第8話 バカ息子の功罪
これまで短くて二か月おきに、長くても四か月毎に現れていたクリスが、フレミング家を訪れなくなった。カトリーナが十九歳、クリスが十八歳になった時期である。
アルバでの結婚適齢期は女性が十五~十八歳、男性は十八歳以上となっていた。喪女としての経歴を着々と積み重ねるカトリーナ。引き合いや見合い話が無い訳ではない。何しろ見た目は結婚適齢期の美女である。しかし彼女は
「悪いが興味が持てない」
の一言で、全ての縁談を断っていた。フレミング家としては大事な一人娘であり、家の存続にかかわる事である。両親もヤキモキしていたが、可愛い一人娘を嫁に出すよりはと、消極的な肯定の態度を取っていた。
内面は別として、外面は適齢期の美女である。ノーメイクにシンプルな着衣の飾らない彼女は、歩いているだけで周りの男どもの目を奪う様になった。しかしカトリーナは、そんな事に気を回さない。気が向けば、供も連れずに一人で領内を動き回った。
領内で変わり者の姫様を知らない者はいない。しかしある時、隣の王領代官のバカ息子が、カトリーナを見初めてしまったのだ。ジャガイモの収穫を手伝っていた彼女は、馬に乗った銀髪の偉そうな態度の若者に声を掛けられる。
「そこのお前。年は幾つになる?」
名前・所属などを飛ばして、いきなり年齢を尋ねられたカトリーナ。何やら怪しげな視線で、彼女の肢体を舐め回すバカ息子を一瞥した赤髪の美女。しかし肩を竦めると、彼を無視して作業を続行した。幾ら声を掛けても反応しないカトリーナに業を煮やした若者は、馬を降りて畑にズカズカと入り込む。
「お前、耳が無いのか! 王領代官の息子である俺を無視しやがって」
ムンズと掴んだ彼女の泥だらけの左手に、結婚指輪が無いことに気づく。それを見て、バカ息子はニタリと笑った。
「何だ、結婚していないのか。見た目は良いのに行き遅れなんだな。ちょっと俺に……」
ドスン
気が付くと彼は、曇天の空を眺めていた。投げ飛ばされたことに気づくのに、幾らかの間が空く。これまで自分が誰かを殴りつける事はあっても、反撃された事が無かったのである。
「掘った芋を踏みつけるな。潰れてしまうだろう」
「何だ、このバカ女!」
ドスン
「一体何だっていうんだ! こっちへ……」
ドスン。ドスン。バキ!
いくら投げても喪失しない戦意。若者の色情に関する執着は、驚くほど強かったようだ。カトリーナはこれを叩き折る為に、最後に少し強めの当て身を打ってみた。やっとバカ息子の勢いが止まり、ジャガイモ畑の真ん中にへたり込む。
「お前、分かっているんだろうな。代官の息子に手を上げるという事は……」
『あ、隣の王領代官のバカ息子だ!』
いつの間にかカトリーナの周りに、作業を手伝っていた子供たちが集まっていた。指をさして彼を囃し立てる。
「お前らに用は無い。どっかに消えちまえ!」
悪態を付いて、両手を振り回すバカ息子。ふと、背後に気配を感じた。
「儂らの姫様に、何の御用がお有りかね」
屈強な農家の男たちが、手に手に鍬やホークを持って集まっていた。農工具として使用する鍬は、人間に使えば手足を簡単に折る事が出来る。ホークを腹に喰らえば、内臓が傷付き生き残る事が難しい。ゴクリと生唾を呑み込む若者。
「なななっ、何が姫様だ!」
「このお方は、キャニック領主の娘様じゃ。無礼な事を控えて貰おう」
「何だと、あの噂の行き遅れか! 丁度いい、俺の女に……」
ドス!
彼の足元に死神が持っていそうな、巨大な鎌が突き刺さった。バカ息子は、その場で飛び上がると、慌てて馬に駆け戻る。何か悪態を付いているようだが、子供たちに何か言い返されて、悔しそうに自領に逃げ帰って行った。
「
「大丈夫だ。手間をかけたな」
「代官には儂らから苦情を入れておきますよ。あんなバカ息子に言い寄られない為にも、姫様には早く身を固めて頂きたいんですがねぇ」
カトリーナはポンポンと身体の埃を払い、肩を竦めた。
「悪いが興味が持てない」
バカ息子との諍いは、思わぬ面倒をカトリーナに惹き起こした。そこそこのケガをした彼は、キャニックの農民たちに突然襲撃されたと、訴状を直に王宮に提出したのである。状況から見てバカ息子に勝ち目のない訴えであり、代官である父親経由であれば必ず握りつぶすような案件だ。
しかし、証人はキャニック側の人間しかおらず、実際にケガを負っている本人の訴えを何もせずに放置するわけにも行かない。仮にも王領地の人間の訴えであった。せめて取り調べは王領地でとの父親の希望も空しく、カトリーナとバカ息子はエイディーンに出頭を命じられたのである。
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