第82話 氷晶王


 黒龍は臭ぇ。


 追いやすい臭いだから、ヤツの巣がある場所はすでに分かっている。

 行こうと思えばひとっ飛びでたどり着けるんだが、すぐには向かわないことにした。

 

 これは冥神様からのアドバイスだ。



『己と直接戦っても勝ち目が無いことは、向こうも分かっているはずじゃ。しっかり準備をさせてやらんとまた逃げられるぞ』



 逆に、黒龍が「勝てる!」と思う状況が整ったら『向こうから攻めてくる』だろう、とのことだった。


 確かにそんな気がするわ。

 マウント取るの大好きって感じだったしな。負ける可能性がある内は逃げに徹しそうだ。その一方で、裏で糸を引いて高みの見物……なんてタマでもねぇだろうしな。

 

 俺を殺そうとする時は、絶対に自分の目で見ようとするはずだ。

 闇雲に追うよりいいのかもしれねぇ。


 というわけで、俺は腹ごなしも兼ねてのんびりと龍の巣を襲っていた。

 一応、黒龍の縁者と思われるヤツが居る所だ。



「美味しいですか? ゴースト」


「ガフッガフッ…………ガルルァ!」


「羨ましいです。いつかわたしもドラゴンのお肉を食べてみたい。でも、氷龍には毒があるんですよね」


 

 やっぱり龍の肉は旨い。


 入って一番近くにあった龍の巣。迎撃に出てきた青白い体色の『氷龍』は、シャリシャリした鱗の食感と冷たい血肉が合わさって氷菓子のような味わいだった。フレイアの言う毒がほろ苦くてコーヒー味のデザートって感じだ。

 『龍の楽園』は大陸南部なだけあって暑いし、丁度良かったな。


 200頭ほど仕留めたが、この分ならペロリだ。

 そんな風に思っていると、



「白虎……というのだったか。貴様の名前は」



 上から声が掛かる。見上げれば、やはりというかドラゴンだった。

 いやまあ、さっきから居たのは分かってたんだが、空高くに留まったまま何をするでもなくこっちを見ているだけだったので、とりあえず放置していたのだ。


 即座に不穏な空気を感じ取って、頭の上に居たフレイアが首の後ろへ避難した。身をかがめれば、体毛の中にすっぽり収まって見えなくなる。

 フレイアの担当は、あくまでも「お母さん」の捜索だからな。

 

 戦闘は俺の役目だ。

 


「ずいぶんと好き勝手に暴れてくれたようだ。能力を制限された土剣王や、雑魚を相手にしていてさぞかし良い気分だっただろう? だが残念だったな」



 偉そうな口調でと共に、ばっさばっさと皮膜の翼をはためかせながら、ドラゴンが地面の近くまで降りてくる。



「たった今、黒龍様より『大権』の使用許可が下りた。これがどういう意味か分かるか? 貴様の勝ち目がゼロになった、ということだ……!」



 尾と首が長く、胴体は太い。

 四肢の付き方を見るに四足歩行だ。龍としてはオーソドックスな風貌と言えるだろう。俺の周りで死んでいる氷龍も似たような姿をしているが、ヤツは他と違って鱗の色が黒っぽい。



「ふっ。この私を見ても、逃げないどころか身構えもしない。……なるほど、貴様は強いのだろう。今まで負けたことなど無いという顔だ。だがな」


 

 口にも出していた通り、黒龍の縁者で間違いねぇな。

 ただ寵愛を受けて強化されただけってワケじゃ無さそうだ。

 明らかに神性を纏っている。入り口で殺した「何とか」ってヤツと同類だろう。

 

 

「知っているか? 下等生物! 時の頂点捕食者といえど、環境の変化には耐えられないということを。我ら龍でさえ、自然神の気まぐれに振り回され、滅びた一族は数多いのだ。この世界を渦巻く力はそれほど強い……!」



 …………。



「しかし、私はそれを克服した! 偉大なる黒龍神のお力を賜り、環境に応じる側ではなく創る側へと進化を遂げたのだ!!」



 にしても……さっきからすげぇ喋るな、コイツ。

 そして隙だらけだ。

 神性を纏った龍なのに、端から見ると雑魚に見える。

 

 これは余裕か? 

 それとも……。

 


「ああっ楽しみだ! 貴様のその、生命力溢れる体が……私の『大権』に晒されて徐々に、徐々に凍り付き、蝕まれていく! どうすることもできずに絶望の表情を浮かべ、恐怖を味わいながら息絶えた貴様の肉体を、私がこの尻尾で叩きィッ!?」



 試しにこっちから仕掛けてみる。


 普通に走り、空中に居るヤツに向かって跳躍する。

 ヤツはぎょっとしたように体を震わせた。

 それだけだ。迎撃どころか避ける素振りさえまるで見せない。



「潰しィィィゃああああああ!!」



 そのまま、拍子抜けするくらいあっさりと尻尾を噛み千切れた。

 悲鳴を上げながら、ヤツの体が地面に落ちる。



「ぎゃああああッ! あああ、あ、私の尻尾、があああああ!?」



 あー……そうか。

 なるほどな。

  


「ぐぅ、がは……痛いぃぃ……貴様、よくもやってくれたなぁ……!」



 コイツ、なのか。



「もう許さんぞ! 死ね死ね、死ねぇ! 『大権・氷晶世紀』ィィ!!」


 


 無様に倒れ伏したまま、涙混じりの悲鳴を上げながらヤツがスキルを発動する。


 神性が入り混じった、青色の魔力がヤツの体から空に向けて放たれた。

 凄まじい量だ。それだけで言うなら、俺よりも上かもしれない。海の底を思わせる、黒の混じった青色が、空に模様を描いていく。葉っぱの無い木が6本組み合わさったような、美しい図形だ。壮大な光景だった。

 蒼穹に蓋をするような巨大魔法陣。後に冥神様が『雪の結晶のようだった』と表したその模様が、眩い光を放つ。


 そして、何かが落ちてくる。


 目には見えない何か。正体は空気だ。

 周りにある俺より背の高い世界樹が、てっぺんから白く染まっていく。バキバキと樹皮の弾ける音が鳴り響く。速い。猛烈な突風が襲いかかった。まるで空気がへばり付いていくような感覚がする。やっぱ冷気か。

 まず体毛が凍り付き、続いて肉球が地面に貼りついた。呼吸をするだけで鼻腔や肺に痛みが走る。


 逃げろ、という悲鳴があちこちから聞こえた。

 声を上げているのは氷龍だ。冷気のブレスを放つ龍。鱗一枚で最上級の防寒装備を作れると言われていた、氷を象徴する生物。彼らが空に向かって飛び立ち、しかしすぐに白い霜に覆われて落下していくのが見える。


 違う。

 この能力は、メポロスタで見た12司祭やその奴隷、オタムで戦ったハルカ、海岸の洞窟で仕留めた黒い牡鹿とも隔絶している。



「ははははは、どうだ!! これが私の『大権』だ!」



 気がつけば、景色が変わっていた。

 地面を流れていた魔力の霧は消え、霜だけが見える。細かい氷の粒が風に舞って、キラキラと日光を反射している。大陸南部だとは思えない世界だ。


 環境を塗りつぶす力。

 魔法の領域を超えた規模と威力を持つ、まさに神の御業と呼ぶに相応しい力だ。

 結界に守られているはずのフレイアが、あまりの寒さに悲鳴を上げていた。


 俺でさえ、この空間に数分も居れば凍りついてしまうだろう。



「死ね白虎! 早く死ねぇ! 何もできずに!」



 《このままなら》、な。



「何でだ……死ねよッ! いつまで生きている!? 私の『氷晶世紀』の前では、全ての生き物が無力なんだ! 極寒の中で動けず、ただ縮こまって死んでいくはずだ! 黒龍さまがそう言っていたんだ!!」



 ああ、寒いよ。体の芯から凍えるようだ。

 やっぱ黒龍が絡むと、威力や破壊力って点では頭一つ抜けるな。紫龍の雷撃ブレスを喰らっても毛が逆立つくらいだった白虎の体に、しっかりダメージを与えている。思えば、雑に寵愛で強化されただけの捨て駒たちでさえ、白虎の体を傷つける力があった。


 『大権』ってのは、本当に並の龍神を凌駕するスキルなんだろう。


 使い手がどんなに雑魚で、相手がどんな強者でも、発動さえしちまえば勝負が決まる。そういうコンセプトで創られたスキルなんだろう。


 奇遇だよなぁ。 

 一緒なんだよ。


 俺の『冥神の寵愛』も。


 貼りついた肉球を、皮ごと無理矢理剥がした。当然負った怪我は瞬く間に治る。呼吸で取りこんだ冷気が体の内側を凍り付かせるけど、それも溶けていく。脳内で魔力が変質し、それが全身を巡る度に、体中の痛みが引いていった。


 ぶるりと一度身震いする。

 もう寒くも何ともねぇ。



「う……ッ、嘘だぁッ!! こんなはず無い!」



 目を見開いた龍神に向かって歩き出す。



「私は選ばれたんだッ、適合した! 次の時代を作る、偉大な龍神なんだ! 『大権』を使えば、今まで愚図だノロマだとバカにしてきた連中も皆、皆……ひれ伏して来たんだ!」



 ヤツは千切れた尻尾を再生し、それを支えにしながら2本足で立ちあがった。爪や牙を使うでもなく、長い首を必死に伸ばして空を見つめる。

 視線の先にあるのは……魔法陣だ。

 『大権・氷晶世紀』。それに向かって魔力を注ぎ続ける。


 前足で張り倒した。



「ひぃっ!」



 逃げなかったな、コイツ。

 その気持ちだけは分かるぜ。

 授かった天賦の否定は絶対に出来ないんだ。俺たちにはな。


 同情するよ。

 お前の敗因は、ただ……お前の主が俺の主より弱かっただけだ。



「認めないっ! こんなのみとめ」



 体を押さえつけ、首元に噛みつく。

 そのまま左右に頭を振って、根元から引きちぎった。



「がぁッ、こくりゅ……さま……な、ぜ…………」



 名前も知らない龍は、最後の瞬間まで『大権』に魔力と神性を注ぎ続けていた。

 

 使用者が死んだことで、上空に浮かんでいた魔法陣が溶けるように消えていく。

 辺りには、『大権』の名残が冷気となって漂っていた。地面や世界樹に霜も降りたままだ。しかしそれも、太陽の熱でその内消えていくだろう。



「ゴロロロ」



 喉が鳴る。湿気が凍ったことで、澄み切った空気を思い切り吸い込む。


 今―――久しぶりに、戦いで深い満足感を味わった。

 

 あの龍は雑魚だった。戦闘技術って意味じゃあポンゾにも劣るだろう。

 だが、そんな事はどうでもいい。俺とヤツの実力差なんて、五十歩百歩だ。どんぐりの背比べだ。まるで重要じゃない。


 この戦いで勝敗を決めたのは、間違いなくスキルの差。


 黒龍の『大権』を、冥神様の『寵愛』が上回ったから……俺はこうして生きているのだ。

 


「ふぅ、終わりましたか、ゴース」


「ガルルルオォォォォォォォォゥ!」


「トうわぁ!?」



 ははっ、思わず遠吠えしちまった。

 

 さっきの龍、確か「能力を制限されたドケンオウを殺して」って言ってたよな?

 その名前は、あの入り口で殺したヤツのことだ。確かに、あいつからも黒龍の臭いはした。ということは恐らく、あいつも『大権』を使えたんだ。黒龍の許可が無かったから使わなかっただけで。


 2匹いた。

 もっと居てもおかしかねぇ。

 

 いいぞ。最高じゃねぇかよ! 何匹でも真正面から潰してやらぁ。策も何も必要ねぇ、まざまざと見せつけてやる。

 ハッキリと、明確に。何度でもだ。


 黒龍テメェなんぞより、冥神様の方が圧ッッ倒的に上だって事実をよ!


 今までに無いくらい、『戦神の加護』が唸りを上げている。

 


「うわぁっ、なんか、ゴーストの体が凄く脈打ってます! どっくんどっくんって! お、お父さん!?」


『うぅーむ。眷属が儂を好き過ぎるわい。どうしてこうなってしまったのかのォ』



 冥神様とフレイアが何か喋っているが、それどころじゃねぇ。

 鋭敏になった嗅覚が、新たに近づいてくるものの匂いを感じ取ったのだ。



「……また、尊き命を奪ったのですね。黒龍どのから連絡を受けて来てみれば……なんて愚かな生き物なの」



 薄い桃色の羽毛を生やしたドラゴンだ。

 黒龍の臭いはしない。……つまり旨そうだ。

 似たような、鳥っぽい取り巻きをうん百と引き連れていやがる。



「私は桃龍。偉大なる赤龍の血を継ぎし龍神。あなたが屠った紫龍の縁者です。尊き神の命を奪ったこと……頭を下げ、死を受け入れるなら許してあげても良いのですが?」



 ああ、そうか。

 ここには殺し甲斐のある敵か、旨そうな獲物しかいねぇのか!



「ガァルルルルル!」



 なんだよ。

 やっぱ楽園じゃねぇか!  




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


次回 ざわつき始める龍たち


24日 6時ごろ更新予定

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