第26話 白虎と人間たちのドラマ
「見たことの無い種ですね。おそらく新発見の魔獣でしょう? それも、凄まじいの一言では済まされない、危険な力を持っている……」
タルキスの目が鋭く俺を睨んでいる。
正直、もういいかな、と思った。
ローラたちが1人も欠けることなく、脱出するところまでを見届ける。その力が今の俺にあるのかを確かめる。それが当初の目的だった。
『ワープ・スフィア』を拠点まで運んだことで、ほとんど達成されたと言っていいだろう。むしろこれからは、彼女らの周りでウロウロするより、ゴブリンどもを殺しに行く方が脱出の手助けになるはずだ。
どっちにしろ、本当にローラ騎獣やスゥンリャの従魔になるつもりなんて無いんだ。
今が本当の潮時、と言われればそうだろう。
「……ああ。そうだねぇ。その通りだ。そしてアンタも、あの子に命を救われた。違うかい? タルキス」
だが。
「確かに、私を殺そうとしたホブゴブリンをあの魔獣が仕留めた。それは事実です。しかし……それをもって安全だと言えますか? あの魔獣が人を襲わない保証は?」
「逆に言えないとでも言うつもりか。冒険者ギルドの幹部ともあろう者が、善良な魔獣とそうでないものの区別もつかんのか」
「ローラさん、でしたか。……私の部下を15人も殺したゴブリンは、人の言葉を話していましたよ。貴女もご覧になったでしょう? しかし、分かり合える気配など皆無でした。あの魔獣は言葉すら交わせない。それなのに何故『善良』かなど分かるのです?」
「下らんな。話にならん。騎士とは己の騎獣に命を預ける者のことだ。獣の心を見抜くのに会話が必要だと? なんてバカバカしい」
気がつくと、視界が塞がれていた。
スゥンリャが、小さな背中で俺を隠すように立っている。
「……タルキスさん。部下の皆さんの治療が終わりましたよ」
「ああ、レイシアさん。……すごい、見事に回復している。素晴らしい魔法の腕ですね、噂通りだ。感謝します」
「そう思われますか? ありがとうございます。ですが、私の魔法は兵士や冒険者などの職業に就かれている方々よりも優れているわけではありませんよ」
「謙遜でしょうか」
「いいえ、違います。私の魔法は確かに効果が高い。でも、その分時間が掛かるんです。今だって、ポーションで塞がれた傷を完治するのに何分も必要でした。……冒険領域と言われる森の中で、ただ私が居ても、大して役に立たないでしょう。治療の時間を確保してくれる存在がいなければ」
「何が仰りたいのかな」
「分からない? メガネかけてるのに。お姉ちゃんはこう言ってる。『ゴーストはわたし達の味方』。おねしょも隠してくれる」
それはしてねぇぞフラシア。
「では、つまり皆さんこう仰りたいのですか? あの魔獣は人間を害することはない、と。絶対的な味方である、と。あなた方も同様で?」
「そうです! あの子は私たちのために蟲を狩って来てくれました!」
「怖くて触れないけど……威嚇されたこととかありません!」
「あたしなんか昨日、目の前で転んじゃったけど、起こすのを手伝ってくれました! こう、頭でぐっと押して」
「ゴーストは優しいです!」
いつの間にか、俺の周りに村娘たちが集まっている。
スゥンリャのように触れるほど近くはない。だが、遠巻きにしているという程でもない。
タルキスから庇うように、俺の前に立っている。
……もう、この場を離れていいはずだ。
大半の娘は名前も知らない。次に会っても思い出せるかどうかも分からない。
だが。
それでも、この光景を覚えていようと思った。
俺はこれからゴブリンを殺しに行く。
根絶やしだ。人間のためじゃない。俺自身の矜持を守るために行うことだ。
山ほどの血を浴び、肉を食らうだろう。
その中で……何故か。
自分を見失わないために、今、ここから見える景色をよく見て、脳みそに焼き付けておくおくべきだと、そう思った。
「………………分かりましたよ。皆さんそう殺気立たないで下さい。私は敵ではありません。救助に来た冒険者ギルドの職員です」
「ゴーストを害するというのなら、その限りではないぞ」
「これだけの人数が『安全だ』と言っているのです。これ以上の保証はありませんよ。私は納得しました。そもそも、どうこうする手段なんてありませんしね」
降参だという風に両手を上げて肩を竦める様は、堅物そうな外見に全く似合っていない。
場を和ませようと必死なんだろう。だけど向いてねぇな。
「ふん。ゴーストは貴様のようなヘッポコ魔法使いに攻撃されても気にしないだろうがな。だからと言って見過ごすつもりはないぞ。覚えておけ」
「……まるで、貴女が過去に攻撃したことがあるかのように聞こえますが?」
「…………」
「どうして顔を背けるのです」
「あー、そうだね。タルキスはアタシたちがゴーストを信頼する道筋を知らないんだ。まずはそこから説明すべきかね」
ドミスが掻い摘まんで俺たちの出会いをタルキスに語る。『ガイドポスト・レイ』のくだりはレイシアも参加して捕捉していた。
一方でローラは気まずそうだ。
まあ最初は皆「魔獣だ! 敵だ!」って対応だったからなぁ。
むしろ、さっきまでのタルキスは紳士的だとさえ言えるだろう。
状況が違うから、一概に言うのはフェアじゃないけどな。
……。
…………。
つーかやべぇ、完全にここから立ち去るタイミングを失った。
相変わらず寝転んでいる俺の上には、すでにフラシアが乗っかっている。珍しいことにスゥンリャも背もたれにして座り始めた。そして村娘たちも何人か周りに腰を下ろす。
俺を守ってくれるつもりなのは有り難いんだが、これじゃ全く動けねぇぞ。
そもそも、ここまでしてくれたのに、いきなり去ってくってどうよ?
いや喋れねぇからそうするしかねぇんだけどさぁ。だからこそタイミングが重要だったのに……。
ひょっとして失敗したのか、俺は?
「なるほど。『ガイドポスト・レイ』ですか……。今の話を聞くと、確かに人間へ友好的な魔獣であると感じますね。いえ、皆さんのファーストコンタクトが良かったのでしょうか」
「まあ、しっかり検証したワケじゃないから、全部仮説だけどねぇ。でも事実として6日間過ごしてきたし、ローラの言うこともちゃんと聞く。少なくとも、無差別に人を襲ったりはしないだろうさ」
「そのようで……。しかしそれはそれで、困りましたな」
「困るだと?」
「どうしてでしょう?」
タルキスは視線を鋭くして、こっちをチラ見してきた。
これたぶん、睨んでるんじゃなくて、彼の人相的に普通に見ててもそう感じるんだろうな。
人生大変そう。
「少し長くなるのですが……そうですね。貴女たちには聞いておいてもらいましょう。特に、レイシアさんとローラさんのお2人には」
「私とローラさんですか?」
「なんの話だ」
「今の、森の外の現状です。色々と込み入ったことになってまして……」
そこからは冗談抜きで長かった。
開拓村や冒険領域のことだけではなく、都会の国も関わるような話だったのだ。
頑張ってギュッとすると以下のようになる。
◆
今、俺たちのいる森は、大陸の地図で言うと東の端に位置している。『東方大森林』と呼ばれ、もちろん踏破した者はいない。全体の面積さえ明らかになっていないが、人間が切り開けたのは5%もないだろうと言われている。まさに辺境だ。
この大森林には、2つの国が領地を接している。
『オタム王国』と『エゼルウス神聖帝国』。
ローラの故郷と神官姉妹の故郷だ。
基本的に辺境と開拓村は『世界の共通財産』であり、運営は各国が協賛して設立した冒険者ギルドに依託されている。だから両国とも、政治的な干渉はしない。
交代で森の境に警備の騎士を派遣することはあるが、それだけだ。
これは別に、都会の国が礼儀正しいってわけじゃなく、開拓村も冒険者もバンバン人が死ぬから、自分の国で育てた人材をわざわざ派遣したくないだけだ。
放っておいても、農家の次男三男みたいに、食うに困った連中が国から出て行って勝手に村を作る。
そこで発生する面倒な管理や支援は冒険者ギルドに丸投げして、自分たちは宗教戦争とかくだらねぇことに精を出す。
それがこの世界での普通なんだが、今回は2つ、厄介なことが起きた。
「まず1つが、ローラさんとレイシアさん。貴女たち2人の家出です」
「え」
「なにっ?」
「話を聞いて驚いたのは私ですよ。2人とも婚約破棄をされて家を飛び出したんですって? どんな偶然なんですか」
ローラはなんと公爵家のご令嬢であり、オタム王家・第二王子との婚約をしていたのだが、肝心の王子が平民の娘とめちゃくちゃに浮気した上、ローラを邪魔に思って濡れ衣の罪を押しつけて婚約破棄。
怒り心頭のローラは「貴族なんて糞食らえだ、騎士として辺境で民を救う」と叫んで家を出た。
レイシアはエゼルウスにおける主神、『人神』から神託を受けた聖女であり、教皇の第一子息との結婚を目前に控えていたが、突然めちゃくちゃ口の上手い詐欺師みたいな女が巷に現れ、「自分こそ聖女だ」と主張。
どういうわけか周りもそれに同調し、レイシアは「辺境で人を癒やします」と笑って、妹と共に家を出た。
「オタム国ではローラさんを慕う民や騎士団が集団ボイコットを起こし、エゼルウスでは人神が新たな聖女にそっぽを向いてあらゆる儀式が中止。両国とも立ちゆかなくなって、2人を連れ戻そうと辺境にやって来たのですが……」
「とんでもない数のゴブリンが湧いていたねぇ、その頃は。しかもこっちの攻撃を全部弾いちまう、ヤバい結界を張る宝珠を持ったハイゴブリン・ジェネラルがいてさ」
「ええ。ドミスさんの『鋼の翼』を含め、高ランクパーティーが次々と敗北し、相当なパニックでした。そこへちょうど開拓村に行き着いたお3方は……」
「国を出たとはいえ、元はオタムに生まれた市民もいる。同じく国を捨てた者として、私は彼らの騎士になると誓った! 故にゴブリンを討伐しようとしたのだ」
「傷ついた方がいらっしゃるなら、癒やさなければと……」
「ゴブリンくらいわたしの魔法で一発、と思った」
「で、全員ゴブリンに捕まってしまったと」
明らかに都会出身の3人が何でゴブリンに捕まったのかと思ってたが、そんな経緯だったんだな。
つーかこれ、ギュっとまとめんの無理だわ。
「まあそこは良いんです。いや失礼、不幸ではありましたが、問題はその後です。お3方を取り戻しに来た両国の軍勢は、話を聞くと我々の制止を聞かずに森へ入ってしまいました。それでゴブリンと討伐してくれれば、まあ良かったんですが。結果は散々にやられてしまい……」
軍を率いていたオタムの第二王子、エゼルウスの教皇子息はメチャクチャに焦った。
そりゃそうだ。
性欲に支配されて国を混乱に陥れた上、その責任も取れずに軍も壊滅とか。
都会に縁の無い俺でもヤバイと分かるぞ。
「そこへ今度は、森から魔獣が居なくなった、という情報が入りまして」
やっべ、俺もヤバイ状況に関わりあんの?
「それを聞いた馬鹿共が……『魔獣が居ないなら冒険領域ではない、そこは我が国の領土だ!』と言い始めたのです」
そのまま両者は緊張状態に走り、もはやローラとレイシアを奪還するという目的も忘れ、辺境で戦争をおっぱじめようとしているらしい。
これ悪いの俺か?
その2人がぶっ飛びすぎだろ。
冒険者ギルドは「ゴブリンスタンピード」、「森の異常」、「お馬鹿戦争」の3つの緊急事態を抱えて処理能力が追いつかなくなり、半ば発狂したギルド長はドミスたちが上げた狼煙を観測して「最後の希望」だと判断。
絶対に良い報告を持って帰れ、と激しい圧を掛けながら、なけなしの戦力をタルキスに押しつけて送り出した……。
鋭く細められたタルキスの目の下には、くっきりと隈ができている。睨んでいるとしか思えなかった視線の迫力は、疲れが顔に出て不機嫌に見えたからだろう。
なんかこのおっさん、可哀想になってきたぞ。
「……まあ、問題については分かったよ。それで、アンタはどうするって?」
「まず、ゴブリンスタンピードに関しては解決したと見ていいでしょう。レイシアさん、フラシアさん、ローラさんの3名も無事に帰せる。これで馬鹿共はともかく、その配下の面々は国に帰るよう説得できます。そして」
再び俺をチラ見してくる。
「魔獣がいなくなった森ですが……こちらは、やはり我々が主導で開拓に着手したい。冒険者も減った今、開拓が一気に進めば人を呼ぶアピールにもなります。幸い、計算に無かった人員が200名居ますし、ここに拠点もあります。ゴブリンの残した道具や施設を使える可能性も出てきた……」
それを何で俺を見ながら言うんだ。
「今一番怖いのは、オタムとエゼルウスからの横槍です。馬鹿共を帰した後、森から魔獣が消えた話を聞いたら結局は黙っていないでしょう。貴族の思惑なんか混じったら開拓計画がめちゃくちゃですよ。それだけは何としても回避したい。だから……」
あー……。そういうことね。
ドミスも理解した顔をしているな。レイシアもか。
続きを促すような顔をしているのは、ローラだけだ。
「だから、何だ。なぜゴーストを見ている?」
「……怒らないで下さいよ。あの魔獣、ゴーストですか? 彼を討伐難易度SSランクとして、正式に登録したいんです」
「SSランクだと? ふむ。ゴーストの強さを思えば相応しい称号だと思えるが、それを登録? したからどうだと言うんだ?」
なんだ、ローラは討伐難易度の詳細を知らないのか。
「……ここでいうSSランクってのはねぇ。『大陸滅亡クラスの脅威』、つまり人間が絶対に手を出しちゃいけない、ドラゴンみたいな存在のことを指すのさ。これに登録された魔獣には、Sランク冒険者以外、接触さえできない決まりなんだ」
「もちろん、こういった魔獣から中央の国々を守るのは、我々冒険者ギルドの責任になります。だからこそ、大国の王族だろうと教皇だろうと、生息域に近づくには冒険者ギルドの許可が必要になる。つまり」
「ゴーストがそれに登録されれば、この森は冒険者ギルドが管理できるってわけさ」
「…………ちょっとまて。『Sランク冒険者以外接触禁止』? それでは」
「ローラはゴーストを騎獣にしたいんだろう。まあ、そいつはちょっと無理になるねぇ」
「なんだとォッ!?!?」
まさか、こんな良い大義名分ができるとはなぁ。
ローラを傷つけずにこの場を去れる。
ベストアイディアじゃねぇかよ。
「ま……まて、待て待て。そうだ、ゴーストは魔獣だぞ。人間が勝手に定めた討伐難易度だの何だのを気にするものか」
ええ? 粘るの?
ローラがこっちにやって来て、俺の頬を掴んだ。
「なぁ? ゴースト。お前は私の家に来たいよな? 2人で騎士団に入ろう。お前なら兄上のグリフィンにだって負けない。きっと後世に残る活躍ができるぞ」
なんだよもう。いいじゃねぇかよ。
俺の心情に合わせて尻尾が動く。腹の上でフラシアが「おー」とはしゃいだ。
「お前、嫌だったりすることは首を振って意思を示すじゃないか。冒険者ギルドに危険な魔獣として登録されるなんて嫌だろう? だったら首を横に振れ。タルキスだって誰だって、お前に強制なんかできないんだ」
登録されたっていいんだよ。
そうじゃなきゃ、俺が自分の意思でローラを拒絶したことになるだろ。
俺は喋れないんだ。傷つけたくないんだよ。
「私は……っ、嫌だ。嫌だぞ。2人で毎日森を走ったじゃないか。誰も勝てないようなゴブリンだって倒した。楽しかったんだ。私、いまさら馬になんて乗れない。お前がいいんだ。お前が」
もう、やめてくれ。
「頼むよ。ゴースト。私と来ると、そう言ってくれ……」
ダメだ。
俺の力は人間社会じゃ毒になる。
野生の、魔獣の世界で強く在りたいと願ったからこそ与えられたものなんだ。
ローラじゃあ、絶対に俺を持て余す。ろくな結果にはならないだろう。
一緒には行けない。
無理なんだ。
「……だめよ、ローラ。わがまま言っちゃ」
「スゥンリャ。だが、だが……」
「きっと、今生の別れじゃないわ。あたし達が一緒に居た時間は無駄にならない。あんたが想っているのと同じくらい、ゴーストだってあんたを想ってる」
「本当、か」
「もちろん。あたし、テイマーよ? だからそういうの分かるの。ね、ゴースト」
ああ。そうだな。
今生の別れじゃない。
ギルドの討伐難易度なんか知ったこっちゃないのは、そうなんだ。
Sランク以外、接触を禁止されていようが何だろうが、俺が会いたくなったら勝手に来る。それを止められる奴なんかいない。
とりあえず、ゴブリン共を片付けたら一度来るさ。
皆の匂いは覚えたからな。
「だが、でも……ああ。私、ようやく自分の相棒を、友を、見つけられたと、思ったのに」
……これ以上ここにいたら決意が揺らぎそうだ。
立ち上がろうと身じろぎする。
俺の上で鼻をすすりながら泣いていたフラシアを、レイシアが回収してくれた。
体を起こし、もう一度ローラを、ドミスを、スゥンリャを、レイシアを、フラシアを、村娘たちをしっかりと見つめる。
一旦お別れだ。
でも、俺はお前たちを忘れない。味方だからな。
そう伝えたかったが、やはり喋れないので。
「グルルォォ―――ゥ」
下手くそな遠吠えの真似事を一つし、俺はその場から跳躍した。
さぁ、切り替えろ。
ゴブリン共をブチ殺すぞ。
一番は俺のために。そしてやはり、彼女たちのためにも。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
次回 第一章エピローグ 『始まりの英雄』
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