2

 この街は自我を持っている。時流に飲まれず、憧憬に背伸びせず、機能性と引き換えにそれを差し出さず。

 想像できるだろうか。田んぼ三、四個分の一本道の先に校舎がそびえ立つのだ。正確な距離は知らないけれど、中学生の足で十分くらいの道のりである。道幅は車が一台通れるほどしかなく、それなのに結構車が通る。俺たちが道いっぱいに広がって練り歩き、すっかり占領した気になっていると、後ろから催促するような忙しないエンジン音が聞こえ、モーセの海割りの如く渋々路肩に分裂するわけだ。強風が吹けば、妨げるものがないその長い道をひゅうっと吹き抜ける。どういうわけか、いつも登校する集団に対抗する方向に吹くのだ。その威力は、少年に降りかかる試練だ。前に雨風が強かった日に、友達の傘が二つ先の田んぼまで飛んでいったことがあった。



 田んぼといえば、生命の源泉である。トンボはもちろん、季節によってはカモに白鳥、珍しいところだと小さめの蛇なんかも見たことがある。だが圧倒的大多数は、蛙だ。

 それは、時期を問わず現れる。どこからか急にピョコ、と飛び出し、またどこかへ姿を消してしまう。まさに神出鬼没である。しかしその特性は、車通りの多いこの道においてはリスクでしかない。グロテスクな話だが、地元民は轢死の跡を多く目にすることになる。そうはいうものの、実物を見れば拍子抜けで、その屍が人間の目前に晒される頃には大抵、太陽に照りつけられてすっかり干からびてしまっている。乾いたそれは、白い。平べったくなって、道の模様みたいになっている。普通に歩いていると意外と分からないからといって、一度登校中に数えてみたら、これがなんと七十もあったのである。



 そんなある日、俺は「スリー」に出会った。

 ひと目見たときは、平生見かける取るに足りない蛙だった。だが、一緒に登校していた友達の一人が「歩き方が変だ」と指摘したので、俺たちは目を凝らした。どうやらそいつは右後ろの足が、上手く使えないらしかった。事故に遭ったのか、だとすれば片足だけで幸運だったともいえるし、死にきれず不幸だったともいえる。はたまた先天性のものなのかもしれない。その謎めいた特性は、中学生の好奇心をおかしいほどくすぐった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る