第32話 一方、都市では②





 俺は何のために生まれて来たんだろう。


 そんな事をもし問えば、鬼どもは「食材が余計なことを考えるな」とでも言うんだろうか。

 いや、それ以前に……そんな疑問自体を不思議がるかもしれない。「どうやって思いついたんだ?」ってな。


 実際、俺の周りにいる人間たちに考えごとをする奴なんか居なかった。


 生まれた時から家畜なんだから当たり前だ。狭い小屋の中で、何を思うでもなく飯を食い、腹一杯になったら眠る。それ以外は何もしない。

 日に数回やってくる鬼どもは、飯をくれるご主人様。中には愛情を注いで大切に育てようとしてくる鬼もいる。


 きっと、殺されるその瞬間まで、自分が「食われるかも」なんて想像はしないだろう。

 ある意味幸なのかもしれないな。

 俺だって本音では、自分がそうだったら良かったんじゃないのか、って少し思う。


 でもダメだ。


 俺には前世の記憶があるから。

 日本で両親や兄弟、友達と過ごして育んできた人格があってしまうから……この現状は辛い。毎日毎秒が耐えがたい。



「先生、先生」



 腕を引くウィルの声に振り返る。俺が生まれたあの薄汚い小屋、鬼どもが「牧場」と呼ぶ施設で出会った、小さな男の子だ。



「先生」


「どうした……ウィル」


 

 俺は別に、前世で教師をやってたワケじゃ無い。

 ただのフリーターだった。


 でも皆に先生と呼ばせた。言葉を教えた。周りが「あー」とか「うー」とかしか言わない環境に耐えられなかったからだ。

 物語を聞かせ、計算の概念を説明し、無垢な家畜たちから「すごい」と褒められる。その間だけは現実を忘れられた。


 明日には生きたまま逆さ吊りにされて、血を抜かれるかもしれない。

 そんな不安で潰れそうな中、許された唯一の娯楽だった。


 今はもう……やりたいとは思わない。


 俺の教え子で生きているのはウィルだけだ。

 後は皆食われてしまった。


 俺たちが言葉を話し、計算を理解できると知ると、鬼どもは一旦出荷を止めた。

 それまでは毎日一人は死んでいたのに、翌日になっても、一週間経っても誰も連れて行かれなかった。


 嬉しかった。

 この地獄を攻略する道が見えたんだ、と思った。

 俺は舞い上がって、同じ小屋に居る皆に色々と教えた。


 それが間違いで、自分は史上最低の大馬鹿野郎だったんだと知らされたのは、それから一年が経った日。

 一昨日のことだ。



『頭の良い角無しは脳味噌が美味なのです』

『時間と手間を掛けて教育を施し、計算までできるようになりました』

『では、当牧場において初! となる買い付けオークションを開催したいと思います!』

『一般の参加者も歓迎です、気になる個体がいれば是非、ご入札を!』



 なんて事はない。

 大量に売りさばかれる安物から、高級品に変わっただけのことだったのだ。

 しかも最悪なことに、俺が一年掛けて教育した皆には、自我が芽生えていた。

 自分が食われるということ、それに対する恐怖、鬼どもへの敵愾心……「いつか皆で脱出しよう」という淡い希望。


 全部俺が教えたことだ。


 それを知ったせいで……皆は散々苦しみながら連れて行かれた。

 


「あのね、先生。おに、帰ってきたよ」



 ああ、いよいよ俺たちの番か。

 オークションで俺たちを買って行ったのは、小学生くらいに見える銀髪碧眼の美少女だった。

 どうやら吸血鬼らしい。一見すると分からないが、口を開くと人間じゃないと分かる。耳まで裂けていて、注射針みたいな歯がずらっと並んでいるのだ。

 ファンタジーな世界だもんな。

 きっとアレで血を吸われるんだろう。


 いや……どうやって死ぬかなんてどうでもいいか。


 もうさっさと殺してくれ。

 ウィルに先生と呼ばれるのも辛いんだ。


 この現実から早く逃げたいのに、入れられた檻に頭をぶつけて死ぬことも出来ない。見張りがいるからだ。緑色でブヨブヨの肌をした鬼。ゴブリンってやつかな。

 手足が枯れ枝みたいで、どうみても老いぼれなんだが、俺よりも力が強い。

 ずっと目蓋を閉じて寝ているのに、こっちが死のうとするといつの間にか止めに来る。



「おに、こっちくる。食べられちゃう」



 ウィルは生まれつき耳がいい。

 個人差の域ではなく、超能力と言えるレベルだ。この世界ではスキルと言うらしい。

 俺にも『信仰適性:S』という能力があるらしく、目を閉じると文字のイメージが頭に浮かんで来るのだが、肝心の使い方が分からない。

 毎晩神様へ必死に祈ってみたけど、何も起こらなかったしな。


 ……異世界転生って言葉くらいは、俺も聞いたことがあるんだ。

 詳しくはないけど、神様から凄い力を貰ってハーレムとかできるんじゃないのか?


 階段を降りる鬼の足音が、俺の耳にも聞こえた。

 縋るように腕に抱きつくウィル。彼にしてやれることが何も無い。



 ……なんで俺だけ、こんな……。


 


「お爺っ! こんなとこに居たの! わたしが帰ったんだから出迎えなさいよ!」



 バン、と音を立てて扉を蹴り開け、吸血鬼が部屋に入ってくる。

 やっぱりどう見ても少女にしか見えない。でも、あの細腕で大人の胴体を引きちぎったりするんだよな……。



「そりゃないぜ。コイツら見張ってろっつったのは、マルゼナお嬢じゃねェか―――って、どうしたんだよその格好?」



 老いたゴブリンが閉じていた目を見開いて溜め息を吐き、入り口の方を見て驚いた声を出した。

 確かに、吸血鬼の服はボロボロだ。

 車に轢かれでもしたんじゃないかってくらいの有様だった。



「……やられたのよ! 見りゃわかるでしょ!」


「やられたって何に。まさか、まァた他の十宝剣に喧嘩売ったのか?」


「違うわよ! 災獣よ災獣、出かける前に討伐しに行くって行ったじゃない!」


「災獣ゥ? いや聞いてねェな」


「言ったわよこの老いぼれ! ……っていうかお爺、まさかこの2日間、ずっとこの地下に居たわけ?」


「まァ、そりゃ。この屋敷で暇なのは俺しかいねェし、特に用事もねェんだからお嬢の指示を優先するさ。お陰でホレ、つまみ食いもされてねェだろ?」


「あー……もう! テキトーなんだか義理堅いんだかわっかんないんだから!」



 俺とウィルは顔を合わせた。

 オークションで見た時は、偉そうに余裕ぶっている印象だった吸血鬼の、あの慌てぶり。

 何か事件が起こっているのか。



「お爺は災獣の件、どこまで知ってるの」


「前線から引き戻されたギドモア総武長が下層線に行くってところまで。ああそういや、俺の弟子を2人、現地調査に割り当てるって言ってたか?」


「ええ。っていうか……一昨日、あの2人が私の所に報告しに来た時、お爺も居なかった? 確か部屋の隅っこで椅子に座ってたような……」


「憶えてねェな。寝てたかもしれん。それも忘れた」


「この耄碌ジジイ!」


「おいおい、まだ現役だぜ」


「嘘つくんじゃないわよ、100メートルも走れないくせに……じゃ、なくて! ああもう、緊急事態なのに調子狂う! 作った報告書を見せた方が早いか……」



 吸血鬼が虚空に手を突っ込む。

 超能力、いや。魔法って言うべきか。そこには穴としか表現できない歪みがあって、マジックのように手首から先が消えている。引き抜いた時には書類の束を持っていた。



「これ、読んで」



 それをゴブリンに手渡す。

 ここからじゃ、俺たちには何が書かれているのか見えない。



「増援の警備隊が全滅……あのギドモアが居て? 『ドゥリンダルナ』はどうしたんだ」


「さぁね。持っていったのは確か。でも、魔力震を検知してないそうだから、多分使う前に殺されたんだわ。……あの災獣ならそれができる」


「それほどか……。しかし、バカ弟子たちの話だけで、よくお嬢自ら動く気になれたな? 災獣と戦ってもいないんだろ、あの未熟者ども」


「もともと嫌な予感はしてたのよ、ゴライルの話を聞いた時から。転移で戻ってきた2人の様子も尋常じゃなかったしね」


「そこまで警戒して出向いたのに、負けちまったのか?」


「油断してたワケじゃないのよ。各方面に居た十宝剣を可能な限りスフィアで招集したし、わたし自身も本気で準備した」


「……は? ん? ちょっとまて、俺ァ耳が遠くなったか? 十宝剣を招集って聞こえたんだが、お嬢、負けたんだよな?」


「集めたの。前線でミフストルを睨んでる2人以外全員ね。で……負けたのよ」


「おいおい、そりゃあ……全然話が違ってくるぞ。俺ァてっきり、お嬢が1人で行って負けたのかと……」



 『ジュッポウケン』も『サイジュウ』も何かは分からないが、鬼どもが大打撃を受けたらしいことは理解できた。

 ドクン、と心臓が跳ねる。

 恐怖以外では久しぶりのことだ。



「いや、信じられねェ。6人も揃ってどうやったら負けられるんだ。『千里眼』なんか未来が見えるんだろ」


「そうね。わたしもまず、『千里眼』に未来を見てもらったわ。災獣は、街道沿いの村を襲いながらこの街を目指してるらしかった。未来視によれば、わたしたちは街を守るために戦って、結果全滅」


「街の人間も、十宝剣もまとめてか」


「そうよ。この時点で、全員本気になってた。『一夜城』が防衛拠点を街道から逸れた場所に用意して、『蜃気楼』の幻影でそこにおびき寄せる。皆、未来を変えたくて必死だった」


「…………」


「わたしと『龍殺し』、『極光』が前衛。残りの3人は攪乱に回る。これ以上無い戦術を立ててから、もう一度『千里眼』に見てもらったわ。何度も何度も、勝てる未来を探してもらった。でも―――」


「見えなかったのか」


「結局ね。その後は、もうボロボロ。2日間、おびき寄せては迎え撃って、色んな場所を転々としながら精一杯戦ったけど……わたし以外、5人とも死んだわ。傷一つ付けられなかった。再生能力だけが売りのわたし1人じゃ、何もできなくて……」


「お嬢……」

 

「最後なんか、向こうがわたしに興味を無くしてね。何をしても無視されて、わたしはどこかの村のゴブリンが、無残に食べられているのを眺めているしかなかった」



 吸血鬼がうなだれる。

 その姿が、あまりにも人間臭くて寒気がする。


 こんなにも仲間想いで、見た目が同じで、言葉だって通じるのに。

 連中には、俺たちの命乞いが届かない。それが何より恐ろしい。 



「あの戦いで一つだけ戦果があるとすれば、災獣をこの街から離せたこと、かしらね……他が襲われてるワケだから、何の慰めにもならないけど」


「もう一つ良かったことがあるじゃねェか。お嬢が生き残った」


「…………」


「お嬢は『不滅のマルゼナ』だぜ。十宝剣最強の女だ。望みはまだある。だろ?」


「そうね。そうだわ。……お爺。さっきの話はウジウジした後悔じゃないのよ。反省。わたしはこの結果を、絶対に次で活かす」


「おっと、余計だったかァ? さすが不撓不屈のヴァンプ姫。ただのホブゴブリンが意見するべきお方じゃねェな」


「いいわ、今はお爺がからかってくれるぐらいで良い。わたしの国が戦争でも何でもなく、獣に滅ぼされるなんてあってたまるもんですか……!」



 滅びる。

 この鬼の国が……。

 実際どうなのかは分からない。でも、そういう例えを真剣な顔で話すくらいのことは起きているんだ。

 「先生」とウィルが俺の腕を引いた。久しぶりに彼の笑顔を見た。

 俺は最後に残った教え子を、弟のように思ってきたその小さな体を、そっと抱きしめる。


 もしかしたら。

 もしかしたら……。



「とりあえず、最初の手を打つわよ。お爺、檻から家畜を出して」



 ―――ああ。

 くそ。



「……何に使うってんだ? 中にはガキしか入ってねェぞ」


「負けはしたけど、今回戦ってアイツのことが少しだけ分かったの。弱点と言えるかはまだ分からないけど……試せることは全部試す」


「へぇ。それってのは?」


「食べ物への執着よ。あの獣、異常な食欲をしているみたい。いくら効かないからって、わたしを無視して住民の方を襲い始めるのは不自然だもの……。明らかに自分の体積以上を食べていた様子だったし、あの冗談みたいなタフネスも、もしかしたら食事に由来する何らかのスキルかもしれない……」


「じゃあお嬢、つまりこのガキどもを」


「ええ、毒を塗りつけて災獣に食わせる。それで倒せるなんて思わない。でも、何か次に繋がるヒントが得られるかも……」


「お嬢。そいつァ」


「反対なんでしょ。お爺は家畜に優しいから。……でもダメ。そんなことを言ってる場合じゃ無い」


「事はお嬢の風聞にも関わるぜ。うるせェ愛護団体の目に付いたら、総軍長の立場だって危うい」


「今後なんてどうでもいいの。お爺。あの災獣との戦いは、大げさでもなんでもなく、『サザンゲート宝神国』の存亡を賭けたものになるわ。使えるものはなんだって使う。最悪の時は……神王陛下にお出まし頂かなきゃならないかも」


「俺が行ってバッサリ斬って来ようか?」


「記憶も定かじゃない枯れ枝が何言ってんのよ! お爺の全盛期なんて10年も前でしょ! いいから早く準備して!」




 腕の中で、ウィルが震えている。

 俺は自分もそうならないよう、彼の体を一層強く抱き寄せた。


 ふざけんな。またかよ!

 また、少しだけ希望を見せて、叩き落とすのかよ。


 神様なんてクソ食らえだ。何が『信仰適性:S』だ。


 本当にそんな能力があるってんなら、救ってくれよ。

 一度くらい、今くらい俺の願いを聞き届けてくれよ!

 

 お願いだ。

 ウィルだけでもいいから……。



 



 

 

 

 

 

 

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