蛙が跳べるようになるまで

向乃 杳

1

 俺が叔父の家に身を置いたのは小学四年生の時だった。

 赤子をおぶってあやしていた母にとって、二足で歩けるようになっても我が子は変わらず重荷であったようで、家庭で俺は蔑ろにされていた。「あいつに似ていて寒気がする」母はよくそう言って、俺と同じ部屋で煙草を吹かした。あいつとは存在するのかも疑わしい俺の父親で、やるだけやって行方をくらましたその男を、母は大変憎んでいた。迷惑な話だが、俺は憎い男の憎い置き土産として生まれ落ちたわけだ。


 そんなことが続いても、俺はそれを道理だと変に達観するばかりで、哀しみや怒りを覚えることはなかった。あるいは、唯一の肉親を正当化したいという気持ちでもあったのかもしれない。母は子の自立を願って、あえて鞭を打つのだと、俺は健気に「勘違い」をしていたのに、それがむしろ真逆の愛の欠如であったことを、俺は小学三年生の夏にわざわざ突きつけられることになった。愛とは受け手が勝手に解釈するものと心得ていた俺にとって、それは周知の事実というか、改めて言うには取るに足りないことであった。その異常性を諭すように俺に伝えた、叔父の面に浮かんだ同情を目にしたとき、俺は母ではなく叔父を恨んだくらいだった。


 その後、もろもろの手続きと、もろもろの兄弟喧嘩の後に、俺は都会のビル群に埋もれたボロアパートから、田舎に羅列するボロアパートの一角へと移された。母から遠く離れた地だった。それでもなお俺は幼さゆえか、自分の置かれた現状を別段大事とも捉えていなかった。俺の意志と関係なく転校させられたことが唯一の心残りで、それこそ俺は蔑ろにされた気分だったが、田舎の人情というものが実在することを知った俺は幾分か楽に人間関係を構築し、自分が無下にされた過去はいつしかまるごと忘れていた。

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