第86話 白虎とドラゴンのドラマ



ただ生きるだけなら、名前ってのは大して重要なもんじゃねぇ。


 腹が減ったら狩りをして、そうでない時は眠る。龍の生活ってのは基本的にそれだけだ。一応、下位龍は第二世代の龍神に仕える存在ってことになっているから、何か指示があれば従うつもりはあった。でも仕事なんて殆ど無い。

 当然だよな。龍神だって殆どのヤツは食って寝るだけの生活をしているんだから。

 別にそれでいいと思ってた。

 いや、疑問を感じるきっかけが無かった、と言った方がいいか。

 

 俺の意識が変わったのは、間違いなく名前を得てからだろう。


 ジースト。

 メリアが付けてくれた、俺だけを示す言葉。

 こいつを持つようになって初めて、俺は「他」と「自分」を比べるようになった。


 生け贄の件で揉めた先輩たち。あいつらよりも強くありたい。

 ジーストという火龍は、その他の火龍とは違うんだ、と証明したい。


 名前を残したい。


 そういう欲求が、ただ飯を食うために必要だった「狩り」の力を「戦闘」の力として捉えさせた。修行や鍛錬という概念を知り、何となくだった技術を意識して改良し、積み重ねるようになった。


 間違いなく、俺という存在を形作る柱だ。

 ジーストって名前が無ければ、俺もその他大勢の龍として生涯を終えたかもしれねぇ。

 最強を目指すことなんて、無かっただろう。



「……そういえば、自己紹介がまだだったな」 



 『火煙世紀』を発動してから数分。ようやく姿を表した白虎を見た時、俺の口は自然とそんなことを呟いていた。

 今まで、メリアと2頭でいる時にしか使っていなかった名前。

 戦う相手にわざわざ教えたことなんか無い。


 だが、こいつには知っておいて欲しい。

 勝つにしろ負けるにしろ、俺の名前を覚えておいて欲しかった。



「火煙王、ジーストだ」



 冥神の眷属。

 絶対にその他大勢にはならない、白虎という唯一無二の生命に。


 俺の名乗りに、ヤツは言葉にもならない唸り声を返して来た。

 何か意味があるのか。眷属だもんな。ある程度の知性は備わっているだろう。



 なぁ白虎。

 お前から俺はどう見える?

 

 

 

 ◆




 一歩踏み出すごとに肉球が焼ける。

 地面が赤く融解し、ぐつぐつと音を立てていた。

 まるで水でも煮ているかのようだが、冗談じゃねぇ。土の塊相手にこんな事ができるって、どういう熱量をしていやがるんだ。


 黒龍から大権を与えられた龍神。そこまでは一緒なんだがな。

 5体居た今までのヤツらなら『冥神の寵愛』で適応出来た。それだけで意味を成さなくなるスキルだったんだが……ジーストと名乗ったアイツは違う。

 見境無くまき散らすのではなく、支配している。操っているのだ。適応できりゃ良いってワケじゃねぇ。



「そこだァ!」



 走る俺に合わせて地面が変わる。踏みしめた場所が灼熱の泥になって足を取り、顔面に向けて煙が飛ぶ。足を止めればたちまち爆発して空中に投げ出された。


 完璧に動きが読まれている。


 今までの敵なら速度でねじ伏せられた。防御力で無視して膂力で仕留められる展開だ。しかし、ヤツはそれを許してくれねぇ。どういう理屈か分からないが、ここしかねぇってタイミングで俺の動きを阻害しやがる。

 

 ついさっきの、1分にも満たない攻防でここまで見透かされるのか。

 ステータスの殆どはこっちが大きく上回っているのに、技量一つで翻弄されっぱなしだ。

 せっかく回復した体はすでにボロボロで、毛皮の強化に魔力を回す余裕がねぇ。後追いで再生を繰り返している状態だ。



「踊れ!」



 大地から生えるマグマが鞭のようにしなりながら迫って来た。1本、2本と懸命に躱すが、待っていたように現れた3本目が直撃する。


 体が浮く。骨まで抉られる。吹き飛ばされ、受け身も取れずに地面を転がった。頭を潰そうとする追撃。まだ動ける! 寝転んだ姿勢のまま、4本目を口で受け止めた。



「ガゥゥアッ」


 

 顔中が弾け飛びそうだ。舌と牙が焼けただれるのを構わずに噛み砕き、魔力を集めた前足で思い切り地面を叩く!

 複数あるように見える鞭だが、発生源が地中なのは同じだ。根元から吹っ飛ばせば次は来ない。


 あわよくばジーストを巻きこんで……と思ったが、高望みか。

 いつの間にか溶岩の壁があった。衝撃波は完全に防がれている。

 足も翼も機能せず、機動力を失っているはずのヤツは、さっきからあれで範囲攻撃を捌いているのだ。


 あの壁は柔らかく不定形なようだ。衝撃に強くするための工夫だろう。

 直接爪で引き裂くしかねぇ。

 再生を後回しにして走りだす。モタモタしてるとまた地面を支配されちまう。今が勝負だ。一瞬の間も置かずに距離を詰めた。あと一歩で爪が届く、その範囲に来た時に踏ん張りが効かない。……たった一カ所に集中してヤツの魔力が込められている。丁度俺の後ろ足一つ分の地面がマグマに変わっている。


 嘘だろ。

 ここまで読むのか!



「ガァアアアアアア!!」



 咄嗟に咆吼を放った。タメが短い。溶岩の壁を壊しきれない。だがコイツは音の攻撃だ、直にじゃなくても少しは揺さぶれる!



「クソが!」



 ジーストの悪態が聞こえた。移動は遅い。まだ壁の向こうに居る。尻尾から神性を噴出し、焼け落ちて膝から下が無くなった後ろ足の代わりに、最後の一歩分跳躍する。


 溶岩の壁を爪で切り裂く。ヤツは……居た! 


 やはり機動力がガタ落ちしてんだ。このまま殴り飛ばす! マグマの砲弾を喰らっても吹き飛ばないように、神性を噴出させ―――何ぃ!?



「オオオオオァァ!!」



 ジーストは千切れた尻尾を地面に突き刺していた。そこから膨大な魔力が流れ込んでいるのが分かる。ヤツの足下だけが急激に溶岩へと変わり、まるで蛇のようにうねりながら動き始めた。

 野郎、自分が動けねぇからって、地面の方を!?



「喰らえぇぇ!」



 しかも、避けるだけじゃなく回り込んで向かって来やがる。尋常じゃない速度だ。最初に不意打ちを喰らった時に匹敵する。ボロボロの翼を打ち込んで来るつもりか。真横を取られ、殴りかかった姿勢じゃ躱すことが出来ねぇ。

 反射的に、焼け落ちた後ろ足を全力で再生した。傷口から勢いよく飛び出した足が地面を叩き、無理矢理方向転換する。

 肋骨と内臓がねじくれる嫌な音が体の中で響く。それを無視しながら迎え撃つ!



「グルゥア!」

「ぐはぁッ!」



 俺の前足とジーストの片翼が衝突する。ヤツの翼は根本から、周囲の肉ごと千切れ飛んだ。だが無理な姿勢で凄まじい衝撃を受けた俺の体も無事では済まない。足の再生に『寵愛』の魔力を持っていかれ、防御がおろそかになったのもマズかった。


 血反吐を吐きながら地面を転がる。

 視界の隅で、ジーストも同じようになっていた。



「がはッ……はぁ! ちくしょう痛え! 決まったと思ったけどなァ……!」



 嬉しそうな声をしやがって。

 翼があった場所から噴水のようにマグマが吹き出しているってのに、それを気にした様子も無い。



「今の、驚いたろ! 実は俺もなんだ……咄嗟だった。まさか大権であんな風に移動が出来るなんてなぁ、くっくっく。中々奥が深ぇ。黒龍も、ただのクズかと思いきや、いいスキルを作るじゃねぇか!」


 

 冗談じゃねぇぞ。あの野郎、この後に及んで強くなってやがるのか。

 反対に俺は弱くなっていっている気がする。動きもほとんど読まれてるしな……くそったれめ。



「はははは! 最高だ。お前は本ッ当にいいよ! 戦っててこんなに充実するのは久々だ……! なァ白虎。そっちはどうだ。俺とやってて楽しいか!?」



 買いかぶりなんだよ。

 白虎の風貌やステータスを見て、中身もそれに伴ってると思ってるんだろう。

 とんでもねぇ。

 俺はな……ジースト。

 

 そんなタマじゃねぇんだ。 

 





 向いてない、と言われた。



「……ポンゾ、君ほど勤勉な生徒は初めてだ。寝る間も惜しんで鍛錬してくれたんだろう? 私も師として君に剣士を名乗らせてやりたいよ。だが……何故だろうな。素振りの型も足運びも全て教えた通りできている。どうしてそれを実戦で活かせないんだ?」



 才能が無いと。



「ねぇ、お願いだから余所で『私から弓を習った』って言わないでよ。こっちも生活がかかってるの。5年教えても基礎さえ身につかないとか、変な噂が広まると困るから……分かるでしょ?」



 悪いことは言わないから諦めろと。



「斥候を教わりたい、ですか。……いやー、ポンゾさんは体がデカいから無理じゃないっすかね。そりゃ、スキルでカバーも出来ますけど、どうせ覚えられないんでしょ? 魔法適性ゼロって聞きましたよ。ははっ、僕も忙しいんで……」



 お前に冒険者は無理なんだと。


 20を過ぎた頃、兄貴から「村に帰って来い」と言われた。

 30を迎えた頃、知り合いから「恥ずかしくないんすか」と貶された。

 40になった頃、友人から「一緒に料理店をやらないか」と誘われた。


 その全てを蹴って、冒険者にしがみついた。


 分かっている。ただの意地だ。

 周りに言われて諦めちまったら、二度と自分の考えを持てないような気がした。結果が出ない自分に見切りをつけたら、一生振り返りながら生きていくような気がした。


 それは、記憶さえない前世から引き継いだ意識だった。

 餌を与えられる幸福。己の意思では何も出来ない安全な檻の中。それを悪くないと受け入れながら、森へと思いを馳せる自分。


 あんな生涯、一度でいい。


 弱くても諦めたくない。

 どんなにダメで、何一つ上手くいかなくて、周りから嘲笑される死に方で、自分でも納得いかず、未練が残る終わりだったとしても。

 

 今度こそは貫きたい。そう思った。


 その意識は続いているんだ。一瞬も途切れることなく、今この瞬間も!

 


「グゥルルルル!」 



 立ちあがる。そう出来る体を冥神様が与えて下さった。

 魔力が切れることはない。俺の意思がくじけず、『寵愛』を保つ気概さえ持ち続ければ白虎は必ず答えてくれる。


 才能に左右されない。

 積み上げに頼らない。

 努力を言い訳にしない。


 必要なのは、諦めねぇって一点だけだ。

 

 コイツだけなら俺は、世界最強の龍とも渡り合える。



「ああ……強え。目ぇ見りゃ分かる。やっぱお前が今までで一番だよ。喋れないのが本当に惜しいぜ。なあ」



 ふっと、周りを支配していた熱が消えた。

 地面からの沸き立つような灼熱を感じない。


 ジーストが大権を消したのだ。何故?



「不思議そうなツラすんなよ。見りゃ分かるだろ? 誰かさんのお陰で血を流し過ぎた。チョコチョコ削るって作戦じゃあ、俺が先に死んじまう」



 そうか。

 血を武器にするために、あえて再生しないんじゃなく、そもそも出来ないのか。

 ……あらゆる面で不利を抱えていたんだな。

 それでも俺より強かった。



「勘違いすんなよ。だからって負けるつもりはサラサラねぇ。最後に一撃、とっておきのブレスをお見舞いしてやる。お前の再生、不死身系のスキルじゃねぇんだろ? 自分の意思で発動する必要があるわけだ。つまり……」



 ああ、そうだ。俺よりも強い。認めるしかねぇよ、こんな奴。



「1秒くらい再生しきれねぇ勢いで脳を吹っ飛ばし続ければ、お前は死ぬ。俺の勝ちだ」



 悪い、冥神様。



「受けてくれるか?」



 一度だけ我が儘を許してくれ。

 これで死んだら、菌でも毒虫でも何だって良い。

 何に転生してでも、必ず黒龍を殺すから。


 この龍と、真っ向勝負をさせてくれ。


 熱さが去った地面に爪を突き立てる。

 体のバネというバネを縮め、息を深く吸う。血の巡り。内臓の働き。隅々までを意識しながら―――『冥神の寵愛』に魔力を食わせる。

 余計な分は一切無い。

 少しの魔力も無駄には出来ない。


 全てを筋肉へ集約させる。



「ありがとな」



 視線を向けると、そこには太陽があった。

 ジーストの体の内に、灼熱のエネルギーが固まっている。龍鱗を透かすほどの光が漏れ出して、そう見えているのだ。

 魔力の臭いだけでも分かる。この先二度とお目にかかれないような濃度だ。俺の体を融かしていたマグマの何十倍になるだろうか。それほどの熱量でありながら、ここが一切熱くないのも恐ろしい。


 あれが最強だ。

 火煙王ジーストこそが一番だ。


 頂点へ挑む権利を、俺は与えられたのだ。


 合図は無かった。

 互いに限界まで力を溜め、その許容量が溢れる寸前になって。

 俺は地面を蹴り、ヤツはブレスを吐き出す。


 決着は一瞬だった。


 宣言通り頭に向かって放たれたブレスを、俺は最大の強化で打ち破る。

 力と力。最後の最後で、彼は俺の領域で勝負をした。

 

 してくれた。

 


「白虎」



 残った命ごと吐き出された一撃だった。

 そのまま衰弱で死なせるなんて出来ねぇ。味なんかどうだっていい。獣として、打ち勝った者として、俺がすべきことは一つだ。



「お前に俺はどう見えた?」



 答えを聞かせることはできない。

 だが、それでも満足そうに―――最強の生物は、その命を全うした。





 ◆




 

「なぁメリア。見たか? 戦神と黄龍の決闘」


「うん。わたしを産んだのはあの龍よ。見ないわけないでしょ」


「すごかったなぁ」


「ええ」


「お前、いつか言ってたよな。龍が他の生き物に置いて行かれる、みたいなこと」


「そうね」


「何となく分かった気がするぜ。いや、ユグドラシルから神性を取り出して食うってすげぇ発想だわ。俺なんか試そうと思ったこともねぇ。得られる神性もたかが知れてるのに、失敗したら死ぬわけだろ?」


「うん。でもあの戦神は、そのたかが知れている神性を使って第一世代の龍を倒した」


「……次は人の時代か?」


「たぶんね。まあ、まだ彼だけだからしばらく時間が掛かると思う。それに……」


「それに?」


「龍たちが黙ってないでしょ。特に紫龍とかの第二世代あたり。生け贄の流れが加速するかもね」


「……それって逆効果じゃねぇのか。生け贄なんかやってたら弱ってく一方だろ」


「だから言ったでしょ。ついて行けないって」


「俺、思うんだけどよ」



 この時、メリアだけに胸の内を明かした。

 上手く言葉に出来ない想いを。


 聞けば、戦神は第二世代の龍たちが生け贄を取ることに怒り、各地で龍狩りをしていたのだと言う。そして、緑龍の親である黄龍へと行き着いた。


 嫌悪と憎しみから始まった決闘だったのだ。

 

 それを聞いた俺は驚いた。

 戦っている2人は、端から見てとても楽しそうだった。そこには互いへの敬意があり、言い表せないような尊さがあった。


 最後、黄龍の首を落とした時、戦神は悲しそうな顔をしていた。「お前を忘れない」と言葉を残し、その後は無闇に龍を狩らないという制約を青龍と交わしたそうだ。


 そのことが、何故か嬉しかった。

 感動したのだ。


 人のように文明を開くことはできず、魔獣のように進化もできない。

 停滞した存在であるはずの龍が唯一生み出せるもの。

 あの日、メリアが見せてくれたアメジストのように、見る者の胸を打つ光景。



「……龍がいずれ滅びるとしてよぉ。次の世代に残せるのって『強かった』ってことだけだと思うんだよ。強い龍、最強の生物。それを倒したヤツが、その事実を核にして次の時代を導いていくっつーか……言ってること、分かるか?」


「ぜんぜん」


「そうか。んー、まあいいや。とりあえず俺、最強になるわ。これから無茶苦茶強くなって、龍の……この世界で一番の生き物を目指す」


「それで、いつか自分を超える誰かに倒されたら、次の時代に『ジースト』って龍がいたんだ、って話をしていて欲しい?」


「なんだ、分かってるじゃねーか」


「ふふふ。そういうのをね、人類の間じゃ『歴史』って言うのよ。あんたは歴史に名前を刻む龍になりたいんだわ。『一番強い龍』ってね」


「歴史」


「うん。結構壮大な夢ね? 紡いでいる人類側だって極一部しか名前を残せないのよ。それに……時代を変えるのが、都合良く人類とも限らない」


「別に人類じゃなくてもいいさ。魔獣でもなんでも、俺は俺を倒した誰かにとっての『歴史』になりたい。それ以外で死ぬのはゴメンだ」


「そっか。ジーストらしいわね。ま、そんな事言っても、まずはもっともっと強くならなきゃダメだけど?」



 そうだな。

 今の俺はただの火龍だ。最強なんてほど遠い。 


 修行しよう。積み重ねよう。

 この先……龍を終わらせるような最強の何かと戦う時のために。


 我ながら変な目標だな。当面は戦神って所か?



「……勝てる気がしねぇ」


「そりゃ今はねぇ。でもずっと頑張ってればいつか届くわよ。ジーストならね」



 そうかな。

 いや。そう思わなきゃダメだよな。

 頑張ろう。

 未来の自分が、満足の行く生涯を過ごし、理想の終わりを迎えられるように。


 ああそうだ。


 今は勝てない、でもいつか。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


次回 お待たせ黒龍


11月4日 6時ごろ更新予定

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