廃城のアデル

1Q3

プロローグ


 身体のあちこちから関節の軋むような痛みと、呼吸を荒くする熱に少女の瞼は開かれた。視線の先には埃っぽい白の天蓋。皺の刻まれたシーツには彼女のものであろう汗がぐしょりと滲んでいる。


「ここは…」


重たい上半身を起き上がらせて彼女は辺りを見渡す。清潔感のない暖かな部屋の内観が彼女の視界に否が応でも入ってくる。この懐かしさの感じる見覚えのない景色に彼女は困惑が隠せない。

部屋は以前の面影を埃の下に捨ててしまっている。まるで何年も手入れがされていないかのように。手を加えたのならば、一人で過ごすにはあまりに広く絢爛たる本来の姿が目の当たりになることだろう。そう思わせるほどに部屋には見事な装飾が施されていた。窓枠から化粧棚に至るまで、そこかしこに威厳を知らしめる繊細かつ優雅な彫刻と、散りばめられた金銀・宝石の数々が非現実感を彼女に突きつけていた。到底、小娘一人の部屋だとは思えないのである。しかし、生活感の見当たらないこの部屋に彼女以外が出入りしていることもまた、俗人にとって信じがたいことであるのは明白だ。


身に覚えのないこの部屋よりも彼女を悩ませるのは彼女自身である。自分が何処から来たのか、出生や名前、この部屋にいる経緯も分からない。誰かに連れて来られたのか、はたまた自分自身の足で赴いたのか、どうして周りに誰もいる気配がしないのか。不安と疑問は募るばかりで何も答えが見つからない。


考えれば考えるほど彼女は自分自身を見失い、再びの発熱に息苦しさを覚える。頭痛と耳鳴りは上体を起こしている事もままならない程に激しさが増していた。抗う事も虚しく瞼からは段々と力が抜け、次第に彼女の意識は遠退く。

少女は考えることが多すぎるあまり、倒れるようにもう一度ベッドへ沈んだ。



――――――――――



少女は瞼の裏に映し出される虚像に酷く魘されていた。


曇天の空の下に耳を貫くような青年の慟哭。彼は少女を呼んでいた。だが貴重な彼女の情報さえ、激しく吹き荒れる風雨と地面を打ち鳴らす轟雷によって掻き消された。


「―――、僕たちはココにいるよ!早くっ…助けて!」


苦痛の中で藻搔きながら助けを求める彼の叫びに思わず耳を塞ぐ。彼の周りには同じような年齢の男女が数名。彼らもまた苦しみの中で少女の助けを待っているようだ。


その中でも彼女が視線を奪われたのは、光に照らさた艶やかなパールホワイトの髪の青年。女神かと見紛う様な彼女は色彩豊かな魅力を放ち、見事な紅の瞳には憂いが見え隠れする。彼女には首や手足に鎖が絡みついているようだ。鎖は強情にも彼女を離そうとはしない。鎖は彼女だけでなく、少女をこの地に呼び出したであろう青年にも、その周りの青年たちにも絡みついている。彼らに固執しているのか、彼らがソレに固執してしまっているのか。彼らを縛り付けているのは紛れもない具現化した言霊。何故か少女にはソレが分かった。言霊が彼らをこの地に縛り付けている。

憂いに彼らが纏い覆いつくされる前に鎖を払わねばと、少女は考えが及ぶ。だが、彼らを解き放つために彼女に何ができるのか。言霊を放つ者、はたまた言霊を放ったものを見つけねばならない。たとえ見つけたとて、鎖が彼らを解き放つということも考えられない。どうして無力な少女に彼らは助けを求めているのだろう。


「私に何が…」


彼女が彼らに手を伸ばせば、パズルが四散するように眼前の光景が散り散りとなる。


「待って!私は…」


目の前の夢の欠片をがむしゃらに掴もうと足掻くものの、人の夢とは儚いもの。少女は必死になって彼ら追うが、何事もなかったかのように辺りは静まり返った白が続いているだけだった。



――――――――――


 

気が付けば眼は現を映じていた。発熱は治まり、頭痛も程辛くない。先程までの痛みが嘘かのように調子が良いと言えた。やはり、記憶を除いて。


眠りについてから案外時間が経っているのかもしれない。外の様子は瞼を閉じる前と変わらない。むしろ明るいかもしれない。丸一日近く眠り続けていたか、もしくはそれ以上眠りについていたのか―――。

 どうも彼女の身の回りに関する記憶のみが抜けている。言語・身体動作・感情制御などの幼いころから培っていくであろう知識は健在なようだ。彼女は簡単な動作をして見せる。指の開閉をするが、動作に詰まって見えるところはない。

 若干の鈍りは感じるものの、体が動かないわけではなさそうだという確信を持ち、少女は思い切ってベッドから足を踏み出してみる。足を地に着け、と立ち上がった。何とも言えぬ感動に包まれ、足を前に踏み出す―――。

少女の足元は覚束ず、そのまま膝から崩れ落ちてしまった。数か月の間ベッド生活でもしたかのような貧弱な筋肉。これぞまさに幼児レベル。これから始まる四足歩行生活に少女はヒッと小さく悲鳴を上げる。彼女の中にあったのは本当に身体動作の『知識』のみだったらしい。部屋のなかを見て回りたいという欲求が思考を巡るものの、そう簡単にはいかないのだ。

なおも諦めの悪い彼女は、自身の本質の一部となるであろう外見を一目確認したいと床を這う。彼女が目指すのは姿見のあるだろう布のかぶったインテリア。そこに向かって懸命に手足を進める。床を覆う埃に不快感を覚えるも、今の彼女には何もない。何もないからこそ自分が何者かを知らねばならない。

姿見まですぐそことなり、布に手をかけようと伸ばした。


その時、外から声が聞こえる。窓から聞こえてくるのは二つの幼い男の子の声。


「あの―――って知ってるか?――――が――したって噂の――――がココだよ。」


男の子の声が遠き、少女にはよく聞こえない。しかし、声の反響から少女の今いる建物に関する噂話だということはすぐに分かった。

 少女は布にかけようとしていた手を下ろし、窓の方へと目標を変えた。この建物のことから彼女自身のことが分かるかもしれない。そんな気がしていた。


「――――ってあの―――――って言われていたって噂の?」


もう一人の男の子がそれに続ける。少女はお願いだから私にも聞かせてと、切実な思いでやっとのこと窓枠に掴まった。

 窓枠を頼りに上体を起こしてみれば、窓の外には八,九歳ほどの少年が二人立っている。明らかに格の違う上等な衣服に身を包み、少年らの後ろには彼女のいる部屋の内装と大差のない豪華な馬車が数台並んでいた。

 その彼らに少女は構わず声をかける。


「ねぇ、貴方たちって…」


 彼女が言葉を終える前に、少年たちは彼女を見るや否や、そそくさと立ち去っていく。

彼らが立ち去る前、少女のことを異形の生物でも見たかのように怯えていた。

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