第23話:世界を売った女の末裔④

 クリフたちに協力を求められた、その翌日。

 リチャードは夜明けと共にサウスヘイブンから馬車を出し、陽が沈みかけた頃に目的地へ到着した。

「まったく、来るだけで一仕事だな」

 鉄道を使うまでもない都市圏内であることと、鉄道を引く価値のない田舎であることは両立する。劇団『魔女の帳』はそういう位置関係に目を付けたのだろう。


 涼しい夜風に眠気を覚まし、御者席で大きく伸びをする。丘から牧場地帯を見下ろせば、ちらほら明かりが灯り始めていた。更に遠くを見渡すと、麓の港街が夕陽の残照に美しく彩られている。

 首を元に戻す。草原の片隅、さざ波の音に満ちた崖際に、ひっそりとそびえる城館があった。リチャードはその黒々とした輪郭に、巨大な怪物のような気配を感じ取った。

「ブリックフォール城……」

 リチャードは誰にも見えないよう、不敵な笑みを浮かべる。


 望むところだ。俺の人生初舞台には、ちょうどいい。


「わぁ、立派なお城であります!」

 子供っぽい少女の歓声が上がり、リチャードは唇の端を上から下にひん曲げた。

「締まらねえなあ」

 ウルカ・ナナヤが荷台の幌から顔を出し、きらきらした瞳を城の方に向けている。

 工作が得意とは言っていたが、まさかこの少女が潜入作戦に付いてくるとは流石に予想できなかった。

「ウルカ、先に言っておくが探検は作戦が終わってからだよ。今は仕事に集中しなさい」

「はいであります、『C』!」

 『C』ことクリフォード・カーライル……もといクリフが、幌の中から彼女に忠告した。一見して、遠足に来た教師と生徒のような能天気さだ。

 ここまで来ておいてなんだが、この可愛らしい異人のお嬢さんはどう考えてもカルトの巣窟に突撃していいような風貌ではない。

「今更すまん、お嬢ちゃんは後方支援か何かだよな?」

 ウルカはくりくりとした瞳でリチャードを見据え、自信満々に答えた。

「小官は戦闘要員であります! 悪党をぶっ飛ばすであります!」

 リチャードは天を仰いだ。

 彼女が銃の名手、あるいは遥か東方より伝わる刀術の達人であることに期待しておこう。順当に考えれば戦闘に秀でた魔女である可能性が高いのだが、一般常識として軍隊は魔女を雇わない。


 セーフティハウスとして借りた牧場主の家に馬車を停め、3人は潜入前の最後の打ち合わせを行うことになった。作戦に先立って、電報で話を通しているらしい。突入部隊も敷地内に宿泊させてもらえるそうで、なんとも至れり尽くせりだ。

「まさか部隊を草原で野宿させるわけにはいかないだろう?」

 平時において、野宿というのは案外に目立つ。どんな軍隊でも、状況が許すなら軒先を探すものである。

「そりゃ分かってるけどよ……」

 いきなり敵地の近くで民間人と接触することにリチャードは不安を覚えたが、クリフは何食わぬ顔で家のドアノッカーを叩いた。警戒心を和らげるため、ウルカが満面の笑みで挨拶する。

「ごめんください、ミセス・カーティス! 夜分に失礼するでありまーす!」

 しばらく待って、ドアが慎重に開いた。

「……どうぞ」

 緊張気味の顔で出迎えたのは、牧場の女主人らしき老婆だった。


 老婆はクリフを見て頷き、ウルカを見て困惑し、それからリチャードを見て口に手を当てた。

「あら、先日の俳優さん!」

「あ、ああ……?」

 リチャードの方も、意外な再会に大口を開けて驚いた。

 彼女は、リチャードが彗星座の2等席チケットをタダで渡した少女の祖母であった。

 老婆は深々とお辞儀をした。

「このあいだは、うちの孫がご迷惑をお掛けしました」

「い、いや、いいんだよ。喜んでくれりゃあ」

「ええ、アメリアは劇をとっても楽しんでいました。主演のファンになったとか、自分も女優になりたいだとか、息子夫婦にいつもの3倍も手紙を書いてねぇ……あぁ、もちろんあたくしにとっても素晴らしい体験になりました」

 老婆の口ぶりに空々しさはなく、リチャードは少し安心した。偽善でも自己満足でも、空回りではなかったようだ。

「数奇な巡り合わせですね、ミセス・カーティス。彼もあなたと同じく、我々に協力してくれる民間人なのです。さて、案内して頂ければ」

 クリフがやんわりと、しかし率直に話を断ち切った。


 カーティス夫人はまた緊張した顔になり、3人を厩舎の方へと招いた。

「最初にお願いしておきますが、母屋には立ち入りませんよう……孫が怖がるものですから」

「心得ました。しかし緊急時にはやむを得ずお孫さんに接触する場合もありますので、あしからず」

「……そ、そのようなことがないよう、お願いします」

 カーティス夫人はあまりの正直っぷりに辟易しつつ、上品に取り繕った。

 あってはならないことだが、クリフが言っているのは敵勢力にセーフハウスが割れた際のことだ。そして少しでも老婆に対する配慮があれば、今それを言って不安を無闇に掻き立てたりはしないだろう。


 夫人が納屋の扉を開くと、詰めていたのは雑多な仕事着の男たち十数人ばかり。明らかにカタギではない殺気立った集団に、クリフはにこやかに両手を振った。

「諸君、遠路はるばるご苦労。私と一緒に働けて嬉しそうだね? 私も同じ気持ちだよ」

 男たちはクリフの挨拶にはシケ顔で応えたが、後ろからウルカが顔を出すと揃って表情を崩した。

「おお、ウルカちゃん!」

「今日も可愛いね!」

「いつも頑張ってて偉いぞ!」

 ウルカは男たちに向かって綺麗な敬礼を返した。

「ウルカ・ナナヤ准尉相当官、現着しました! 皆さんとご一緒できて光栄であります!」

 なんとなくリチャードにも、ウルカが大人に可愛がられるタイプの少女であることは分かった。そして思いのほか、彼女が軍人として認められていることも。


 クリフが何か言いたげなカーティス夫人を目くばせで下がらせ、納屋の扉を閉めた。皆の前でリチャードを紹介する。

「こちらはリチャード・サンダーソン。『魔女の帳』で雑用係をやっていた青年だが、彼らの本業とは関わりのないシロだ。これからスパイとしてブリックフォール城に潜入し、同団体の制圧および被害者救出の為に必要な情報を集めてもらう」

「見るからに軽薄そうな男だな」

 男たちの後ろから、女の声が上がった。


 男たちの人垣が割れ、ひとりの若い女が進み出た。他の屈強な男と変わらない上背で、袖を捲った腕も相応に太い。後ろで縛った長髪は染めたのか脱色したのか、それとも若白髪なのか、クリフ以上に真っ白だ。

 そして、黙っていれば美丈夫とも取れる立ち居振る舞いは、クリフにそっくりだった。

「あぁ、妹よ。私の審美眼を信じられないかな?」

「都合の悪い時だけ兄貴面するな、『C』。血縁は重ねるべき信頼を免除するための魔法ではない」

 ケイリーと呼ばれた女は、クリフの肩越しにリチャードを睨み付けた。

「サンダーソンと言ったな。お前が二重スパイでない証拠は? 身内を売ったのは、己の仕事に誇りがなかったからか?」

 リチャードはその淡々と尋問するような口調に押され、一歩後ずさった。だが、いきなりケンカ腰の女にペコペコするほど軽い頭はしていない。

「なんだいきなり……金や正義のためとでも言えばいいのかよ」

 女はさらに一歩進んで、リチャードを正面から見据えた。

「金の亡者は金で裏切る。正義漢は私情で寝返る。私は仕事のために死ねる人間しか信用しない」

 仕事に、誇りだと?

 痛いところを突いてきやがる。

「俺は……役者だ」

 役者志望だ。プライドを問われたら、凡百の台詞でつまらない見栄を張ることしかできない。冷淡な女の瞳を、真正面から睨み返す。


 やれやれと肩をすくめ、クリフが割って入った。

「そこまでだ。作戦の最終確認を行う」

 女は鼻を鳴らし、隊員の輪の中に戻っていった。

 ウルカが背伸びしてリチャードに耳打ちする。

「彼女は『C』の妹さんであります」

「見りゃ分かるし聞いたよ……」

「もともと本作戦は、スパイの投入を待たずに城への突入を決行する予定だったのであります。ケイリーおねえさんは一刻も早く所在の分かっている被害者を救出すべきとの立場だったので、リチャードさんの存在は部隊にとって二の足を踏ませたとも言えます」

 なるほどな、彼女の態度も多少は理解できる。拙速か巧遅か、信頼性か情報か。どちらにも相応のリスクはある。

「その、だから……ケイリーおねえさんを嫌いにならないでほしいのであります。本当は優しいのです」

「分かってるさ」

 どこか不安げなウルカの頭を撫でようとして、周りの男たちの視線が怖くてやめた。


 クリフが作業台に、ブリックフォール城の見取り図と周辺の地形図を広げた。

「こちらは地方庁カウンシルで借り受けた見取り図だから正確なはずだ。違法な改築をしていなければ、ブリックフォール城の構造は典型的なカントリーハウスといえるだろう。正面の庭園はグレイスヴァイト伯爵から譲り受けた現況のままで、遮蔽物が多い。敷地一帯は鉄柵で覆われ、新たに有刺鉄線を増設している。海に面した背面は崖になっており、下は岩礁が広がっている」

 正面からの突入自体は容易だろう。ただし、敵が迎撃に出た場合は待ち伏せ・乱戦が起こりやすい。

「皆の察する通り、正面から突入する際は庭園がボトルネックになる。そこでリチャード君の輸送してきた荷物に、敵を内部から攪乱するための駒を紛れ込ませる」

 ウルカが勢いよく挙手したので、リチャードは驚いた。

「小官が適任であります!」

「えっ、マジで?」

 むすっとした表情のケイリー含め、クリフの部下たちはだれも異論を唱えない。クリフが意味深にウインクした。

「ウルカはワンマンアーミーなんだ。安心して背中を預けるといい」

「……」

 どうツッコんだらいいか分からなかったが、とりあえず軍のエージェントが強いというなら強いのだろう。リチャードは黙って続きを促した。


「全要員の城への侵入が成功したら、ウルカは攪乱を続けつつリチャード君を保護する。我々は『魔女の帳』の抵抗を無力化する制圧班ハンターと、交配実験の被験者を保護する救出班レスキューとに分かれる。制圧班は私が、救出班はケイリーが指揮を執る」

「異論はない」

 ケイリーが頷いた。女性だが、見るからに並みの男より強そうなのでリチャードは変わらず黙っておいた。各班のフォーメーション等の確認は、やたらと早口な専門用語の応酬で手短に済ませてしまった。さすがはプロと言うべきか。


 続いて、被験者たちのこと。クリフはやや困ったように地図上で指を彷徨さまよわせた。

「被験者として劇団に同行している女性たちは、軟禁状態にある可能性が高い。しかし、その程度および所在は掴み切れていない。名目通り役者としてふるまっているのか、監視は何人か、脅迫あるいは洗脳されているのか、もしくは合意の上で劇団に所属しているのか」

 それを確かめるのがリチャードの役目となりそうだ。

「劇団長ベケットがサウスヘイブンでスカウトした女性、イングリット・グリムが近いうちに城へ移送されてくるはずだ。彼女への扱いは、状況を知る絶好の機会となるだろう」

 リチャードは背に回した拳を固く握った。


クリフはすべての主犯格を捕らえ、すべての被害者を保護できる状況でなければ意味がないと言った。

 えげつない野郎だ。イングリットを泳がせたのは、ベケットが彼女を城に送ると見越してのことか?


 拳を振り上げはしない。わきまえている。

「……なるべく早く動いてくれよ」

「無論だ。被害を未然に防止することも我々の重要な目標だからね」

 リチャードは、少なくともクリフの善性といったものを信じようと思っている。会って間もない怪しさ満点の男だが、仕事についてはきわめて誠実なのだろう。軍人なら、国民を守ってくれる。そうでなきゃ困る。


 クリフの部下たちは装備の搬入や城の監視のため、納屋を離れて行った。ここからは城での潜伏フェイズの話なので、リチャードとウルカだけ聞いていればいい。

「さて、リチャード君の仕事は、城内の警備と被験者たちの状況をなるべく正確に調べることだ。必然的にしばらく城に滞在して貰う必要があるんだが、その際の役職ポストはこちらで用意しておいた」

「は? 用意?」

 リチャードは素で聞き返した。てっきり役者志望の口を活かして上手く取り入れ、とでも言われるのかと思っていた。

「城から麓の街に買い出しに行っていた団員を事故に見せかけて襲撃し、病院送りにしておいた。そいつも地位の低い雑用係だから、城のスタッフはリチャード君を代わりに使ってくれるはずだ」

「ギャングも真っ青だな」

「必要な措置だよ」

 しれっと言ってくれる。おそらくリチャードを引き入れてから手配したのだろうが、こういう手段を即座に取れるのは手慣れている証拠だ。市民に紛れての要人暗殺だってお手の物だろう。


 スマートに潜り込めるならリチャードはそれでいい。大事なのは、どこまで情報を集めればいいかだ。

「クリフの旦那。突入の条件は城の警備と被験者たちの状況、そして主犯格の面子が割れることだよな。その主犯格なんだが、教祖様みたいな奴が偉そうに仕切ってるとは限らないだろ。どう判断すればいい」

 表だって信者たちを束ねる指導者とは別に、裏のフィクサーがいる可能性は充分にある。

 クリフはその問いに対し、何やらウルカの方を盗み見てから答えた。

「我々の推論だが、連中の教義は血縁を重視している。被験者の女性たちと……交配する、つがいの男は組織内でも特別な立場であるはずだ。だからだね、うん、種馬になりそうな若くて優秀な雄だろうね」

 妙に歯切れが悪い。それでリチャードは察した。

「了解……種馬ね」

 さて、特別な立場。才覚に溢れているとか、見てくれがいいとか、身体を鍛えているとか。

「そいつは例えば、をしまくってそうないけ好かない――」

「なぜお馬さんを探すのでありますか?」

 微妙な間に少女の声が割って入った。

「……」

 ウルカの純粋な瞳から逃れるように、リチャードはクリフを物陰に引っ張っていった。肩を組んでこっそりまくし立てる。

「あんた、安心してこの子に背中を預けろって言ったよな? キャベツ畑やコウノトリ信じてるお嬢ちゃんにお守りされる俺の気持ちを一瞬でも考えたのかよ!?」

「ウルカは見ての通り複雑な出自を抱えていてね。いつか話すべきだとは思っていたが、タイミングを掴めなかった」

「任務に支障はないよな?」

「……潜入前にケイリーに説明させておく」

「支障あるのかよ!」

 いきなり同僚の性教育を任される妹御の心境は察するに余りある。だがクリフがこの場で「いいかいウルカ、男性と女性には~」などと語り始める破廉恥漢でなかったことは幸いだった。


 懸念を取り除くための作戦会議で一気に不安が増えたリチャードであったが、それはそれとしてクリフによる潜入捜査の手ほどきは続いた。

「情報共有は、リチャード君が買い出しのため麓の街に降りた際に行う。こちらの手の者が靴磨きの店を出しておく」

「なるほど、考えたな」

 城に常駐しているスタッフや被験者たちの生活を考えると、定期的に街に物資を買い出しに行く必要がある。その雑務を最も引き受けるのは、当然ながら雑用係となる。

「リチャード君から充分な情報が得られたと私が判断した時、または潜入開始から1週間が経過した時、部隊が城に突入する。それと、君とウルカに危険が及ぶと判断した場合、通達なしで突入するのであしからず」

 手札の発動に難しい条件を付けないあたり、素人を使うのに慣れているらしい。リチャード自身はすんなり手法を呑み込めた。


 あとは、最大の問題。

「作戦期間は最長で1週間として、ウルカはどうやって潜伏させておく? 俺は雑用係としてウロチョロできても、お嬢ちゃんを城に隠し続けるのは難しいんじゃないか? 敵地でコンタクトを取るのは更に難しいぞ」

 するとウルカは自信満々に胸を張った。

「大丈夫であります。小官は補給なしで生存可能ですので、資材に紛れて倉庫にでも置いて頂ければ!」

「いやいや無理だろ、常識的に考えて」

 クリフが咳払いをした。彼はジャケットから懐中時計を取り出し、リチャードに差し出した。

「ウルカは魔女だ。時計の魔女、という。簡単に言えば、自分だけに流れる固有の時間を作り出すことができる」

 真鍮の懐中時計はずっしりと重く、リチャードの掌に冷たい手触りを伝える。

「いや、いきなり時計の魔女? とか言われても……」

「その時計は彼女の仕事道具のひとつ。便宜上、懐中時計αと呼ぶ。それの龍頭を引くとウルカの時間が凍結ハックされ、押すと元通りになる。説明するより実践した方が早い」

「百聞は一見にしかず、であります!」

 ウルカも大真面目に促したので、リチャードは半信半疑ながら時計の竜頭を引いてみた。


 ウルカが、先ほどの得意げなポーズのままで、完全に固まった。

「……マジで?」

 手をウルカの口元に当ててみるが、息をしていない。今度は目の前で手を振るが、瞳孔も変化なし。

「触ってみるといい。ガチガチに固まっていて、実際この状態のウルカは銃弾も通さない」

 クリフの勧めでおっかなびっくり触れてみると、コンクリートみたく硬質で温度も失われている。軽く弾いてみても音すらしない。

 パントマイムとは明らかに違う。まさしく作戦行動にうってつけの魔法だった。


 連合王国軍は魔女を表立って軍事利用していない。そもそも魔女の才が遺伝しない希少なものであるうえ、発現する魔法の種類も千差万別だからだ。あらゆる組織がいわゆる天才ギフテッドの存在を前提としていないように、軍隊は突出した個人に戦力を依存しない。

 王国人は魔女にあまり期待していない。便利な魔法によるちょっとした社会貢献のほかは、”女らしく”社会の傍らに寄り添っていてくれればそれでいい。戦争も産業も文化も、基本的には男の世界だ。そういう風潮が魔女を闘争や弾圧から遠ざけてきた歴史は、確かにあった。


 リチャードの胸に、言い知れぬ嫌悪感が苦々しくせり昇ってきた。

「クリフの旦那、あんたらは魔女を戦争に使うのかい?」

 たまたまこの少女が射撃や剣術の名手であるのと、そう変わりはしない。戦いに適した魔女ならむしろ、常軌を逸した力に保護されているぶん安全ですらある。

 しかし、実際にその事実を目の当たりにすると、どうにも嫌な感じがする。

 頭上の裸電球がわずかに明滅し、クリフの陰を浮き彫りにする。

「それは批判かな? それとも単なる事実確認かな?」

「……後者だよ」

 理屈ではない。

 リチャードは、魔法なんてものが人を規定してほしくないと思ってしまった。

「魔女を見世物にする劇団が存在するように、軍隊には魔女を利用したがる派閥もある。それだけだよ。誰かが望み、誰かが赦せば、そのように適応するだけだ」

 クリフの回答は簡潔で、的確だった。


 リチャードは冷たくなった手で竜頭を押し込んだ。

 ウルカが時間の流れを取り戻し、場の熱量が戻る。

「わっと……リチャードさん、これでご納得いただけたと思います」

 リチャードは黙って頷いた。

 懐中時計αは性質上、ウルカ本人は使用できない。彼女の時間を停止した状態で城に潜入させ、クリフたちの突入時にリチャードの判断で解除することになる。


 それからリチャードは、荷馬車の資材の中にウルカ用の装備とスペースを確保するための細工を行った。その間、ウルカは渋面のケイリーから男女の営みにまつわる話を聞かされ、任務にあたる心構えを説かれていた。

 カーティス夫人の納屋で一連の下準備を済ませるまでの時間は、合計で30分といったところだった。この程度の遅れなら城の劇団員に怪しまれることはない。

「よし、竜の巣に飛び込むかね」

 御者席に飛び乗って、荷台の少女に声を掛ける。

「は、はいであります……」

 妙に上ずった返事が返ってきた。作戦に支障はないと思いたい。

「じゃ、今から凍結ハックする。必ず呼び戻すから待っててくれ」

 懐中時計の竜頭を引く。

 さぁ、人生初舞台、勝負の時間だ。




 しばらく馬を走らせ、ブリックフォール城の正門に辿り着いた。予想通り、門番らしき男がリチャードを迎えた。知らない顔だったので、サウスヘイブンに出向いている劇団員と違い本業専門なのだろう。

「止まれ!」

 リチャードは馬を停め、灯りを自分の顔に掲げた。

「彗星座から資材を搬入しに来たサンダーソンだ! 話は付いてる!」

「あぁ、搬入漏れの件か。入れ!」

 門が開かれた。

 庭園は管理しきれていないようだ。グレイスヴァイト伯爵が手放してからそれほど時間は立っていないはずだが、枝葉が乱れ始めている。もっとも、貴族であっても庭の手入れにかかる人件費には苦労しているところが多いようなので、『魔女の帳』が特段に粗雑なわけでもない。


 門番と入れ替わって馬番に誘導され、ガレージに荷馬車を横付け。灯りを携えた男たちが物々しくリチャードを出迎えた。

 いかにもカタギに見えない、凶悪な面構えが揃っている。どこぞのギャングを雇ったのかもしれない。ジャケットの膨らみから、銃を携帯しているのが丸わかりだ。おそらく、警備隊に相当する立場。

「うちの方の雑用係が事故ってな、人手が足りてない。サンダーソンとか言ったか、しばらく城での雑用をやってもらうぞ」

 きた。

 リチャードは内心ガッツポーズした。逸る気持ちを抑え、困り顔で頭を掻いてみせる。

「参ったな、彗星座の方で仕事を残してきたんですが……ベケット団長にはどう伝えたら?」

「明日にでも電報を打ってくれればいい。ついでに買い出しも頼みたいしな」

「了解、じゃあ今のうちに城の案内をお願いしますぜ」

「分かった。荷馬車もあることだ、資材置き場から教える」

 そして人事に口出ししたり、自分の裁量で仕事を割り振ったりできるこの男が警備隊長だ。クリフたちに優先して始末してもらおう。


 城の裏手にある資材置き場は暗く雑然としており、ウルカを隠すにはうってつけだった。

「最近まではグレイスヴァイト家の使用人が検品してくれていたんだが、伯爵が出征した影響で本家に帰ってしまってな。算数のできる奴じゃねえと……」

 警備隊長は面倒そうに尻を掻いた。それぞれの専門スタッフが少しずつ面倒事を避けた結果がこれだ。オーナーの使用人をこき使っていたとは呆れたコンプライアンスだが、まぁ末端なんてこんなものか。

「うっす、俺やりますよ」

 やりたくてやるわけではない。だが雑用係として給料分の仕事はやってきたし、ここでも同じだけの熱意をもって働く。極論、銃を撃つ演出をするなら本物の銃を撃てばいいし、雑用係の演技をするなら相応の仕事をすればいい。

 リチャードは何食わぬ顔で資材を投げ置き、その中にウルカの入った木箱を紛れ込ませた。すぐ隣にゴミ捨て場があるのはちょっと気の毒だ。


 裏手から城に入る。いたって普通のスタッフが皿洗いにいそしむ厨房を通り過ぎ、グレイスヴァイト家が使っていたであろうがらんどうの食堂をスルー。

夕食ティーはどうしてるんです?」

「貴族の城だからって、貴族の作法ではやらねぇな。6時頃に、だいたいのスタッフが大広間に集まってさっさと済ませる」

 6時というのは都合がいい。突入部隊は薄暮に紛れられるし、ほとんどのスタッフは照明を点けたばかりで闇に目が慣れていない頃合いだ。一か所に集まってくれた方が制圧もしやすい。


 最近までグレイスヴァイト家の使用人が出入りしていただけあって、やはり一見してカルトらしい様子は見られない。大広間は既にテーブルを下げられ、見習い役者と楽団が合わせをしていた。

 さしあたっては、被験者女性と主犯格の男はこのあたりに潜んでいるのではないかと見立てていいはず。名目上、女たちは役者として雇われているはずだからだ。それに男の方も、若さと健康と才能を求められる。彼らにもっと接近してみるべきだ。

「この人らは何の練習ですかい? 彗星座でやってる新作の『アミュレット』じゃなさそうっすよね」

 それとなく訪ねてみる。警備隊長はうっとおしそうに見習いの若者たちを睨んでいた。

「興行用じゃねえ。近々、街の学校からガキ共を呼んで芝居を見せるらしい。見習い共がお遊戯会やるぶんには勝手にすりゃいいが、タダってのがなぁ」

「……へぇ。まぁご近所付き合いはいいんじゃないっすか?」

「設営で余計な仕事が増えてんだヨ! 当日はそいつらを招いて晩餐会もするってんだから、追加の報酬がなきゃやってられんぜ……」

 警備隊長は鼻くそをほじりながらぼやいた。

「はは、劇団長も太っ腹なんすね」

「芸術を愛する金持ちの気持ちは分からんよなぁ~」

 愛想笑いしつつ、内心で歯噛みする。

 

 学校から子供を呼んで芝居だって?

 不味い、ベケットらが何のつもりかは知らないが、突入に支障が出る。夕食時を襲えば楽だ、なんて話ではなくなった。


「俺、そっちも手伝えると思いますよ。日程は決まってるんですよね?」

「あ~……そういやサウスヘイブンから電報が来てたなぁ。ベケットさんが追加の見習い女優を送るから、そいつが到着したらすぐにヤるらしい。明日夜に到着するとして、もう1日準備に挟むから、うぅんと、明々後日しあさってだな。よっぽど見込みのある女優なんかね?」

 イングリットのことだ。早くも共同体に取り込む算段らしい。あの役者たちがカルトの中枢であるというリチャードの推論が補強されたかたちになる。

 入城初日から、大きな収穫だった。その後もしばらく警備隊長のやる気のない案内を受け、簡単な雇用契約を結んで寝床に着いた。


 日付は変わって爽やかな早朝。使用人部屋のそこそこ上等なベッドから這い出たリチャードは、さっそく食糧品類の買い出しを任されて馬車を駆り出した。

 道中は宣伝担当のスタッフが同乗しており、街に着いた途端にせかせかと学校の方へと向かってしまった。昨日話していた子供たち向けの劇を宣伝するためだ。本音では止めたかったが、作戦をぶち壊すわけにはいかない。

 ちなみにサウスヘイブンと麓の街では同じレンタル馬車の会社が馬車駅を構えており、そこに顔を出して延長手続きも行った。クリフがこれも見越していたとしたら、ありがたいことだ。

 一旦馬車を預け、リチャードはふらりと市場の方へ向かった。念のため、靴には派手に泥を跳ねさせてある。たとえリチャードに気付かれていない監視役がいたとしても、靴磨き屋に立ち寄る行為を不審には思われないはずだ。

 日陰にひっそりと看板を立てたその露店はすぐに見つかった。サウスヘイブンに近い活発な街の雰囲気にあって、汚らしい店構えは見るからに客を寄せ付けていない。椅子に座って足を投げ出すと、浮浪者じみた店主が濁った磨き油にボロ布をひたした。

 昨晩カーティス夫人の納屋で顔合わせをした時はこんな奴いなかったはずだが、こいつが連絡員で合ってるのか……? と切り出すのをためらっていたら。

「さっそく報告とは、仕事熱心で何よりだよ」

「あんたクリフかよ」

 垢まみれの浮浪者のジジイ、を再現したメイクだった。クリフが顔を上げ、見覚えのある不気味な薄笑いを見せた。悔しいが、リチャードより役者が上手そうだ。

「首尾はどうだね」

「ああ。さっそく不味い情報が入ってきた」

 リチャードは得た情報を端的にクリフへ伝えた。


「ふむ。学生を招いてのチャリティショーか。なるほど、突入作戦の妨げになるね」

 クリフは丁寧にリチャードの靴を磨きながら、他人事のように言った。

「どうする? なんとかして子供たちが城に来ないよう工作できないか? 役者たちを病院送りにするとか、城に設営した舞台装置をぶっ壊すとか」

「ダメだ、これ以上の干渉は劇団に警戒される。向こうが我々の作戦に気付いた場合、甚大な反撃を受けたり逃亡を許したりする可能性が高まる」

「応援を呼んで城を包囲しちまえばいいだろ。あっちはギャング崩れ、あんたらは正規軍、城は袋のネズミだ。だいたいなんで隊員があんなに少ないんだよ」

「応援は来ない。動かせる駒はこれで全部だよ。グレイスヴァイト伯爵家と連合王国軍の名誉を守るため、本作戦は極秘に遂行されなければならないんだ」

 靴磨きの手だけが的確に動いている。


 クリフによると、グレイスヴァイト伯爵家というのが難儀な存在らしい。

「グレイスヴァイト伯爵は『魔女の帳』に拠点を提供した。だが伯爵はあの劇団がカルトの巣窟であることを知らなかった。同家は王国軍に多大な貢献をしてきた軍事貴族で、現当主も自ら大陸戦線に出征している愛国者だ。信用があるし、裏を洗っても何も出てこなかった」

 つまり今回の件に関して、伯爵は完全なシロ。ただの貰い事故だったと。

「だが、伯爵家にとっても軍にとっても、醜聞であるのは間違いない。汚点が付けば両者を繋ぐパイプは詰まる。巡り巡って大陸戦線の連合王国軍にも悪影響が出るかもしれない。それで、この件を秘密裏に処理することになった。先方に色々と融通してもらう代わりにね」

「融通……」

 嫌な苦々しさが、またこみ上げてきた。

「魔女の軍事利用か」

「そうだ。ウルカはそのツテで入隊した」

「はっ、大層なじゃねえか。魔女ってだけで人様の娘を殺し合いに巻き込んで、カルトに騙されたボケ貴族共の尻拭いとはな」

 ここで悪態をついても問題は解決しない。分かっていても、リチャードは路傍に反吐を吐くように、足元を目掛けて呟いた。


「違うな、青年。皆、当事者だ」


 クリフの手が止まった。彼は磨き布を水桶に放り、腰を上げた。リチャードも釣られて頭を上げる。陽が高く昇り、彼の顔は陽射しに照らされた。

 まばゆい、一点の曇りもない、戦士の顔があった。


「この部隊を創設したミランダ・ソロモンス中佐は、魔女だ。私の妹にして同僚であるケイリー・カーライルも、魔女だ。グレイスヴァイト伯爵の一人娘であるシャーロット・グレイスヴァイトも、将来この部隊への編成を確約されている魔女だ」


 つまり、話は付いていたのだ。既定路線だったのだ。自ら苦難を背負い、肉親と共に地獄へ立つ。初めから、これはそういう覚悟を持った人間の所業だったわけである。リチャードはその事実に向き合っておきながら、今の今まで認められなかっただけだった。


 誰かが望み、誰かが赦せば。

 女であろうと、少女であろうと、魔女であろうと、戦場に立つ。


 男と女、魔女と常人、兵士と民間人。そこに境界線があると、誰もが勝手に思い込んでいただけだ。

「リチャード君、我々は汚れていると思うか」

 リチャードは答えられなかった。


 結局、最初の情報共有では問題点を確認し合うだけに終わった。子供たちの集まる場所で特殊部隊とカルト教団が大乱戦など、考えるまでもなく惨劇になる。

「対策は考えておく。明日も可能な限りここで情報を共有したい。ミズ・イングリットを助けたいのなら、まずは自分の仕事を全うしなさい」

 別れ際、クリフはそう言った。

「ああ、分かってる……」

 再び雑踏に身を投じ、喧噪の中に決意の言葉を噛みしめる。

 対策など見当もつかないが、軍事はプロの軍人に任せておけばいい。演ずると決めたのなら、まずは全身全霊で役をまっとうするが役者の仕事だ。

 そうだ、イングリットは今晩に到着するらしい。まずは彼女の世話係か荷物持ちか、とにかく接触できるポジションに付けるよう立ち回ってみよう。救出の意図を伝えておきたいし、彼女を更なる協力者として被験者たちの状況を探ることもできるはずだ。


 そんな決意を固め、リチャードは昼までに市場で雑用係としての仕事を進めた。電信局でのベケットへの連絡を済ませ、買い出しや業者への発注も終わらせた。あとは同乗してきた宣伝係と合流するだけというところだった。

 街の学校から、昼休みの学生たちがわらわらと出てきた。その中を縫うように、チラシを配り終えた劇団スタッフが歩いてくる。リチャードは怪しまれないよう、足早にそのスタッフと合流しようと歩み寄る。

 女学生の集団と、すれ違う。


「明後日のブリックフォール城の劇、アメリアも行くよね?」

「で、でもその日はばあちゃんが牧場主会の仕事だから、お留守番しなさいって」

「牧場主会ってサウスヘイブンまで泊りがけでしょ? バレないって!」

「そうかな……行っても、いいのかな」


 かしましい雑談の中に聞き捨てならない内容を拾って、リチャードは立ち止まった。

 覚えのある名前と、覚えのある声。

 振り返る。


 くすんだ金色の後ろ髪が、惑うように風に揺れていた。

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