7

 桜の木の下を、暖かい大気の中を、少女は駆ける。俺は息を切らしながら、必死に足を動かす。ランニングを部活でやっていたのはもう何年も前のこと。しかし角を一つ曲がるごとに、少女の背中は近づいてくる。今の俺なら、確実に追いつける。そう思って俺はまた角を曲がる。


 ついにT字路に出た。家の周りのことは、よく知っている。この角を曲がったあとは、しばらく直線が続く。開けた大通りに出ると、少女とはもう十メートルも離れていなかった。

 しかしふと、俺は足を止めた。小さくなる少女の背中を、ただじっと眺めていた。振り返ると、逆側にも道が伸びている。俺は少女と逆向きに歩き始める。



 一歩前に進むごとに、あの頃抱いた少女への憧れが薄れていく。そんな気がした。もうどれくらい歩いただろうか。景色はそれほど変わらない。見ると、道端に何かが落ちている。茶色に変色した何か。俺はしゃがみこむ。それは、蛙のミイラだった。

 そういえば、母校の中学でも一度見かけたことがあった。地方の公立中学特有の汚いトイレの清掃中、汚れた床の隅にそれはあった。それはスリーが行方をくらましてからそう長くなかったから、何を思ったか俺は、無意識に手を合わせていた。


 だが、こいつは少し違う。少し小さい。それに、右後ろの足が不自然に曲がっている、ような気もした。そうだとすれば、という風に結論づけるのは流石に勝手すぎるだろうか。しかし、少女の選んだ道の対極にこれがあったこと、ただそれだけで十分に意味があると、俺は感じた。長年の葛藤に終止符が打たれた。俺はそのミイラを拾い上げ、ジャージのポケットに入れた。今なら、俺は跳ぶことができる。



 来月で母は七回忌を迎える。七年間、叔父は一人で墓に花を添えていたわけだ。俺は本当に叔父を尊敬する。

 俺は初めて母の墓参りに行くことに決めた。叔父に一報いれてから出発しようかとも考えたが、やめた。俺たちの長年ぶりの再会は、もっと突然であるべきだからだ。感情表現が苦手な叔父は、一体どんな顔をするだろう。ひょっとしたら殴られるかもしれない。だが、それもいいと思った。

 足が軽くなった気がしたので、帰りも走っていくことにした。きっと行きほどは時間がかからないはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蛙が跳べるようになるまで 向乃 杳 @For_you

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ