愛しき少女に想いを寄せて

 蒼天の下、王宮の庭園を取り囲んでいる外周歩道を歩く一団があった。

 一団の構成は、男が三人。その者たちは全員、黒で統一された軍服を纏っている。

 彼らは黒騎士団――王国内で結成されている騎士団の中でも花形にあたる騎士団の面々である。

「あー、今日も平和だなぁ……」

「ああ。この間まで遠征していたのが嘘みたいだな。だが、何事もないのは良い事だ。だから、こうして平穏な日々が保たれている」

「しっかしよぉ、何か褒美があってもいいと思わねぇか?」

「例えば?」

「……好きな女の子を抱ける権利、とか?」

「ほう、気になるご令嬢でもいるのか?」

「ああ! イザベラ姫に仕えている侍女のメリアちゃん! 可愛いよなぁ……」

「……残念だが、メリア嬢には近づかない方がいい。命が惜しいならな」

「……ああ。そうなったら、もれなく“あの人”の手によって八つ裂きにされちまうだろうからなぁ……」

 談笑しているのは、横に並んで歩いている二人の騎士である。

 そんな二人のやりとりを無視し、彼らの前を歩く一人の騎士は横を見やると、いきなり立ち止まった。

「どうなさいました? クロイス団長」

「……お前達、先に行け」

「しかし、団長の身に何かあったら――」

「私を誰だと思っている」

 団長と呼ばれた騎士――クロイスは、自分の身を案じてくれている騎士達の言葉をバッサリ切り捨てる。

 これ以上の説得は無意味だろう。二人の騎士達は観念し、上官の命令に従った。

 この場を去る騎士達の後ろ姿が見えなくなるのを確認すると、クロイスは歩道から外れ、横手に広がる森へと足を向けた。


 かすかにだが、この森からは人の気配を感じる。

 敵意や殺意といった類のものではない。

 だが――決して見過ごしてはならない。そんな予感がした。

 クロイスは、己の気配を悟られないように細心の注意を払いながら、木々の間を縫うようにして奥へと進む。

 その先にいたのは――。

「……メリア?」

 侍女の制服に身を包み、薄茶色の髪を後ろで束ねている愛らしい少女であった。

 少女――メリアは木の根元に座りながら、瞳を閉じて眠っている。

(何故、メリアがここに……?)

 女性が一人でいるのは危険だ。クロイスは早足でメリアの元へ向かい、彼女を起こそうとした。

 だが、その時――。

「……おかえり、なさいませ……クロイス、様……」

 メリアの唇から漏れた声を耳にし、クロイスは彼女を起こそうとした手を止めた。

 戦争を収束させて帰国した直後、幾度となく言われた言葉。

 その時は軽く聞き流し、愛想笑いを作って応えただけだ。

 しかしながら、この少女一人に言われた瞬間――心に響き、胸が熱くなったのは何故なのか?

 その理由を――クロイスは既に分かっており、はっきりと自覚している。

「……ただいま、メリア」

 口にするのと同時に、自然と笑みがこぼれる。

 クロイスは眠るメリアの頬に手を添えると、彼女の唇に己の唇を寄せて――重ねた。

 感触は――甘くて、柔らかい。

 叶うならば、このままずっと彼女の唇に触れあっていたい。

 彼女の唇を無理矢理こじ開けて、さらに深く絡ませながら繋がりを感じたい。

 だが、クロイスは自身の内に抱えている欲望を強い自制心でもって抑えつけると、そっと唇を離した。

 メリアに触れた唇は瞬く間に渇き、冷たくなっていく。

「……ん……」

 メリアの唇から微かな喘ぎ声が漏れた。覚醒の時は近いようだ。

 本来ならば、国民を守る騎士として、彼女が目覚めるまでずっと傍についていてやりたいのだが、多忙の身ゆえにこれ以上の長居はできない。

 クロイスはメリアの頬に触れていた手を離すと、ゆっくりと目を閉じ、周囲の気配を探った。

 視覚を遮断することで、聴覚が研ぎ澄まされていく。

 耳には、心地よい自然音が入ってくる。

 だが、クロイスは自然音に惑わされることなく更に集中力を高めた。

 どうやら、周囲には誰もいないようである。そう判断を下したクロイスは安堵し、目を開けた。

 視線の先には、依然として眠り続けるメリアの姿があった。

 クロイスは苦笑すると、肩に羽織っているマントを脱ぎ、メリアの身体にかけてやる。

 そして、メリアを起こさぬように気を遣いながら、静かにこの場を去って行ったのであった。


 執務室に戻ってくると、薄茶色の髪と双眸を持った童顔で小柄な男が仁王立ちして待ち構えていた。

 彼は黒騎士団の副団長にあたる男だが、クロイスは正直この男を苦手としていた。

 理由は主に二つある。

「ったく、人が忙しなく戦争の事後処理に追われているってのに、騎士団長様は自由気ままにお散歩かよ。暢気なもんだな、おい」

 一つは、上官が相手であっても歯牙にもかけない無遠慮な物言いである。

 これについては、こちらがいくら窘めても聞く耳持たずなので、既に諦めている。

 もしかしたら、目の前にいる副官の男――アルスとは旧知の間柄ゆえ、彼が常にこのような砕けた喋り方をすることを無意識に許しているのかもしれない。

「ん? お前、マントはどしたん?」

「……風に飛ばされて、無くしたんだ」

「相変わらず嘘つくのが下手だなぁ~、生真面目な団長様は。嘘つくなら、もっとマシな嘘つけや」

 アルスが嘆息交じりにぼやく。

 そして、もう一つの理由は――。

「……もしかして、お散歩中にメリアに逢っちゃった?」

 唐突に聞かれてしまい、クロイスは虚をつかれる。

「……どうしてそう思う?」

「だって、お前、すんごく上機嫌なんだもんよ~。それから、今一瞬固まったぞ」

 クロイスとしては平静を取り繕っているつもりでも、非常に目ざといアルスは上官の微々たる変化を決して見逃さない。

「……愛しさのあまりキスしちゃった?」

 アルスはクロイスに歩み寄り、顔を近づけながら尚もしつこく問うてくる。

「……でもって、欲情の勢いに任せて、か弱いメリアを強引に押し倒し――」

「そこまではしていない!!」

 全力で否定しようと声を荒げたのと、しまったと思ったのは同時だった。

 アルスは勝ち誇った笑みを浮かべている。

「はっは~ん、じゃあどこまでやっちゃったのかなぁ~? オレには知る権利があるよ。オレ、メリアの兄貴だし」

 そうなのだ。このアルスは、メリアの実兄なのである。

 それ故、メリアに密かな想いを寄せているクロイスはアルスに弱みを握られており、頭が上がらないのであった。

 クロイスは観念し、白状する。

「……眠っているメリアに口付けただけだ。それ以上の事はしていない」

「……感心しねぇな」

 アルスの口元から笑みが消える。途端、彼の両手には小剣が握られ、クロイスに襲い掛かった。

 だが、クロイスは瞬時に抜剣し、アルスの小剣を弾き飛ばす。

 アルスの手から離れた小剣は宙で回転しながら、地面へと落下する。

 瞬く間に、勝敗を決してしまった。

「ったく、剣ではホントに敵わねぇよなぁ……」

 頭を掻きながら、アルスは無邪気に笑う。

「お前が本気を出していなかっただけだろう」

 地面に落ちている小剣を拾い集めたクロイスが手を差し伸べてくる。アルスは素直に手を取ると勢いよく立ち上がり、小剣を受け取った。

 小剣を腰に括りつけている鞘にしまうアルスの様子に、クロイスは胸を撫で下ろす。

「……そそっかしいところがあるが、オレにとっては自慢の可愛い妹だ。だから――よろしく頼むよ、“未来の義弟”君」

 そう言いながらクロイスの肩を軽く叩くと、アルスは静かに執務室を出ていった。

 執務室には、クロイス一人が取り残される。

 クロイスは執務室の扉を見やりながら、アルスが残した言葉について考えを巡らせていた。

(“未来の義弟”、か……)

 どうやら、想い人の兄からのお墨付きを貰ったようである。

 だが、一番大事なのは――。

(メリア……)

 クロイスは軍服のコートの懐から小箱を取り出すと、蓋を開けた。

 箱の中央には、想い人の名前の語源になっている花――プルメリアを宝石で象った金の指輪が収められている。

 近々、クロイスはメリアの実家を訪れ、彼女に求婚する予定だ。

 果たして、メリアはこの指輪を受け取ってくれるだろうか?

 不安がないわけではない。だが、成功させる自信もある。

 クロイスは気を引き締めると、小箱の蓋を閉じて懐にしまいこみ、机に山積みになっている書類の処理に取りかかったのであった。

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蒼の騎士と琥珀の令嬢 妹尾優希 @aggressive_historia

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