第27話 始まりの英雄
キィロが死んだ。
幼少の頃から私を育ててくれた恩師だった。ヴァンプやオーガで言うところの親に近しい存在だと思う。
ゴブリン族の支配者として必要な知識を教わり、間違えそうになれば導いてもらった。成長してからは、『
部下であり、友であり、信頼のおける、私の目標だった。
『あぁああぁあああァアァアアァ!! 消える、思い出が! 想いが! わ……私が! アアアアァア、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、いかないで、ゴライル様、お助けください! 宝神さま……いや、いや……だ あ、やめ てええ ああ』
送られてきた映像は、とても現実とは思えないほどの、地獄だった。
キィロは最後の力を振り絞って、私に、ゴブリン族全体に―――アレがいかなる存在かを教えてくれた。
何だあの魔法は。あんなもの知らない。あんな悍ましいものを『祝福』と宣う神がいると言うのか?
いるとしたらそれは……この世のものじゃない。
青い炎のようなものに巻かれ、しかし燃えることもなく、見る限り傷一つ無いのにあの苦しみよう。
恐ろしい。
何をされているのか、分析することさえ頭が拒否している。
政を預かる身なら、どんな時でも、それこそ身内が死んだ時でも冷静であれ。
そう言って実践してきたキィロが。
あのような。
映像には、白い獣の姿が映っていた。
アレが件の災獣だ。外見だけは美しく、まさに災いという言葉がふさわしい。武才などない私でも、いや。戦う力がないからこそ……アレが有する絶対的な暴力に寒気がする。
勝てない。
戦ってはいけない。
直感でそう思った。
理屈の上でも、
「神王陛下に……宝神様にご報告しなければ」
責任を取る。
為政者たる私にできるのはそれだけだ。
まずは災獣を討伐するべく発していた指令を全て解除する。
あの映像で得た唯一の朗報は、災獣が角無しに飼われる生き物だったということだ。
角無しどもの目的は、世界樹の伐採と土地の開墾だと判明している。
であれば、いきなり下層線を超えてくることはない。野生の存在でないのなら、少なくとも無軌道に暴れることはないはずだ。つまりあの災いは、こちらから手を出さなければ回避できる類いのものだったのだ。
「産兵は諦めるしかない。ミフストルへの侵攻計画そのものがご破算になるかもしれん。お叱り……で済めばよいがな」
希望的観測だ。私1人の責任では済むまい。ゴブリン族全体に、何らかの罰が下るだろう。
ただでさえ弱い種族の立場がさらに下がる。
私の名前は、愚か者として歴史に刻まれるだろうな。
「すまない……ゴスメル、キィロ」
私は無能だ。
◆
窓を開け放つ。
森にはない、色々な匂いが混じった空気が優しく吹き込んで来る。
1ヶ月ぶりに帰った私の部屋は、家を出る前と変わらず綺麗だった。
幼い頃から一緒だったメイドが、毎日掃除してくれていたらしい。馬車から降りて門扉を潜った時、使用人の皆が喜んでくれたけど、あの娘だけは不機嫌だった。
「だってローラ様、わたしを置いて行くんですもの」
そう言って頬を膨らませる彼女の機嫌を取るのが大変だった。
昔、舞踏会で丈の長いドレスを着るのを嫌がった時もむくれていたな。なんだか日常に戻って来た実感が湧いて、私は声を出して笑った。
すっかり着方を忘れてしまっていた私邸用のドレスを、メイドに文句を言われながら着させて貰っていると、「コンコン」と部屋の扉を叩く音がする。
「入っていいかな?」
兄上の声だ。
出迎えの時にはいなかったけど、お仕事から帰って来たのだ。
「どうぞ!」
「ああっ、ローラ様、まだダメ! リックレイ様、開けないでください!」
そんなやり取りを挟んで、久しぶりに兄上と対面する。
嬉しくて思わず抱きつくと、背後からメイドの溜め息が聞こえた。
久しぶりに嗅ぐ兄上の香り。鉄と土と、空を行く太陽の匂い。今日も我が家のグリフィン、『スルト』に乗って騎士の責務を果たして来たのだ。
自分のことではないのに、誇らしさがこみ上げてくる。
私は兄上が大好きだった。
「元気そうだね」
「はい!」
「良かった。急いで帰ってきたんだけど、出迎えには間に合わなかったな。馬車から降りるリリィが見たかったのに」
「兄上! また私をリリィと呼びましたね。もう成人しているのに」
「はは、ごめんね。僕の中ではいつまでも可愛いリリィだからさ。気を付けているんだけど、久しぶりだからつい、ね」
「もう!」
「ふふふ、そのふくれた顔も見たかったんだ」
またメイドの溜め息が聞こえた。
でも今度は呆れた時のものじゃない。彼女は兄上が笑っているのを見ると幸せになるらしい。「ローラ様に見せるお顔は犯罪ですよ」とよく耳まで真っ赤にして話している。
まあ、兄上は素敵だからな。彼女がやられるのも仕方ない。
「そうだ。それよりもローラ、医神様の神殿には行ったかな? ゴブリンに囚われたと聞いて心配だったんだよ」
「行きました。でも治療は受けていません」
「それは……もしかて……」
兄上が辛そうに顔を歪めた。
我が国の女性騎士は、冒険領域の境を警備する前に、医神様の神殿で純潔を守る祝福を掛けてもらうことになっている。ゴブリンなどの魔獣に対するための術式で、これを受けていないと任務に着くことはできない。
けれど、私は祝福を受ける前に家を飛び出してしまった。
そしてそのまま、ろくに考えもせず辺境に向かった。
だからゴブリンに捕らえられた時の絶望は凄かった。市民を守ろうと決意はしていても、いざという時には涙が出た。
でも……。
「いいえ兄上、私はゴブリンの仔など宿していません。それどころか、体に一切穢れさえ無いのです。共に捕まった者の中に神官が……とても優秀で、心優しい神官がいて。彼女が守ってくれました」
レイシアの結界魔法だ。肌の上に透明な膜を張ることで、暴力を受けた際の実害を防いでくれる。
我が国の主神たる医神様とは全然違う方法だけど、彼女のお陰で結局私たちの中にゴブリンの仔を宿した者はいなかった。
……そうだ。
思えばあの時から、心の底では分かっていた。レイシアとフラシアを『人の神を騙るもの』を崇める邪教徒だ、なんて呼べるわけがないのだ。
ただ……生まれた国が、信じる神が違うだけ。
私から見て、あの2人はまさに聖職者だった。
「その神官というのは―――いや。そうなんだね。ローラを守ってくれたと言うなら、我が家としてもお礼を差し上げないといけないな」
「兄上……」
「ああ、変な意味じゃないよ? 実はね。僕はさっきまでエゼルウスの担当官と会談していたんだ。冒険者ギルドの副長に立ち会ってもらってね。今回のことで……お互いの国のバカがやらかした被害を、穴埋めするために」
確か、別れ際にタルキスが両国との会談を設けるって言ってたな。
我が国の担当は、兄上だったのか。
「そこで、今後は無意味な争いは避けて、冒険者ギルドの支援をしっかりやっていこうという事になったんだよ」
「えっ……本当ですか!」
「ああ。正式な場でのやりとりはまだだけど。これからしばらく、ウチとエゼルウスは友好国だ。だからローラに向こうの国の友達ができたとしても、何も問題は無いんだよ」
さすがだ。やっぱり兄上はあの
私のようにレイシアと話したわけでもないのに、あの国への偏見なんか無いんだ。戦争になったら、飛空騎士団のトップとして真っ先に戦う立場なのに。
すごい。
「詳しくは、夕食の時に話そう。今日はローラの好物ばかりだそうだよ」
「本当ですか!」
「ああ。父上が張り切ってね。できれば……そのうち父上を許してあげてくれると嬉しいんだけど」
「嫌です。父上はあのバカの言うことを信じました。兄上や母上は私を信じてくださったのに」
「それについては後悔してると言ってたよ」
「私が市民に手を上げるわけないでしょう!? 百歩譲って決闘ならともかく、陰湿な虐めなんて……! 父上は私を信頼してくださらないのです」
「ああ……本当に反省してたのに。泣くだろうなぁ、父上……」
その後の夕食で、父上は本当に顔をくしゃくしゃにしながら謝って来たけど、許してやらなかった。
別に怒っていたわけではない。反省の気持ちは伝わって来たし。
ただ、こうしていた方が後々いいと思ったのだ。
あっさり許して次の縁談でも持ってこられたらたまらない。
ドミスたちと約束した日は一ヶ月後だ。
その時になって反対されないよう、ここは父上に貸しを作ったままにしておく。
私には、夢ができたのだ。
◆
夕食の後、庭で訓練をしている兄上を訊ねた。
我が家が王家から下賜されたグリフィン、『スルト』も一緒だ。
猛禽の頭と翼に、獣の四肢。雄々しいスルトに乗って空を駆る兄上は、本当にかっこいい。ふたりは深くお互いを信頼していて、「どんな友よりも頼もしい」と兄上は言う。スルトも、他の人に毛繕いされるのを嫌うほどだ。
幼い頃から、私もグリフィンが欲しかった。
騎士としてグリフィンに乗るのが許されるのは家長だけだから、私はスルトに乗ることはできない。いや、できたとしても、兄上ほどの信頼は築けないだろう。
一騎一獣。
生涯で、1人の騎士がこれと言える騎獣に出会う確率は、一度しかない。そういう意味の諺だ。それは獣の側にも言えることだという。
兄上は、スルトと運命を結んだ。
私も自分の相棒が欲しい。
相手はもう、決めている。
「おや、そんな所でどうしたんだい? ローラ」
「兄上。騎獣と絆を結ぶには、どうすればいいのですか?」
「ずいぶんと唐突だね。馬でよければ見繕おうか」
「違います。魔獣がいいのです。大きくて、美しくて、地面を飛ぶように走ることのできる肉食の獣が」
「それは……例の、ゴーストだったっけ? でも確か、冒険者ギルドで討伐難易度SSランクに指定されたはずじゃ」
「もう、決めましたから」
私が言い切ると、兄上は一瞬目を丸くして驚いた。
それからフッと笑い、「父上もこんな気分だったのかな」と呟いた。
「つまり、ローラ。君は冒険者を……それもSランクを目指すということかな」
次に私を見た時には、普段の優しげな笑顔は消えている。
戦場での顔。飛空騎士団団長としての表情だ。
自然と背筋が伸びた。
大きく「はい」と答える。
兄上が頷いてくれた。
「いいかい、ローラ。魔獣を乗りこなすコツは一つだけだよ。強さを見せるんだ」
「強さ、ですか」
「そうだ。何も、戦って勝てと言うんじゃない。『こいつが背にいた方が俺は強い』。そう思わせることだ。魔獣は己の強さに固執する。足手まといを認めることは決して無い」
言葉が刺さるようだった。
私は、ゴーストを駆るのに相応しい強さがあったのか?
否だ。決してない。
騎乗スキルがあったから乗れただけだ。魔法に怯え、背中にしがみつくのに必死で、ほとんど槍も振るえなかった。
恥ずかしい。
あのザマで騎獣になってくれと言っていたのか、私は。
それじゃあ「どうか守ってください」とすり寄るのと一緒じゃないか。
そんなの嫌だ。
私は、ゴーストとの絆が欲しいのだ。
「……分かったみたいだね。これだけで理解できるってことは……ローラ、君はあの森でよほど成長したみたいだ。うん。こうして見ると、見違えるようだよ」
「兄上、私に訓練をつけて下さいませんか。お忙しいとは思いますが、どうか」
「構わないよ。本気みたいだからね。騎士団のライカンを貸し出してあげよう。……期間は?」
「一ヶ月。その先は自力でやります」
「……厳しくなるよ。冗談じゃなく、本当に血を吐くことになる」
「お願いします!」
その後、兄上は「最初の試練だ」と言ってスルトに乗らせてくれた。
嫌がるスルトを騎乗スキルで何とか制御して、空に昇る。学園の訓練で乗った馬とはまるで違う、荒々しい背中。
ゴーストもそうだった。
それでも鞍さえ使わずに乗れたのは、私が乗りこなしていたからじゃない。
彼が気を遣ってくれていたのだ。あの、言葉を話す強大なゴブリンと戦っている時でさえ、本気を出さずにいてくれたのだ。
悔しかった。
それと同時に、心が踊った。
いつかあの背中に乗りながら、万余の敵を打ち砕く。そんな想像を止められなかった。
「おーい、ローラ! あまり高く昇ると、落ちたとき危ないよ!」
「大丈夫です!」
頭上には満天の星がある。
それを目指して空を駆ける。
あのとき、夜の森には、世界樹のもたらす赤い光が満ちていた。どうしてもそれが見たかった。
眼下を見下ろせば、活気に満ちた公爵領の町並み。遠くには村々が灯す篝火がゆらめき、その遥か向こうに―――炎のような輝きを放つ森が見える。
あそこで過ごした6日間を、私は生涯忘れないだろう。
見違えた、と兄上は言った。
その通りだ。
まるで生まれ変わったようだと、私自身もそう思う。
あれが、始まりだ。
美しくも優しい、それでいて残酷なまでに強力な獣。ゴーストとの出会い。あの瞬間が、私の始まりだったのだ。
一ヶ月後、私は再びあの森へ行く。
今度は騎士ではなく、冒険者として。
あの時の仲間たちと共に、Sランクを目指すのだ。
今に見ていろ、ゴースト。
私は強くなる。「ただのお前」を、「私が騎乗したお前」が打ち負かす日がきっと来る。
そうだ。
今は勝てない。でもいつか。
第一章 『始まりの英雄』 了
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