剣技神髄
第28話 下層線
「ったくよぉ、何でオレ様たちがこんな所まで来なきゃならねんだ?」
「仕方ないだろ」
「どこがだよ! こっちはクソチビのゴブリン共が担当する場所だろーが!!」
はぁ。
態度と声のでかいバカと組まされるのは本当に疲れる。
ただでさえ人手不足で8連勤してるのに。しかも今からやるのはとびきり危ない任務ときてる。ホント、なんだってこんな体力だけが取り柄の脳無しをあてがうんだ。
あのクソ上司、僕になんか恨みあんのかな。
「オレ様は先月の武闘大会で27位だったんだぞ!?」
「僕が8位だったやつな。それがどうした?」
「……強いだけじゃない。マルゼナ様にだって目を掛けられてるんだ。お前、あの方からにっこり笑いかけられたことがあるか? ないだろ! オレ様はなぁ、あの方のお気に入りなんだ。本来はこんな下層線に行かされるような身分じゃねーんだよ!」
お前を下層線に派遣するって決めたのは、そのマルゼナ様だっつーの。
それに、あの女が「にっこり」笑いかける時ってのは、大抵こっちを見下してる時だ。何百年も生きるヴァンプだから、僕たちみたいな若いオーガなんて赤ん坊にでも見えるんだろうさ。
歳食ってるからって性格が良いとは限らないってことだ。
見た目が良いからコイツみたいなバカは騙されるんだろうけど。
僕は嫌いだ、あんな魔女。
クソ上司だ。
「なぁ、どう思う? なんで愛しのオレ様がこんな目に合ってるのに、マルゼナ様は何も言わないんだろう?」
付き合わなきゃダメか? この会話。
「なぁって。無視すんなよ」
「……こんな目、ってことはないだろ。下層線の警備は今、最も重要な仕事だぜ。逆に期待されてるんじゃねーの? お前に任せりゃ間違いない、ってさ」
「でもゴブリンがやるような役目じゃねーか」
「そうやって見下すのやめろよな。悪いクセだぞ。同じ国の仲間なんだから」
「仲間ぁ!? 嘘だろ!? だってあいつら、角無しを抱くんだぜ!? しかも野生のをわざわざ捕まえて! 野生の角無しってつまり、牧場で買われている家畜と同じ種類の生き物だろ。食い物を犯すような連中と一緒なんて耐えられねぇよ!」
「厳密には違うって話だぞ。野生と家畜は」
「細けぇこたどーでもいいんだよ! とにかく気持ち悪ぃって話!」
お前の大好きなマルゼナ様だって見た目は大して変わらないだろ。
……とは、口に出さない。絶対地雷だから。
角無しか。
僕も野生のは見たことがない。
でもまあ、大抵のオーガは嫌だろうな。角無しの魔力って、旨そうには見えても性的に興奮する感じじゃないし。
ただ僕は一回、牧場産のを酔った勢いでヤったことがあんだよなぁ。
刺身にするつもりで生きたのを買って来た時に、ムラっときて犯してしまった。
痩せ気味のオスだったけど、意外と良かった気がする。まあ、あえてオーガやヴァンプじゃなくて角無しを選ぶ理由は無いけどな……。
やっぱ角無しは食ってナンボだ。
あー……そうだ。
今日こそ非番だと思って、朝に冷凍庫からアタマを出しといたんだった。
もう解凍できてるよなぁ。ここから1日放置してたら腐るかな。
ちゃんと「計算ができるように育てた」って触れ込みの、極上脳味噌だったのに……。
牧場で直接買い付けたから高かったんだぞ。
何か腹立ってきた。
クソ、やっぱマルゼナは嫌いだ。あのクソ上司!
「おい、何を黙りこくってんだよ」
「あ、悪い。なんだっけ?」
「だからぁ、なんでオレ様が下層線なんかに出向かなきゃならねーのかって話だよ!」
「人手不足だからだろ」
「だったら尚のことゴブリンの出番じゃねーか! あいつら数しか取り柄ねんだからよ!」
また偏見かよ。ウンザリさせるな、このバカ。
僕が説明しなきゃダメか? 面倒なんだけど。
こいつだって僕と同じように説明を受けたはずなのに。
でも……何も知らないで手を抜かれる方が面倒か。
命に関わるわけだからな。
仕方ない。
「そのゴブリンが居ないんだよ」
「ああ!? だってその辺に掃いて捨てるほど―――」
「だから居ねェんだって言ってんだろ。いいから聞けバカ」
「……なんだよ、オレ様を睨むなよ」
溜め息が出る。
でもきちんと説明してやらなきゃならない。
2週間前に起きた魔力震の件はさすがにこのバカも知っていた。まあ、あのとき発生した獣どもの討伐に、僕たちも参加してたからな。情報を仕入れたというより、成り行きで聞いただけだろうが。
発震源がゴブリンたちの住む方角だったので、調査に関してはゴブリン族に一任された。今の族長……確かゴライルだったかな。その人主導で調査した結果、魔力震の原因は自然現象じゃなく、一頭の『災獣』だったらしいと判明した。
魔力震の規模からいって相当危険な存在だ。
それだけなら「触らぬ神になんとやら」と言って放っておくところだが……最悪なことに、ソイツは戦争の準備をするのに必要な施設に居座っていた。
ゴライルはやむなく、討伐隊を差し向けたそうだ。
編成されたのは、後で僕が数人分の名前を聞いただけでも、「そこまでするか?」と思えるくらいのメンバーだった。
僕たちと同じ闘技大会に出て、ゴブリン族で唯一入賞した『龍堕ろし』。入賞こそ逃したがバカより上の13位だった『百環剣』。
そして何より、神王陛下から特別製の魔剣を下賜された、『十宝剣』の1人『時渡り』。
巷じゃ「ゴブリン詐欺」と呼ばれている指折りの強者だ。
この3人と同時に戦ったら、その辺のオーガじゃ勝ち目がない。25歳を超えてても1人だったらボコボコにされるだろう。僕なら土下座一択だ。
そんな連中に、決闘協会所属のゴブリンを根こそぎ加え、最上位進化を遂げた
誰1人失敗なんか想像してなかった。
クソ上司なんて、「あンの雑魚チビ、できんだったら普段の戦争でも
まぁ、そのくらい楽観視されていたわけだ。
しかし―――そんな過剰戦力の討伐隊は、誰1人帰って来なかった。
「んな事は知ってるよ。噂が言い過ぎで、『百環剣』も『龍堕ろし』もしょせんはただのゴブリンだったって話だろ」
お前、闘技大会で『百環剣』に泣かされてただろうが。
普段は散々オラついてんのに、ああいう時だけ「か弱い女性なんです」ってアピールすんの、みんなドン引きだからやめた方がいいぞ。
……言わない方がいいな、これも。
「で、その事件とオレ様の不当な扱いになんか関係あんのか?」
「お前の扱いには関係ない。でも僕たちが下層線に派遣されたことには関係ある」
「何が、どうだよ。死んだのはゴブリンの中でも上澄みの一部だろ? 別に下層線の警備には関係ないじゃんか」
「上澄みだけ、だったのは4日前までの話だ」
「はぁ?」
「だから、死んでるんだよ。下層線に配属されたゴブリンが。この4日で3000人近く」
「……はぁ?」
話している間に、到着しちまった。
僕たちの目の前……と言うにはまだ遠いが、前方には視界いっぱいに広がる巨大な壁が見えている。
あれが下層線だ。
大昔にどこかの神様が造ったという、獣と人類の領域を分ける境界線。壁といっても人工物で出来ているわけじゃない。材質は全て『生きた世界樹』であり、何千本もある木の幹や枝が複雑に絡み合って壁を形作っているのだ。
本当にでっかいな。
2週間前にも見たばかりだが、溜め息が漏れそうだ。
上層線も造りは同じだが、こっちの方が何倍もでかい。今は、魔力震の時に発生した獣の襲撃によってあちこちに穴が開いているが、それも徐々に塞がっていくという。
神様の造るもんってのはどうしてこう、壮大なのか。
「おい。お前の建造物フェチに付き合う気はねーぞ。さっきの続きを説明しろよ。下層線でゴブリンが何人死んだって? 30人?」
「3000人だ」
「ばっ、お前嘘だろ!? 大事件じゃんか!」
「だからずぅっとそう言ってんだろ!」
このバカ、ようやく追いつきやがった。
「正確には、生死不明の失踪だけどな。4日前から、下層線へ派遣されたゴブリンが全員帰ってこなくなったらしい」
様子を見に行ったゴブリンも、異常を察して向かった警備兵も戻らない。人数を増やして派遣しても、誰1人、連絡さえつかなかった。
ついには
この事実と、さっきの『災獣』の存在を結びつけたゴブリンの上層部は、とんでもないパニックになったらしい。「こちらから手を出さなければ大丈夫」って神王陛下に報告を上げた直後だったから尚更だ。
でも当然、この事態がバケモノの仕業だって決まったわけじゃない。
何せ目撃者の1人も居ないんだからな。
そこで、ゴブリンよりも強い兵士を現地の調査に向かわせよう、って話になったわけだ。
「このままのペースでゴブリンが減り続けると、一ヶ月もしないで国が回らなくなる。つーかすでに経済がヤバい。下層線で起きている異常は、今の内に収めとかないと国家の危機なんだよ」
「……」
「分かったろ? これはオーガの中でも超優秀な者だけに与えられる最重要任務なんだって。お前、マルゼナ様から期待されまくってるぞ。良かったな」
「………………」
あらら、シャットダウンしちまった? 白目剥いてるよ。
気づいてるかなぁ、こいつ。
この任務が
片方がやられている間に、もう1人が情報を持ち帰るためなんだけど。
もちろん、僕は持ち帰る側に回るつもりだぜ。
家に帰って角無しの脳味噌で一杯やるまでは死ねないからな。
「なぁ、この任務ってオレ様たち2人だけでやってんの?」
「何言ってんだ、んなワケねーだろ。他にも調査員はいるし、下層線の警備だって怠るわけにはいかねーんだから……結構な人数がいるはずだぜ。特に今は壁が穴だらけで獣が入りやすいからな、本来のゴブリン兵だって派遣されてるだろ」
「本当か? でもすぐやられちまうんじゃ……」
「今度は先輩方が一緒についてるらしいぜ。さすがにやられはしねぇだろ」
僕たちオーガはゴブリンのように進化できないし、子供も出来にくい。
だけどその代わり、誰でも『無限成長』ってスキルを生まれつき所持している。
死なない限り永遠にステータスが伸び続け、100歳を超えたオーガは例外なく神様に成る資格を得られるという、最高のスキルだ。
まあ平均寿命が55歳なんで、神様になれる奴なんて神話にしか出てこないけど……それでも、40歳以上の先輩方なんて異次元の強さだ。
闘技大会出場禁止だからな。
僕たちみたいな20代のオーガとは別の生き物と言っていい。
「普段はミフストルとの国境に駐在してる精鋭が、ゴブリン100人につき1人ついてるんだと。それが50組もいるって話だ。こんなもん獣が突破できるワケないだろ?」
「そりゃオレ様もそう思うけどさぁ……でも……」
「たぶん、災獣も先輩方は避けるはずだ。僕たちの役目は、先輩方の配置されている警備拠点の間を調べて、もし獣を発見したら、近くの拠点まで連れて行くこと。言っとくけど、お前が噛みつかれたらその間に僕は逃げるからな」
「そうじゃなくてよぉ」
「なんだよさっきから! 情けねぇ顔しやがって」
「何か静か過ぎねぇか……?」
えっ?
「たくさん人がいるにしては。さっきからオレ様とお前の声しかしないよ」
ぶわっと、急に風が吹いた。
「カロロロロ」
出来の悪い笛のおもちゃみたいな音がする。
背後から。
生暖かい息と、濃厚な血の臭いが漂ってくる。
それで分かった。
さっきのは―――ただの風じゃない。
目で追えないくらいのスピードで、何かが僕たちの頭上を飛び越えたのだ。
大きくて、重くて、何千人分もの血の臭いをこびりつけた、何かが。
「グルルル」
ああ、背中で鼻を動かす音がする。
嗅がれている。品定めされているみたいだ。
食えるかどうか、旨いかどうか。
僕は必死に祈った。
宝神様じゃない。背後の獣に向かってだ。
自分が、この生き物にとって美味しい肉じゃありませんように。どうか見逃してもらえますように。
走って逃げるなんて冗談じゃない。
そんな勇気は僕には無い。
足が震えて動けなかった。
「あ……ぁ、ああ……」
隣でバカが、セリーヌが座り込むのを感じた。嗚咽を漏らして泣いている。きっと立ってられなかったんだろう。獣の意識がそっちに向く。僕も涙が零れてきた。アイツが食われている間にこの足が動くかどうか……。
ダメだな。無理だ。
一歩だって踏み出せやしない。
死ぬのか、僕は。
こんなところで……剣士としてもろくな者になれないまま、獣のエサになって。
嫌だ。
嫌だ。
そんなのは絶対に嫌だ!
そう強く思った時には、自然と体が動いていた。
どうせ死ぬなら、逃げられないなら……せめて一太刀。ダメで元々。
剣士として、最後に刀を振って死にたい。
自分にこんな想いがあるなんて知らなかった。
こんなにも熱く、激しい剣士としての情熱があったのだ。
今なら何でもできる気がする。
僕は決意を固め、恐怖を振り払い、腰の刀に手を掛け―――それを抜くことは出来なかった。
災獣を斬るべく振り返った瞬間。
光るように白く美しい毛皮を目の端に捉えたところで、生涯最大の覚醒も虚しく。
あっさりと、僕の意識は途切れてしまった。
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