第76話 オタムに響く慟哭



 『韋駄天』は「走ること」を強化するスキルだ。


 発動中は息切れを起こさない。足がもつれることもない。どんな地形でも躓いたりしない。水の上や空中でさえ足場にできる。


 発動は任意だ。イメージの中で、生前陸上の時に使っていたスニーカーを履き、魔力を注ぐ。側面にプリントされた、地球で有名なスポーツメーカーのロゴが赤く光りだせば、準備完了。

 注いだ量によって光の強さが変わり、比例して走った時のスピードも変わる。これをあたしは10段階に分けている。スキルを使わない、本来のあたしの脚力がレベル1。全開で発動した時はレベル10。

 

 『韋駄天』は、この異世界で何千回とあたしを救ってくれたスキルだけど、結構なくせ者でもあった。

 『この世の誰よりも速く走れる』っていうのは、皆が思うより良い効果ではないのだ。


 何故なら自動更新だから。


 あたしが、あたしよりも速い生き物と出会うと、『韋駄天』は勝手に最高速度を更新する。その事をお知らせしてくれる、ゲームで言うアナウンスみたいなものは無い。

 少し速いくらいの相手なら、多少の違和感で済むけれど……これまでより大幅に速い奴に出会った時は大変だ。

 

 冒険者になりたての頃は特に戸惑った。人間なら上昇率もたかがしれていたけど、魔獣の中には段違いに速いのもいる。初めて冒険領域に入った日、遠慮せずに全力で発動して、ゴブリンと顔面衝突したことがある。そいつが操っていた騎獣が、スピード特化のライカンだったのだ。

 二度の人生で初めてのキスだった。

 まさに最悪の思い出だ。

 それからは特に気を付けて制御していた覚えがある。初見の敵と相対した時は、まずレベル3くらいで発動して、違和感がなければ徐々に速度を上げていく


 それでも、半年経ってSランクになり、冒険者になって2年になろうかという頃には、あたしより速い奴なんてほとんど居なくなっていた。アノンさんと戦った時、「ああ、これ以上は無いだろうな」って感覚もあった。


 だからこそ、油断した。

 隆々とした四肢の筋肉。大ぶりな体。森で見つけた白虎は、どう見たって力で相手をねじ伏せるタイプの獣だった。むしろ、あの堅牢そうな毛皮を切り裂いてダメージを与えるには全速力で挑まなければならないと思った。


 それがまさか……こんな事になるなんて。



「あ、当たらない、当たらない! なんだアレはあああ あぐっ……」

「呪文の詠唱が間に合わげべら」

「ちょ、まァッ!?」



 設置型の魔道具による束縛の罠。大人数で囲んでの飽和攻撃。

 あたしが苦手とする形の一つだ。『韋駄天』が魔力をバカ食いするから、あたしには魔法が使えない。広範囲を攻撃する手段が無いので、蜂みたいに覚悟を決めて、味方の被害を考えずに攻撃してくる集団は戦いづらい。


 オタムを攻撃している黒龍教の連中はそれが分かっていた。

 明らかに、『瞬閃のハルト』対策を準備して来ていた。


 当たり前だよね。今回の件、あたしの依頼主に声をかけたのはアノンさんなんだから。オタムの宿屋に奴隷のみんなを預けていたことも知っていたはずだ。事が起こった時、あたしがこっちに来るのは読めていたはず。


 ……正直、以前までのあたしだったらやられていた。

 それだけの対策だった。


 今、こうして無事で居られるのは……悔しいけど、あの白虎のお陰だ。昨日までのレベル10の速度が、今日はレベル5の強化で出せる。少し戦って、レベル7の速度にも体が慣れてきた結果、黒龍教の罠を食い破ることが出来ている。


 剣速に比例して切れ味の増す魔剣、『疾風』の調子も絶好調。


 自分の成長に天井が見えていたけど、間違いなく一つ殻を破った。


 それはいい、んだけど……。



「これで最後か!?」



 周囲に居た黒龍教の下っ端どもは全員動かなくなった。

 オタムの王都で『勧誘』をしていたコイツらは、森で見かけたような化け物を引き連れていない。代わりに人間の奴隷を使って、変な黒い靄を人々にぶつけている。

 明らかに洗脳系のスキルだ。それも、テイムなんか目じゃないくらい危険なヤツ。


 宿に居る皆だって冒険者だ。Cランクになれる実力がある。自我を失った人間相手なら負けはしないだろう。

 でも、心配だった。

 人質にとられたりしたら……あの、黒い靄に侵されたりしていたら……。


 

「なあ、今ので最後だよな!?」


「……だな。騎士団からの情報じゃ、他は皆捕まえたって話だった。緊急依頼達成だ」



 あたしの質問に答えたのは、元Aランク冒険者の男。

 今回の、『白虎の調査』って依頼を持ってきたヤツの手下で……要するに手綱役だ。



「じゃあ、もういいだろ! 宿へ向かわせてくれ!」


「ダメだ。次は西地区の貴族街に顔を出す」


「……はぁっ? 顔を、出すって、なんだよそれ」


「あ? 挨拶だよ挨拶。お前のスポンサー様だ。機嫌とらねぇでどうすんだよ」


「…………今じゃなくてもいいだろ!」


「バカかお前は。下らねぇ我が儘を言ってんじゃねぇ。こりゃあお前のせいなんだぞ?」


「な、何がだよ」


「あのなぁ。ただでさえ白虎に負けて、太客に大損させてんだ。おまけにあんな醜態を晒しやがって……折角俺が開拓村から、手間暇かけて撮影してやってたのに、アレじゃ映像としての価値も皆無じゃねぇか。このままじゃファンを失うって、社長も嘆いてたぜ?」


「そ、そんなの……そんなの俺の知ったことじゃねぇ! ファンって何だよ。そんなもん、欲しいと思ったこともねぇっ!」


「はぁー、ったく。ガキは自分の事ばっかりだな。スポンサー無しでどうやって毎月の『レンタル料』、支払うつもりだ?」


「う…………」


「忘れるな。レレナ達の権利を持ってるのは社長だ。あいつらの生殺与奪は社長の懐次第だ。お前が利益を生まないなら、あの奴隷どもはマーケットに流す。分かるか? 逆らう権利なんてねぇんだよ」


「……」


「おっと、今のは嫌な言い方だったな。でもよ、ハルカ。思い出せ。ちゃんと考えろ。社長は優しいだろ? あの別嬪どもに全く手を出さねぇのが何よりの証拠だ。その権利があるのに放棄してる。お前の気持ちを考えてるからさ」


「……」


「お前みたいなガキがあっさりSランクになれたのも、社長やそのお友達のお陰だ。そうでなきゃ、いくら強くても経験不足でBランクって所さ。ますますレンタル料は払えなくなる、違うか」


「……そう……です」


「よし! 良い子だなぁ。じゃ、貴族街へ行くぞ」



 くそ。



「なぁに、心配すんなって! 客はがっかりしてたがよ、お前には奥の手があるじゃねぇか。 ……その薄っぺらい胸を披露してやれよ! びっくりするぜぇ。きっと喜んでスポンサーを継続してくれるさ!」



 くそぉっ!


 ……手の中の『疾風』を握り込んだ。

 今のあたしなら、このクソ野郎の首を刎ねるなんて簡単だ。でも出来ない。『社長』は絶対に表へ出てこないからだ。顔なんて最初の一度しか見たこともない。連絡役を失ったら……もう、皆とは暮らせなくなるだろう。それをコイツも分かってる。


 『韋駄天』じゃ解決できない。



「ホラ、行くぞ」



 黙って俯いて、ついて行くしかない。

 涙を堪えて、一歩踏み出した―――その時だった。



「うおっ、な……なんだぁ!?」



 爆発音。人の悲鳴。空に立ち上る黒い煙。


 全部、レレナたちの居る宿の方角からだった。



「あっ、おいテメェ! 待てよハルカ!」



 お腹の底をねじられるような感覚を抱きながら、あたしは走った。




 ◆




 なんで?

 どうしてなの。あたしが何をしたっていうの。



「離れてください、お嬢さん。ここは危険ですよ。……建物が崩壊するかもしれない」



 立派なヒゲを付けた貴族が遮ろうとしてくる。

 それを躱して建物に近づいた。今朝、レレナと別れた宿屋の玄関先。扉も、その周りの壁も、黒い煙を立てながらぐずぐずと崩れている。


 その前に、人が倒れていた。


 並べるように、5つ。全て少女だ。顔や体が溶けるように焼けただれている。建物と同じように黒い煙が漂っている。表情から、もがき苦しんだことが分かる。尊厳も何もない。酷い有様だ。

 

 顔が確認できない子もいる。

 ……でも、全員が左手に指輪をつけていた。あたしが贈ったのと同じもの。

 地球の風習だ。この世界ではあまり流行っていない。


 だから、あれは、間違いなく……。


 『疾風』を逆手に持つ。



「なっ、君! やめなさい、何をするんだ!」


「嫌だっ嫌だああああああああッ! もう生きていたくない! 離して! 離してぇえええッ!」


「……ダメだ! 自死など、医神様を奉じるオタムニアス家の男として見過ごせん!」



 体が震える。上手く力が出せない。あっさりと取り押さえられる。

 情けない。

 どうして? 黒龍教のヤツらはさっきで全部って、言ってたじゃん。

 街の人達を『勧誘』しても、傷つけたりはしてなかったでしょ。

 

 皆が冒険者だから?

 戦ってしまったの? ……そんなこと、しなくていいのに。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ―――置いて行かないでよ……。

 






「ハルト」





 え?


 聞き慣れた、綺麗なハスキーボイスが頭の上から降ってくる。



「ハルト……顔を上げて」



 見上げると、そこには。

 指が長くて、首も細くて顔が小さくて、ショートカットが世界一似合う……あたしの、大好きな人が。



「レレ、ナ……?」


「うん。そうだよ」


「え……えっ、でも、何で? だってあそこに」



 死体がある。確かに見た、5人分。全員分……。

 その視線を、レレナは遮るように横に動く。「なんだ貴様、どこから」と、ヒゲの貴族が警戒した声を出して、羽交い締めにしていたあたしから離れていく。


 そうだ。

 レレナは、今どこから現れたんだろう?



「ハルト」



 ああ、でも。

 こうやって抱きしめられると、そんな疑問はどうでもよくなってくる。

 声も、感触も、匂いも。全部レレナのものだ。

 あたしを癒やしてくれる、彼女そのものだ。

 

 幻でもなんでもいい。目の前に居てくれれば。癒やしてくれれば、それで。



「あ、ああああ……ごめん、ごめんレレナ! 遅くなって。あたし、あたし……!」


「そうだね、遅かった。間に合わなかった」



 なのに。



「うううう……」


「どうして? なんで間に合わなかったの」



 ……それなのに。

 止めてよレレナ。

 何でいつもみたいに優しくしてくれないの。頭を撫でてくれないの。

 しんどい時なのに、『ハルト』って呼ばないでよ。



「逃げないで。ちゃんと考えて。誰が悪い? どうしてここに来るのが遅くなった? いいや……そもそも、どうしてこんな所に来ることになったんですか?」


「それは……依頼で」


「そうですよ、それです! ハルト君を契約でがんじがらめにしている『社長』、まずあれが悪い! 見て下さい、ホラ! 向こう側にその手下が来てます! 殺しましょう!」



 ああ、そういうこと。

 

 喋り方を聞いて分かった。

 だから怖かったんだ。気持ち悪かったんだ。


 『龍血のアノン』は人間じゃ、なかったんだ。

 


「次に悪いのはこの国の貴族だ! 話題の魔獣とハルト君を踊らせて賭けなんてことをしようとした連中! なんて腐ってるんでしょうねぇ。こいつらもクズですよ。もちろん殺しましょう!」



 もの凄い力だ。

 抜け出せない。

 こうやって捕まる前なら、今のあたしなら逃げられたかもしれないのに。



「でもねぇ。一番悪いのは彼らじゃない」



 ……ああ、そっか。そのためにレレナの姿に。

 ……騙すなら、最後まで通してくれればいいのにな。



「白虎ですよ。アレが居たせいでこの国へ来ることになった。アレに負けて気絶した時間、結界に閉じ込められていた時間! アレが無ければ、ハルト君。キミは間に合ったんです!」



 足下から、黒い靄が昇ってくる。

 皮膚を破り、体の中に入ってくる。抵抗……ダメだ。どうにもならない。ただでさえ頭の中がぐちゃぐちゃなのに、こんなの防ぎようがない……。



「全部殺しましょうハルト君。実力が不安ですか? 大丈夫、できます! 基のカタチが無くなるくらい強化してあげますから。それにあえて自我は殺しません。洗脳して誘導するだけにしておきます」



 ああ、もう。



「もしもできたなら、そうだなぁ。ご褒美に―――いつでもこの姿に『人化』してあげますよ? 任せてください、今度はちゃんと演技しますから! ハルカぁ、なんてね? はははははは!」





 もう、なんでもいい。

 怒りも湧かない。


 全部がどうでもいい。


 そう思うあたしの意思とは関係なく……真っ黒になった体が勝手に吠えた。



「アアアアアアァアアアアァアアアッ!!」



 まるで、抜け殻になったあたしの代わりに、泣いているみたいだった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



次回 黒から白へ


明日 8時ごろ更新予定

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