第6話 春の飢餓
春の麦畑。その傍らにスラリとした肢体を持つ、赤毛の美少女が立っていた。彼女は麦の穂に目を凝らす。
「今年も駄目か。異常気象が続くな」
十五歳になったカトリーナは、順調に美少女へと生長していた。彼女は麦の穂を握りしめる。その穂は薄っすらと赤く発色しており、黒い黒斑が彼方此方に浮かび上がっていた。
「赤カビ病か。この畑の収穫は期待できないな」
ため息を付いて、麦の穂から手を離す。その勢いで揺れる麦。病原菌におかされているからだろうか、麦はクタリとしている。
「今から刈り取って飼料に回すとして、後作はジャガイモか。春の飢餓が起こらなければ良いが……」
小さく首を振って、美少女は麦畑を離れた。
春の飢餓
様々な植物が芽吹き、花咲き乱れる春。動物も新しい命を繋ぐ、神聖な季節である。だが、アルバ地方では少し趣が異なる。食べられる植物が少なくなる季節なのだ。人間は貯蔵してある食物で喰い繋ぐことが出来るが、野生動物はバタバタと餓死してしまう。
この現象は野生動物だけの話ではない。貯蔵している食物を食べつくせば、人間も同じことなのだ……
カトリーナは麦畑の傍の小高い丘を歩き回る。足元の枯れ草などを動かして、何かを探しているようだ。
「ビンゴ! やっぱりあった」
彼女はクルクルと先の丸まったシダ植物を手折った。シゲシゲと植物体を観察し、手折って切れた部分の匂いを確認する。それから辺りに群生するシダを、集め始めた。
「カトリーナ。一体、何のおままごとをしているんだい?」
金髪の少年から青年に移り変わる身体を持った男性が、野外の竈の前に立つ美少女に話しかける。
「何だクリス、また来たのか。王族というのは暇なんだな」
彼女は淡々と返答した。その間も竈の前で行っている作業の手は止まらない。竈の中の灰を掻き出し、シダ植物が入った木桶の中に放り込む。それから用意してあった井戸水を、大鍋に注ぎ込み湯を沸かし始めた。
「そんな事を言わないで下さい。ここに来るまでにどれだけ、クリス様が苦労された事か……」
いつの間にかユッタリとした、ローブを羽織った銀髪の青年が現れた。目のあたりに多少の険があるが、整った容姿を持っている。アルバ王室御用達の魔術師であり、クリスの教育係と自称している、イワンという美青年だった。
「どんな苦労をしたというんだ?」
「良くお聞きくださいました。クリス様は提出に一か月は掛かる課題を二週間で完成させ、闘技の鍛錬も連日休みませんでした。更に王族間の定例儀礼を全てこなし、三日間の遠乗りおよび領土視察の時間を入手されたのです!」
イワンの力説を聞いているのか居ないのか、カタリーナは真剣な表情で大鍋の湯を見つめている。鍋底がポコリと気泡を上げた。
「良し今だ。クリス、手伝ってくれ」
彼女一人では持ち上げる事が出来ない大鍋を、二人で持ち上げて件の木桶に湯を流し込む。得体のしれない変な形の植物と、竈の灰、そして大量の熱湯が木桶の中で渦巻いた。
「やや、良く見ればこの植物は
イワンのボヤキを無視して、木桶に蓋をする彼女。そして涼しい風の通る納戸に木桶を移した。納戸には同じような木桶が、もう一つ置いてあった。中に入っている茶色く変色したブラッケンを一束掴みだすと、井戸水でザブザブと灰を流し落とす。
その内の一本をジックリと観察するカタリーナ。それを見た美青年は肩を竦めて、人差し指を横に振る。
「良いですか? ブラッケンは渋すぎて食べられませんし、無理をして食べれば下痢や腹痛を起こします。また毒素が身体に溜まると、別の病気を誘発し……」
ブラッケンを指で揉み硬さを確認した後、美少女はパクリと口に入れた。
「食べたぁ-!」
イワンはカトリーナの手からブラッケンを叩き落とし、口の中の物を吐き出させようとした。口元に指を近づけたところで、彼は自分が背中から地面に倒れていることに気が付いた。
「……酷いですなぁ。何で私を投げ飛ばすのですか」
「無理矢理、私の口に指を入れようとするからだ。心配するな、これは食べられる。クリス、試してみろ」
カトリーナはブラッケンを一本、クリスに手渡した。微妙な表情を浮かべてから、彼はエイとばかりに口に放り込む。しばらく噛んでから、驚いたように目を見開いた。
「少し苦味があるけど、食べられる。良く噛むと粘りが出るのかな?」
「これはブラッケンの中でも、ワラビという種類の植物だ。アクが強く、そのまま食べるとイワンが言ったようになる。しかし草木灰などの強アルカリに浸透すると、アクが抜けて食用になる」
少女はアク抜きの終わった、ワラビの灰を洗い流し母親に手渡した。
「少し食べて見て。どう料理したら良いだろう?」
ケイティはワラビを少し齧ると、首を傾げた。
「何だか不思議な味ねぇ。淡白な味だから炒め物が合うかしら? 少し待っててねぇ」
彼女は微笑みながら、屋敷のキッチンへ去って行った。
「大体、何だってブラッケン…… じゃなかった、ワラビなんかを食べようとしているんですか」
「北の耕作地の冬小麦が、赤カビ病にやられた。春の飢餓が来るかもしれない」
「何と! それは本当ですか」
イワンは目を見開き、大声を上げた。
「後で現地を案内する。少しでも食べられるものを確保したい。アク抜きしたワラビは干せば、保存食としても利用できる。量は食べられないが、無いよりはマシだ」
「赤カビ病になると小麦は、どうなるんだい?」
「まず、不味い。麦の実の色も変わって粒が小さくなる。カビ毒があるから食べれば体調を悪くする。死にはしないが慢性毒として体に残り。他の病気にかかりやすくなるな」
「カトリーナは本当に、何でも知っているね。どうして赤カビ病が流行したのだろう?」
金髪の青年は小首を傾げた。教育係のイワンでさえ、そこまでは知らない様で同様に首を傾げている。
「春先の開花時期に長雨が続いた。これで菌糸が広がったのだろう」
赤髪の美少女は、淡々と返答した。その時、母屋からケイティの声が聞こえてきた。
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