第87話 紛い物と本物
……不思議だ。
ジーストの肉は黒龍の臭いが気にならない。別にしねぇってわけじゃないし、決してプラスになっているワケでもねぇんだが。
他の龍共との違いは何だろうな。
そういえば、海岸の洞窟にいた牡鹿を食った時も、臭いとは思わなかった。俺の気分の問題か? それとも……ただ操られているヤツと、そうでないヤツの違いなのか。
もしかしたらあの牡鹿にも強い意思があったのかもしれねぇ。
そんな事を考えながら、ジーストの遺体を食らう。
負けた方が糧になる。そういう戦いだった。
勝敗が逆ならジーストが俺を食っただろうし、俺もそうして欲しいと望んだはずだ。
「ゴースト、大丈夫ですか、痛くないですか? ああ、わたしがちゃんと回復魔法を使えれば……うう。帰ったら研究です。次の眷属は回復特化にしてみせます」
フレイアは俺を心配するマシーンと化している。
ふにゃふにゃ言いながら懸命に回復魔法を掛けてくれるが、本人の言う通り、あんまし効果は無いみたいだ。死神だしなぁ、仕方ねぇ。
心配するなと言いたいが、もうちょっと再生しないと説得力が無い有様だ。
あの、最後のブレスは本当にヤバかった。
生命力まで絞り尽くした、まさに全身全霊の一撃だった。本来ならこの『龍の楽園』、大陸南部全体をマグマで埋め尽くせるような規模だったはずだ。それを常軌を逸した魔力制御能力で、剣の柄ぐらいの細さに集約して放つ、貫通力に全振りしたドラゴンブレス。
負けを受け入れたみたいな態度でいやがったが、とんでもねぇ。あの野郎はマジで俺の頭を吹き飛ばすつもりだったわけだ。
結果的に打ち破ったと言えばそうなんだけどな。俺の頭はもうちょっとで脳みそが見えそうなくらい焼けただれていた。その他にも骨折やら火傷やら内臓破裂やらで、体中のあらゆる場所がボロボロになっている。
強かった。
掛け値なしに。
白虎じゃなきゃ勝てなかったし、白虎なだけでも勝てなかった。
あの戦いでは、『俺』にも価値があったのだ。
そう思える。
思わせてくれる、敵だった。
だから食おう。
勝者の権利として。
幸いというか、黒龍の寵愛を吸収することで怪我の再生は進んでいる。強化されるような事は無いみたいだけどな。あれほどの龍を倒して、体調を万全に戻せるってんなら充分な贈り物だ。
……感謝するよ、ジースト。
この味を生涯忘れない。お前と戦えたことを、誇りに思う。
◆
さあ、いつまでも余韻に浸っているわけにはいかねぇ。
俺がここに来た目的がまだ果たされていない。
前世から抱いてきた理想は叶ったんだ。しっかり恩返しも込めて、眷属としての役目を果たさねぇとな。
「驚きです。あれだけの怪我があっという間に消えてしまいました。わたしの回復魔法はほとんど効いていなかったのに……ご飯を食べると怪我が治るんですか?」
「ゴロロロ」
「不思議です。でも、元気になったのは良かったですが、もう無茶はいけませんよ。強い敵からは逃げましょうね?」
「ガウッ」
「嫌ですか。もっと自分を大切にして欲しいと思います……」
体調は戻った。
フレイアの守りに魔力を回しているのは相変わらずだが、影響はねぇ。
気合いに関しちゃ転生してから一番満ちている。
「グルオオッ!」
フレイアの不安を吹き飛ばすべく大きく吠える。
心配してくれるのは有り難いが、過保護に扱われるのはゴメンだ。何が相手だろうと逃げるワケにはいかねぇ。
俺は本物の龍に勝ったんだ。
「ゴースト……」
「ガルル、ガウッ」
「……ありがとう。全部終わったら、ちゃんとお礼しますからね」
黒龍が何を仕掛けて来ようが、真正面からブチ抜いて「お母さん」を救い出す。
当初の目標を思い出しながら『龍の楽園』の奥へと進んだ。
ジーストとの戦いの余波があちこちに出ている。殺した覚えの無い龍の死体は巻きこまれたものだろう。地面はひび割れ草木の1本も生えていない。例外は世界樹だけだが、それもまばらだ。
『楽園』と呼べるような環境じゃなくなっちまったな。
悪いことをした、とは思わねぇが。
生き残りの龍にも何度か遭遇した。とは言っても、目の前に現れたわけじゃなく、俺の鼻と耳で探れる範囲に居たってだけだが。
逃げも隠れもせずに、魔力を垂れ流しながら歩いているんだ。当然、向こうも俺の存在は把握しているだろう。
だが、向かってくるヤツは居ない。
どいつもこいつも逃げ去って行く。
追いかけて仕留めようか、とも思ったが……やめた。
別に連中を滅ぼしに来たわけじゃねぇし、追いかけてまで食おうって気分にならなかった。3回の生涯で一番の食事をしたばかりだしな。
もしかしたら、メポロスタの方に行ったりするかもしれねぇが……大丈夫だろう。どうせあの中に本物は居ないんだ。
エイケルやエスティーノなら、どうとでもできる。
そんな事を考えながら、フレイアの案内に従って小一時間ほど歩く。
荒涼としていたエリアを抜け、周囲には小さな池や沼が見られるようになった。相変わらず世界樹以外の草木は無いが、まるで森に入ったように太陽の光が薄まり、薄暗くなっている気がする。まだ夜になるには早いはずなのにだ。
冥神様曰く、黒龍の巣が近いせいらしい。
ヤツの黒い魔力が漂っているから薄暗くなるんだと。道理で臭ぇわけだぜ。
フレイアが憑依しているリスは、「お母さん」の魔力を辿れる。その案内に従った先が黒龍の巣ってことは……やっぱり、ヤツの元に囚われてるんだろうな。
『ふぅむ。何も仕掛けて来ないのォ』
薄暗い中を奥へと進むが、冥神様は何やら思案顔だ。
『己が食事をしていた時など、千載一遇のチャンスであったはず。それを見逃したばかりか、何事もなく自分のテリトリーへ侵入を許すなど……ヤツらしくない』
黒龍の動向が不自然らしい。
確かに、ジーストを倒して以降、何事もなく巣に近づけているな。
ひょっとして、逃げられたか?
臭い的には向かう先に居そうなんだが、あの野郎相手だと俺の五感もいまいち信用できねぇ所があるんだよな。
『逃げてはおらん』
そんな心配を、冥神様がきっぱりと否定する。
『オタムではしてやられたからのォ。きっちり探知できるようにしておるわ。まあ、即席で生み出した魔法ゆえ、精密さに欠けるが……少なくとも、楽園から出れば確実に分かる。間違いなく、黒龍はここに居るはずじゃ』
即席で魔法。なんかスゲェこと言ってやがる。
つーかフレイアの結界の他にそんなこともしてたのかよ。
まあ今更か。
……しかし、逃げてねぇとなると、黒龍は俺たちを待ち構えてるってことになるな。
『うむ。当然、相応の準備をしておるはずじゃ。しかし、そこが今ひとつ読めん。食事中を見逃がすほど勝機のある策となるとな』
ひょっとして、ジーストくらいの手駒がわんさか居るとかいわねぇよな?
とんでもない事になるぞ。
『それはなかろう。あの火龍は作ろうと思ってどうにかなるものではない』
確かにそうか。
『実際、ステータスだけで言うだけなら、他のなんちゃら王と大差無かったしのォ……むしろ劣っている部分もあったほどじゃ。その点を踏まえても、黒龍に用意できるのはせいぜいがあの「大権」とかいうスキルまで、と見て間違いない』
………………劣ってた?
あいつが、風樹王や水渇姫にステータスで?
んなアホな―――あ。
いや、そうか。
言われてみりゃあ……確かに再生も全然しなかったし、随所で魔力を節約しているようなフシもあった。他の龍神が使いまくってたブレスなんて一回しか吐いてないのだ。もしかしたら、魔力量に不安があったのかもしれねぇ。
スピードと攻撃力は飛び抜けていたが、防御面や体力面も含めて考えると確かに……才能の塊、とは言えないかもな……。
マジかよあの野郎。
『長寿の龍とはいえ、あそこまでの使い手に育つのは時代に1頭じゃろう。故に強敵が大量という線は薄い。が、だとすると他に何があるのか……設置型の罠、他の龍神を洗脳してぶつけてくる、青龍を人質に取る。……その程度ならどうとでも出来る。そんなことはヤツも承知のはず。何か予想だにせん手を打ってくるのかも知れんの』
うーん。
慎重に行くべきか。
勝利に酔って知らず知らずの内に足下を掬われねぇようにしなきゃな。
そう思いつつ、さらに10分ほど進んだ、
「きゃあっ!?」
その時だった。
ビシリと、フレイアが悲鳴を上げるほどの爆音を立て、突然空間にヒビが入る。
目の錯覚じゃねぇ、俺の歩く場所から数キロ先の空に黒い筋が入り、景色が縦にズレている。まるで、割れた鏡のように。
あれは、結界か!
しばらく観察してみるが、それ以上の変化は起きない。罠の可能性を考え、即座に飛び込むことはせず、慎重に近づいていく。この距離なら五感を強化すれば充分に見聞きできるしな。
「あっ!? お母さんの気配が凄くします!」
『隠匿系、幻術スキルを混ぜた結界とな。不意打ちのために用意していたのか? しかし……ならばなぜ、さっさと襲撃せんのじゃ』
景色のヒビから黒い魔力があふれて来る。
『何か出て来るぞ、己よ。警戒しろ!』
冥神様の言葉とほぼ同時、ガラスをたたき割るような音と共に結界は砕け散った。
そして、ほぼ同時に内側から影が2つ、空中に飛び出し―――
「なぁぁんなんだよッ、テメェはああああああああ!!!」
―――泣き言のような絶叫が、辺りに響き渡った。
◆
声を上げるのは黒い龍だ。
ジーストたちとは骨格から違う。背骨が地面から垂直に立った完全な二足歩行で、体型だけで言うなら山龍の所で見た龍人の方が近いだろう。
だが、人類とはほど遠い。
全身を覆う鱗、長く尖った口、背中の翼と太く長い尾に、ねじくれた二対四本の角。何よりも膨大な魔力と神性。
『龍の特徴を持った人類』ではなく、『人型の龍神』。
手には魔剣と思しき武器を持っている。
真っ黒な鱗は一分の隙も無く着込んだ天然の鎧だ。
人と龍の良いところを合わせようとしたような―――そんな、中途半端な姿を黒龍はしていた。
「いい加減にしろ、しつっこいんだよこのクソが! ただの模造品、黄龍の分け身の分際で……どうして死なない!? なぜ支配出来ない!」
そんな黒龍と対峙する影がある。
宝石のように輝く、紫色の鱗を持つ龍。
四足歩行の骨格。石のような鱗。
岩龍だ。
美しい鱗以外は、特に変わった所は無い。神性も宿していないし、黒龍の寵愛を受けた様子もない。
正真正銘、ここに来るまでにも何度も見た、ただの岩龍。
それが黒龍と戦っているのだ。
「ふ……ふふふ。さぁ……? なんで、かしらね」
全身が傷だらけだった。
いや、正確にはほとんどが再生痕だ。
四肢や尻尾、翼の色が胴体よりも薄い。千切れた腕を魔法で再生すると、日焼けなどの変化が全く無い腕が生えてくるので、数日の間は左右で色が変わってしまう。アレはそういう類いの差だ。
再生痕は無数に刻まれている。百カ所はあるんじゃないか。深い傷だったろうと想像できるものもある。戦いの激しさを物語る痕跡だ。
「……ははっ、あんたが……大したこと、無いんじゃない、の」
岩龍は女性を思わせる涼やかな声を発した。
だが、その声量は弱々しい。右の脇腹を抉るように、大きな傷があった。内臓が零れていないのが不思議なくらいに深く、止めどなく血が溢れている。
致命傷だ。
もう、あの傷を再生する力が残っていないのだ。
それは、彼女が死にかけていることを意味している。
それでもなお、岩龍は両翼を力強く羽ばたかせて空中に留まり、戦意を漲らせた眼差しで黒龍を睨み付けていた。
「その目……やめろよ。僕に勝てると思うんじゃねぇッ!」
「おことわりよ。じっさい、勝てそう、だし」
「ふざけるな。現実が見えないのか? その傷じゃ助からない!」
「そう、ね。どうでもいい」
「……黒龍だぞッ、僕は!」
「だから?」
「第一世代だ。全ての生物を支配する神だ! この世界で最強の存在だ! 敵うわけないだろ、お前のようなモブが! 脇役が! さっさと死ぬか支配されろ、頭を下げて許しを乞え!」
「は、冗談。わたし……より、弱い龍、に」
「どっ、どの口が言ってんだ、この死に損ないがァァァァァア!!」
黒龍が手にした魔剣を振るった。岩龍からは距離があるのにだ。もちろんただの素振りではなく、剣の軌道に沿って凝縮された魔力の塊が放たれる。
アレは……ドラゴンブレスだ。
タメも何も無い。龍の奥義を剣を振っただけで放てる、そういう魔剣か。三日月のような形をしたドラゴンブレスが、それ自体が刃であるかのような鋭さを纏いながら、岩龍へと迫る。
「インヘイル!」
対する岩龍は動かなかった。
避けるでもなく、真正面からドラゴンブレスを受け止め……真っ直ぐ弾き返す。
『ほお、巧いな。アレは「魔力反射」かのう?』
冥神様の感嘆するような声が頭に響く。
ユニークスキルか!
あの岩龍、転生者なんだな。
「無駄だァ!」
黒龍が魔剣を縦横無尽に振り回す。剣技もへったくれも無い力任せだが、ドラゴンブレスを飛ばすのには関係無いらしい。
空を埋め尽くすように放たれる黒刃。岩龍はそれを角で、前足で、尻尾で捌いていく。
だが……。
「もうそのスキルは見切ってるんだよ!」
手数と魔力量に飽かせた雨のような攻撃を浴びて、一瞬の内に血みどろになっていく。
自動で何でも反射できるわけじゃないのか。
たぶん、受ける角度だろうな。それが不十分だと、鱗の下に攻撃が通っちまう。
「今度こそ終わりだッ! さっさと、死ねぇぇぇえ!」
最後の一太刀、特大の黒刃が岩龍の右翼を根本から切り飛ばした。
全身から血を吹きつつ、彼女は空から墜ちていく。
「はぁ、はぁ……くそッ、ちくしょう」
呟く黒龍の様子を見て、全てを察した。
なるほどなぁ。
通りで妨害も何も無いワケだぜ。
ジースト。『龍』はお前1頭じゃなかったんだな。
「くそ、くそ。まさかこんなに時間が掛かるなんて……。白虎はどこだ? もう、まともな準備はできない。だめだ、逃げるしかない。くそっ」
あからさまに取り乱した様子で黒龍が自分の巣に向かう。
結界が解けて見えたその場所は、いっちょ前に城のような建築がなされていた。まあ、あくまでも外壁があって塔のようなオブジェがあるだけのハリボテだけどな。普通の建築物にしたら、龍の体では不便なんだろう。
「アオに仕掛けをして足止めだ。……スフィアで転移、逃げ切れるか……」
にしても―――ヤツには感じられないんだろうか?
この魔力が。
ボロボロで、今にも力尽きそうな『龍』が放つ、強さが。
無理なのかもな。
結局、アイツの本質は『龍血のアノン』なのだ。
根っこの所で人間なんだろう。
目指しているのが軍隊持ってる王様のソレだ。多勢で無勢を飲み込むことを良しとする。罠や策略による勝ちを至上とする。
正気とは思えねぇ。
『破壊』を司る龍神。冥鉄を砕ける黒龍の体に生まれたんだぞ?
どうやったら自我を壊して洗脳、なんてみみっちい戦法を思いつくんだ。
前から不思議だったんだよな。
戦神様に追い詰められた程度でどうして揺らぐ?
寵愛を食われる程度のことで、なんで俺に勝てないと怯える?
「ああ、こんな事なら赤龍を殺さずに支配しておくんだった! 失敗……いや、いやいやそんなことありえない、この僕が……―――!? なんだ!?」
分からないから、だったのだ。
アノンは黒龍になれない。
龍として心底生きることができない。
だから、こういう運命だったんだろう。
「ひ……ひぃっ!? お、お前! どうして……!?」
「どうしてって、なによ」
皮を被っただけの紛いものは、本物によって駆逐される。
「勝てそうだ、って言ったでしょ?」
この世界じゃ、ガキだって分かる当然の話だ。
『ただの人間』と『死にかけの龍』。
戦ったらどっちが強いのか、なんてな。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
次回 岩龍メリア
7日 6時ごろ更新予定
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