第19話:死してなお祖国の為に死す者よ

 アメリアとしては、感動の再会といきたいところだったが。

「あのさぁアメリア、スカートでその座り方はダメよ!」

 開口一番、リタは顔を赤くして説教しだした。

「マジでよくない! 隙だらけ! えっち!」

「で、でもリタしか見てないよ」

「そういう問題じゃない!」

「……ふふ」

 あまりにリタが真剣だったから、思わず笑みがこぼれてしまった。彼女がアメリアに怒るのは、アメリアを心配してくれているから。魔法が暴走した時も、スカートのマナーがなってなかった時も、同じように彼女は怒ってくれる。

 それが堪らなく、嬉しい。

「リタ。また会えて、良かった」

 アメリアは大好きな親友を、そっと抱きしめた。土埃や泥や汗の中に、少し煤けた懐かしい匂いを確かに感じる。体温が高くて、心臓が脈打っていて、あぁ、生きているのだと。

「本当に、良かった」

 リタはそれだけで棘を抜かれ、ひとつため息を吐いてからぎこちなくアメリアの背に腕を回した。

「……あたしも、会えて嬉しい」

 ふたりの頭上に翼影が降りた。金属質の羽音を立て、空中偵察をしていたケイリーが舞い戻った。

「リタ、よく生きていたな」

 ケイリーは感動のハグには一切興味がないらしく、いつもとまったく同じ調子でリタを労った。

「ケイリー、あんたも来てくれたんだ。心強いね」

「帰投するまで気を抜くべきではない。こちらの戦力は手薄だ」

「まぁ空挺降下じゃ頭数もギリギリだし、あんたとアメリアがいるだけでも御の字でしょ。他のメンツは?」

 素っ気なく答えようとするケイリーを制し、アメリアはニヨニヨ笑いをこらえながらリタに囁く。

「リタの好きな人だよ」

「あ?」

「もう、分かってるでしょ?」

 リタはしばらく考え、先ほどより更に顔を上気させた。

「い、いや、サンダーソンのことなんかぜんぜん好きじゃないんだから!」

「私はサンダーソン上等兵だなんて言ってないけど?」

「……ぅ」

 髪と同じくらい頬を真っ赤にするリタ。まさか親友にこんなからかい甲斐があったとは。

 ご満悦のアメリアの頭を、ケイリーがぴしゃりと叩いた。

「情報は的確に伝えろ。サンダーソン上等兵が港のドックで待機している。これから我々が脱出に用いる艦がある場所だ」

「どうもケイリー……じゃあ港方面は制圧したってことでいい?」

「ああ。その辺りの情報は、これから擦り合わせていこう」


 続々とレジスタンスの面々が地上に這い出し、最後に灰色髪の少女が登ってきた。アメリアは彼女こそがレジスタンスの魔女であると一目で分かった。ずいぶんと幼い身なりだが、彼女の所作には魔女らしい妖気が漂っていた。

「魔女戦隊のお二方、遠路はるばる大儀であった。余はマリー・テレーズ・ド・ガラティエ、レジスタンスの魔女だ」

 品のある仕草で握手を求められた。ケイリーと顔を見合わせてから、アメリアがその手を取る。

「初めまして、マリー……テレー……ええと」

 名前が長くて聞き取れなかった。マリーは片方の眉を「おや」と吊り上げたが、寛大に頷いた。

「好きに呼ぶとよい」

 値踏みするような、妖しい視線。アメリアはそこはかとない寒気を感じ、そっと「待った」をかけることにした。

「……少々お時間を、ください」

 ケイリーとリタを集め、輪を作ってひそひそと。

「なんだろ、あの子ちょっと怖いかも」

 ケイリーが挙手して口を開く。

「おそらく魔法で年齢を詐称している。ばばあのような喋り方だ」

 リタが噴き出した。

「はっ、あいつ見た通りのガキよ。たぶん、だけど……」

 リタはしばらく彼女と共に行動していたはずだ。あまり相性のよくなさそうなタイプだが、アメリアは一応の所感を訊いてみることにした。

「あの子、どんな性格?」

「試し行為が好きな、めんどくさいカノジョみたいな奴」

「うーん、なんて呼んであげるのが正解なのかな」

「マリーちゃんでいいんじゃね? シャーロットと同じくらいのおチビだし」

「ふーん……」

 超なげやりなリタ。特にマリーを恐れたり、彼女に嫌悪感を抱いている様子はない。

 アメリアが確かめたかったのは親友の反応だった。少なくともレジスタンスに身柄を預けている間、ひどい扱いを受けてはいなかったようだ。つまり、マリーは胡散臭いけどそう悪い子ではない。としておく。

 アメリアはにこやかにマリーの方へと向き直った。

「ではマリーちゃん、私は連合王国軍魔女戦隊のアメリア・カーティス。こちらは同じく魔女戦隊のケイリー・カーライル。よろしくね」

「う、うむ? マリー……ちゃん?」

 かなり面食らったマリーの頭を、リタがわしゃわしゃと撫でまくる。

「あたしらのこと、お姉ちゃんって呼んでもいいんだよ? それかお姉さまでも可」

「なんだお主、仲間と合流したからって急に調子に乗りおって!」

「おーおー可愛いねぇマリーちゃん、てかなんで髪に灰被ってんの? うわきったね」

「さ、わ、る、な!」

 意外と仲良しなようで何より。リタはなんだかんだで小さい子への面倒見がいい。シャーロットのことも、まぁ、本気で嫌ってはいないはず。


 ひとしきり弄ばれたマリーが、アメリアの方へ再び進み出た。

「してアメリアよ、その礼節ある服装の所以ゆえんを聞こうか」

「あぁ、これはね。ソロモンス中佐……魔女戦隊の長官が、あなたへの挨拶として正装するべきだって」

 戦場には向いていない服装であるのは確かだ。でもスカートや帽子の羽根飾りなんかは最前線の楽隊だって身に付けているし、そこまで変ではない。ただ、敵陣に空挺で斬り込むような緊急時に恰好まで気にするのは、実に中佐らしくない。

「ほう、ソロモンスが」

 マリーは顎に手を当てて考え込んだ後、ふいにアメリアの瞳を覗き上げた。

「オフレコはなし、ということじゃな」

「え?」

「お主がここで見聞きしたものはすべて、連合王国の公式見解に影響を及ぼす。ゆえに、余は振る舞いに気を付けよう」

 それすなわち、アメリア次第でレジスタンスの命運が決まるということ。アメリアが彼女らを危険だと判断すれば、そのように記録せざるを得ない。記録は連合王国の裁決に、必ず響く。アメリアの視座が、公正に、冷酷に、公国というひとつの勢力の未来を握るのだ。

「わかりました。ここまで命を賭けた私たちの信任に背かぬ行動をお願いします」

 アメリアは正面からマリーの瞳を射返し、言い放った。


 全てのレジスタンスメンバーが地上に出た。まだ姿を見せていないゲクラン将軍という男は、別ルートで収容所正門を確保しに行ったらしい。マリーが特別にこしらえた最強のゾンビだとのことで、そちらは単独行動で問題ないという。何やらリタが苦々しい顔をしているのがやや気になった。

「さて、諸君。公王陛下をお救いしよう」

 マリーが先頭に立ち、勝手知ったる足取りで囚人舎の奥へと進んでいく。

「どこに公王陛下がいるか分かるの?」

 アメリアが聞くと、マリーは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「最重要人物をどの独房に入れるか、そう選択肢は多くない」

 レジスタンスが公国軍の軍服を着ているせいか、囚人たちが一斉に格子を掴んで騒ぎ出した。きっと、救出にきてくれたのだと思っているのだろう。縋り付く無数の手を、纏わりつく無数の瞳を、マリーは一瞥だにしない。

「この人たちは?」

 どんな艦種であれ、軍艦は十数人では動かせない。ここまで特に言及はしてこなかったものの、収容所に赴いたのは操艦のための人手を用立てる意図もあったはずだ。

「後じゃ。まだ解き放ってはならん」

 しかしマリーは頑なに歩みを止めない。

「誰が上か、はっきりさせてからじゃ」

 声のトーンが低い。


 アメリアはマリーの横に並んで、顔を覗き込んだ。

「マリーちゃん、怖い顔してる」

 ドブに浸かったような目付きだ。これから祖国の指導者をお救いする人間の目ではない。

 アメリアにはうっすらと、予感があった。王国語はレジスタンスたちの耳に届かないと分かっていても、自然と声を低く落として耳打ちする。

「公王陛下が亡命に乗り気じゃない可能性もあるんだよね」

「……お主、分かるか」

 その答えで、マリーの懸念がおそらく事実であることを察する。


 本来、亡命政権の指導者はマリーでいいのだ。彼女はれっきとした公王家の血を引く姫君である。またレジスタンスをまとめ上げる将才もあり、魔女の力ありきとはいえ帝国軍と互角以上に渡りあった実績もある。おまけに若く美貌も備えており、求心力も申し分ない。


 対して現公王はどうか。アメリアは彼がどんな人となりなのかは知らないが、彼が有能なら少なくとも公国がこのありさまになってはいないことくらい想像がつく。前にソロモンス中佐に聞いた言葉を思い返すと、公国府は皇帝の傀儡だそうだ。どうやら近いうちに帝国の保護領化するという話もある。これを鑑みると、公王がひどく弱腰なのは間違いない。たとえ、現状で最も犠牲を避けられる判断だとしても。


 公王に、国を割る覚悟はあるのか?

 取り残された公国領に更なる流血を強いてなお、戦時体制を復活させる覚悟は?

 戦争を続けるということは、国民に「死ね」と命ずること。連合王国の女王のように、無慈悲な鉄の君主になる覚悟が、果たして虜囚の公王にあるのか。

「もし、公王陛下の協力が得られなければ、」

 ここに来た意味は。

 マリーはアメリアの言葉にゆるく首を振った。

「みなまで言うな。お主にはすべて、見届けて欲しい」

 獄舎の最奥、大きな鉄扉に突きあたった。


 リタが進み出て、扉の錠を焼き切った。彼女とケイリー、それにレジスタンスの面々はその場で待機を言い渡された。マリーに手招きされ、アメリアだけが連れ立って小さな牢に踏み入る。

 天窓から降り注いだ光が、埃にきらきらと反射している。

 特別に豪奢な造りではない。ただ、守りやすく脱獄しにくい間取りの部屋というだけ。質素なベッド、壁に向けられたデスクの上にはわずかな新聞と本。やはり簡便な椅子の上で、ひとりの老人が静かに来訪者を待っていた。

 深く落ちくぼんだ瞳がアメリアとマリーの間を彷徨う。それから老人は、枯れ木の間を抜ける風のような溜息を吐いた。血縁関係のようだがマリーとは似ても似つかず、長い虜囚生活のためか覇気がない。


 マリーは軽く鼻を鳴らすと、不遜にも仁王立ちのまま話し始めた。

「ご機嫌麗しゅう、御老公。客人の手前、王国語で話していただこうか」

 老人__公王は渋々といったふうに王国語で応える。

「……マリー・テレーズ。貴様、国をどうするつもりだ」

「帝国から取り戻す」

 マリーはよどみなく言い放つ。

「時間がない、父上。に協力して亡命政権を打ち建てるつもりがおありなら、今すぐ席を立たれよ」

 公王はいやに長くマリーを見つめていた。マリーがブーツで床を何度か叩いて、彼は再び溜息を吐いた。

「今さら、民に戦えというのか……」

 囚われ、屈服し続けた老人の、諦観だった。

 マリーは盛大な舌打ちをし、袖口から何か金属質のものを握り込んだ。

「この状況で、御戯れでもありますまい。ゆえに、狼藉をお赦しいただきたいのだが」

 瞬間、横で聞いていただけのアメリアは、髪の毛が逆立つような寒気を覚えた。


 マリーの右手の中には、小さな拳銃があった。女性が隠し持つための、工芸品じみたちゃちな代物。しかし、銃弾が込められている。彼女はその銃口をぴたりと老人の額に向け、セイフティを外し、トリガーに指を掛けている。あと数ミリの殺意で、老人は死ぬ。

 殺意に転ずる最後通牒の怒りが、マリーの唇からふつふつと熱を持って、紡がれる。

「最終的に流れる血が少ないから降伏を選んだのなら、あなたは国家元首に相応しくない。血を流さなかった民はいつか奴隷の札を貼られ、末代まで帝国に搾取されるだけの劣等人種に甘んじるだろう」

 銃口が、老人の額に強くめり込む。グリップを固く握る少女の指が白い。

「降伏した者が皆、あなたや政治犯や高級将校のように収容所に入れられて飯の世話をしてもらえると思っているのなら大間違いだ。私がここまで辿り着くのに幾万の死体を使ったか、その死体がどこで野晒しにされていたか、彼らがどんな思いで処刑され、あるいは飢えで死んでいったか、あなたはご存じないはずだ」

 公王は薄ぼんやりと白濁した目付きを、己に突き付けられた銃身に向けている。

 マリーは、涙声だった。

「父上、あなたは……死してなお祖国の為に血を流す者に、報いる覚悟がおありか」

 覚悟がないのなら。

 ここで死ね、と。

 あと数ミリの殺意が、撃発の時を待っている。


 公王は枯れ枝のような手で、銃身を掴んだ。

「無様なものだ。最期の時に、生まれ得た祖国のことばで話すことすら許されぬとは」

 彼は急にアメリアを睨んだ。

「そこの小娘。連合王国の魔女だな」

「は、はい」

 いや。彼の瞳に光が当たって、ようやく気付く。睨んではいない。

「誰も好きで戦っているわけでは、ないだろう」

 声色はずいぶんと、穏やかだ。だが痩せたくぼみに埋まった彼の瞳に、アメリアは反感を掻き立てられた。


 それは、憐れみだった。


「お前やマリーのような子供が戦わずに済むのなら、それでよいではないか。生きてさえいれば……奴隷であれ、敗北主義者であれ、構わぬのが人の性よ」

 公王は、優しいのだろう。冷酷な人間から憐憫は生まれない。しかし。

「なんですか、それ」

 マリーが涙を堪えて言葉を詰まらせた隙に、アメリアは口を開いた。連合王国軍の正装をして他国の元首に口答えをするのはマズい、分かってるけど。

「私たちが、本当は戦いたくないとでも?」

 一歩前に出る。


 何人殺してきたと思っている。

 嫌々ながら、殺してきたとでも? 戦争の時代だから仕方なかったとでも?


 公王は力なく座したまま。

「お前たちが自ら望んで戦ってきたと思うのは、自意識過剰な誇大妄想だ」

 知ったような口を。

「私、強制なんかされてません。周りの大人に囃されて志願したわけじゃありません。親が大陸戦線で死んだ時から__」

「赦せなかったのか?」

 彼はただ静かに、マリーの銃口を受け入れたまま、アメリアを見据えている。

「帝国を憎んだことはありません。私は、生きてるだけで戦争の当事者だから……」

「お前はのうのうと生き永らえている自分を赦せなかったのだ。違うか?」

「知ったような口を!」

「知っているさ。安寧のうちに自分を赦せず、わざわざ戦地へ飛び込む愚かな若者たちのことはよく知っている。儂が彼らの心に付け込んで徴兵し、50万人ほどむざむざ死なせたのだからな」

「違います。私は、自分の意思で……戦ってきた」

「子供が自ら戦わねばならぬ世は、間違っている」

 血が、頭に昇ってくる。

 違う。そんなんじゃない。

 父や母が死んだのに自分が生きてるのが赦せないから戦争に行ったなんて、そんなわけがあるか。死んだ人の為に、もう生きてはいない、もう笑いかけてくれない人なんかのために、大好きなばあちゃんを裏切ったって、そんなわけが、そんなわけが。バカにするな、バカにするな、バカにするな!

 黙らせなきゃ。ぶん殴ってでも、この老害ジジイの減らず口を、塞いでやらなきゃ。この臆病者の、負け犬の、骨なしの……!


 更に一歩踏み出そうとして、激しい音に身をすくめる。

 マリーが公王の胸を蹴とばして、椅子ごと床に倒していた。情けなくうめき声を上げる老人に、彼女は冷たく吐き捨てる。

「もういい。が導く公国に、敗北主義者は要らぬ」

「マリー……悪魔の子よ……民を、地獄に導いては、ならぬ」

「地獄だと? 今この状況が地獄ではないと?」

 マリーは起き上がろうとする公王をもう一度踏みつけてから、ベッドの上に手を伸ばした。枕と、シーツを片手で持てるだけひっ掴んで公王の顔に覆いかぶせる。

「ずいぶんと幸せな余生であったようだな、老害が」

 シーツで拳銃を包み、彼女は躊躇いなく引き鉄を絞った。くぐもった銃声。

 白い布地に、赤がじわりとしみ出していく。

 老人の身体は数度だけ痙攣し、すぐに動かなくなった。

「見苦しいところを見せたな」

 王を、親を殺した少女は、あでやかにアメリアへと微笑んだ。妙に、清々しい顔だ。


 公王に亡命政権を率いる意思はなかった。

 この時点で、彼を生かしておく選択肢は失われていた。無理やり引きずって亡命させれば、マリーの戦略と相反する方向に影響力をもたらす可能性があった。かといって置き去りにすれば帝国の占領政策に利用され、亡命政権と傀儡政権で国を割る最悪の展開になっていただろう。

「幻滅したか? アメリアよ」

「ううん。こっちこそ、熱くなっちゃってゴメン」

 この正装はそういう意味でもあるのだと、アメリアは今になって思い知った。マリーの行動を、連合王国軍は確かに監視のうえで承認した、ということだ。下手に行動に移す前にマリーが手を下したのは、幸か不幸か。身の振り方に気を付けねばならないのはアメリアも同じ。

 それに残酷な決断をする人を、アメリアは尊重したい。ソロモンス中佐がそうだから。アイラ王女も。勝つために手を汚す人を、誰かが赦さなければならない。

「私は黙ってるけど、皆にはどう言うの?」

「レジスタンスには説明済みだ。これから解放する捕虜たちには、帝国軍に暗殺されたことにしておく。炎の魔女と竜の魔女には、お主から口止めを願おう」

「分かった」

 アメリアとマリーは部屋を後にし、一同に公王の死を伝えた。レジスタンスたちは既定路線だと分かり切っていたようで静かに頷く一方、リタとケイリーは顔が引き攣るのを抑えきれなかった。

「このことは絶対、秘密だよ。いい? リタ、ケイリー」

「漏らせるわけないっしょ……」

「秘匿を厳守しよう」

 墓場まで持って行くべき秘密というものが、これほどまでに重いとは。きっとこの先、どんな凄惨な戦闘よりも冷や汗の滲む記憶になるだろう。


 そんな落ち着かない気持ちはとりあえず一区切りして、一同は撤収の段階に移った。公王とマリー、どちらの考えが正しかったのかはのちの時代に公国人が決めればいい。あの時点で彼は生きていても仕方ない人間だったし、彼を切り捨てると決めたのなら誰も気に病むべきではない。

 レジスタンスが解放した捕虜を獄舎前に並べ、看守から奪った武器を次々と手渡していく。捕虜たちは早口の公国語で何やらささやき合っているが、公王陛下の死を悼む殊勝さはあまり見受けられない。彼らは絶えずマリーに値踏みするような視線を注いでいる。

 捕虜たちは公国が魔女を秘密裏に保有していたことも、彼女が公王の隠し子であることも、すぐに受け入れた。事実関係の裏取りは後からでもできる。今重要なのは、マリーが現状を打開してくれたこと。そしてこれから重要なのは、マリーが自分たちを導いてくれそうなこと。愛国心や忠誠心の正体は、結局のところ「自分を生き延びさせてくれるか」という実利に帰結する。所詮はそんなものだ。


 車庫から護送バスも4台ほど拝借し、次々とレジスタンスと捕虜を乗せていく。全滅を避けるためアメリアたちは鈍重なバスには乗らず、典獄の私物とおぼしき高級車を拝借することになった。運転はリタが担当する。空から援護する役目のケイリーには任せられないし、リタとアメリアどちらがマシな運転をできるかと言えば前者だった。

「18歳の乙女に車の運転させるか? ハンドル握るのは野郎の役目だろ普通……」

 おぼつかない手つきでレバーをいじりながら、リタがぼやいた。どのみちレジスタンス側でも運転の心得がある者は多くないそうだ。その点、魔女戦隊では最低限の運転に関する講習を受けているためマシなはずなのだが。

「私とサンダーソン上等兵もぶっつけ本番で空挺したし、なんとかなるよ」

 励ますためにそう言ったら、物凄い顔でリタが振り返った。

「はぁ!? 空挺の訓練してないの!? 軍の奴ら、人の命なんだと思ってんのよ!」

「ま、まぁまぁ、万全の準備ってなかなかできないよねってことで……」

 藪蛇だった。

「しゃーないか。戦争って無茶ばっかりだもんね」

 リタは観念してエンジンを点けた。レバーの入れ方が荒っぽかったせいで、ふたりの尻が座席から跳ね上がる。しばらくして大きなわななきが収まり、エンジンの回転数が安定し始めた。

「うん、本当に無茶ばっかりだよ」

 そもそも、連合王国がジャバルタリク戦線で踏みとどまっていることからして無茶なのだ。既にラインを踏み越えているのだから、今さら1歩2歩行き過ぎたところで騒いでも仕方がない。

 護送バスの先頭車両が発進した。レジスタンスたちが窓からライフルを突き出した様子が、どこかハリネズミを連想させる。続いて第2~第4車両も元捕虜を満載してトロトロと走り出す。殿しんがりにリタの操る高級車が付き、最後にケイリーが空中から追従する陣容となる。

 それで全員かと思ったら、正門を過ぎたところで巨大な戦斧を携えた巨大なゾンビが車に並走してきた。

「いよォ、お嬢ちゃん! 連合王国軍の魔女だな!?」

「えっなにこの人……人?」

「俺は公国軍最後の名将にしてマリーの右腕、ゲクラン将軍だ! 会えて嬉しいぜ!」

「こ、こんにちは、アメリア・カーティス……です」

 まずアメリアにはゾンビが喋ったことがショックだった。身の丈が3メートルくらいあるのもよく分からない。が、とりあえずリタが先述していた味方であるのは確からしいので、辛うじて挨拶を返した。

 リタがうっとおしそうに、しっしっと手で払う仕草をする。それだけで、リタの苦手なタイプの人間であることはアメリアにもすぐに分かった。

「幅寄せすんな、事故るでしょ! あと臭いしうるさいから近寄るな!」

 ゲクランはリタの態度を意に介さず、走りながら器用に頭だけをアメリアに寄せた。

「公王のことで嫌なモン見ちまったろ。マリーは不器用なんだ……お友達には向かん奴だが、見限らないでやってくれ」

 それだけ言って、ゲクランはさっさと車両を追い抜かして行った。


 リタの話によると、もうじきマリーのゾンビ軍団は活動限界を迎えるが、ゲクラン将軍だけは戦力として残るとのこと。アメリアたちとしてもマリーの力に限度があることは察していたし、それでなお彼女が強力な手札を残しているのは素直に頼もしい。公国軍の将校という肩書きも、この大所帯を束ねるのに有効に働くだろう。ともあれアメリアたちとしては、レジスタンスたちが烏合の衆にならなければそれでいい。


 さて、ガラティエ周辺に展開している帝国軍は、すぐに市街へとなだれ込んでくると予測される。だがこちらも港に辿り着けば、あとは奪った艦で逃げるだけだ。どれだけ帝国軍が大部隊で追って来ても、展開速度には限度がある。アメリアの見立てでは、作戦は順調に進んでいる。

「そういや、脱出に使う艦ってどんなもん?」

「あ、リタは聞いてなかったんだ」

「マリーとはもっと重要な話ばっかしてて、聞きそびれちゃった」

 確かに脱出の足に使う艦のことなど、レジスタンスに囚われていた段階のリタ視点ではどうでもよい部類の話だ。

「特務計画艦『メルセルケビル』っていってね、水上機母艦を改造したものらしいんだけど」

「え……改造艦? スペックとか大丈夫なの?」

 明らかに嫌がるリタ。気持ちは分からんでもない。速力のある駆逐艦などの方が無難なのは確かだ。

「速力は23ノット」

「おっそ! 旧式の防護巡洋艦にも負けそうじゃん。死だよ~」

「でも、航空誘導爆弾っていう新兵器を積んでるのが凄いみたい。対地・対艦両用の、自律して目標まで飛んでいくロケットを運用する船なんだってさ」

「はぁ、胡散臭い実験兵器ね。そういやマリーの奴、あたしの他にも『手土産がある』とか言ってたんだけどさ、もしかして連合王国軍はその新兵器を手土産にチラつかされてレジスタンスに協力してんの?」

 大正解である。話が早くて助かる。軍上層部は元々、帝国軍の新型艦を破壊する計画を立てていた。鹵獲に舵を切ったのも、リタの救出を目標に加えたのも、レジスタンスの働きかけがあったからだ。

「でも私はずっと、リタのことを一番に想ってたからね」

「おやおやアメリアちゃん、そんな可愛いこと言われたらおねえちゃん嬉しくなっちゃうよぉ」

「えっへへ」

「うぇへへ」

 などとじゃれあいながら港へ向かう道中、特に帝国軍の妨害を受けることはなかった。相変わらず、ガラティエ市民は各々の住処で息をひそめつつ、行進する車列を見守っていた。


 一同は市街中央を抜け、何事もなくドックに到着した。先にレジスタンスが奪取していた艦隊は、ゾンビたちの停止に伴い沈黙している。サン・パウロ沿岸要塞の方も動きはないため、ひとまず状況は維持されているようだ。

「無事だったか!」

 ドック入口に積んだ土嚢に座り込んでいたサンダーソン上等兵が、アメリアたちを見るや叫んだ。わらわらと降車してきたレジスタンスや捕虜やマリーやゲクラン将軍への反応をすべてすっ飛ばし、彼は最後列のアメリアたちの方へと駆け寄った。

 アメリアは先にそそくさと車を降り、リタを手で促した。

「どうぞ」

「あ? 何その態度」

 何やらすっとぼけた態度をしているが、リタの頬が紅潮しているのは誰の目にも明らかだった。リタとサンダーソン上等兵の間にそれほど交流があったようには思えないが、やはり会えない時間がロマンスを加速させるのだなぁ……などとアメリアはひとり納得。

「抱き合うくらいの時間はあると思うよ」

 ニヨニヨ笑いを抑え、リタの手を引いてサンダーソンの前に立たせる。呑気なレジスタンスたちも辛気臭い元捕虜たちも、雰囲気を察してか公国語で何やら囃し立てている。ひときわバカでかい声で「お熱いねぇ!」と叫んだのはゲクラン将軍だろう。

「バカじゃないのあんたら__むぐっ」

 呆れるリタを、サンダーソンがおもむろに抱きしめた。

 そして、唇を奪った。

「んっ、んむっ」

 リタのしおらしい抵抗は小さくサンダーソンの背を叩くだけに留まり、そしてすぐに止んだ。たっぷり20秒ほど、ふたりはくちづけを交わした。それはいわゆる大人のキスというもので、傍から見ているアメリアの方が赤面してしまうほどのものだった。

「うわ……わぁ……」

 アメリアはガチな「それ」は舌をとんでもない動きで絡め合うということを初めて知った。

 ちなみにレジスタンスと元捕虜のおっさん共が一番に盛り上がり、見かねたマリーが一喝してようやく収まった。


 当然、全員が賑やかしに加わっていたわけではなく。1分1秒を惜しんで、公国人たちは『メルセルケビル』の発進準備を進めた。海軍畑の人間が誰もいないため不安は残るが、ゲクラン将軍の指揮で操艦だけならなんとかなりそうとのこと。航空誘導爆弾とやらについては何も聞いていないし、実験兵器をアテにしようとも思っていない。

 連合王国軍の4人はドックの前にバリケードを築き、市外方面から押し寄せる帝国軍に対し最後の時間稼ぎを行う。

「サンダーソン上等兵、爆薬の準備はどうですか?」

 彼は最悪の場合に備えて『メルセルケビル』を自沈させる準備を進めていたが、こうして無事に一同が会したため、不要になった爆薬を罠として再利用してもらった。

「ああ、予測される侵攻ルートにたっぷり仕掛けた。敵が戦車で来たって初撃は蹴散らせるだろうぜ」

 敵も焦っているはず。最短ルート以外を通る心理的余裕はない。迎撃は簡単な部類に入る。

 アメリアは傍らでまだ赤面しているリタの方に振り返った。

「リタ、魔法は使える?」

「あ、うん……道具のせいで射程は落ちるけど、敵を焼き払うぶんには問題ないわ」

 リタはライターから青い炎を鋭く閃かせた。アメリアの目には、それが弱体化したようには見えなかった。むしろ、発動までのスピードに限っては洗練されているようだ。

「リタ凄い! ライターでも魔法が使えるのは知らなかったけど」

「うーん、あたしも詳しく説明するのは難しいんだけどさ、気持ち次第……的な?」

「急に根性論」

 しかしアメリアも根性で魔法を制御している節はある。今はリタが戦力として頼れることが分かったからそれでよしとする。

「あとはケイリー……そろそろ降りてくる頃だよね」

 ちょうど、ケイリーの銀翼が3人めがけて高度を下げてきた。彼女の偵察の結果を聞いたら、待ち伏せ地点に各々が移動して迎撃に移る。

「おーい、ケイリー! どうだった!?」

 ごう、と急制動で着地したケイリーは、相当に険しい顔をしていた。

「悪い知らせが3つある」

「良い知らせはないのかい?」

 サンダーソンのツッコミに、ケイリーは怪訝な眼差しを送った。リタが彼の脇腹に肘を食らわせ、続きを促す。

「どーぞ、ケイリー」

「……順に説明する。まず、帝国軍の地上部隊を先導しているのは黒い装甲車両の一団だ。おそらく、アメリアたちがエスターライヒからの撤退時に交戦した部隊だと思われる」

 リタが剣呑に犬歯を剥いた。

「それ、魔女狩り部隊って奴だよ。あたしを撃って捕まえた女狙撃手も、その部隊に所属してた」

 アメリアはそれを聞いて警戒心を引き上げた。エスターライヒでは巨大なドラゴンを操ってきたが、今度はどんな手を使ってくるか予測がつかない。サンダーソンは「女狙撃手?」と別の部分に引っかかっているようだが、今は置いておこう。

「次に、その魔女狩り部隊とやらの車列に一個小隊規模のナハツェーラー部隊が追従していた」

 それを聞いたリタが頭を抱えた。

「嘘でしょ……ゾンビ軍団に呑み込まれたと思ってたのに」

 あの怪人集団を相手取るのはかなり骨が折れる。幸いにもアメリアとリタとサンダーソンは彼らとの交戦経験があり、ケイリーも格闘戦で彼らに遅れは取らないだろうが、今回は護衛対象が居る。『メルセルケビル』発進の準備が整うまで、艦と亡命者一行を守り抜かないといけない。

「それと最後に」

 ケイリーは踵を返し、空の一点を指差した。

 青空の中に、大きな影が見える。

「敵飛行船、LL級の増援が来ている」

 ケイリーは淡々と言うが、その場の全員がかつてなく険しい顔色になった。

 LL級といえば、アイラ王女がジャバルタリクを訪れる際に彼女を襲撃した艦種だ。飛行船としてはかなりの重武装で、莫大な対空機銃による防御性能とワイヤー誘導魚雷による対艦攻撃能力を併せ持つ。さらに、ゴンドラ下部のペイロードに主力戦闘機アイゼンフォーゲル1機を搭載できる。

 LL級が直接『メルセルケビル』の撃沈を試みるかはともかく、飛行船の偵察能力は決して無視できない。無事にガラティエを脱出できたとして、飛行船に追跡された状態では航行ルートが敵に筒抜けとなってしまう。必ず撃墜しておかなければならない。

「私は当該飛行船の対処を行うが、ここでさらに問題がある」

 ケイリーが言う間に、飛行船の影から何か幅の広い物体が切り離された。


 それは帝国軍の単葉戦闘機とは違うシルエットをしていた。

 もっと有機的なかたちで、翼があり、緩やかに滑空して高度を落としていく。長大な尻尾を蛇のようにくねらせ、空中で優美にバランスを取るそれは、明らかに生物だ。しかしその姿は、現実に飛行能力を有するどんな種とも合致しない。

「……なぁ、ケイリー嬢? 悪い知らせ、4つ目じゃねえか?」

 サンダーソンがみるみる青ざめていく。アメリアも、身震いを抑えきれない。


 大気を引き裂く、咆哮。肌が泡立つような、純然たる生存欲求のままの絶叫が、アメリアたちを圧し潰そうとする。


 アメリアたちがエスターライヒで戦った最強の敵、巨大なドラゴンの姿をした生物兵器。

 ちょうどあの個体に巨大な翼をくっつけたら、あんなシルエットになるだろう。

 ただでさえ強かったあの害悪生物がもう一匹いて、更に飛行能力まで獲得しているとは。にわかに信じがたい状況に、現実感が追い付かない。

「……どーする?」

 リタが引き攣り笑いでアメリアへ振り返る。

 状況は絶望的。


 だが、ここで屈する選択肢は、誰も持ち合わせていない。そんな楽な道、誰も知らない。


「あのドラゴンは私とリタが引き受ける。ケイリーはパンツァーファウストを私に返して、最速で飛行船を潰してきて。サンダーソン上等兵は敵の先頭集団を爆破したら、すぐに防衛線をドック手前まで引き下げて、レジスタンスの皆さんに応援を頼んでください」

 今を生き延びるためにやるべきことだけは、明快に、燦然と、アメリアの目の前を照らしてくれる。

 ここでは死ねない。まだ盤面を覆していない。追い詰められたままでいるのはムカつく。アメリアは噛みつかれたら食いちぎり返してやらないと気が済まない。


 鉄条網が、アメリアの仕事道具が、指にまとわりつく。鋼鉄の茨が、戦えるよろこびに打ち震える。アメリアの中の怪物が、甲高く耳ざわりに、戦意を謳う。


「皆で生きて帰るんだ。それを邪魔する奴は、絶対に叩き潰す」

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