蒼の騎士と琥珀の令嬢

妹尾優希

夢で逢えたら

 王宮の裏手に広がる広大な庭園には、色とりどりの花々が咲き誇り、木々や芝生、生垣の緑が青々と生い茂っている。

 庭園は常に庭師達によって手入れがされているものの、広大ゆえに手入れの綻びが生じている所も多々存在していた。

 だが、王女付きの侍女である少女――メリアには、庭師達に対して職務怠慢であると責める気は全くもってない。むしろ、手つかずになっている場所は憩いの場として過ごすのに最適なので、有り難いのである。

 こういった場所に一人でいると、不思議と心が休まる。

 無論、年頃の娘らしく、同僚の侍女仲間たちと共にお喋りに興じるのも好きだ。

 だが、仕事柄で人と接する時間が多いからこそ、一人になる時間を大切にしたいのである。

 今日は快晴で、いい外出日和。外に出て気分転換をするには、絶好の日だ。メリアは昼食を誘ってくれた侍女仲間に断りを入れて、一人この場へとやって来たのであった。

 大きな木の根元に腰を下ろすと、メリアは深呼吸を繰り返し、ゆっくりと目を閉じた。

 視界は閉ざされている。だが、耳をすませば、風が木々の葉を揺らす音や水のせせらぎが明瞭に聞こえる。

 そして、木々の葉の合間から差し込んでくる陽光の温かさと、涼やかに吹く風を肌で感じ取る。

 こうしていると、自然の生命の息吹を感じ取れて落ち着くのだ。

(ずっと、こうしていたいな……)

 しかし、そんなメリアの願いも空しく、かすかに聴こえてくる足音によって遮られてしまう。

 誰かがここに向かってやって来る。

 メリアは急いで立ち上がり、足音のする方を注視する。

 足音は徐々に大きくなってくる。地面を踏みしめる音は力強い。恐らく、こちらに向かってくるのは男性だろう。

 無意識に全身が強張る。だが、逃げるわけにはいかない。己を叱咤しながら、何者がやって来るのを待ち構える。

 やがて、メリアの正面にある茂みの間から現れたのは――。

「ク、クロイス様!?」

 黒で統一された軍服を纏い、艶やかな黒髪と蒼天を思わせる碧眼を持った眉目秀麗の青年であった。

 彼――クロイスは、王国騎士団の中でも花形である黒騎士団を統率する騎士団長を務めている。しかも、端正な容姿と相まって、女性からの人気が非常に高い。無論、メリアも例外ではなく、クロイスに密かな想いを寄せる女性達の内の一人である。

(どうして、クロイス様がここに……?)

 メリアの困惑をよそに、クロイスは表情一つ変えずにこちらへ歩み寄ってくる。

 メリアは正気に戻ると、慌てて深くお辞儀をした。

 だが、クロイスはメリアの肩に手を置いて制する。

「そう畏まるな。ここには、私達二人しかいない」

 低いが、温かみのある声。メリアは、この彼の声が大好きなのだ。故に、クロイスの声を耳にするたびに、胸が高鳴る。

 実は、ついこの間まで、クロイスが率いる黒騎士団は遠征に出ていて長らく不在だったのだ。繰り広げた戦争は、激戦だったと聞いている。だが、激戦の末に辛くも勝利をおさめ、凱旋帰国を果たしたのである。

 そして、現在のクロイスは戦後の事後処理に追われており、多忙を極めている――はずなのだが。

 メリアは、胸に抱いていた疑問を振り払う。

 クロイスが何故この場にいるのか、なんて二の次だ。こうして無事に帰ってきてくれたことが、何よりも嬉しい。

 メリアは笑顔を作り、明るい声で彼を迎えようと努める。

「……おかえりなさいませ、クロイス様」

 そう言うと、クロイスは虚を突かれた表情をした。だが、すぐさま――。

「……ただいま、メリア」

 はにかむように微笑みながら、返してくれる。

 そんな彼の笑みを見た瞬間、メリアは違和感を覚えた。

(あれ? クロイス様って、こんな風に照れ笑いをする方だったっけ……?)

 普段のクロイスは冷静沈着で、周囲にいる者たちに笑顔を見せることはほとんどない。あったとしても、本心を隠した愛想笑いを浮かべるだけである。

 しかし、もしこれが彼の本来の素顔なのだとするならば――。

(……って、こんなことあるわけないじゃない! ただでさえ、二人きりでお逢いできるような方じゃないのに……)

 頭の中で全力否定すると、メリアは何とかしてこの場を切り抜けられないものかと思案する。

 だが、次の瞬間――更に信じられないことが起きた。

 これまでずっとメリアの肩に置かれていたクロイスの手が、突如として動いたのだ。彼の手はメリアの腰を捕らえると、自分の方へと引き寄せたのである。

 たちまちのうちに、メリアの身体はクロイスの両腕の中に収まり、彼の身体と密着することとなった。

(ええっ!? ちょっと待ってよ!! このシチュエーションは何!? 絶対にありえないんだけど!!)

 当然、メリアは大混乱に陥る。だが、クロイスがメリアを離す気配は一向に訪れない。むしろ、抱きしめる力はさらに強まったように感じる。

「……ずっと、お前に逢いたかった……」

 切なげに呟くクロイスの表情は見えない。しかし、こんなにも感情を露わにした言動をする彼を見るのは初めて故に貴重に思えて、好ましく感じた。

 そんな彼を、突き放せるはずがない。

 メリアはクロイスの背に両手を回すと、そっと抱きしめ返す。

「……わたしも、クロイス様にお逢いしたかったです。戦争に行かれたあなた様の身を、ずっと案じておりました。だから、こうして無事に戻られたことをとても嬉しく思います」

 そう告げると、クロイスの背に回していた両手を静かに離した。そして、彼の様子を窺おうと顔を上げた途端、クロイスの双眸とかち合い――メリアの顔は羞恥で紅く染まってしまう。

(な、何故、そのような色気のある表情でわたしを見つめるのですかぁ――!!)

 クロイスから送られてくる熱視線は、メリアを真っ直ぐ捉えて離さない。だが、彼の表情は、瞬時に訝しげな表情へと切り替わる。

「どうした? 顔が赤いぞ? 熱でもあるのではないか?」

 失礼、と呟くと、クロイスは右手を差し出し、メリアの額に手を当てた。

「……熱はないようだが――念のために薬を飲んでおいて、しばらく休んだ方がいい」

 どうやら、勘違いをしているようだ。メリアは慌てて首を振り、自分は大丈夫だと言い張った。だが、クロイスは聞く耳持たずで、彼女の訴えを一蹴する。

 メリアは渋々ながらも、クロイスの言う事に従うしかなかった。

 クロイスはメリアの額に当てていた手を離すと、軍服のコートの懐から黄色の液体が入っている小瓶を取り出し、メリアに見せ示した。

「丁度手元に薬があるから、これを飲んでおくといい」

 そう言うと、クロイスは小瓶の蓋を開け、液体を自らの口の中に流し込んだ。そして、メリアの顔を両手で挟んで捕らえると、静かに顔を近づけてくる。

(え……これって、まさか、口移しでわたしに薬を飲ませようとするんじゃ……? そうなると、必然的にクロイス様の唇と触れることになって……)

 クロイスの意図を察したメリアは、すかさず――。


「待ってください!! まだ、心の準備が――」


 彼を止めようと、必死になって叫んだ。

 だが――。

「――って、あ、あれ……?」

 目の前には、クロイスの姿はなかった。クロイスどころか、周囲には誰もいない。

 そして、メリアもクロイスと向かい合って立っていたはずなのに、木にもたれかかって座っていた。

 どうやら、知らぬ間に寝入ってしまったらしい。

「何だぁ……、夢かぁ……」

 メリアはがっくりと項垂れ、盛大なため息をつく。

 現実は決して甘くない。

 だが、それでも、夢の中で憧れの男性と二人きりで出逢えただけでもよしとすべきだろう。

「――なんて、落ちこんでいる場合じゃないわ! 今何時なの!?」

 我に返ったメリアは、慌てて左手首に付けている腕時計の針の位置を確認する。

 時刻は、休憩時間をとうに過ぎていた。

「やだ、もうこんな時間! 早く仕事に戻らなきゃ――って、あれ……?」

 メリアは、自分の身体に上質の天鵞絨で作られた黒いマントがかけられていることに気づく。マントからは爽やかで清涼感のある香りが漂い、温もりが感じられた。

(……温かくて、いい香り。誰がかけてくれたのかな……? でも、このマントは確か――)

 マントには見覚えがある。確か、黒騎士団のみが身に着けることを許されているものだ。

 そうなると、黒騎士団に所属している騎士の誰かがかけてくれた――という事になる。

(誰の物かは分からないけど、このマントはきちんと洗濯とアイロンがけして返さなきゃ……。これを届けに黒騎士団の詰所に行くのは、正直ちょっと怖いけど……何とかなるよね?)

 メリアはマントを丁寧に畳んで両手に抱えると、急いでこの場を後にしたのであった。

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