第88話 岩龍メリア



 首に食い込む冷たい刃の感触を、今でも覚えている。

 前のわたしは「狩られる側」として最後を迎えた。


 前世のわたしにとって、人間とは恐怖の象徴った。武器と道具は、本来の能力差を容易に覆す理不尽の塊だ。

 徐々にではなく、ある日突然、全く違う生き物を相手にしているかのように強くなる。昨日まで効いていた火炎ブレスが、身につける鎧を変えただけで、今日にはまるで通じない。そんな龍の常識ではありえないことを、当然のようにやってのけるのが人間だった。

 

 殺した生き物から強さを奪う。鱗や牙を加工して、盾や剣に変え、武装する。

 なるほど。有用だ。

 そして―――わたちたちには決して真似できないことだ。


 道具を生み出すには腕がいる。何もかもを粉砕する強靱な前足じゃなく、脆くても精密に動かせる手が。

 龍にはそれが無い。どんなに高度な知性を持ち、どんなに寿命が長くてもダメなのだ。1000年の成長を数年の発展が凌駕する。前世のわたしには、その事実を理解できる知性があり、仲間と対策を話し合える言葉があり……絶望できる感情があった。



「やった、ついにやったぞ! 俺もこれで、ドラゴンスレイヤーだ! 一人前のハンターだ! はははは!」



 薄れ行く意識の中で、体を踏みつける人間の声を聞く。


 わたしが産まれた頃は、最強の種族と呼ばれていたのだ。

 でも、首が落とされる時には、世の中の方が変わっていた。


 ある職業の中で、いっぱしの腕になったと認められる試験相手。その程度だ。

 龍たちは人間を見れば逃げ出す。そんなわたしたちを効率よく狩るために、新しい道具が次々と現れる。負けが決まった勝負を無理矢理させられ、予定調和のように殺される。


 遠からず滅びるだろう。

 ちょっと考えれば、どんな龍にも分かることだった。


 その事が悔しくなかったのか。

 龍全体に対する誇りなんてものを持っていたのかどうかも分からない。


 ただ、次に目覚めた時。

 黄龍さまの分け身として転生し、「この世界には龍しか居ない」と分かった時に感じたのは―――深い安堵と、そんな自分に対する僅かな苛立ちだった。


 だからこそ、わたしは黒龍から目が離せなかったんだろう。


 前世でも『海の龍神』として人に崇められ、友好な関係を築いたという青龍さま。

 そもそも人という生き物が居なかったという白龍さま。

 わたしを含めて、同じく前世の記憶を持つ龍たちと、彼は違った。


 転生者ではない龍たちとも違っていた。


 明らかに異質だ。

 人間に恐怖を抱くわたしだけが感じ取れる、恐れ。

 

 向こうは下位龍であるわたしを歯牙にも掛けていない。他の龍神は警戒していても、わたし如きを警戒することはない。だからこそ、遠巻きに観察するのは簡単だった。


 わたしから見た黒龍とは、『龍の形をした人間』だ。

 決して仲間とは呼べない。

 

 この世で最も恐ろしい生き物で―――立ち向かえない生き物だ。

  


 

 ◆


 


 黄龍の分け身として生まれたわたしは、年齢だけで言うなら第二世代よりも上になる。彼らが生まれて間もない頃は、世話……というほどのこともしないのだけど、居場所を把握するために近くに居るよう指示されることがあった。


 特に青龍さまは、前世の記憶があって他の分け身たちよりも自我が強いわたしを気に入って下さった。

 それでこの日も、幼い紫龍と緑龍が遊んでいる後をつけて見守っていたのだ。


 

「―――緑龍、紫龍。きみたちにいいものを見せてあげよう」



 初めて彼を見たのも、この日だった。 


 

「なんすか? これ。黒龍さま」


「これはねぇ……『肉』というんだ。食べ物だよ」


「にく?」


「なんだ、ニクって」


「ふふふ。それを知る前に、まずは聞こうか。皆、食べるのは好きかな?」



 黒龍の質問に、2頭は顔を見合わせている。

 わたしは心臓を握りつぶされたような気分になって、その場から動けずにいた。

 この頃からもう、怖くて仕方なかった。



「好きも何も……なぁ?」


「うん。俺たちの神性を育てて、次の世代を産むため、だっけ? 親父たちがそう言うから、しょーがなく食ってるけど。好きとかそういうんじゃないよ」


「どっちかっていうと退屈だよな」


「ははは。そうだよねぇ? 今この世界には、お父上の死体から黄龍と山龍が造った世界樹の実、それしか食べる物が無い! 僕ら第一世代に至っては、食べる必要さえないほどだ。……でもねぇ。本来、食べるっていうことは生き物にとって、最大の喜びなんだよ……このままじゃ、あまりにも味気ないじゃないか」


「あじけないって何?」


「今に分かる。とにかくこれは、僕が新しく造った食べ物なんだ。きっと気に入るよ。食べてごらん」



 黒龍が2頭に食わせたのは自分の分け身だった。

 この世界での肉食は、彼が始めたのだ。


 その日の内に『肉』は他の第二世代の間へ広がり、みんな競うように食べ始めた。

 神性の育成ではなく、娯楽としての食事。創世されて間もない、退屈な世界に現れた新たな刺激に、若い龍神たちは夢中になった。


 黒龍からの供給は追いつかず、数日後には他の分け身たちも襲われるようになる。


 わたしはすぐに見たままを青龍さまに報告していて、これを問題視した彼女は『五色場』に第一世代を招集して話し合いを行った。

 会議の詳しい内容まではわからない。でも数ヶ月を掛けた末、結果的に第一世代の分け身を食べることは禁止された。わたしを含め、多くの下位龍が安堵した一件だ。


 だが、それでは収まらなかった。

 思えば、ここからすでに『龍』という生き物に綻びが生まれていたんだと思う。


 一度知った肉の味を忘れられない第二世代たち。その一部は、親よりも黒龍を信奉するようになった。裏で密かに肉食を続け、いつの間にか天龍を抱き込み、彼が肉食を可とするよう主張しだしたことをきっかけとして、反対派の山龍と争いが起きた。


 戦いは山龍が敗北。

 彼は楽園を去って北に向かい、『五色場』で黒龍の発言力は増した。


 その流れに乗るように、今度は紫龍と緑龍を筆頭にした第二世代の半数が、肉食を求めて騒ぎ始める。彼らと親を絶対とする桃龍などが争い、収拾が付かなくなった。


 赤龍さまや黄龍さまが実力で止めようとしても、黒龍がそれを阻む。

 彼はこんな主張を続けた。



「肉食が悪いんじゃない。この世界に龍しか居ないことが問題なのさ。そこに拘るからガタが来るんだよ」


 

 第三世代である金龍と銀龍は、生まれた時に持つ神性の量が僅かしかなかった。

 これは明らかに、第二世代の肉食……つまり、下位龍のような『神性を摂取できない食事』の影響もあったんだけど、そもそも第二世代の時点で食事で補わなければならないほど劣化していたのも事実だった。


 始祖さまの死体だって、初期の状態を永遠に保てるわけじゃない。

 世界樹の生み出す力が、『神性』ではなく『魔力』に劣化するのも時間の問題だった。


 黒龍が「これ以上龍神を生み出せない」と言うと、それに否と言える龍神は居なかったそうだ。



「これ以上増えない僕らで殺し合いを続ける? そんなことしても滅びるだけ。だろ? ……新しい生き物を造ろう。金龍と銀龍に『食っていい命』を産ませるんだ。前世で海の神だったっていう青龍の協力があればきっと上手くいくよ」



 反対は僅かだったらしい。

 大分前から、龍という生き物は、黒龍という生き物の手で踊っていたのだ。


 わたしはそれを、怯えながら見続けた。

 何か行動を起こすんじゃない。情報を集めて、黒龍が下位龍を狩らない方針にしたことをひたすら安堵していた。

 

 それから数千年に渡って、黒龍の言いなりになるだけの時代が続いた。

 人を生み、獣を生む。それを狩ることで龍同士の争いは確かに無くなった。

 親を絶対としていた第二世代たちも、やがて肉を食べるようになった。

 狩られる側だった下位龍たちも狩りへ参加する。


 自分の子供がそのように扱われることに心を痛めて、金龍と銀龍は大陸を去った。


 それがきっかけだったのか分からない。

 でも、金龍たちが居なくなったくらいから、青龍さまと白龍さまは徐々に黒龍の方針から離れ始めた。


 世界樹の作る純粋な魔力ではなく、生物の体の中で変質した魔力。2柱はこれを神性に変換する方法を編み出した。自然神の『祝福』を操るスキル……魔法を元に、『寵愛』や『加護』などを加えた形で契約関係を結び、世界中の生き物から魔力を吸う。


 宗教というシステムを作ったことで、少なくとも人類に『神性の供給源』という価値が生まれた。知性を持たない魔獣は難しいけれど、これをもって、2柱は人類を狩るべきではないと主張した。


 意外にも、黒龍は宗教を諸手を挙げて賞賛し、無差別な人類狩りを止めた。でも、その代わりに始めたのが生け贄だ。この頃から紫龍や緑龍、下位龍たちの間で『権威』なんていう言葉が流行り始める。

 

 楽園の龍は、人類を『支配』する黒龍派、『共生』を目指す青龍派、大きな争いにならないよう『中立』を守る赤龍派に分かれた。




 ◆




 わたしは断然、共生派だった。

 別に金龍さまに同情したとか、青龍さまの優しさに憧れたとかじゃない。


 根源は恐怖だ。


 この世界に生まれた人類は、まさに前世で見た人間そのものだった。見た目がどうこうではなく、その在り方が。


 コレを支配する?

 よりにもよって、あの恐ろしい黒龍が。

 

 冗談じゃない。黒龍に率いられた人間なんて最悪だ。わたしたちなんて、あっという間に滅ぼされてしまうだろう。そう想像した。何故かわたしの中で、『龍』であるはずの黒龍は『人間』と共に滅ぼす側に映っていた。


 現に人類はみるみる内に発展していく。最初のエルフが寿命を迎える頃には、わたしが知る人間に追いつくのでは、と思えたほどだ。加えて、数ある宗教の中で『黒龍教』だけが異様なスピードで浸透しているのも嫌な妄想をかき立てた。

 実際、あれに所属する人間たちは、他と比べて異様なほど強い。

 宗派のトップなんて、何度代替わりしても下位龍はおろか龍神だって殺してしまいそうなほどの力を持っている。

 そのトップが、よりによって毎回人間なのだ。オーガでもヴァンプでもなく。

 

 怖かった。

 また、娯楽のように狩られて死ぬのかと思うと、夜も眠れなかった。


 毎日のように、他の下位龍の元を訊ねて『共生』派になるよう説いた。とにかく黒龍を倒して、人間と敵対しない道に進むしかない。そう思って焦っていた。

 あまりに必死だったせいか、バカにされるようになっていった。「そんなに人間が怖いのか?」と言われると、その通りなはずなのに、なぜか言いようの無い苛立ちがある。結局喧嘩になり、勧誘も上手く行かない。


 わたしの活動は逆効果なようだった。

 『共生』派になることは、人類相手に怯えるようなものだ、と噂が立つと、もう誰も話を聞いてくれない。同じ派閥の仲間からも距離を置かれるようになり、わたしは1頭で過ごすようになっていった。





「なあ、ちょっと聞きたいんだけどよ。テンペスト・フローアってどうやったら勝てると思う?」



 いや。1頭だけいたか。

 赤龍の巣で、「神性を確保できるので、人類と共生しましょう」と話した時、「いや俺、神様じゃねーから関係なくね?」と返して来たバカ火龍。その後、第一世代の因縁を説明したら「食いたいヤツは食うでいいんじゃねぇの」と信じられない感想を述べたアホ火龍。


 積極的に狩りをして、人類も食べるから『支配』派だと言われているのに……何故かわたしの所へ頻繁に来る、不思議な龍。



「……あんた、ここに来ると他の火龍から何か言われるんじゃないの」


「あ? ああ、そういや最近うるせぇな。立場がどーとかって。まあどうでもいいんだけどよ、それでどうなんだ? あの魔獣の倒し方、知らないか」


「知らない。でも……風の魔法は自分の真上に起こしづらいって、前に風龍が言ってたような気がするわ」


「真上、か。なるほど、風龍の魔法はテンペスト・フローアのスキルに良く似てるな……おお、行けるかもしれねぇ! ありがとな!」



 そのとぼけた顔が、演技なのかどうなのか。

 彼はわたしと同時期の生まれだという。下位龍が肉を求める第二世代に襲われていた頃、まだ成熟しきっていなかったとはいえ、紫龍を撃退した者が居る、と話題になったことがある。

 名前というものが無い龍の社会だから、個人を特定するのは難しかったけど……それは赤龍の分け身だって噂だった。


 何の確証も無いのに、彼がその龍なんじゃないか、とわたしは思っていた。



「そうだ。前にも言おうと思ってたんだけどよ。……お前のその鱗……すげぇ綺麗な色だよな」


「はぁ?」


「いや、別になんでもねぇんだけどよ。じゃあ、もしテンペスト・フローアを狩れたら肉をワケに来るわ! アドバイスのお礼によ!」



 紫の鱗。

 前世での特異体質を、ユニークスキルとして引き継いだ証だ。

 そういえば、前のわたしには名前があった。

 この鱗の色と、住処の近くで咲いていた花の色がそっくりだったからついた名前。

 メリア、と両親が付けてくれた。

 最近じゃ、恐怖に怯えてばっかりで余裕がなくて、こんな些細なことを思い出す暇も無かったな。


 ……今度彼が来た時に、この名前を教えてみようか。


 そう思った次の日に、ジーストは「テンペスト・フローアには負けたけどよ、クソ強いオーガが山ほど居てよぉ! 全部食ってやったぜ!」なんて言うもんだから……わたしたちが名前を交わすのは、もう少し先のことになったのだ。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


執筆の時間が全然取れない!

スパッと終わらせたいのですが、ちょっとダレるかも、申し訳ない……



次回 龍から移り変わる時代


10日 6時ごろに更新したい

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