第3話 救出劇



 高原での初稽古から五年が経過した。スラリとした肢体を持った赤毛の少女が、乗馬している。常歩なみあしより少し速度を上げた葦毛の馬の衝撃を、少女は上手く遣り過ごしていた。

「カトリーナは乗馬も上手くなった。本当に私の自慢の娘だね」

 少女の傍には大柄な黒馬に跨った、スコットが寄り添っている。カトリーナは香利の記憶を取り戻して以来、喪女としての生活様式を淡々とこなして来た。


 社交よりも格闘技の修練を。恋愛より乗馬を。友人関係の構築より古典教養と農業技術の把握を。


 これが男の子であれば、跡取りとして申し分なかったかもしれない(あったかもしれないが)。ただしカトリーナは少女である。通常は政略結婚の為、近隣の地方貴族へ嫁に行く事が常識的な人生設計だった。


 彼女の見た目は元の世界とは、比べ物にならないほど整っている。しかしそれに鼻を掛けるわけでもなく、カトリーナは淡々と修練と学習を積み上げて行った。アルバ領土内では学校という概念が無い。そのため古典教養は領土に棲んでいる学者から、農業は実際に農家へ自分の足を運んで学んでいく。

 その為にも、乗馬の技術向上は必修項目だったのだ。


 特に農業技術の把握は前職における、お家芸である。物凄い速度で農習慣および商慣習を学んで行った。都会に住んでいる非農業関連者には、想像が付かないかもしれないが農家が経営を学ぶことは重要である。

 自家用に消費する食物以外で、換金性の高い農作物を栽培するのは非常に重要な事なのだ。早い話、お金にならなければ、農業などやる意味も無い。


「お金に縛られるなんて、勿体無い。大自然に抱かれて、自由気ままに生活することは素晴らしい! 無農薬栽培に無化学肥料。めざせスローライフ!」


 やったことも無い農業に憧れて、こんな事を言い出す輩がたまに発生する。カトリーナに言わせれば、世間知らずな戯言だ。そんなに言うなら実際にやってみれば良い。恐らくやったことも無い、過酷な肉体労働で身体を痛めつけ、手に入る収益の低さに心を折られるに違いない。

 都市生活に順応できず農村に逃げ込むような人間が、農業一本で生きて行くことなど出来ないのである。少なくとも香利が営農指導を行っている時の、夢追い人達は一か月と持たずに農村を逃げ出した。


「農業の他に、やりたい事ができたんです」


 その一言で農村から撤退する若者たち。彼らを農村に招致する迄に掛かった香利の事務手続きと、投入された安くない税金は全て水の泡である。



「おや? あれは何だろう」


 父親の呟きに少女は、忌まわしい回想シーンを頭から振り払った。見ればみすぼらしい馬車が、盗賊に襲われているようである。盗賊たちの装備はマチマチで、それほど強力な武器も持っていないようだ。全部で五名の集団だった。

 対するカトリーナ達は、父娘の他に二名の官僚が居る四名の集団だ。官僚とは言え、領主の視察に付き従う要員であるから、ソコソコに腕っぷしも立つ。


「我が領内で強盗を働くとは、けしからん」

 それだけ呟くとスコットは風の様に、騒動の真ん中へ飛び込んで行った。慌てて二人の部下も後を追う。襲撃者は自分達だけだと思い込んでいた盗賊たちは、突然の乱入者の登場に算を乱した。

 いつもは鷹揚で優し気な父親が、まるで鬼神のような大暴れをしている。部下たちが馬車に辿り着いた時には一人を倒し、もう一人と対峙していた。時間と共に勢力を削がれていく盗賊達。


「お、お前ら、動くな!」


 馬車に獲り付いていた盗賊の一人が、喚き声を上げた。見れば金髪の少年を左腕に抱え、錆びたナイフを突きつけている。父親は、それを見て肩を竦めた。

「詳細は分からんが、その子は商品なのだろう。手を付けてしまっていいのか?」

「うるせぇ! いいから馬車から離れろ!」

 見事なまでの三下のセリフを吐き、錆びたナイフを振り回す。何かの拍子に少年の身体に傷をつければ、『震える舌』(破傷風状の症状を呈する病気)にでも掛かってしまいそうだ。


 仕方なくスコットと部下は、馬車から少し距離を置く。盗賊たちは傷ついた仲間を馬車に乗せようとし始めた。


「オジちゃん、何をしているの?」


 ナイフ男が横を見ると、十歳くらいの赤毛の少女が立っていた。スラリとした肢体と白い肌。愛好家に高く売れそうな様子をしている。彼は下卑た笑顔を彼女に向けた。

「ちょっと取り込んでいてな。お前もこっちに来い」

 小首を傾げた少女はトコトコと、男に近づいて行った。ナイフを持つ右腕で彼女を抱え込もうとした、その瞬間


 シッ!


 少女の強烈なローキックが、ナイフ男の右膝に叩きこまれた!


可憐な見た目と異なり、恐ろしいほどの速さと体重が乗ったローキック。その衝撃でナイフ男の右足はあり得ない角度に折れ曲がる。悲鳴を上げながら男はナイフを振り上げようと……

「あれ?」

 いつの間にか彼の右手に、少女の両手が掛けられていた。男の右腕の動きに合わせて、彼女は身体を動かす。


 ドゥ!


 背中から地面に叩きつけられ、曇天の空を眺めている自分に気が付いた。どうやら投げ飛ばされたらしい。慌てて起き上がろうとするが、ナイフを握る右手を少女にガッチリと固められ動きが取れない。無理に右足を動かそうとして、ナイフ男は骨折の激痛に悲鳴を上げた。


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