死者の怨念、生者の執念

異端者

『死者の怨念、生者の執念』本文

 三重県伊賀市の「鍵屋の辻」には昼過ぎに着いた。


 かつては凄惨な復讐劇があったとされるこの通りも、ぱっと見単なる交差点であって傍に石碑と公園があるが華やかさはない。公園には伊賀越資料館もあるが現在は休館中で、他には茶店もあったが閉店している。

 どこかでセミの鳴き声が聞こえる。

 今は閑散としているが、ここは「日本三大仇討ち」の一つ「伊賀越の仇討ち」の現場だった。河合又五郎に弟を殺された渡辺数馬とそれに加勢した荒木又右衛門一行がこの鍵屋の辻でその一行と斬り合ったのだ。又五郎一行は十一人に対して数馬一行はたった四人で仇討ちを成し遂げたとされる。その中でも荒木又右衛門の活躍は有名であり、双方合わせても死者五人程度にも関わらず「三十六人斬り」とも称されている。

 もっとも、伊賀では忍者や松尾芭蕉の方が有名かもしれないが、かの有名な「赤穂浪士の討入り」も同じく日本三大仇討ちに数えられると言えばその凄さも分かるかもしれない。

 公園を適当に散策すると通りを眺めた。残念ながら、資料館は休館中なのでその中にある「洗首の池」は見られなかった。

 本当に変哲のない通り。当時は舗装などなく地面がむき出しだったのだろうが、それにしたって普通の通りでしかない。

 まあ、来たからには写真だけでも……そう思って、スマホをカメラモードにして通りを眺めた時だった。


 見えた――鬼のような形相をして抜き身の刀を構えた侍の姿が。


「えっ!?」

 そう叫んだ時には、その姿は消えていた。

 見間違いか? いや、それにしては鮮明過ぎる。暑さで頭がおかしくなったのだろうか?

「ああ、見えましたか?」

 背後からのんびりとした声が掛かった。

 振り向くと、人の良さそうな老人が立っている。

「いやね……時々見える人が居るんですよ。なんというか波長が合うというか」

「は、はあ……」

 どうやら見間違いなどではないらしい。

 おそらく見えたのは討ち取られた又五郎の怨霊だろう。そう思って聞きかけた時だった。

「――程の侍となると、その迫力が違いますなあ」

「は? 又右衛門ですか? て?」

 何を言っているのだろうか。……この老人、少々ボケているのかもしれない。

「いえいえ、正真正銘、荒木又右衛門ですよ――」

 老人は言葉を続けた。

 強い怨念のある死者が怨霊となるように、生者の強い執念というのも時折その場に残るものらしい。つまり見えたのはその仇討ちによって場に焼き付けられた荒木又右衛門の執念だというのだ。

「――まあ、死者の怨念も強いですが、生者の執念というのも馬鹿にできないということですね」

 老人はそう話を締めくくった。

「へえ、そうだったんですか……確かに、又右衛門ならあってもおかしくなさそうですね」

 素直にそう答えると、老人は満足げに去っていった。

 幽霊ではなく、その場に残った情念――いささかオカルトじみていたが、幽霊が居るのならばそういうことも起こってもおかしくないだろうと思えた。

 そういえば、伊賀は松尾芭蕉の出身地でもあったな。そう思って、一首だけ素人川柳を思い付いた。


死してなお

のこおもいが

ここに


 道路は焼けるように熱く、相変わらずどこかでセミが鳴いていた。


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