第2話 白虎に転生


 もう見えないはずの目に映った爺さんは、自分のことを『冥府を統べる神』だと言った。

 冥府……ってのは確か、死後の世界のことだ。

 そこを統べる、神様だって? 

 冗談みたいな話だが、いざ目の前にすると信じざるを得なくなる。

 理屈じゃない。こんなもんは問答無用だ。

 なんつーか、存在感がまるで違う。根本的に格が上というか。あえて言い表わすなら、「魂を抜かれそうなほど神々しい」って感じだ。


 そんな神様曰く、どうやら俺はユニークスキル『自意識過剰』の効果で、体が完全に死んで魂が抜け出してもなお意識を失わず、考え事をしている間に冥府まで下りてしまっていたらしい。


 マジかよ。

 


「んなことって……」


『あったんじゃのう。儂も冥府を管理して長いが、意識がある魂なぞ初めて見たわい。しかも……実に愉快な外見をしておる』



 面白い面白いと言って神様は喜んだ。

 どうも俺のみてくれがツボに入ったらしい。そりゃー不細工の自覚はあるけどよ……そんなに笑うほどか? 怖いから噛みつきゃしないけど。


 ジロジロ観察される間に、こっちも周りを見てみる。

 冥府の世界は真っ暗だった。光が一切無い空間に白いローブを着た爺さんが浮かんでいる。髪も髭も眉毛も白くてボーボーで、目鼻立ちがわかりにくい。だが、何となく喜怒哀楽は読み取れる。今はニヤニヤ笑っていやがる。


 辺りを見回しても神様以外には何もない。



『つまらん場所じゃろう』


「あっ、いや別にそんな」


『変な気は使わんでよい。冥府なんぞ魂を循環させるだけの世界での。本来なら神なんぞ必要のない場所なのじゃ。娯楽はおろか話し相手すらおらん。儂も退屈しとっての』



 ぶーたれてる姿は、孫に邪魔者扱いされてる村の老いぼれそっくりだ。

 ……ずいぶんと人間味があるんだな。神々しさとのギャップがすげぇわ。頭こんがらがりそう。

 


『お主、生前の名前はなんというのじゃ』


「あ、ポンゾです」


『それは人の名じゃな。その前は?』


「前、って……前世ですか? いや記憶無いですよ」


『ほう。そうなのか』



 とにかく会話に飢えていたのは確かなようで、ずいぶんと質問攻めにされる。

 『生きていた頃は何をしていたのか』とか、『どうやって死んだのか』とか。

 『冒険者としてどれくらいの実力があったのか?』なんて答えにくいことも聞かれたが、神様相手にプライドもへったくれもない。全部正直に答えた。

 


『ふぅむ、いいのう。実に興味深い。外見もそうじゃが、特にそのユニークスキルじゃ。冥府でも意識を保つことができる能力なぞ聞いたことがない。一体どこの神に由来するものじゃ?』


「さあ……どうなんでしょう。生まれた時からあったみたいですけど。実家は一応農家なんで、農耕の神様ですかね?」


『……ん? 己自身が信仰する神はおらんのか?』


「神官の皆さんにはお世話になってますし感謝もしてますが、俺自身は特に……」



 ぶっちゃけ興味ねぇ。


 冒険者が宗教に入る最大のメリットと言えば、回復魔法を始めとした特別な魔法スキルを覚えられることだが……『自意識過剰』が常時発動型な上にそこそこ魔力を食っちまうせいで、俺には魔法の適性が無かったからなぁ。 



『なんと。他の神の紐付きではない? ふむ……』


「うおっ」



 なんだ、今なんかゾワっとしたぞ。

 神様が何かしたのか?



『確かに縁は無いようじゃのう。ふむ……』


 

 声色から、ぽやぽやした雰囲気が急に消えた。



『では、与えられたのではなく自然に発生した能力か。つまり全くの偶然で儂の元にやってきたというのか? 会話ができる魂が、このタイミングで? なんということか……』



 眉毛の奥から向けられる視線の質がさっきまでとは違う。俺を見ているようで見ていない。頭の中を一方的に覗かれている気がした。



『これは、面白くなってきたのう。なぁ?』



 低い声だった。

 視線が怖え。

 この感じ……覚えがあるぞ。ランク昇格試験の時のギルド長にそっくりだ。俺が使える人間かどうかを品定めしていやがるんだ。溜め息交じりに「今年もEランクのままだ」と告げられたのを思い出す。そういえばギルド長も白髪のジジイだったな。

 

 ……いや何でだよ。


 さっきまでヘラヘラしてたじゃねぇか。なんだって急に威圧してくんだ?



『よし。決めたぞ。己は、我が眷属として転生させる』



 ……え?



『とりあえず、儂を信仰せよ。代わりに望みがあれば叶えてやる』



 転生。

 特別なスキルを持った転生者。

 俺を斬った少年の姿がフラッシュバックする。



「え? いや、の……望み? って……?」


『種族、性別、土地、能力。なんでもよい。このように生まれ変わりたいという望みがあるならば叶えてやるというのじゃ。その実績をもって、己は儂を信仰したものとみなし、眷属として転生する。そういう契約を交わす』



 なんだそれ。

 転生? 神様から力を貰って?


 死ぬ寸前の願望そのままだ。

 そんな都合が良いことあるか?

 ああいや、ひょっとして、これが噂に聞く「夢」ってやつか? 普通の奴が眠っている間に見るっていう、現実離れした映像……。眠ったことが無い俺には縁遠いものだったが、死にかけてようやく見られるようになったのか。



『夢でもなんでもないわ。そして都合がいいのは己にとってではない。儂にとってよ』



 俺の思考を読んだかのように神様が告げた。

 いや、実際読んでるんだろう。そんな気がする。



『ゆえに、なんでもよいから……さっさと望みを言え。無ければひねり出せ。断れば羽虫に転生させるぞ』


「はぁっ!?」


 

 なんだそれ、脅しか!?



『脅すとも。蝶や蛾、いやハエじゃな。ユニークスキルはそのまま、つまりは人の意識を保ったままでハエにしてやろう。生き地獄どころの話ではないぞ?』


「いやいやいや、なんでそこまで……」


『分からんじゃろうな。分かる必要も無い。しかしのォ、冥府に封じられた儂にとっては眷属を作る最初で最後のチャンスなのじゃ。逃せんわ』



 声色も視線も本気だった。

 怖い。

 でも眷属って神様の下僕になるってことだよな。一体何をさせられるんだ?

 


『安心せい、他の神ほどうるさい事は言わん。なんせ儂は冥府の神、己は転生すれば現世に行くんじゃからのォ。文字通り住む世界が違うわ。それに』



 神様がぐっと近づいて来た。



『……儂の見込み通りなら、特に指示なんぞせんでも良いじゃろう。己なら、の』


「ど、どういう意味です?」


『申せとは言ったがな。儂にはすでに見えておるのよ。己の望みが何なのか』



 望み。

 転生してどうなりたいか。

 俺が欲しいのは……。



『力じゃろう。違うか?』


「いや、それは、まあ。冒険者でしたから」


『少し違うのう。己が求めている力は、冒険者としての強さとは違う』



 ……何言ってんだ?



『冒険者の強さは工夫の強さよ。武器を整え知識を蓄え、仲間と連携して敵の弱点を突く。力というよりは仕組みで戦うのじゃ。己の求める力とはそのようなものか?』



 ……マジで何言ってんだ?


 いや、ひょっとしてアレか。

 パーティーのことか?


 確かに俺は誰とも組まずに冒険者をやっていた。そのことは神様に話した。それで俺が冒険者に向いていないって言いたいのか?


 でもなぁ。俺がソロだったのは、気配を消しながら近づいて不意打ち、っていうのが戦闘スタイルだったからだ。『自意識過剰』のお陰で昼夜を問わずに活動できたから、魔獣が眠っている所を狙えた。

 そのスタイルには、ソロの方が都合が良い。


 それだけのことなんだが。



『己の戦闘スタイルはパーティーを組まない理由になっとらんぞ。第一、己の能力で不意打ちに拘る必要がない。ユニークスキルは気配を消すことに関して何の効果も発揮せんのじゃからの。気配に敏感な魔獣相手に寝込みを襲う? むしろ非効率じゃろ』


「……」


『結果的に、ではない。初めから己は一人でやりたいのよ。ゆえに不意打ちに拘るのよ。不思議なことにのう』


「不思議? そんなに変ですかね。ソロで活躍するSランク冒険者なんて何人もいますよ。冒険者なら誰でも夢みることでしょう?」


『足手まといを嫌って一人でいる強者は確かにおる。しかし己は違うじゃろう。明らかに実力不足なのに仲間を募ろうとせぬ。成長が頭打ちになっても頑なに拘る。それは、強くなるための経験を放棄しているに等しい。おかしいとは思わんか。力を求める己が、なぜそのような事をする?』



 深く考えたことはなかった。

 だが、言われてみると矛盾しているような気がする。

 今じゃ見向きもされないが、俺だって最初から万年Eランクの雑魚だと蔑まれていたわけじゃない。冒険者になりたての頃、パーティーに誘われたことは何度もあった。

 それも断っていたんだ。

 どうしてだ? 

 思い出せねぇ……。



『面白いのう。「自意識過剰」などというユニークスキルを持ちながら己を見失っておる。見ていて実に滑稽よ』



 神様が俺を見てニヤニヤ笑っている。

 むかつく顔だ。クイズ好きの知り合いがよくこんな顔をしていやがったな。答えを知っている出題側はさぞかし楽しいんだろう。


 そうだ。

 神様は俺の望みが分かっていると言っていた。



『知りたいか? 己が求める強さとは何なのか。その力の形がどのようなものか』


「分かるんですか」

 

『分かるとも。むしろ一目瞭然よ。見えている、と言ったじゃろう』


 

 神様が顔を寄せてくる。

 鼻がぶつかりそうな距離だ。仰け反りたいが上手くいかない。体が動かない。

 目の前に瞳があった。

 神様の眼だ。人間のものじゃない。まるで夜空のように黒く、無数の小さな光が瞬いている。


 その奥に、俺が居た。


 

『己にも見せてやろう。己の魂が、どんな姿形をしているか……』



 瞳に反射して映り込んでいたのは俺だった。


 冒険者ポンゾ、ではない。

 どうみても人間の姿ではない。


 白地に黒の縞模様が入った毛皮。人間より遥かに太い四肢。長い尾。丸い耳。青みがかった黄色い瞳。

 

 ああ、そうだ。


 これは……かつて俺だったものだ。



 瞬間、消えていた記憶が蘇る。



 狩りが下手くそで、いつでも腹を空かせていた。

 母の元を離れてからまともな獲物にありつけず、飢えて死にかけていたところを救ってくれたのは人間だった。

 彼らは鉄の檻で俺を囲い、毎日のように肉を寄越す。

 俺は生涯を狭く不自由な檻の中から、多くの人間を眺めて過ごした。

 いや、観察されていたのは俺だったのだろう。

 年老いたのから産まれたばかりの小さいのまで、俺を指さして笑っている。

 肉を簡単に手に入れ、俺を全く恐れない。人間とは、きっと俺よりも遥かに強い生き物なのだ。


 そんな風に思っていた。


 だから死ぬ間際に、今度は人間に生まれてみたいと願ったのだ。


 うっすらとだが覚えている。

 人間としての知恵がある今の俺なら分かる。


 俺は、虎だった。

 

 地球という異世界で虎として生きて死に、人としてこの世界へ転生したのだ。


 瞬閃のハルトと同じ、転生者だったのだ。



『生まれ変わり、人間として40年以上生きてなお、己の魂は虎の形をしたままじゃ。社会に馴染まず個として強く在ろうとする、人間としては不条理な心の動き。その正体はな、難しいことではない。ただの、魂に染みついた―――ケダモノとしての本能よ』



 言われたことが、すとんと胸に落ちた。



『獣から人に転生するのはよくあるし、それが今世に影響を与えることもある。じゃが己のような、魂の在り方まで引き継ぐというのは過去に例がない。異質じゃ。恐らくは地球からこちらに転生した際に得た、ユニークスキルが原因であろうが……まあ、そこはどうでもよい』



 神様が顔を離す。



『己の願い、叶えてやろう』



 その表情は、珍しい玩具を見つけた子供のようだ。



『我を奉じよ。虎の生でも、人の生でも叶わなかった、個としての強さ。魂に染みつくその願望を叶えてやる。己の魂に見合った肉体へ、納得できるだけの力を与えてやる。難しいことはない。ただ全てを委ねると認めればそれでよい。分かったら』



 ―――頷け。


 そう言われて、首を縦に振っていた。ほとんど反射的だった。



『応じたな?』



 言うや否や、神様がこちらに手をかざしてくる。

 もう言葉を挟む暇もない。

 次の瞬間には強烈な光が俺の視界を奪い、


 <冥神の寵愛(天)・・・冥神が手ずから製造した肉体を持っている>

 <冥神の祝福(天)・・・冥神が手ずから製造した魔法を持っている>

 <■神の加護(天)・・・■■の運命を引き寄せる>


 文字が頭に浮かんだかと思うと、あっと言う暇もなく、全てが終わっていた。



『……思った通りじゃ。意思の疎通さえできれば魂を核にして眷属を生み出せる! しかも、ふははは! 加護まで付けられるとは!』



 違う。

 一瞬前の俺と、現在の俺は何もかもが違う。

 神様が何か喋っているが、聞いている余裕がねぇ。

 呼吸ができ、心臓が脈打ち、四肢があって五感がある。死ぬ寸前まで当たり前のようにあった肉体の感覚だ。取り戻して始めて失っていたことを自覚した。疑ってたわけじゃないが、やっぱりさっきまでの俺は魂だけの存在だったのだ。


 しかも、この感覚。

 物の見え方、匂いの種類、身体を駆け巡る膂力の実感。

 こいつは生前の―――人間のそれじゃあねぇ。


 虎だ。

 これは……前世の俺の身体だ!



『人間としての意識と知性と経験を持った魔獣。名は―――まあ、白虎でよいか。虎はイステアにおらん種ゆえ混乱することもあるまい。……よし、無事定着したな』



 視界が歪む。

 それでハッとした。

 神様の姿がぼやけ、周囲の暗闇が薄くなっていく。

 何となく分かった。

 生命を得た俺は冥府には留まれないのだ。



『行くがいい、白虎よ。己には何の使命も与えぬ。好きにやれ。とことん暴れよ。立ちふさがるものがあれば、手にした力を遺憾なく振るえ! それが儂の望みを叶えることになるじゃろう……』



 遠ざかっていく笑い声は、悪戯小僧のようだった。

 相変わらずハッキリとした意識の中で、言いしれぬ不安に駆られながら、俺は転生した。


 虎としての本能を持ち、人としての意識を保ったままで、魔獣として3度目の生命を得たのだ。

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