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この街は自我を持っている。時流に飲まれず、憧憬に背伸びせず、機能性と引き換えにそれを差し出さず。
想像できるだろうか。田んぼ三、四個分の一本道の先に校舎がそびえ立つのだ。正確な距離は知らないけれど、中学生の足で十分くらいの道のりである。道幅は車が一台通れるほどしかなく、それなのに結構車が通る。俺たちが道いっぱいに広がって練り歩き、すっかり占領した気になっていると、後ろから催促するような忙しないエンジン音が聞こえ、モーセの海割りの如く渋々路肩に分裂するわけだ。強風が吹けば、妨げるものがないその長い道をひゅうっと吹き抜ける。どういうわけか、いつも登校する集団に対抗する方向に吹くのだ。その威力は、少年に降りかかる試練だ。前に雨風が強かった日に、友達の傘が二つ先の田んぼまで飛んでいったことがあった。
田んぼといえば、生命の源泉である。トンボはもちろん、季節によってはカモに白鳥、珍しいところだと小さめの蛇なんかも見たことがある。だが圧倒的大多数は、蛙だ。
それは、時期を問わず現れる。どこからか急にピョコ、と飛び出し、またどこかへ姿を消してしまう。まさに神出鬼没である。しかしその特性は、車通りの多いこの道においてはリスクでしかない。グロテスクな話だが、地元民は轢死の跡を多く目にすることになる。そうはいうものの、実物を見れば拍子抜けで、その屍が人間の目前に晒される頃には大抵、太陽に照りつけられてすっかり干からびてしまっている。乾いたそれは、白い。平べったくなって、道の模様みたいになっている。普通に歩いていると意外と分からないからといって、一度登校中に数えてみたら、これがなんと七十もあったのである。
そんなある日、俺は「スリー」に出会った。
ひと目見たときは、平生見かける取るに足りない蛙だった。だが、一緒に登校していた友達の一人が「歩き方が変だ」と指摘したので、俺たちは目を凝らした。どうやらそいつは右後ろの足が、上手く使えないらしかった。事故に遭ったのか、だとすれば片足だけで幸運だったともいえるし、死にきれず不幸だったともいえる。はたまた先天性のものなのかもしれない。その謎めいた特性は、中学生の好奇心をおかしいほどくすぐった。
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