第17話:死してなお③

 アメリアは着陸予定地点から少し北にずれた埠頭に着地した。落下傘を切り離し、鉄蜘蛛の脚を立たせる。

「サンダーソン上等兵は……」

 すぐ近くのコンテナ集積場に白い布地の残骸が見えた。少し探すと、コンテナの陰からサンダーソンが手を振っていた。

「よかった」

 最初の関門は突破した。戦いなら頑張ればどうにかできる可能性があるが、空挺に失敗したらどうあがいても死ぬしかない。ちゃんと落下傘が開いたことに感謝しておこう。


 帝国軍は沿岸要塞に立て籠もるか街の北部に移動しているようで、サンダーソンと合流するまでの間に攻撃は受けなかった。

「降下中に要塞砲の様子を確認してたんだ。湾に展開してる艦隊と撃ち合って、いくつか潰された。残り6門ってところだな」

 アメリアは落下傘を操るのに精いっぱいで周囲などまるで見ていなかったので、サンダーソンの観察眼には敬服した。パンツァーファウストの残弾には余裕が持てそうだ。

「了解です。あの艦隊は、やはりレジスタンスのものでしょうか」

「だろうな。ゾンビが甲板で働いてやがった。すげー魔法だな」

 要塞から砲声が上がった。まさにその艦隊のうちの一隻に砲弾が命中し、ごうっと鈍い衝撃音が轟く。要塞との撃ち合いを優先してか、狭い湾内で回避行動を取れないようだ。サンダーソンはやれやれと首を回した。

「ま、便利なモンにも限度はあるわな」

 アメリアも頷く。

「急ぎましょう。残りの要塞砲を無力化します」

「あいよ。俺も後ろで目を光らせとくが、不意打ちにはくれぐれも気を付けてくれよ」

 サンダーソンはそう念を押し、アメリアを援護できるポジションを探しに行った。

 エスターライヒの件からソロモンス中佐が導き出した考えによると、魔女の護衛に物理的な距離の近さは必要ない。大事なのは敵の有効打を事前に察知し、先手を打って潰すことだ。そのためにはむしろ、ごく少数の精鋭が魔女と一定の距離を保って警戒する方がいい。

 アメリアの鉄蜘蛛は戦車のように敵のヘイトを集めやすい。受けられる弾は装甲で受け、こちらの隙を突こうとする狙撃手や砲兵が現れた場合はサンダーソンに掃除してもらう。要はたった一人の兵士に背中を預けるということで、もちろん不安はある。要員に替えの利かない作戦ほど安定を欠く。今までにないほど、連合王国軍は無理を通している。

 人は簡単に死ぬ。

 死なないのは、怪物だ。

「……分かってる」

 遅れた返事は潮風に掻き消された。鉄条網の織りなす四肢が大きくたわみ、獣のように疾駆する。


 サン・パウロ沿岸要塞は、比較的強固な造りをしている。帝国海軍にとっては白海戦線の土台となる拠点であるから、占領後も常に手を加えていたようだ。とはいえ街に隣接した要塞に立て籠もるという戦略思想は古く、エスターライヒ城ほどではないにせよ時代遅れの感がある。

 ジャバルタリクで不定形の化け物のように流動する要塞線に比べれば、大した問題ではない。魔女がいなくたって、いずれこうした高くて硬いだけの砦は姿を消すだろう。


 岩盤を切り欠いた天然の城壁。その中腹ほどを、黒光りする車列がのろのろ移動している。近づいてみて、その正体が装甲列車だと分かった。もちろん、そんな大物が要塞内に控えているなんて情報は知らされていない。補給の為にガラティエへ駐留していたところ、街がゾンビに包囲されたため港の防衛に回された……とかだろうか。あの位置ならゾンビたちが奪った艦艇を狙えるだろう。

 アメリアはしかし、一切速度を緩めない。

 帝国軍が発明した装甲列車は一般に、強大な存在とされている。初期の大陸戦線では陸上戦艦と呼ばれ、無双と言っても過言ではない活躍を見せた。巡洋艦クラスの主砲と撃ち合える野戦砲など連合王国軍にはなかったし、肉薄して破壊しようにも車列自体が機関銃と重装甲に守られている。また編成によっては兵員輸送車を兼ねている場合もあり、今回のように拠点防衛に回られるとかなりの難敵になる。

 だが装甲列車には重大な弱点がある。

「大丈夫……所詮は列車」

 単純な話、線路を破壊すれば装甲列車は動けなくなる。そして当然、敵の火力は砲車が、防御は警戒車が、機動力は機関車が、というふうにそれぞれの車両が別個に戦術上の役割を受け持っている。全部の車両を黙らせる必要もない。

 アメリアはパンツァーファウストの発射筒をちらりと窺う。残弾は10発。要塞砲を破壊するのに6発は必ず残しておく。不測の事態に備えて余剰分もいる。一撃で、列車の砲戦能力を奪えばいい。


 前方から曳光弾が飛来する。要塞の麓に張り巡らせた塹壕から次々と銃火が上がり始めた。

 唇を舐める。しょっぱい風に、頭で覚え込んだ血の匂いが重なって、胸がうずくような。

 身体が軽い。鉄の四肢を跳ね上げる。敵の機関銃は明らかにアメリアの動きに追いつけず、バラけた弾が地面を叩いた。

 塹壕をまたぐ一瞬、呆気にとられた帝国兵たちと目が合った。狙いが甘いと思ったら、やはりひどく若い兵士だった。殺さなかったのは時間が惜しかったからだ。背後から再度撃たれようと、あんな稚拙な弾幕に当たるつもりはない。


 要塞に目を戻すと、正門が開いて、中から騎兵部隊が出てきた。広く散開している。胸鎧に鉄兜に騎兵銃カービンと、相応の練度を有する正規兵のようだ。先ほどの若年兵たちと違い、戦列を保ったまま斉射してくる。

 アメリアは今、盾となる装甲板を纏っていない。迂回して引き離すか、逡巡する。

 側方から銃声。騎兵の一人が頭を撃ち抜かれた。サンダーソンが早くも狙撃ポイントでの援護を開始したようだ。内心で頭を下げ、アメリアは更に加速して中央突破を図る。再びサンダーソンの銃撃が騎兵を撃ち抜く。

 敵の陣形は崩れた。それでも隊長格と思しき兵がサーベルを掲げ、アメリアとの正面衝突コースに単騎駆けを挑んできた。

 どうせ死ぬのに、殊勝なことだ。ぶつかって少しでも足止めできれば、装甲列車が狙いを定められると踏んでのことだろうか。有刺鉄線で構成されている鉄蜘蛛は見掛けほど重くないから、試みとしては悪くない。

 アメリアは鉄の四肢を大きくしならせ、跳躍する。胃が浮くような感覚に、歯を食いしばる。決死の形相の敵騎兵が大口を開けてアメリアを見上げる。何か叫んでいるのは「逃げるな」みたいな罵詈雑言だろう。

 生憎、避けるためじゃない。潰すために跳んだ。重力と重量と慣性を織り合わせ、鉄蜘蛛は直撃コースに再突入する。

 鈍い衝撃。破裂した肉片が一瞬、アメリアの視界に乱れ飛ぶ。戦槌のごとく振り下ろされた脚は、ただ着地しただけの動きで騎兵突撃を粉砕した。


 残りの騎兵を突き放し、装甲列車を見据える。その砲塔が湾の艦艇からアメリアへと照準を移す。

「来い」

 呟くと同時、砲炎が閃いた。急加速したアメリアの頭上を、甲高い音が切り裂く。着弾の轟音を置き去りに、砲車との距離を縮める。

 砲車の前後列に連結された警戒車から、機関銃が掃射される。アメリアは激しく飛び跳ねながら、なおも近づく。弾幕の避け方として最も有効なのは上下機動だ。これはケイリーに教えてもらった空戦機動の鉄則でもある。対空用途でもない限り、照準が付いて行かない。数発ほど流れ弾が掠めたが、敵は明らかにアメリアを追いかねている。


 大丈夫、エスターライヒからの撤退時に戦った竜よりずっと弱い。


 右手親指で有刺鉄線を繰り、パンツァーファウストの安全装置を解除する。発射筒の保持を強める。敵車列が有効射程に入った。いちど姿勢を低く取って鉄蜘蛛を最高速度に乗せる。

 銃弾が数メートル先の地面を激しく叩く。俯角を取った敵主砲の榴散弾を横っ飛びで避ける。小さな破砕片が有刺鉄線の隙間を裂いてアメリアの肩に刺さった。痛い。構わない。跳躍。

 車体を飛び越える。誰にも追いつけない軌跡を描き、最高到達点で身体を逆さに向ける。浮遊感の只中でトリガーを、引く。

 弾体は噴進煙を引いて、旋回砲塔の天板を垂直に喰い破った。赤い花火が瞬いた直後、アメリアが車両の向こうに着地したと同時に破砕音が響き渡った。僅かに遅れて弾薬庫に誘爆、更なる大爆発が引き起こされる。

 車列中央にあった砲車が破壊されたら、装甲列車としての機能はほぼ死んだようなものだ。これ以上見掛け倒しのデカブツの相手をしている暇はない。炎に巻かれた兵士たちの断末魔を背に、アメリアは吹き飛んだ装甲片を拾って鉄蜘蛛に纏わせた。

 勝負はここから。サンダーソン上等兵は退路の確保やケイリーとの連絡を取り次ぐため、要塞の外で待機する。アメリアが単独で、要塞を無力化するのだ。


 正門付近にバリケードを築いた敵歩兵が、アメリアの接近を察知した。ゾンビの侵入を見越して、機関銃を備えている。今度は装甲片があるから、押し通る。激しく盾を叩き鳴らす弾雨に正面から突進。機関銃手を跳ね飛ばし、散り散りに逃げ惑う背中を四つの脚で順に抉っていく。

 こんなものは格闘とは呼ばない。移動ついでに虫けらを潰しているだけ。初めて暴走した時のような高揚感は欠片もなく、肉の感触でとっくに飽きた罪悪感を反芻するだけ。

 長い長い回廊を駆け抜けて台場に登り、手近な要塞砲の後ろに回って、ハッチにパンツァーファウストをぶっ放す。砲弾を運んでいた兵士がぼんやりとアメリアを見つめる。何が起きたのか分からないご様子。連絡線が麻痺しているらしい。

 ようやく襲撃を察知した近くの砲主が、慌てて隣の砲塔に駆け込んだ。もちろん二発目を叩き込んで中身ごと粉砕する。


 次のターゲットを定めようと台場を見渡したら、荷車用のスロープから戦車が登っているところだった。登坂能力を過信したのだろう。側面をガリガリと擦りながら懸命にエンジンをふかす姿は哀愁を誘う。先行する歩兵が怒号を上げて小銃を乱射し、座礁しかけの巨体をアメリアから守ろうとしている。おそらく後ろでは、複数の兵士が戦車の尻を押している。

 もう、戦略もへったくれもない。恐慌に駆られた帝国軍の醜態を前に、アメリアは目を閉じたいような感覚に襲われた。


 虚無感。


 こいつらは一体、何のために、殺されるのだろう。

 残りたった4台の砲塔を守れる力は、もはや帝国軍にはなかった。なのに彼らは無駄な抵抗を続け、アメリアは彼らを目標破壊の片手間に轢き潰す。虐殺の坩堝るつぼに囚われたまま、システムを回す。

 トリガーを引く。破砕。移動しながら轢き潰す。トリガーを引く。歩兵がスクラムを組んで肉弾特攻をかましてくる。潰す。肉片が鉄蜘蛛を赤く染め上げる。トリガーを引く。

 もう充分だろう、と誰かが言えばよかったのに。台場に配置されていた帝国兵は集団ヒステリーに陥っていた。全滅するまで彼らはアメリアを阻み続けた。砲手も逃げなかった。

 トリガーを引く。最後の要塞砲が沈黙した時にはもう、台場は血の海に沈んでいた。

 ようやく、戦車がスロープを登り切った。車長が拳銃を振り回して突撃を指示している。

 何も見たくないな、と思いそうになった。欠片ほどに残された普通の少女としての慣性が、こんなものは見ちゃいけないと警句を唱える。普通の人生を送っていれば、こんなゴミみたいな光景を記憶せずに済んだのに。

 下手な拳銃を避けて戦車の背後に着く。パンツァーファウストを構え、すっかり馴染んだ動作でトリガーを絞る。敵戦車の主砲がいななく前に、背面装甲を弾体が貫く。綺麗さっぱり消し飛ばしたいのに、半壊した戦車からは火に巻かれた戦車兵が転げ落ち、ガソリンのからんだ最期の絶叫が長々と長々と長々と……うんざりだ。


 要塞の外、軍港のドックの方で緑色の信号弾が上がった。続いて、要塞とドックの中間にあたる小高い陣地で赤色の信号弾。ケイリーが『メルセルケビル』の制圧を完了し、サンダーソンが周辺の安全を確保したという合図だ。アメリアは太陽を見上げ、作戦の進捗が予定通りであることを確かめた。

 アメリアも信号銃を取り出し、専用の弾頭を詰めて撃ち上げる。青い噴煙を伴った信号が、ちかっと光った。

 各々が最初のフェイズを完了したら、ケイリーの待つドックで集合する運びとなっている。

 もう砲撃能力を失った要塞に用はない。帝国軍が砲座を修理するまでには、アメリアたちの作戦は終わっていることだろう。どういうわけか守備隊の統率はひどく乱れているし、この隙に脱出してしまおう。

 大した抵抗も受けずに来た道を引き返し、堂々と要塞の正門をくぐろうとした。

「……将校?」

 軍港へ続く坂を、一両の戦車がせかせかと下っていた。その姿はどう見ても、脱走兵の類だった。しかしハッチから上半身を出している軍服は、高級将校のものだ。

「呆れた」

 無性に憤りが湧いてきた。クズな上官に対する怒りは万国共通だ。たとえ敵将が無能なおかげで仕事が楽になったとして、「無能でありがとうございます」なんて気分になれるものか。

 あいつは要塞司令で、味方を見捨てて自分だけ逃げたのだ。道理で守備隊が混乱していたわけだ。余計な惨劇を引き起こしてくれた不愉快な存在に、慈悲など掛けられるはずもない。

 パンツァーファウストの残弾は残り3。このフェイズが終わればデッドウェイトになることを考えたら、もう一発くらい使ってもいいはずだ。どんな無能であれ、高級将校は仕留めておいた方が後々有利に働く。

 でも__。


 後ろから……殺したのですね。


 アイラの言葉が、ふいに耳元に再生される。

 殺害の選択肢がナチュラルに人を支配するのを、咎めないけど悼むような。

 殺される覚悟のない奴を殺しまくって。なんか雰囲気でなし崩し的に殺し合って。この戦争はそんなのばっかりだ。背を向ける軍人を撃ったのなら、いずれは逃げ惑う民間人にも銃口を向けることになるだろう。まさに公国の民間人を盾に矛にと使い潰しまくっているレジスタンスとさえ、手を組もうとしているのだ。

 アメリアは、この戦争を戦うすべての人々は、グレイエリアに侵食する尖兵だ。

 そこまで考えて、アメリアはトリガーに指を掛けた。射程距離まで追いつく。将校がアメリアに気付いて何か怒鳴っている。命乞いかもしれない。どのみち帝国語は聞き取れない。情けを掛けたらそれだけ味方が傷つくのは、もう嫌というほど知っている。相手が逃げようと立ち向かおうとひざまづいて許しを乞おうと、やることは決まっている。

 パンツァーファウストは先ほどと同じく、戦車の背面装甲を簡単に引き裂いた。断末魔を追い抜かす。空になった発射管を捨て、アメリアは燃え盛る残骸を一度も振り返らずに駆け下りた。


 軍港にはたくさんの帝国兵が、死体となって転がっていた。その大半は埠頭に集中していて、レジスタンスのゾンビが奪った艦隊に砲撃されたもののようだった。

 当の艦隊は、帝国軍の反撃が止んだため湾で大人しくしている。

「良い進捗だ」

 合流ポイントのドック入口で、竜鱗鎧を纏ったケイリーが待っていた。彼女の両腕が血塗れなことにアメリアはギョッとしたが、全部返り血ということで安心した。

「パンツァーファウストの残弾は私が預かろう。鉄蜘蛛を解いて、近接戦闘に備えろ」

「ありがと」

 鉄蜘蛛の維持に魔力的な何かを消費するわけではないのだが、複雑な形状を編むのには神経を使う。有刺鉄線をそのまま振り回す方が小回りは利くので、アメリアは素直に応じた。解いた鉄線をコンパクトに巻き取り、ようやく開けた周囲を見渡す。

「サンダーソン上等兵は?」

 ケイリーは上を指した。ドックの屋根に登ったサンダーソンは、何やら海に向かって小銃を構えている。彼はアメリアに気付くと、「その場で待っててくれ」とサインを送った。

 ケイリーが言葉を継ぐ。

「我々の信号弾を見て、ゾンビが一匹だけこちらに向かって来ている。対話を求めてのことだろうが、まだ顔を出すな」

 ケイリーは自分で言ってて情けなくなったのか、唇をきつく結んだ。ともすればこれから同じ船で敵地から脱出せねばならないというのに。

「……念のためだ」

「分かってるよ、ケイリー」

 戦争の中で、他人を信じるのはずいぶんと難しくなった。アメリアはケイリーの代わりに、自嘲気味に微笑んだ。


 サンダーソンが屋根の上で立ち上がった。

「そこで止まれ! 聞こえてんなら、その場で両手を挙げろ!」

 もちろん王国語なので、公国のゾンビに聞いてもらえるかは疑問だったが……。

「お……聞こえてるみたいだぞ。おーい、こっちは港を制圧したぞ! てめぇらの親玉を出せ!」

 返事はない。アメリアが見上げると、サンダーソンは困ったように頭を掻いた。

「ゾンビ、喋れないみたいだな。地面にチョークで何か書いてやがる」

「魔法陣の類か?」

 ケイリーが鋭く問う。魔法に体系はないが、特定の図式の成立を発動要件とする魔女もいる。レジスタンスの魔女がゾンビを通じて「アメリアたちに断りなく」魔法を発動しようとしているのなら、その意図がどうであれ今すぐ対処するべきだ。

 ケイリーの竜翼が開きかけた直後、サンダーソンが制した。

「いや、文章だ。王国語……か? ヘッタクソだな。ここからじゃ読めねえ」

 彼も銃口をぴたりと前方へ向けたまま、鋭い視線を下ろしている。

 アメリアは、仲間たちの雰囲気がいつになくひりついているのを肌に感じた。


 人を信じるのは難しい。

 今すぐドックに突入し、『メルセルケビル』を破壊して3人で脱出するという選択肢もある。レジスタンスによる一切の目論見を無視して、当初の目的を達成できる。これ以上、味方の命を取り零さないやり方を選ぶのは簡単だ。

 オッズは容易く傾く。兵士にとって、トリガーは本質的に軽いものだからだ。

「ふたりとも、待ってて。私が行く」

 アメリアは鉄条網を指から離した。音を立てて、魔女の武器が落ちる。ケイリーの高い身体が立ち塞がる。

「焦るな。仕事は確実に__」

「焦らず、銃を突き付けながら対話するの? きっと私たちが疑心暗鬼をつのらせるほど、作戦の成功率は下がる」

 焦っているのは否定できない。けれど主導権やら信用やらにこだわるたび、本当の目的は遠のいていく。レジスタンスの魔女の正体も、リタの消息も。

「まずは信じてみよう。レジスタンスも、今ここで私たちと対立したくないはず」

 ケイリーは一瞬ものすごく眉をひそめたが、迷うのも結論を出すのも早かった。彼女は勢いよく道を開けた。


 アメリアは武器を持っていないことをゾンビに示すため、両手を軽く挙げながら向かった。

「あのー、こんにちは」

 ゾンビは旧公国軍の軍服を着ていた。アメリアの接近に軽く会釈をして、せかせかとチョークを地面に引く作業に戻った。

「レジスタンスさん、ですよね?」

 なんとも間抜けな質問になったが、ゾンビは少しアメリアに向き直って首肯した。

 なんだ。

 割と、話分かりそう。

 ゾンビの手元に目を落とすと、確かにヘタクソな王国語で文を記していた。

「レジスタンス、本陣、願う、合流……収容所で?」

 レジスタンスの魔女が属する本隊は、アメリアたちといちど合流したいらしい。収容所と言えば、リタが本来送られるはずだった場所だ。政治犯などの難しい立場の人々を収容していると聞いているが、リタをレジスタンスが確保している現在、特に用事はないはずだった。

「このドック前まで来れないんですか?」

 さっさとここまで来てくれれば、さっさと『メルセルケビル』に乗り込んで脱出できる。当然、リタも連れてきてくれる前提で。

 ゾンビは緩やかに首を振った。ハエの羽音がして、アメリアは一歩下がりそうになった。

「なに、救出したい要人がいる……?」

 続いた文字列は、レジスタンス本隊がその要人と接触するために収容所への坑道を掘っているというものだった。収容所直下の下水道に繋げる工程までは自前で行うそうだが、位置関係上、守備隊と交戦すれば不利になる。本隊が到着する目標時間までに収容所を制圧しておいてほしい、と。

 ゾンビの腐った眼球が、やや申し訳なさそうに下を向いた。

「う、うーん……」

 それは、ちょっと、困る。

 レジスタンスがこちらに共闘を求めるのは、順当に考えれば、彼ら単体での遂行が不可能だからだろう。一見して無敵の軍勢に思えるゾンビにも、何かしら弱点があるはず。甚大な代償か、あるいは単に制限時間か。いずれにせよ、どこかで彼らの戦力には限界が来る。だからこそ、ゾンビでガラティエ市を丸ごと制圧するという手段を取れずにいるのだ。

 しかもその限界がどこなのか、アメリアたちは何一つ知らされていない。

 そんな状況で、更なる力添えをしろ、だと。


 これは、ソロモンス中佐の言っていた「不当な要求」に当たるのではないか。


 舐めんな。

 一発ぶん殴って解決するのなら、そうするべきだろう。

 拳を固めて、開く。

 息を深く吐いた。

「……その要人って?」

 ゾンビは短く単語を記した。

 公王Grand Duke

 公国の、最高指導者。

「なるほど……」

 亡命政権には正当性が必要だ。旧公国軍の残党が主体のレジスタンスだけで亡命政権を樹立した場合、本土に残った公王政府と対立する構図になってしまう。そして、現公王政府を傀儡とする帝国は、当然ながら亡命政権など容認しない。

 公王を残して脱出した場合、公国は分断される。その影響は連合王国の今後にも響いてくるだろう。

 めまいがしそうだった。心臓に悪い。

 帝国軍の諜報網を掻い潜るために色々と情報を伏せてきたのは分かるが、暗黙の了解にも限度がある。それともソロモンス中佐や上層部はすべて織り込み済みで、どうせこうなると分かっていたのだろうか。

「もうひとつ、質問です。合流の際に、リタ・レッドアッシュも連れてきてくれるんですか?」

 ゾンビは、削げ落ちた頬を吊り上げた。魔女の深遠な微笑みが、アメリアを透かし見るように。

「いいでしょう。手伝います」

 第一種軍装は、この場においてアメリアが連合王国軍の代表たることを示している。ソロモンス中佐はその任をアメリアに与えた。

 選べない立場に甘んじるのはもう御免だ。アメリアが背負って何かが変わるのなら、いくらでも背負ってやる。


 レジスタンスの要求を呑む旨を伝えると、ケイリーは思いっきり顔をしかめた。

「……私とて、リタを見捨てたくはない。同行しよう」

 収容所の制圧に寄越す戦力は多い方がいい。何より機動力に長けたケイリーが付いて来てくれるなら助かる。

 屋根から降りたサンダーソンは、居残りを志願した。

「俺は『メルセルケビル』を見張ってる。帝国軍が建て直した時、真っ先に確保しようとするだろうからな。待ち伏せに使えそうな罠も作っておくよ」

 お気楽そうにウインクしたが、サンダーソンの言う罠とは燃料や爆薬の類だ。いざとなれば『メルセルケビル』を航行不能にさせることもできる、そう暗に示している。

 脅しが効いたか、ゾンビの土色の顔面からは判別できなかった。


 ゾンビは艦隊を奪った群れの構成員だったようで、話が終わると海へと戻っていった。サンダーソンは迎撃用の資材を調達するため、ドックの奥へと去っていった。

 アメリアはケイリーに抱きかかえられ、ガラティエ市の街路をひっそりと飛び抜けた。レジスタンスが大量のゾンビを用いて包囲を仕掛ける意図は、帝国軍を街の周縁部に釘付けにすることにある。隠密に徹しなければ、収容所での合流は困難になる。

 にしても、一帯は静まり返っていた。時折行き交う輜重馬車の列を除いて、兵士すらほとんど見かけない。市民は家々の窓から、息を潜めて外を見つめていた。

 文字通り、逃げ場がないのだろう。戒厳令に逆らってでも逃げようとする者はいない。逆に、レジスタンスの大攻勢に諸手を挙げて喜ぶ姿もなかった。彼らはただじっと、嵐が過ぎ去るのを待っている。

 遠くから上がる砲撃の煙がなければ、戦時中の都市であることを忘れてしまいそうになる。現実を必死に遠ざける無力な民衆の息遣いは、密やかだった。


 ほどなくして、収容所の無骨な外壁が見えてきた。地上に降り、ビルの陰から様子を窺う。

 重要施設ということで、警備は厳重そうだ。ちゃんと籠城戦用の陣地を整えている部隊に遭遇したのは久々だった。バリケードの組み方からして、エスターライヒ城の民兵とは比べ物にならない。

 ふとアメリアは気になって、ケイリーを見上げた。

「レジスタンスって何人なんだろ。バリケード用にいくつか護送馬車が潰されてるけど、脱出の時の移動手段は大丈夫かな?」

「大人数を運べる護送バスが残されているはずだ。帝国軍も最後まで囚人を死守したくはないだろう」

「へぇ……バスかぁ」

 田舎出身のアメリアの感覚では、囚人の為にバスを用意するなんてガラティエ市は結構ぜいたくが出来るんだなぁ、と感心するところだった。バスというのは、つまり豪華な椅子が付いたトラックみたいなものだ。アメリアは出征前に王都で一度乗ったきりだが、他の乗客は士官以上の軍人と金持ちばかりで肩身の狭い思いをしたのを覚えている。ちなみに運賃は祖母がアメリアにくれていた小遣いの半年分だった。

 戦闘で壊れたら、公王様とやらに怒られるのだろうか。普段からより高価な戦車やら何やらを壊しているのに、妙なことが気になった。

「仕事に集中しろ」

「あっ、ごめん」

 顔に出ていたらしい。

「レジスタンスの移動の足に関しては、彼らに一任するほかない。それくらいの仕事は自前でやって貰わねば困る」

 確かに、アメリアが心配してどうにかなることでもない。気を取り直し、収容所の守備隊を無力化する手順を組んでいく。ケイリーはこうした作戦を練るのが意外と苦手で、アメリアが状況を整理しながら進めていく。

「他の部隊に通報される前に片付ける必要がある。でも私は多人数の制圧が得意だし、ケイリーには機動力があるから、そこはどうとでもなる」

 ゾンビから建物の構造図は説明されている。ヘタクソな絵だったが頭に叩き込んである。

「発砲されるのも出来れば避けたいけど、近隣の帝国軍の配置はかなりスカスカだからある程度の猶予はある。だから、ケイリーにはいち早く収容所の内部に滑り込んで、電信室を制圧してほしいの」

 どんな手練れの軍隊でも、魔女の攻撃に耐えうる布陣を整えることなどできはしない。竜鱗鎧に身を包んだケイリーが最大出力で突撃すれば、目的地への到達は容易いだろう。

「乗り込んだら、私は外郭から順に収容所の敵兵を掃討していく。ケイリーは通信装置を破壊したら、内側から敵を叩いて。時間は……5分以内を目処に。いい?」

 ゾンビが教えてくれた指定時刻までは、まだ余裕がある。だが現実的に考えると、収容所を制圧して安全を確保するにはそのくらいの速攻が必要になる。

「了解した」

 ケイリーは短く答えた。彼女は無理な仕事は無理だと言うから、アメリアは安心した。


 まず狙うのは、敷地の四隅に配置された監視塔。内外を見張るため2人組で配置され、警鐘も設置されている。街路で巡視に立っている分隊とも相互に視界を補っているため、正攻法で気付かれずに制圧するのは難しい。

 ただし、高い壁に囲まれているこの収容所ならではの隙が存在する。外側に張り出した監視塔の直下だ。そこを巡視隊が歩いている僅かな時間のみ、地上と高所の二者は互いの視界から外れる。その間隙を突いて、音もなく複数人を同時に無力化できれば、厳重な警戒の一角を崩すことができる。

 もちろん一般の兵士にとっては非現実的な想定だが、魔女には可能だ。


 タイミングはすぐに訪れた。アメリアとケイリーはそれぞれの魔法を励起させる。

 極限まで音を抑えるため、操る有刺鉄線は一本のみ。ごく静かな風切り音と共に、アメリアの刃が敵集団の首を断つ。崩れ落ちる死体たちを絡め取って、壁際に音もなく寄せる。

 同時に、監視塔の屋根を死角に急降下したケイリーが、高台の兵士を強襲。2人まとめて首をへし折る。

 最初の接敵エンゲージを隠密に処理できれば、陣地攻略は圧倒的に楽になる。基本的に、待ち構える側は外縁部からのアラートを元に警戒態勢を切り替えるからだ。

 アメリアはケイリーが監視塔の一角を制圧したのを確認し、壁に有刺鉄線を掛けて乗り越えた。壁の上にも鉄条網が備え付けられていたため、自分の武器として回収しておく。

 内部にも強固な陣地が構築されていた。着地した直後、目の前を巡回していた兵士の喉を斬り裂く。返り血が古い石畳を汚す。後ろを向いていた相方の兵が振り返ったが、アメリアは既に切り返しで彼の喉笛に鉄線を絡ませていた。

 土嚢で機関銃の調整をしていた兵士が襲撃に気付いた。だが、声を上げるのと機関銃の安全装置を外すのと、どちらを選ぶべきか迷ったのが仇になった。アメリアの両手から伸びた刃が頸動脈をズタズタに噛み千切る。勢いあまってもがれた頭が、血の雨を撒き散らしながら転がっていく。


 次に向かうのは看守用の兵舎。敷地内で異常があった際にはまずここから人が来る。逆に言えば、ここに立て籠もることはできないため兵員が密集している割に防備が薄い。頭数を減らすにはうってつけだ。

 アメリアは無言で攻勢を続ける。道中に6~7人は殺してきたが、隠蔽するほどの時間はなかった。そろそろどこかで警報を鳴らされてもおかしくない。呼吸は落ち着いていても、心臓が焦りを反映して高く鳴っている。


 兵舎に辿り着いた。扉を脚で破る。薄暗い舎内では、交代要員の兵たちが雑魚寝状態で仮眠を取っていた。

 ぼんやりとアメリアを見つめた近くの兵士が、怪訝な顔をした。

「Wer bist du?」

 奥に居た兵士が眠そうな目を擦る。

「Lassen die Patrouillen nach?」

 その口調に敵意はなかった。目の前に連合王国軍の魔女が現れたにもかかわらず、彼らはアメリアのことを迷い込んだ市民か何かと勘違いしていた。彼らは疲れ果て、嫌気が差し、ひどく逃避的に見えた。

 彼らの多くは、負傷兵だった。レジスタンスによる包囲戦か、あるいはもっと前にジャバルタリク戦線で傷ついた者たちだ。

 もう何も見たくない。

 落ちくぼんだ双眸が、これ以上戦争を直視するのを拒んでいるようだった。


 アメリアは彼らを、何ら反撃を許すことなく一方的に殺し尽くした。

 血の匂いが手に染み込んで、もう一生取れない気がした。


 続いて3つある獄舎を制圧している間に、守備隊がアメリアたちの侵入に気付いた。

 警報は鳴らない。ケイリーは電信室を制圧したようだ。ここからは収容所の外へ助けを求めようとする敵を追い立てる戦いになる。

 こうなるとむしろ、敵の移動経路を割り出しやすくなってありがたい。より規模の多い分隊で固まって行動するし、行動の目的が「捜索」と「脱出」の二択なるため群衆制御クラウドコントロールがやりやすい。

 痕跡を匂わせ、釣り出し、回り込み、狩る。時に壁や天井を伝うワイヤーとして、時に敵の脚を掬うトラップとして、アメリアはかつてなく小手先の技を有刺鉄線に編み込んだ。今までの怪物のような暴れっぷりとは一線を画すそれは、暗殺の技巧とも呼べるものだった。

「はっ……」

 浅い息を吐く。胸の奥が熱を持っていた。

 かつてない静寂の中で研ぎ澄まされたアメリアの感覚が、ひどく鋭敏に敵の息遣いを感じ取る。両手の指から伸ばした有刺鉄線はそれぞれが蛇のように大気にただよう気配を絡め取り、おのずと得物の首を探す。そんな感覚が指先を支配する。

「は……」

 汗が顎から滴り落ちた。

 アメリアは一度、立ち止まる。魔法造物ウィッチクラフトのしもべたちが棘だらけの鉄線を床に擦って這い回り、一区画先で恐怖に立ちすくんでいる敵兵の背後に忍び寄る。

 見える。

 見たくもないものが。

 絡め捕る。棘を食い込ませながら、圧殺。血肉の詰まった袋を絞り潰す、確かな手ごたえが指に伝播した。続いて、一心不乱に出口を目指す兵士の足音を感じる。鉄線を先回りさせて退路を塞ぎ、纏わりついて絞め殺す。

 有刺鉄線の流れを辿ってアメリアに接近しようとする勇敢な足取りも、手に取るように分かった。誰も、近づけはしない。蜘蛛が己の巣のすべてを掌握するように、鉄条網を張り巡らせた内側はすべてアメリアの掌の上にある。

 10本の指が同時に踊る。それぞれに繋いだ鉄線が10人の敵をくびり殺す。もう一度、踊る。そのたびに10人ずつ殺す。静寂のうちに、貪欲に、贄を捌くように、淡々と、命の在処ありかを引き裂いていく。熱い吐息を吐き出し、胸の奥と頭の底が冷えていく。アメリアは殺戮の嵐の中心点で、ただひたすらに殺し続けた。


「アメリア」

 最後の敵を仕留めたと同時、ケイリーの声が耳を打った。

「終わりだ、よくやった」

 電信室から戻って来たケイリーは、全身が返り血まみれだった。

「私は上空から周囲を警戒している。お前は下水道の点検口でレジスタンスを待つといい」

「あ……私も手伝うよ」

 一歩踏み出したら、ケイリーの手に頭を押し戻された。

「頑張り過ぎだ。私の獲物をほとんど横取りする勢いだったぞ。少し休め」

 それ以上反論する前に、彼女は対戦車ライフルを担いで飛び立った。

「……」

 別に疲れてはいない。効率的に敵を処理しただけだ。でもケイリーが「疲れている」というのなら、本当に小休止した方がいい。彼女は本当に必要な時のみ、他人を気遣う。そういう優しさはちゃんと受け止めるべきだ。


 アメリアは有刺鉄線をコイル状に纏め、下水道の点検口を探した。幸い収容所に点検口はひとつしかなかったので、すぐに見つかった。収容所の中心にある第1舎の前に設置されていた。

 獄舎にはたくさんの囚人がいたが、アメリアの繰り広げた虐殺劇を間近に見た彼らは息をひそめていた。「魔女だ」「連合王国の魔女だ」と、ささやきの波が伝播する。そこにあるのは、畏怖と当惑。彼らは獄中でひっそりとアメリアに目を向けるだけだった。


 遠巻きにさざめくような声を背に、アメリアはそっと腰を下ろす。

「リタ」

 呟いてみる。

 真っ赤に汚れた手で、帽子のつばをなぞる。

 色々と難しい建前がたくさんあったけど、ここまで来た一番の理由はリタのためだ。

「絶対、助けるから」

 必ず、報いる。そうでなきゃ、赦されない。

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