黒から白へ

第65話 プロローグ



「お母さんですか?」



 わたしがそう聞くと、あのひとは大きく目を開いて、ぽかんとしました。


 青い海のようにきらきらした瞳がこぼれ落ちそうで、もしも本当に落ちてくるならキャッチしないと……なんて考えてしまいます。


 誰もなにも言わないまま、何秒か時間が過ぎました。


 聞こえなかったのかな?

 もういちど訊いてみよう。



「お母さんですか?」


「………………え」


「おら、聞かれてるぜ青龍。答えてやれよ」


「わたしの、お母さんですか?」


「ええ?」


「ひょっとしてマジでそうなの?」


「ちっ……ちぃ、違うわ! 妾にこんな幼い仔などおらん! 紫龍だって産んだのは20000年も前だぞ! スパルタカス、なんだこの仔は!」



 お母さんではありませんでした。

 そうだったら良かったのに……。


 青い女のひとは、お父さんを指さして大きな声を出します。

 きれいな音。鈴みたい。



「一昨日くらいか、なんか生け贄にされそうだったから拾った」



 4日前です。



「生け贄!? まだそのような事をする愚か者が……。この間言って聞かせたばかりなのに……」


「緑龍の眷属っぽかったぜ? 体から草ぁ生やしてたしよ」


「……馬鹿息子め……その、龍の仔は?」


「斬った」


「貴様っ」


「当たり前だろ。俺ァ『戦神』だぜ? 強くなるために生きてんだ。龍とやる機会なんか逃すわけねぇよ」


「妾がこうして相手をしておろうが! 何も殺すことは……」


「そいつは感謝してるがよ。お前には勝てねぇんだもん。修行しなきゃどうにもなんねぇだろ? 手頃な相手だったぜ」


「……そんな理由で生き物を殺すな……」



 青い女のひとはぎゅっと目を瞑って悲しそうです。

 泣かないで欲しいと思います。こんなにきれいな人なのに。お父さんは意地悪です。


 悲しい時は頭をよしよしすると良いです。

 わたしがやってあげよう。背伸びしたら手が届くかな。

 

 近づいていくと、あのひとはまた「ぎょっ」としました。



「なっ……なんだ。どうしたのだ」


「いいこ、いいこ」


「慰めてくれるってよ。この間まで酷ぇ目に遭ってたってのに、心の綺麗なガキだぜ」


「そんな仔を殺し合いの場に連れてくる奴があるか!」


「待ってろって言ったんだけどなぁ。勝手について来るんだよ」


「拾ったのなら責任を持って育てろ!」


「嫌だね面倒くせぇ。あ、なんならお前が引き取るか?」


「貴様と言う奴は……人と龍が共に暮らせるわけがないだろう! ましてやこんな、幼い仔など……」


「そう言う割に夢中じゃねぇか。コイツ、可愛いもんなァ。遠慮すんなよ。お母さんになっちまえ」


「だから、無責任なことを言うな!」



 悪ぶっているけど、お父さんは口だけです。

 わたしにも「ついてくるな殺すぞ」なんて言うけれど、ぶたないしご飯もくれるし、寝る時に背中に抱きついても怒りません。

 村のひとは、「汚いいけにえ」のわたしがそんなことをしたら悲鳴をあげるでしょう。はな血が出るまで叩くでしょう。


 お父さんはやさしいと思います。


 今も、青いひとに向かって剣を抜いたりはしません。

 このままわたしがひっついていれば、ケンカもしないのかな。



「なんてヤツだ……! 命を何だと思ってるんだ! 見所のある男だと思っていたのに。見損なうぞ!」


「へっ! うるせぇよ。んなことより青龍、さっき『殺し合いの場』って言ったよなァ。じゃあよぅ、今日という今日こそはきっちり決着がつくまでやり合うってことでいいんだな?」


「ふん。今の貴様には殺すほどの価値も無い。いつも通り半殺しだ」


「言うじゃねぇか、後悔すんなよクソドラゴン!」



 ううん、ちがうかな。

 ふたりともケンカをしているけど、ほんとに怒ってるようには見えません。村のひとがわたしを蹴飛ばすときは、もっとこわい顔でした。


 むしろ、楽しそう。

 遊びなら、わたしもまぜてほしいと思います。



「えっ? あ、こら! 妾の体によじ登るな、幼き人の仔よ!」


「いっしょにお父さんをたおしましょう。おー」


「いやむしろ邪魔をしておるが……?」


「はははは! いいぞフレイア! そのまま抑えてろ!」


「ああっ、貴様! この外道がぁ!」




 ◆




 目を覚まして、最悪の気分になりました。

 あまりの痛みに気を失っていたようです。

 神様のくせに恥ずかしい。


 でも、夢を見るなんて随分久しぶりです。あんなに楽しい時間なら、いっそ覚めないで欲しいと思います。

 起きて現実を実感した時、辛すぎるから。


 ……まあ、そんなわけに行かないことも充分承知ですが。



「おはようございます、人神さま」



 慇懃な態度で頭を下げる神官が側にいました。

 ひとの寝顔を観察していたの? 趣味が悪い。……いいえ、わたしが神だから遠慮したのでしょう。こういう所の距離感がうれしくない。

 その点、レイシアはやっぱりよく出来た子でした。


 ……文句ばかりもいけませんね。



『おはよう、人の子』


「本日の葬霊儀式についてですが……」


『申し訳ないんだけれど、明日に回して。今日はどうしてもやらなければならない事があるので』


「かしこまりました」



 この神官の距離感にも、いいところはあります。

 レイシアが今、わたしの側に居たら、きっとこの姿を見て文句を言うでしょう。止めようとするでしょう。あの子に泣かれるとわたしも辛い。雰囲気がとても青龍さまに似ているから。


 彼女には、彼女にしかできない仕事をお願いします。

 しばらく、わたしからは遠ざかってもらう。


 そんな事を考えている間に、神官が部屋を出て行きました。


 それを確認して、わたしはやるべきことへと集中します。


 もう少し、もう少し。


 待っていて、お父さん。お母さん。


 必ず上手くいくから……。




 ◆




 冥神様に言われて、転生した俺が最初に居た場所……つまりローラたちと出会った森へと帰ることになった。なんでも、あそこは冥神様が、いやその前身である戦神様が『封じられた場所』なんだそうだ。


 何言ってんだと思った。

 神様が居るのは冥府のはずだ。現世の森じゃない。

 そう伝えたら、驚きの言葉が返って来る。


 冥府とは、この世界の地下に存在するらしい。


 俺はてっきり異次元とかにあるもんだと思っていたんだが、物理的に存在するのだそうだ。

 この森の地面を掘って掘って掘りまくると、やがて赤黒い岩盤に行き当たる。


 これが『冥鉄』だ。


 魂と魔力以外の全てを拒絶する鉱物。

 この世とあの世を分かつ境。

 目に見える死の淵。


 俺の冥府魔法にも同じ名前のモノがある。デカい石をポンと出現させるだけの魔法で、出した『冥鉄』をコントロールすることはできない。小さく削って弾丸のように飛ばしたりとか、地面から棘のように生やして攻撃とか、フラシアが得意としていた土系の自然魔法とは全然違う代物だ。


 それでも、デカ目に出現させて盾にしたり、空中に出現させて上から落としたり……など、使い道が全く無いわけじゃあないんだが……盾なら結界を張ればいいし、攻撃するならパンチか『冥火』でことたりる。


 あえて使う理由が無かったから、最初に試して以来放置してた魔法だ。

 だが、ここに来て意外な使用方法が明らかになる。



『「冥鉄」にはの、神性を込めることができるのじゃ。あれは祖龍の遺骨が変質して出来たものゆえ、血肉との相性も良い。祝福魔法で生み出せるのはあくまでもコピーなので、込められる神性の量は下がるが、機能そのものは変わらん』



 そして、『冥鉄』は『冥鉄』を弾かない。

 2つがぶつかると、すり抜けるのだそうだ。

 つまり……①俺が冥神さまの封じられた位置まで行って穴を掘り、②魔法の『冥鉄』に数々の神や龍から奪った神性を込め、③それを天然の『冥鉄』の上に落とせば……冥府に神性を送ることができるのだ。



『己のお陰で、予想外に信者を得ることができたからのォ。儂の力も回復してきとるんじゃが……ここで直接神性を補給できれば、さらに力を取り戻せる』



 それが、死神を救うために冥神様が頼んできた内容だった。

 集めた神性で、具体的に何をするのかは特に聞いてない。冥神様は「察してよ」なんてタイプじゃねぇ。話さないってことはそのつもりが無いってことだ。

 別に俺としては、何だろうと関係ねぇしな。

 眷属として、ただ求められたことをするだけだ。


 ただ、『冥鉄』の存在を知った時に、一度だけこっちから「これをぶっ壊せば冥神様の封印ってのも解けるんじゃないんですか?」と訊ねた。


 『冥鉄』越しに神性を送るなんてまどろっこしいことはせずに、直接復活して俺を使えばいい。


 死神を救いたいんなら、その方がいいんじゃないか。


 彼女……レイシアの国で信仰されている『人神』ってのがそれにあたるそうだが、そいつに冥神様が並々ならない感情を抱いているのは、少し話しただけでもよく分かる。

 会いたいという気持ちもあるはずだ。


 だが、答えは『……儂はもう戦神ではない。冥神じゃからの』という沈んだものだった。

 らしくねぇ。

 俺がフラシアにションベン引っかけられたのを爆笑していた神様なんだ。そんなテンションでいて欲しくない。


 どうにかしてやりたいが……。

 今の段階で踏み込み過ぎるのもどうかと思う。

 せめて、事情を話してくれるまでは待つべきだろう。


 『儂と青龍のためにすり減っていく』と言ってたよな。

 冥神様と、ローラから邪教扱いされていた死神。それから色の名前がついた龍か。


 ……全然想像つかねぇ。何となく、『戦』や『冥府』と『死』ってのは近いイメージが湧くんだが。戦神様が冥府に封じられたって神話と何か関わりがあんのかな。


 何があったんだろう。

 

 

 まあ、どんな事情があるにせよ、俺は最後まで冥神様の味方だ。

 もしも『死神』や『青龍』が敵だっていうんなら……。

 

 いや。考え過ぎるのもよくねぇか。

 




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


次回 1年後のローラ


明日 6時ごろ更新予定

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る