中にいた。王宮から裁判所へ続く表通りを茫然自失の状態で、フラフラと歩いている所をスコットに発見されたのだ。慌てて馬車を寄せる父親に声を掛けられたが、返答が覚束ない。

 これは不味いと、強制的に馬車に乗せられる彼女。帰郷する車内にいた農家の孫娘が、心配そうに顔を覗き込んでいる。

「姫様、どうしたの?」

「ん? どうもしないが」


 少女はポケットからハンカチを取り出すと、カトリーナに押し付けた。

「姫様、泣かないで。早くバカ息子をやっつけた、強い姫様に戻って」

「私は強い姫様なんかじゃない。……衛兵を投げ飛ばした技はバリツの物だったな。クリスも強くなったものだ。もう、私なんか必要ない位に」

 彼女が何を言っているのか分からなくて、小首を傾げる少女。涙を流したままのカトリーナ見て、ヤキモキしている孫娘の髪の毛をかき回すと、赤髪の美女は鼻を鳴らした。


「……参ったな。私は、こんなに弱い女だったのか」



 キャニックに帰ってからも、カトリーナの不調は継続した。まず、三日間ほど寝込んだ。これまで大病もせずに、健康体で過ごしていた彼女の不調は、父親のスコットを不安にさせた。

 三日後に床を払うと、食事の量が激減した。健啖で鳴らしていた彼女の異変に、料理を担当している母親が心配を募らせる。

 七月に入り、春小麦の収穫時期となる。例年であれば陣頭指揮をする赤髪の姫様が、トンと姿を現さない。周辺の農民は何事があったのかと、フレミング家の屋敷を遠巻きに覗き込んだ。


「姫様、春小麦の収穫が始まるよ! 手伝いに来てくれないの?」

 エイディーンに同行した農家の孫娘が、我慢できずに屋敷の庭先で声を掛ける。庭の東屋で呆然としていたカトリーナが、声に気づき手を振った。

「あの時の少女か。変わりないか?」

「私は元気よ。姫様はどうしたの? 萎れたヒマワリみたいじゃない」

 少女の言い草に、赤髪の姫様は苦笑する。


「私は何も変わらない。おかしな事を言わないでくれ」

「ほら、これをあげるから元気を出して」

 少女は手提げ袋から、紙に包まれたショートブレッドビスケットを取り出し、赤髪の姫様に差し出す。受け取った物かどうか、迷っているカトリーナに紙包みを押し付ける孫娘。

 普通のビスケットよりバターを大量に使用した、少女にとっては御馳走になる筈のショートブレッド。芳醇なバターの香りが周辺に広がった。


「これを食べたら元気になるから! 元気になったら、また一緒に畑仕事をしよう」


 それだけ言うと孫娘は手を振って、庭先から離れる。カトリーナは受け取った紙包みを、いつまでも見つめていた。


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