第18話:死してなお④

 外が騒がしくなってきた。村のレジスタンスたちは引き払う準備を進めているようだ。ちらりと窓の外を覗くと、電索装置レーダーに爆薬を仕掛けているところだった。

 レジスタンスの魔女の、見透かすような視線。自分の情報が人を揺り動かすと知っている者の、傲慢な視座。

 リタはもちろん動揺した。

 だが、気に入らない。掌の上で踊ってやるのは気に喰わない。頭にふつふつと沸くのは、自分の問いをはぐらかされたことへの怒り。こいつ、人を手玉に取るのに慣れてやがる。

「話、逸らさないでよね。あたしが聞いてるのは、あんたのこと。お分かり?」


 ソロモンス中佐がいつから連合王国に巣食っているか知っているのか、だって?

 もちろん知らない。普通に軍隊生活を送っていて耳に入ってこないなら、それは機密事項なんだろう。

 でも、それがどうした?

 魔王ソロモンの僕だか悪魔の末裔だか知らないが、リタの知っている限りソロモンス中佐は優れた軍人だ。善人ではないと思うが、連合王国のために戦い続けてきた。彼女が居なければ、魔女戦隊は成立しない。それで充分。


 リタはマリーを睨み返した。

「今この場に居ない人間のことなんかどうでもいいわ。問題は、ソロモンス中佐の裏を知ったかぶってるあんたは何者なのかってことよ」

 リタは「あんたは本物の魔女なの?」と聞いただけだ。知りたいのはマリーがどんな人物かであって、魔女の本質やら真贋なんかではない。今この場でリタが生き延びるために役に立たない情報なんか、どうでもいいのだ。

「あたしを拉致したのはどういう了見なのか。あのゾンビ軍団で何をするつもりなのか。あんたに勝算はあるのか。今あたしが知りたいのはこれだけよ」

 マリーが人を見透かすような目付きをするなら、それでいい。こっちはもうキレてる。敵なら敵ではっきりさせよう。お友達付き合いもできない奴と外交ごっこに興じるつもりはない。

「ふふ……」

 マリーは、そんな憤懣ふんまんやるかたないリタを前に、薄く笑った。ただし、意味深な含意は見えない。リタを好ましく思ったから微笑をくれてやった、そんな感じ。ここへきて初めての、傲慢ながら悪意のない顔つき。

「やはり、付け焼刃の詐術では丸め込めんか。お主の国家に対する忠誠心を揺るがせ、こちらに依存させる企てが台無しだ。もっと世俗に触れておくべきであったな」

「人を舐めんな、クソガキ」

 別に忠義で人殺しを仕事にしてるわけではない。おチビのくせに、つくづく癪に障る。

「よかろう。では余の話をしようか」

 あっさりと、マリーは言った。降参だ、とひらひら手を振り。

「お主の言う通り、余もわらべであるからな。上の世代に伝え聞き、受け継いだものしか知らぬことを前置きしておこう」


 曰く、本来の魔女とは、悪魔を身に宿した__つまり、悪魔に見初められた女である。

「余は、ガミュジンという悪魔と契約しておる。その権能は死者の魂を屍へと縛り付け、意のままに操る……要はお主らがゾンビと呼ぶものを使役する力じゃ」

 ここまでは理解できたか? と挑発的に上目遣いをするマリー。リタはその妙にこなれた色気に腹が立ち、がりがりと頭を掻いた。

 魔女も魔法も存在する。そう確信できるのは、リタが実際にその当事者だからだ。

「悪魔とか……見たこともないのにいきなり言われてもなぁ。そのガミュジンさんとやらはどこに居るのよ」

 するとマリーは頭をトントンと指で小突いた。またドッグタグが鳴く。

「ここじゃよ。余の頭の中で、囁くものがおるのじゃ」

「頭の病気かよ」

 それはこの小さな魔女も分かっているようで、神妙に頷いた。

「その通り。古い時代には悪魔憑きと称され、異端者として処されてきた歴史がある。ではどうやって余の正気を証明すべきか、という問題じゃが」

 彼女は机の引き出しに手を掛けた。

「記録がある」

 古びた記録簿が、リタの前に差し出される。最初からこの話に流れることも織り込み済みだったらしい。他の荷物なんかひとつも見当たらないのに、準備の良いことだ。

「その昔、公国には悪魔崇拝が蔓延っていてな。時の公王がそやつらを根絶やしにしようとした。それで、国中で魔女狩りを行った結果、ある教団に辿り着いた」

 リタは目を疑った。表紙に記された文字が、なんとなく読めたからだ。公国語は王国語と概ね同じ文字を使っているし、ある程度は読みの推察もできる。

「ソロモン……」

「ソロモン学派。奴らはそう名乗った。かつて大陸のどこかにあった約定の地の王に仕えた72氏族の末裔であったという。つまり悪魔とは、魔王アンゴルモアたるソロモンが従えた被征服民だったというわけじゃ。まぁ、歴史の塵に還った民などどうでもよいか」

「……う、うん、そうね」

 どうでもよくない。リタ一人がしれっと流すにはあまりに重い情報だ。正直、国の偉い奴らと歴史学者の前で好き放題語ってもらいたい。しかし今そんなことにいちいち突っ込んでいては話が進まないのだ。

「大事なのは、連中の抱える魔女の力の検証が進んだということじゃ。どうやら魔女の才は遺伝する。ソロモン学派の魔女は同じ祖を有する親戚関係にあったようでな。公王政府もその力を我が物にせんとした。当然じゃな、死体を意のままに操れば、無尽蔵の兵隊が出来上がる」

 また齟齬が生じた。

 リタの知る限り、魔女は突発的に__流れ星が落ちるように、授かるものだ。アメリアは田舎の牧場生まれだし、ケイリーの前職は猟師だ。シャーロットだけは貴族令嬢だが、グリスヴァイト家が他に魔女を排出していたという話は聞き及んでいない。そしてリタの家は、しょうもない労働者の家系だった。

 もし仮に魔女の才が遺伝するものなら、連合王国社会のありようはもっと違ったものになっていただろう。本島の貴族たちはこぞって魔女を家系に取り入れたがるはずだ。

「で、余が生まれたってわけ」

「いや話飛びすぎ!」

 思わず盛大に突っ込んでしまった。

「手短に話せとのたまったのはお主じゃろうが」

 そうだが。


 細かい矛盾点は一旦置いておこう。その後も何度か問答を繰り返し、とりあえず分かったのは、この傲慢チビ女が何者なのかということだ。

「要するに公王政府はゾンビを操る魔女の血筋を取り入れ、国防の切り札として秘蔵してきたのね。でも力の源流が邪教カルトのオカルトパワーだから、政府内でも扱いに困っていたと。そんなこんなで帝国の侵攻が始まって公国軍も応戦してたんだけど、そもそも死体の数を揃えるのに時間が必要なせいで敵の電撃戦に対応できなかったと。ゾンビ軍団としてまとまった戦力が集まるころには公国軍も公王政府も崩壊してて、指揮を執れる人間が居なかったと。そんで当代の魔女であるあんたが今こうして勝手にレジスタンスを立ち上げて反撃し始めたのね」

「お主、要約が上手いな」

 マリーは鷹揚に拍手をした。ようやくスタートラインに立ったばかりなのに、なに「ご苦労さん」みたいな態度してやがる。


 さて、一番大事なのは。

「あんたがあたしに何をさせたいかってことなんだけど」

 なぜリタを助けたのか。

 レジスタンスがガラティエを奪還しようとしているのは分かる。戦況は圧倒的にレジスタンスが優勢だ。パッと見では。

 だがあの巨大なゾンビ、ゲクラン将軍は交渉しようとリタに言った。つまりレジスタンス独力では成し得ない何かをリタに手伝わせようとしているのだ。

「あたしの予想では、あんたらにガラティエを占拠する気はない。おそらくゾンビを操る魔法にもなにかしらの制約があって、長期的に維持することはできないから」

「ほう」

 魔法の代償に踏み込んだが、マリーは特にはぐらかしたりはしなかった。いわゆる本物の魔女とやらにも力の限界があるのは確かなのだろう。リタは言葉を続ける。

「だからレジスタンスは一旦逃げなきゃならない。そこで、ガラティエ軍港で船を奪って亡命することにした。行き先はジャバルタリク。あたしの身柄を手土産に、連合王国で亡命政権を立てるつもり……ってところなんじゃないの?」

「ふむ、ふむ」

 マリーは何やら満足げに頷き、また手を叩いた。

「概ね正しい。じゃが、我が軍をせこましく逃げるだけの臆病者と思ってもらっては困るな。もっと前向きな展望を約束しよう」

 彼女はそう言って、記録簿を懐にしまい込んで席を立った。同時、下の方で車のエンジン音がした。

「出立の時間じゃな。続きは移動しながら話そう」


 自動車4両にトラック3両。これでレジスタンスのメンバー全員と戦闘用の物資を運べるというのだから、懐事情はお察しである。レーダーはもちろん、野戦砲と砲弾も積めないそうなのですべて爆破してしまった。猟銃と鹵獲品で武装したおっさん共を詰め、みすぼらしい車列が狭い農道を爆走する。

 ゲクランはゾンビの一団を引き連れ、徒歩で先行偵察に向かった。リタはマリーに招かれ、一緒に先頭車両に乗った。よりによって守りの薄い先頭、しかもオープンルーフ仕様かよ……とは言えなかった。逃げやすさを重視しているのかもしれないが、要人の護送に関しては帝国軍の方が遥かにマシだった。


「では話の続きだ。余の魔法の限界については、お主の見解の通りじゃ。大群を長らく動かすのはけっこうしんどくての」

 言う割に、マリーは涼し気な顔をしている。

「限界超えたらどうなるの?」

「端的に言うと、ゾンビが全員暴走する。お主が対峙した時の膂力そのままでな」

 冷や汗が出る。帝国軍のナハツェーラー部隊ほどではないにしろ、一匹でもそこそこきつかった。

「……ちなみに限界を100パーとすると今どんくらい?」

「93パーセントくらい、時間にしてあと2時間ほどじゃな。無論そうなる前に手駒たちを屍に還す」

「それ先に言えよ!」

 冷静に考えて超やばい。ゾンビが抜きのレジスタンスなんか肉なしのステーキと同じだろ。くったくたの切れ端みたいな茹でたニンジンだろ。まさか2時間で船を奪ってガラティエを脱出できる算段でもあるのか。綱渡り過ぎる。襟首掴んでガクガク揺さぶっても、小さな魔女はどこ吹く風である。

「落ち着け、どのみち帝国軍の隙を見るには時間が必要だったのじゃ。残された時間でこれからの行程を話そう」

「……あんま無茶言わないでよね」

 無論フリではない。なかったのだが。

「簡単じゃ。帝国軍が占領しているサン・パウロ沿岸要塞に侵入して要塞砲を無力化し、その近隣にあるドックを占拠して亡命の足になる艦艇を強奪し、おまけにガラティエ市中央区の政治犯収容所に囚われている公王陛下の身柄を確保するだけじゃ」

「無茶言うなってあたし言ったよね!?」

 引っ叩いてやろうかと思った。そりゃ確かに船は奪わなきゃならないし海に向いた要塞砲は黙らせなきゃならないけど。リタには初耳だが、公王サマとやらが存命なら救出しないといけないのもわかるけど。そうして並べてみると、あまりにも無理があり過ぎる気がする。

 しかし結局のところ、リタはマリーの謀略が上手くいくことを祈るしかない。小さな掌の上で、数万のゾンビと何個師団かの帝国軍とが一歩も踏み外すことなく踊ってくれるように。

「……頼むよ、マリー。勝算あるんだよね?」

「お主はどうだ、リタ・レッドアッシュ。余に賭けるか?」

 マリーは不遜に聞き返し、答えを待たずに気持ちよさそうに伸びをした。

 リタが唯一縋れる藁はただの幼い少女の姿をしていた。風に容易くあおられる、華奢な身体だ。だが、その瞳には冷徹な、将星の輝きが宿っている。

 何にも賭けなきゃ奪われるだけ。賭した命はオッズを傾けるためにある。

「もちろん」

 イングリットに撃たれた時も、捕らえられた時も、再び銃を向けられた時も、賭けに負けたとは思わなかった。少なくとも、あの得体の知れない気狂い女も自分と同じルールで戦っている。死なない限りゲームは続く。ご愁傷様だ。

 盤面は広く、深く、抜け出すことは叶いそうにない。じゃあまた、賭けるだけだ。

 リタは無造作に、脚をボンネットに投げ出した。

「全ツッパよ」


 マリーはいつの間にか、自身のいたるところに巻かれたドッグタグを見ていた。

「そうか、そうであるか……」

 リタはそれがどんな意味を持つのか知らない。興味もない。可愛い可愛いアメリアならともかく、他人がどれほど重いものを背負っていようが知ったことか。死人に縛られ、がんじがらめになってもそれは自分の責任だ。

「うむ。潔い賭けはよいことじゃ。余も一世一代の大勝負をしておる」

 やっとそう返した彼女は、懐に手を入れた。

「信頼の証じゃ。仕事道具が入用じゃろ?」

 リタに渡されたのは、真鍮製のオイルライター。

 リタは胡散臭そうにマリーを見返す。同じことをしてきた女は、つい数時間前にリタをぶっ殺そうとしてきた。

「……一応、ありがと」

 事実、気持ちはありがたい。誰だってリタを切り捨てる選択肢を持っていることさえ頭に入れておけば、その時が来るまで全力で協力するのもやぶさかでない。

 ただし、問題がある。

「悪いけど、あたし道具は選ぶタイプなんだ」

「炎の魔女なら、火が点けば何でもよかろう」

「いや、カンテラじゃなきゃダメだって」

 今まで試したことがないとでも思っているのか。携帯性に優れたライターを触媒に使えるなら、とっくにそうしている。しかしどういう仕組みか、連合王国の魔女は仕事道具の形状に縛られてしまうものなのだ。アメリアがワイヤーならなんでも操れるわけではないように、リタも火を点ける道具ならなんでも触媒にできるわけではない。

 まぁ仕事道具がない魔女もいるにはいるのだが、彼女らはおそらく己の肉体や信仰をその代用にしているとリタは踏んでいる。ケイリーはもろに後者のタイプで、「飛びたい」という渇望から空を飛ぶ魔法を使える女だ。シャーロットは己の正義感を嵐に……要は神の裁きになぞらえているからああいうかたちになっている。

 ぶっちゃけ魔女の仕事道具に関する情報は軍事機密だが、マリーはこの辺りについても情報を有しているらしい。よってリタは己の見解を素直に伝えた。隠し立てが時間の無駄になる場合もある。

 すると。

「お主の見解は正しい。じゃが、それは決して破れぬことわりではない。ミランダがお主らの力を御しやすいように規定したのじゃ」

 ここでもまた、ソロモンス中佐。

「意味わかんないんだけど」

「能力を好き勝手にしたら、お主ら暴走し始めるじゃろ?」

 車体が石を踏んで大きく跳ねた。

 リタは危うくライターを取り落としそうになった。マリーは悠々と座席に身を沈めている。

「なんじゃ。詳しい説明が必要か? ミランダの生い立ちから丁寧に話すべきか?」

「……亡命に成功したら、洗いざらいお願いするわ。今は手短に」

「心得た。特定の方向性でしか魔法が発動しないように、ミランダは真なる魔女の権能を使いお主らに枷をかけておるのじゃ。とはいえ、些細なきっかけで解ける程度の認知阻害に過ぎぬ。だからこそ、暴走する者も出るのじゃ」

「すっげー……突飛な話ね」

 マリーの話ときたら、すべてが電波だ。魔法を意のままに操る魔女をしてそう思わせるのだから、相当である。全ツッパしたはいいものの、選択には常に疑念が残る。この子のおつむは果たして大丈夫なのか。

 ただし、マリーの発言は今のところすべて合点が行く。

「なんでもアリだと危ないから、制約を付けたってことねぇ……色々辻妻が合っちゃうんだけど」

 エスターライヒ攻略戦の途中、アメリアが暴走した時のことを思い出す。

 あの鉄条網の怪物は、異常な強さだった。あれは要するに、安全装置を外しただけだったのか。

「別の問題が出てくるんじゃないかなってさ」

 今一度、リタはライターを見やった。

 暴走しないように、枷を付けられたというのが本当なら。リタがカンテラ以外の仕事道具で魔法を使えたら、危ういのでは。

「警戒するのはよろしい。しかしお主は身勝手な暴走ではなく、余との対話という穏当なプロセスで認知を正した。容易く己を失したりはするまい」

「そんなもんかしら」

 真鍮のライターはずっしりと重く、それでいて手に馴染む。

 最初に持っていた仕事道具のカンテラは、リタが家から持ち込んだものだった。それは貧しい家系にあって唯一と言ってもいい家宝で、曽祖父が従軍の褒美に貴族から貰ったものだったらしい。貧乏人に似つかわしくない美術品を、リタはかっぱらっていったのだ。

 縛られていた理由は、分かっている。全てを焼き尽くしたい衝動、炎の魔法の根源は、底が知れているのだ。まったく自分が嫌いになる。

 目を閉じて、開いて、魔力を励起させてみる。

 いけそうだ。

「ここはひとつもうひらかれたと思って、魔法を行使してみせよ」

 マリーの甘言に、乗ってやる。

 ライターのヤスリを回す。青い炎が、小さく灯った。

「どうじゃ」

「んー、出力が上がんないな……」

 この小さな火種から、炎の波濤を撃つイメージが沸かない。同じことをやろうとしたら、総火力で劣ってしまうだろう。

 けれど、代わりに新しいアイデアがひとつ。

 炎を収束させ、細く、鋭く練り上げる。ライターの口からまっすぐに伸びた青い揺らめきは、リタの意に従ってその身を鋳造していく。

「ま、やりようはあるね」

 揺らめきが消えた。炎は硬質の煌めきを発する、灼熱の刃となった。車上で風にあおられながらも、一切の熱をなびかせない。

 軽く、手を振ってみる。実体なき刀身が大きく伸び、路肩に張り出した木の枝を瞬時に切り払った。青い残像が空気を裂いてリタの手元に舞い戻る。


 リタの新たな魔法、灼刃。かつての大火力による殲滅に重きを置いた魔法とは違う、異彩の術だ。展開速度と火力の収束に特化していて、射程は大きく劣っている。白兵戦を不得手とするリタにとって、それは小さな懐刀に過ぎない。しかし同時に、必殺の秘剣ともなるだろう。


 マリーが満足したように手を打った。

「芸が増えるのは大変よろしい。今までの戦闘を見るに、お主は懐に入られると弱かったからな。大技に頼らぬ斬り返しができれば、うんと戦いやすくなるじゃろう」

「師匠面やめてくれる? あとこれで戦力問題が解決したとか思わないでよね」

 この魔法では、大戦力との正面衝突には耐えられない。そもそもリタはつい最近2発も撃たれた重傷者だ。利き腕が思うように動かないし、ちょっと歩くだけでもかなり痛む。傷口が開いていないのは奇跡と言ってもいいが、おそらく帝国軍の医療技術が抜群に優れていたのだろう。

「その点については、更に策を重ねてある」

 車列はガラティエ周縁部に差し掛かった。いよいよ砲声が近くなる。遠くの空には飛行船の影も見え、既にここが戦場であることを知らしめる。広い街道に出ると、ゾンビたちが市を包囲するように布陣しているのが分かった。優勢ゆえに猛攻を掛けているように映るが、残り少ない稼働時間を見越して少しでも帝国軍を削っておきたいのだろう。

「信頼してるからね、消去法で」

 人生消去法で選んでばっかだな、と思いつつ。今のところマリーはいけすかないだけで下手を打ってはいない。何より、ひとつの策をアテにし過ぎないのは好感が持てる。

「余よりも連合王国軍を信頼するとよい。魔女戦隊は仲間を見捨てぬようだぞ」

「ん? なんて!?」

 思わず聞き返す。詰め寄ったぶんだけマリーはのけぞる。

「い、いや、だから……今回に亡命に際し、ジャバルタリクに救援を頼んだのじゃ。海軍と魔女戦隊が戦力を供出してくれるようじゃぞ」


 連合王国軍。

 魔女戦隊。


「えっ……マジで呼んだの? 敵地のど真ん中に?」

「マジじゃ。亡命の手土産はほかにもあるが、お前の身柄を保護していると伝えたのじゃから、是が非でも救援を出すに決まっておろう。それとも、魔女戦隊はそこまでドライな職場かの?」

 アメリアたちが、助けに来てくれる。

 目頭が熱くなって、リタはごまかすように袖で擦った。

「バカだなぁ、あいつら」

「兵隊は使い捨てた方が効率がいい。じゃが、人間は基本的に愚かでな」

 マリーはリタが喜んでくれたことに、ほっとしているようだった。その辺は真っ当な感性を有しているらしい。


 しかし、連合王国軍の救援とは思い切った策である。帝国軍参謀本部の諜報能力を前にすれば大抵の暗号は筒抜けになってしまう。どうやってここまで大規模な合同作戦を実現させたのだろうか。それを尋ねると、マリーは苦々しい顔で眉を寄せた。

「余が迂遠な外交もどきに興じていたのは理由あってのことじゃ。連合王国にはレジスタンスが亡命を希望していることと、お主を含めいくつかの手土産を条件に協力を求める旨を国際チャンネルで送った」

「国際チャンネルって……要は平文じゃない」

「下手な暗号を使っても帝国軍に解読されるだけじゃからな。こちらの意図を示したら、その後は連合王国軍がこちらの動きを掴みやすいように、派手なレジスタンス活動をして帝国軍に圧を掛けながら合同作戦の準備期間を設けた。概ね2週間を目安にしていたが、向こうに優秀な将兵が揃っておったようじゃな。ジャバルタリク艦隊が白海に進出した頃合いを見計らって、こちらもガラティエへ侵攻し始めたということじゃ」

 つまり、レジスタンスと連合王国軍は最初から連携などしていない。お互いの空気を読み合って最適なタイミングで切り札を切っただけ。

「なんつー綱渡りよ」

「よいではないか、我らは賭けに勝ったのだ」

 南側の空、白海の向こうから飛行機雲が延びている。それは明らかに、ジャバルタリク方面から飛来する飛行艇だった。海軍に空挺部隊はないから、魔女戦隊が独力でやったはず。

「……無茶するわ」

 リタは嬉しいやら呆れたやらで、変な顔をしそうになった。仲間たちに鉄砲玉ナハツェーラーの真似事などしてほしくはないのだが、その蛮勇がリタを助けるために敵地へ刃を突き入れたのだ。


 ひときわゾンビが密集している地点で車列は停止した。ゾンビたちの中にはゲクラン将軍の姿もある。彼がグレートアクスを振り、マリーもまたドッグタグの巻かれた手を振り返した。

「首尾はどうじゃ」

「最高だぜマリー。連中の砲兵部隊が躍起になって撃ちまくってくれてるからな、偽装の手間が省けた」

 皆が車を降りると、ゾンビたちの群れがさっと道を開けた。リタはいそいそと歩くレジスタンスのメンバーに続いた。殿に付いたゲクランがご丁寧に解説してくれる。

「坑道を掘っていたんだ。俺の図体でも通れる立派なのをな」

「この期に及んで隠密?」

「だからだろ、炎の魔女。こんだけ街の周縁部に戦力を割いてんだ、中身はスカスカになってる。それに、マリーの魔法が切れたとき、敵主力が近くにいちゃマズいだろ?」

「なるほど」

 いかにも脳筋全開な見た目のくせに、以外と頭が回る。あっさり負けた公国軍とはいえ、腐っても将校というわけだ。


 一行は「手で掘りました」感全開の穴倉に通された。膂力のある無数のゾンビあってこその力業だった。

「砲撃やらの衝撃で、生き埋めになったりしないよね?」

 一応聞いてみると、マリーは胸を張って答えた。

「最悪の場合、ゾンビを使って掘り起こす」

「そこも力業なのかよ」

 でも聞いてよかった。無策でないのは素晴らしいことだ。どんどんハードル下がってる気がするけど。

「もしくは俺がモグラみてえに掘り上げるかだな、ダハハハハッ!」

「お前の声で壁が崩れそうなんですけど」

 後ろのゲクランは背丈が収まりきらないため、モグラみたいに這い進んでいる。前を進んでいるおっさんや若者たちはこのバケモノが怖くないのだろうか。こんなんでも救国の英雄なのか。

「ん……そういやあんたも、マリーの魔法が解けたら死体に還っちゃうの?」

「いんや、俺は特別製だ。俺が一番デカくて強えのも、喋れるのも、マリーが一段上の魔法を使って魂を縛り付けてるからだな」

「じゃあ不死身ってこと?」

「マリーが死ぬまではな。このチビッ子があと何年生きていられるか見物だろ!? ダハハハハ!」

 まぁ配下を一斉に失うリスクには対策しているだろう。他のゾンビはマリーが操っているような人形めいた動きを感じたが、この巨漢に関してはそれがない。死してなお、己の意思のままに動いているのがありありと伝わってくる。

 前を歩いていたマリーが、ふいに振り返った。

 薄闇の中、彼女は意地悪に微笑んでいた。

「この身はいつ滅びてもよい。死してなお、余は祖国の為に血を流すことができるからな」

 揺れ戻った髪から、灰の匂いがした。


 しばらく坑道を進むと、破砕されたコンクリートの壁に到達した。その先は下水道になっており、壁を砕いたと見られるツルハシ持ちのゾンビが警戒を兼ねて待機していた。……まさか爆薬も使わず、ツルハシだけで壁を抜いたとは信じがたいが。生前は伝説の鉱夫か何かだったのならまだしも。

「ここからガラティエ地下の下水道を伝い、収容所の直下に出る。先ほど空挺降下した連合王国軍には、頃合いを見て収容所の制圧を依頼しておいた。無論この戦力での制圧も可能なはずだが、万全を期したいのでな」

 マリーがそう言うのなら、皆で信じるほかない。行き当たりばったりではなく綿密な戦略を立てたうえでこれなのだから、あとはすべてが上手くいくよう祈るだけだ。大丈夫、内情がズタボロなのは敵も同じ。それはイングリットと行動を共にしていた時に分かっている。戦争は理想的な状況で進むことの方が珍しいのだ。


 ネズミの這う床をしかと踏みしめ、歩き続ける。長い道のりに疲れ始めたレジスタンスの将兵たちの行軍速度が、次第に落ちてきた。ゲクランの発言からして彼らは正規軍人ではないだろうし、まともな補給も得られていないはずだ。何より、携行している物資が少なすぎる。いくら短期決戦でも、彼らに無理をさせ過ぎるのはマズい。

 マリーの方も疲れを隠しきれなくなっていた。彼女のか細く荒い息が、地下道の中でやけにはっきり響く。リタとしてはこの時間に話の続きをできないかと思ったが、後ろに着いていくだけで精一杯と見受けられる。


 リタはライターの蓋を開いた。いい音がする。振り向いた疲れ顔たちを追い抜き、先頭に立つ。

「近道しない?」

 水路を繋ぐ格子扉に青い炎の刃を閃かせ、断ち切る。やはり威力は充分だ。

 レジスタンスの青年がひとり、目を輝かせてリタに近寄ってきた。地図を広げて興奮気味に指差している。

「そう。じゃあ案内お願いね」

 青年は嬉しそうに一行を先導し始めた。他の将兵たちも、わずかながら足取りを軽くして後に続く。公国語で口々にお礼を言われ、リタも悪い気はしない。傲慢なのはマリーだけみたいで何より。

 最後尾にいたゲクランが、わざわざリタの肩を叩きにきた。

「助かるぜ、炎の魔女。このまま亡命政権の客将になってもいいぞ」

「敗残兵団の姫はもういるでしょ」

「……」

 ゲクランは黙り込んだ。マリーが何か言いたげに口を開いたが、結局咳払いだけして口を閉じた。

「悪い、言い過ぎたわ」

 一応、謝っておく。

 しかし彼らが弱小集団の自覚を持っているのはよいことだ。亡命政権というものは、トップがプライドをどれだけ捨てられるかで命運が決まる。マリーが傲慢なのは態度だけで、実際にはかなり立ち回りに気を配っているのが見て取れる。彼らはこの戦争が続く限り、しぶとく立ち回るだろう。


 それから1時間ほど歩いただろうか。下水道を進むにつれ、リタは自分の足取りが軽くなっていくのを感じた。

 収容所が近い、とマリーが教えてくれた。薄暗い視界に、一筋の光が差し込む。地上の光が鉄格子から洩れ出て、出口を教えてくれる。


 どうにか、生き延びてきた。もう、とことん戦う気力しか沸いてこない。

 一度は敵に囚われ、第三勢力の掌中にハマり、それでも生き抜いた。いつ天に召されてもよかったのだが、どうやら本心はまだ地獄を見飽きていないらしい。

 人生にはもうとっくに絶望していた。だがこのゲームの展開に失望してはいない。賭けた命が最高のリザルトを掻っ攫うまで、盤面から降りてやるもんか。


 収容所の点検口の真下に、ようやく辿り着いた。レジスタンスたちは手持ちの武装に弾倉を叩き込んでいく。ゲクランは点検口を通れないため、近くの用水路まで回り込んで地上に出るらしい。

 リタは一番乗りで梯子を登ることにした。レジスタンスのクリアリングの練度に期待できなかったのもあるが、おそらく先回りしているであろう魔女戦隊の仲間に一刻も早く会いたいというのが本音だった。

 ライターを口に咥え、逸る気持ちを抑えて身長に登っていく。

 天井付近で耳を澄ます。銃撃戦の音はしない。静まり返っている。魔女たちが制圧に完了したのだろうか。返り討ちに遭ったとは考えたくないが。

 覚悟を決めて、点検口の蓋を持ち上げる。


「ん?」

「あ」


 頭を地上に出して真っ先に目に飛び込んできたのは、白い布地。

 点検口の正面に腰を下ろしていた、アメリアのスカートの中身だった。

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