第9話 カトリーナの怒り



 王都であるエイディーンへ赴くのは、盗賊から救出したクリスを送った以来だから、実に八年ぶりになる。フレミング家の馬車にはカトリーナの他に証言者として、当時現地にいた農地の持ち主である初老の男性と、その孫娘が乗っていた。


「農繁期の忙しい時に申し訳ない」

 赤髪の美女が頭を下げる。初老の男性は片手を振った。

「イエイエ。姫様が手伝って下さるのを邪魔した、代官のバカ息子が悪いんですよ。それに孫娘に王都を見せる事が出来て、こちらが有難いくらいです」


「以前に来た時は、途方もなく大きな城だった印象だが…… 私が成長したせいか、それほどでも無いようだな」

 馬車は王宮に程近い裁判所の入り口に停まった。どうやら中で取り調べが行われるらしい。付き添いとして父親のスコットも同席した。案内された部屋には、踏ん反り返ったバカ息子がブンむくれた様子で待ち構えている。

「暴行犯が父親を連れて謝罪に来たか」


 彼は初っ端から飛ばして来た。調停役の男性も持て余し気味で、眉を顰めている。カトリーナは淡々と勧められた席に座った。

「言っている意味が分からないが、お前の要求は何だ?」

「はっ! もう罪を認めているのか。お前からの正式な謝罪と賠償金だな。大負けに負けて十ポンド(約七百二十万円)という所か。真心を込めた謝罪さえすれば、俺の愛人にしてやっても良い」

 横に座っていたスコットの額に青筋が浮いた。彼女は父親の手に自分の手を重ねる。その仕草で立ち上がりかけた腰を、彼は再度席に落とした。そのまま格闘技バリツの達人である父親に大暴れさせた方が、早く話がつきそうである。

 しかし、先ずは話し合いだ。


「賠償金は十ポンドか。下級軍人の年棒くらいだな。金額の根拠は何だ」

「この俺の肉体および精神的ダメージに対する賠償だ」

「真心を込めた謝罪とは?」

「そうだなぁ」

 バカ息子は机に置かれた飲みさしの紅茶のカップを持ち上げると、中身を床にぶちまけた。そこを指差し、

「ここに頭を擦り付けて、謝罪しろ。どう悪かったのかもキチンと言葉にしろよ」


 カトリーナは床を見て小首を傾げる。アルバに土下座という文化が、あるとは知らなかった。もし存在しなければバカ息子の創作物オリジナルとなる。低能なりに、何かを作り出す才能はあるようだ。彼女は淡々と返答する。

「お前の要求は分かった。こちらはお前の要求の全てを拒絶する」


 ガタン!


「自分の立場が分かっているのか、バカ女が!」

 顔を真っ赤にした若者は恐ろしい勢いで席を立ち、赤髪の美女の胸ぐらを掴み上げる。その右手を冷静な目で見つめるカトリーナ。

「調停役殿、これは傷害行為と見て間違いないな?」

 調停役は、ため息を付いて肩を竦める。それを見て彼女は若者の右手に、自分の手を添えた。


 バシャン


 バカ息子は自分が、ぶちまけた紅茶の上に投げ飛ばされる。慌てて立ち上がろうとして首を上げた所で、彼の動きが止まった。彼の前には鬼の形相で、スコットが仁王立ちしている。二メートルに近い巨体が、今にも若者に飛びかかろうとしていた。

 その父親の肩に手を置き、カトリーナは淡々と声を掛ける。

「席に戻れ。こちらとしては別に、父上に片を付けて貰っても構わないが」


「俺は王領代官の息子だぞ。こんな事をして、どうなるか分かっているのか」

 ブツブツ言いながら、バカ息子は立ち上がって席に戻った。

「以前から口癖のように言っているが、王領代官とはそんなに偉いのか?」


 赤髪の美女の問いに、調停役が説明を始めた。王領運営を代行する為、王権の一部を委譲されている事。軍事的な問題が発生した時、領土防衛の指揮を執る必要があるので、一定の軍事力を握っている事。領土内の人事に関する決定権を持っている事などである。

 調整役の説明を聞いて、我を取り度したバカ息子は席で踏ん反り返った。


「確か王領代官は官僚で、任地を数年で移動しなければならないのだったな」

 カトリーナの質問は続く。王領代官は任務地での有力者との癒着を防ぐため、数年おきに転勤を命じられる。前世界の銀行勤務者のようなものであった。強い権力を伴う官僚なので、任命されるには苛烈な学力・武術競争を、突破しなければいけない事も説明される。


「成程、王領代官が偉い事は分かった。つまり、その職務は世襲制では無い訳だな。どうしてお前は、自分まで偉いと思っているのだ?」


 ピシ!


 若者の厚顔な顔が引き攣った。赤髪の美女の追及は続く。

「お前が暴行を受けたという訴訟は、お前一人の証言に基づいて作成されている。此処に出頭している農民以外にも、複数の証人が居てお前の主張と正反対の証言をしている。この事に関しての意見はあるか?」

 バカ息子は唇を尖らせて反論する。

「そんな文字も書けないような農奴の証言と、王領代官の息子の俺の証言が対等な訳ないだろう」


 バァン!


 カトリーナは両手で机を強く叩いた。余りの勢いに同行していた農民と孫娘まで、その場で飛び上がる。

「調停役殿。今の発言は特記事項としておいてくれ。こいつは我が領民を愚弄した!」

「何だよ! 今まで気持ち悪いくらい冷静だったのに、急に熱くなりやがって」

 赤髪の美女は冷めた目で若者を見下した。

「お前は何を食べて、生きているんだ? これまで生きてきて、麦の一粒も作った事が無い穀潰しが、農民をバカにするな!」

 カトリーナの剣幕に、初老の農民は目頭を熱くさせた。バカ息子が何か言い返そうとした時、会議室の扉が開かれる。ひょっこりとローブ姿の青年が顔を出す。



「やっぱり、そうだ。見た事がある馬車が止まっている。と、思ったんですよねぇ」

 

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