第5話 即席の教室
翌朝。食卓には、ケイティ特製のフル・スコティッシュ・ブレックファスト(大盛朝定食 目玉焼き、ベーコン、マッシュポテト、焼きトマト、ブラック・プティングなど乗った大皿に、更にトーストと紅茶が付く)が並んでいた。
ケイティが早朝から、張り切って設えた傑作だった。
「男の子の食べっぷりは、見ていて嬉しくなるわねぇ。これからもう一人産もうかしら?」
クリスの食欲に、彼女は目を細めた。
朝食後、クリスはフレミング家の馬車に乗り込んだ。御者の助手席にはスコットが、馬車には話し相手としてカトリーナが同乗している。
領主として王族を送迎するのに、スコットが同行するのは一般的な話だ。カトリーナの同行はクリスの是非にという希望から決まったのである。エイディーンへ返り咲く王族に、見初められたと沸き立つ家人たち。
少女は、そんな彼らを横目に淡々と馬車に乗り込んだ。
「カトリーナさん。お忙しい所、お付き合い頂き申し訳ありません。」
「別に予定は無かった。気にすることは無い。それに堅苦しい敬語も必要ない。私の事は、カトリーナで良い。何か聞きたいことがあったのだろう?」
あまりに素っ気の無い返答に、目を見開く少年。それから彼はニコリと微笑んだ。
「この辺りの風俗や豪族たちの力関係を、君が知っている範囲で教えて欲しい」
「どうして?」
「僕は、エイディーンとソーサーの事しか知らないんだ。これからはアルバ全体を知らなければならない。でも全部を自分で調べるわけには行かないから、色々な人に教えて貰おうと思う。
それには利害関係のある人から聞くよりも、カトリーナ。君から教えて貰った方が情報に偏りが少ないよね」
「それはそうだな。で? 何を聞きたいんだ」
その瞬間から馬車の中は、即席の教室となった。クリスの質問にカトリーナは淡々と回答して行く。曰く
Q1: キャニック周辺の人口について
A1: 正確では無いが三万人前後 アルバ全体では百万人前後が見込まれる。
Q2: キャニックの主要産業について
A2: 主として農産物製造・販売。若干であるが泥炭が取れる。が、ほぼ自家用で消費している。
Q3: キャニックの人口は、これから増加が見込めるか
A3: 食料生産のカロリーベースで言えば可能だが、販売量を差し引くと増加は見込めない。逆に異常気象などにより、生産量が落ちた時、飢饉になる可能性が高い。
Q4: ステュアート王家とフレミング家の関係について
A4: 現行は良好。人口も少なく、領地収益も見込めないので重税は課されていない。また王領地と封建諸侯領地に挟まれている為、懐柔策と情報収拾の目的から、比較的王族とのコミュニケーションが取りやすい。
etc.etc……
「驚いた! カトリーナには専門の家庭教師でも付いているの?」
「知りたいことがあれば、その道の専門家を訪ねる事にしている。クリスが質問したことは、統治者として知っておく必要のある最も基本的な情報だ。それを心得ているだけでも大したものだ」
少女はニコリともせず、肩を竦める。少年はポカンと口を広げた。
「僕は小さい頃から、専門の家庭教師から学んで来た。それが王族の義務だから。君はどうして……」
「興味があった。それだけだ。ついでに言えば、護身術のバリツも同じことだ」
自分は興味が無い事には、一切手を出さないし努力もしない。例えばオシャレや交友関係を広げる事には、全く時間を使わない。その時間を興味のある事に当てただけである。そう、クリスに答えた。
「この時代、国力は人口の多寡に直結する。食糧増産は即ち国力増大だ。過去に子供を飢饉で亡くした、老人の話を聞いた事がある。戦争と飢饉だけは、絶対に避けなければならないと、何度も何度も繰り返して言っていたな」
少年は、下を向いて口を閉ざす。しばらくして顔を上げると、カトリーナに話しかけた。
「僕はこれから、もっと頑張るから。絶対に君たちに悲しい思いをさせないから」
驚いたような表情を浮かべた少女は、優しく微笑んだ。
「そんなに気負うな。先ずは王族の中で、確固たる地位を掴み取る事だ」
馬車の速度が落とされた。どうやらエイディーンに到着したらしい。即席教室も終業のようである。
王城正門の大扉が開かれた。城内には複数の官僚や女官が待ち構えている。馬車を降りたクリスは、彼らに取り囲まれた。慌てて彼は少女の方に振り返る。
「カトリーナ。もし良かったら、城を案内するけど」
「遠慮しておこう。疫病も完全には収束していないようだしな」
余りにもアッサリとした返答。周りの人々もキョトンとした表情を浮かべていた。王族の招待を断るなど普通、考えられない。クリスはクスクスと笑い始めた。
「色々助けてくれて、本当にありがとう。また逢えるかな?」
「片田舎の小領主の娘が、そんな簡単に…… ギュム!」
また愛想の無い返答を返す筈の少女の口を、父親は素早く抑えた。
「喜んで参上いたしますとも! いつでもお呼び出し下さい」
にこやかに笑う彼の手を振り払い、なにやら関節を取り合う父娘。それを羨ましそうに眺めながら、少年は王城に足を進めた。
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