第16話:死してなお②
時は少し遡って、アメリアとアイラが夜のお茶会をお開きにしようとした頃。
お互いの気持ちを確認して、アメリアはもう満足していた。
これ以上やるべきことなんて、何もない。何かできるとも、したいとも、思わない。
また戦場へと沈んでいく。兵隊さんは誰もがそうしている。遠い遠い場所に後ろ髪を引かれながら、もっと崇高なものに酔ったふりをして、真っ赤な泥沼へと。
アメリアは、少し物欲しそうな目をしているアイラをよそに席を立った。
「聞けてよかったです」
本心から。
「それだけでいいの?」
それはあえて動揺を誘うような言葉で、もう答えを言っているようなものだ。ゆえにアメリアは微笑で取り繕った。
「はい」
アイラは、冷めた表情で一歩下がった。
「……そう。じゃあ、さっきのは忘れてくれる?」
お互い、忘れたことにしておいた方が身のためだろう。王女には相応しい相手があてがわれるべきだ。連合王国の未来の為に、女同士のあれやこれやは無に帰すべきだ。
けれどそれはなんだか、連合王国の勝利を信じて縋るのと同じくらい、滑稽なことに思える。
刻限が迫っている。そろそろ、言い訳が難しくなってくる時間だ。
隊舎に帰って休んだ後、今後の展開によっては、いやきっとこのままなし崩し的に魔女戦隊は作戦行動に入るだろう。アメリアが再び任務を終えた頃、アイラはもう本島に帰ってしまっている。
アメリアは宙を見て、もう一度アイラに向き直った。
「殿下は忘れていいけど、私は忘れてあげません」
「そうね、お互い……えっ?」
アイラは面食らった顔をした。
すごく意地悪なことを言ってしまった。
「戦争が終わるまで、思い出さなくてもいいです。きっとこういうの問題だらけですし、一時の混乱で気持ちが変になってるだけかもしれませんから」
チキってない。慎重なだけ。好きの結論は愛してる、ではない。往々にして女の子は過ちを男のせいにできるけど、今回ばかりはそうもいくまい。禁断の恋とかは現実にやられると大勢の人が困るから禁断なんだ。そのくらい、アメリアだって弁えている。
「ただ、私は、殿下の、えーっと……いろんなところを覚えてます」
「いっいろんな……!?」
急にアイラの頬が真っ赤になった。
「あっ別にやらしい意味ではなくて」
慌てて否定。しかしアメリアも、お風呂場での肌色がちらついて顔が熱くなる。いや、これはアイラが悪い、はず。
この胸の高鳴りは、戦争が生み出した心臓の誤作動かもしれない。だが、自分で蒔いた火種の始末をつけられない奴はダメだ。そんな奴が平和な世に放たれてしまったら、未来の女王だって困るだろう。
「私、割と都合のいい女なんですよ。だから、答えは先延ばしにしてください。いつか世の中が平和になって、殿下が退屈になったら……その時にでも、思い出して、結論を聞かせてください」
アメリアはできるだけ軽い感じの笑顔を作り、そのまま退場しようとした。けれどアイラは二歩、詰め寄ってきた。彼女の頬は更に赤くなっている。
「あなたね……王族って暇じゃないのよ」
「す、すみません」
「あなたは都合のいい女なんかじゃない。私に恥ずかしい告白させて勝手に納得して、都合のいい女をキープしようとしてるのよ。恥知らずにも、待つと言いながら待たせようとしているの。これが男だったら刺されてるところですからね」
「そんなにですか……」
アイラがアメリアの靴を踏んだ。というより、ちょこんと自分の靴をのっけてきた。乱暴なことにまったく慣れていないんだろうと思うと、なかなかに愛おしい。
「なにをニヤけているの!」
「す、すみません」
載せられた靴がいきなり重くなった。
同時に、アイラの顔が迫る。晴空色の澄んだ瞳が。その美しさに気を取られて、アメリアはすべてを受け入れていた。
頭を、撫でられた。
グーでぶん殴られても構わなかったのに、引っ叩かれるよりよっぽど効いた。
「でも私は赦してあげます。寛大なる慈悲に感謝するといいわ」
靴が退けられた。
アイラははにかんで、アメリアの肩を押した。
「ほら、もう行きなさい。皆への言い訳がしんどくなる前に」
アメリアは何か気の利いた回答をしようとして、失敗し、「うん」とだけ言った。王女殿下に向かって「うん」はないだろうと思ったが、もうこれ以上、彼女へ何も言えなかった。
部屋を後にしたアメリアは、歩きながら頭を冷やそうとした。
誰に赦されずとも戦うって、決めた。
従軍を決意した時の悲しみと怒りを、覚えている。不戦の誓いを破り、祖母をひとり残し、故郷を去り、敵を殺し、女を殺し、子供を殺してきた。ファンレターはいつもきっちり読んでから、捨てる。
全力で効いてないアピールをした。痛がると傷が広がる。別に……赦してくれなんて頼んでませんけど? みたいな感じで。
無条件の赦しを、多くの人は最初から持ち合わせている。ただし大抵の場合、それを向けられる相手はごく限られる。意地悪をしても、わがままを言っても、「しょうがない」で済ませてくれる。祖母はいつも厳しかったけど、いつも最後にはアメリアを赦してくれた。無条件で無際限なそれは、ある種の祝福だった。
アメリアは、祖母の与えたものに恥じない生き方をする選択肢があった。
たとえ祖国が敗戦の危機にあろうとも、少女は戦争に加担しなくてもよかった。近所の男の子たちが我先にと軍に志願するのを見送って。女の子たちが軍工場へ奉仕に出るのを見送って。非国民と呼ばれて、売国奴と呼ばれて。たとえ帝国のスパイと噂されても、天使のような笑みを絶やさずにいれば、よかった。最後の家族は、アメリアの手が汚れなければそれで満足だったのだ。
もはや救済の余地がない大量虐殺犯に、アイラは無上の赦しを捧げた。その事実にどう向き合ったらいいのか、今のアメリアでは分からなかった。
踏みにじってきた祝福から、逃げて逃げて逃げ続けてきた。いつか裁かれる時が来る。その時も、アイラは同じようにアメリアを守ってくれるだろうか。
直帰すると頭を冷やすにはぜんぜん距離が足りないので、練兵場を一周した。それから隊舎でものすごい勢いの冷たいシャワーを浴びて、倒れるように自室のベッドに入った。
部屋の中心には、手紙が満載された木箱がある。そろそろ捨てなきゃと思っていたのに、訓練が忙しくて後回しにしていた。
何度か改めて目を通したが、やはり祖母からの手紙はなかった。
「なんで……」
果てしない不寛容が、立ち塞がっているように思えた。
そこで口をつぐんだ。
何か見返りを求めて戦うのは、醜いことだ。
どれだけ失うか。零れ落ちていくものを、どれだけ抱えていられるか。救う手段はない。そういうゲーム。
空虚さでいっぱいの木箱を眺めて、アメリアは浅く眠った。
明け方、ケイリーが起こしに来た。
「アメリア、作戦の日程が決まったぞ。今日だ」
「ん、おはよケイリー……」
不思議と疲れてはいない。アメリアはゆっくり身体を起こした。ケイリーは既に髪を結い、カーゴパンツにフライトジャケットの出で立ちだった。
「は……今日って言った!?」
「言った。今から軍議室でブリーフィング、その後すぐに輸送機で出立だ」
アメリアはベッドから転げ落ちた。
「私は魔法の都合上この恰好で行くが、お前には第一種軍装で来るよう通達があった」
「第一種って何だっけ?」
「キルトスカート、剣帯、腕章。帽子にフウチョウの羽根飾りだ」
記憶を掘り返してみると……そういや入隊式の時にそんな恰好だった気がする。これが魔女戦隊の正装だと教えられた、ような気がするが、以来着た記憶がない。戦闘には不要なものばかりなので忘れ去りもする。
「でもなんで正装?」
「知らない。早く着替えろ、外で待っている」
ケイリーはさっさとドアを閉めた。
アメリアはベッドの下のトランクを引っ張り出し、中身をぶち撒けた。私物はほとんど持っていない。目当ての物はすぐに見つかった。
「これ、スース―して苦手なんだよなぁ……」
青と黒のタータンチェック。かわいい柄だとは思う。余り布を肩からローブのように垂らすのも洒落が利いている。れっきとした軍服で、近衛兵団や軍楽隊が身に着けているのも知っている。しかしそれはそれとして、生脚は落ち着かない。
腕章には魔女戦隊の部隊章があしらわれている。箒と銃が交差するデザインは、魔女が戦争に加担する決意を表す。今更そんな覚悟、問われるまでもないことだ。
帽子の羽根飾りに使われるフウチョウは、不死を表す縁起物らしい。昔、脚を切り落として弱らせたフウチョウが交易品として国内に入った際、「脚がない鳥だから永遠に飛び続けるのだろう」と勘違いされた逸話からくるものだ。ちょっと考えれば縁起でもないと分かるはずだが。
ともかく、アメリアは急いで身支度を済ませた。と思ってドアを開けたら、ケイリーが櫛を差し出した。
「お前は寝起きで慌てた時、髪の手入れを忘れる」
「ありがと……」
確定事項みたいな言い方が若干引っ掛かる。でも、ケイリーはよく人を見てくれている。
軍議室には既にソロモンス中佐が控えていた。他の魔女たちも続々と集まりつつある。別戦区を担当する魔女たちもいた。ジャバルタリク戦線は南北に長い要塞線を敷いているため、離れた要塞を拠点とする魔女とは入隊以降面識がないこともある。
「よっ、アメリアちゃんにケイリー嬢」
見慣れない面子を掻き分け、サンダーソン上等兵がアメリアに寄ってきた。
「麗しい女性が幾らいても、お二方の美貌は燦然と輝いてるな。いいねアメリアちゃん、そのスカート似合ってるよ」
通りかかった魔女が「何コイツ?」みたいな侮蔑の視線を向けられ、彼はちょっと傷ついた顔をした。たぶんアメリアたちを元気づけようとしてくれたのだろう。ちょっとだけ微笑み返す。ケイリーは真顔だった。
「昨日会議があったと思ったらいきなり作戦でびっくりだよなぁ。大方レジスタンスに振り回されてんだろうが、よくやるぜ」
「こんな状況はすぐに終わるさ」
サンダーソンの後ろから、スウィントン少佐が顔を出した。練兵場で会った時より、険しい顔をしている。
「やだよねぇ、内輪でマウント取り合ってさァ。ソロモンス中佐は、レジスタンスの魔女の心象をかなり意識してる。いかにも女の戦いって感じで__失敬」
スウィントン少佐は横切った魔女に肩をぶつけられ、シュンと身をすぼめた。
ソロモンス中佐が手を叩いた。ざわめいていた魔女たちが一斉に前を向く。
「お黙り。これよりブリーフィングを行う」
皆が席に着いた。スウィントン少佐だけがソロモンス中佐の隣に立つ。
「さて、急な話で悪いね。ここ2週間近くレジスタンスの出方を窺っていたんだが、ようやく奴らと接触する目処が立った。レジスタンスはガラティエ市周辺にゾンビの大軍勢を展開し、正面から攻め入るつもりだ。よって、我々もこの動きに合わせて作戦を実施する。帝国海軍の新型艦『メルセルケビル』の奪取を目的とし、旧公国領ガラティエに空挺降下を行うんだ」
黒板に戦略地図が広げられ、いつものようにソロモンス中佐の魔法が自動でチョークを引く。
「作戦要員は我が魔女戦隊より鉄条網の魔女、竜の魔女、および陸軍第13歩兵師団よりサンダーソン上等兵の3名とする。また、往路における防空要員として風の魔女を同乗させる。この辺は事前の計画通りだ。次いで、その他のここに集められた魔女を作戦待機として任ずる」
アメリアはシャーロットを探した。顎に包帯を巻き、松葉杖を携えた小さな少女の姿があった。これだけたくさんの魔女がいても、風の魔女の代わりはいない。
「まず、第一フェイズ。各要員を乗せた輸送機は白海を最短ルートで突破する。進路上には味方の水上機戦隊を配置しているが、護衛能力には期待すんじゃないよ。敵さんの
王国海軍の主目的は白海情勢の攪乱にある。そもそも水上機は偵察に砲撃誘導にと大忙しだろう。嫌な考え方だが、囮程度に考えた方がよさそうだ。
「ガラティエ軍港に到達したら低空で侵入し、作戦要員を降下させる」
軍港の二か所にチェックが入る。片方はドック、もう片方は市街に隣接する沿岸要塞だ。
「続いて第二フェイズ。ケイリーは先行して新型艦のドックを制圧する。アメリアとサンダーソン上等兵はサン・パウロ沿岸要塞に降下し、要塞砲を破壊する。各々の仕事が終わったら、レジスタンス首脳陣の合流を待つ。連中も港の確保のため戦力を回すはずだが……あまり信用するな」
順当に考えれば、彼らは『メルセルケビル』の脱出を阻止するための手を有している。しかし、それがどれだけ頼れるのかは未知数だ。独力で亡命を果たせるのなら、連合王国に共闘を持ち掛ける必要はない。必ず、魔法には何かしらの制約がある。
「そして第三フェイズ。合流と艦の奪取に成功し、ガラティエ軍港を脱出したら、白海に出撃している王国海軍に打電する。海軍は全力を以てこれを護衛しつつ、ジャバルタリクまで撤退する」
すべてが上手くいけば、引かれた矢印のように一直線で帰れる。おそらく大混戦の最中であろう王国海軍が上手く艦を守ってくれて、なおかつレジスタンスとの間に何のトラブルも起こらなければ。
ソロモンス中佐は一呼吸置いて、苦々しく付け加える。
「なお、艦の奪取に失敗した、またレジスタンス首脳陣との合流に失敗した、あるいは連中に何かしらの不当な要求を突き付けられた場合について。この場合は先述の第三フェイズを棄却したとみなし、作戦目標は『メルセルケビル』の撃沈に移行する」
赤いチョークがガラティエに大きなチェックを入れた。
艦の奪取ではなく撃沈を選んだ場合、レジスタンスとの同盟関係に亀裂が入る。それは事実上、彼らの退路を塞ぐのと同義だ。現場にいるアメリアたちにも危険が及ぶだろう。
「レジスタンスが撃沈を妨げた場合は、攻撃を許可する。リタを人質にされたとしても、躊躇うんじゃないよ」
中佐はアメリアを見据えている。
アメリアはいたたまれなくなって、目を伏せた。
「撃沈に成功したら、ケイリーがアメリアとサンダーソン上等兵を乗せて軍港から離脱する。指定の座標に救援の艦隊を置いておくから、そこまでは頑張って飛んでもらうしかないね。作戦待機に任じた魔女たちには、状況に応じて要員の救出や応援に動いてもらう。まぁ、出番がないに越したことはないが」
大きなため息をして、中佐はスウィントン少佐に続きを促した。
「では、僕からも」
スウィントン少佐は大きく刷った写真を掲げた。大量の戦車が並んでいる。ジャバルタリクにはこんなに戦車があっただろうか。
「現在、帝国軍はガラティエ周辺のゾンビに対応すべく、ジャバルタリク戦線から部隊を引き抜いている。この動員で戦局が変わったかは未確認だけど、ガラティエ方面に更なる敵が集まるのは阻止しておきたい。それに、明らかな隙は突いておかないと、こちらの対応力の低さが露呈してしまうからね」
アメリアはその写真に妙な違和感を覚えた。なんだか、安っぽいというか、軽そうというか。スウィントン少佐は得意げに笑った。
「ダミーだよ。ベニヤ板で作った囮戦車隊、総勢150両を突貫で作ってみた。前進のみだけど無人で動けて、簡単な自爆機構も積んでいる。鹵獲したパンツァーファウストを改造して、砲塔に組み込んだ仕様の車両もある。本物の戦車と混ぜて進軍させれば、敵前線は大混乱間違いなしさ!」
おお~、と魔女たちから感嘆が上がる。
「凄いじゃん!」
「少佐マジカッコいいんですけど!」
「もしかしてぇ、帝国軍よりハイテクなんじゃないのぉ!?」
女の子たちの羨望を一気に集め、少佐はてれてれし始めた。
ただ、この攻勢の本質はエスターライヒ攻略で行った擬装攻勢と似ている。戦力を伴った攻撃かそうでないか、というだけ。結局、連合王国軍は前線を押し返す力を有していない。
人がどれだけ合理的に動いていても、どうしてか戦争は見栄を張るための流血を強いてくる。
「まぁまぁ、あくまでハリボテですから。この攻撃の目的は、こちらの消耗を抑えつつ帝国軍ジャバルタリク方面軍を釘付けにすること。戦車隊に犠牲が出そうになったら待機中の皆さんに助けを求めるので、僕らのこともよろしくね」
そうなだめるように少佐が言うと、一気に場が冷え込んだ。
「結局はそれか~」
「少佐あんまカッコよくなくね?」
「ま、あんま期待してなかったけどぉ……」
ジャバルタリクでは、男の威厳がちょくちょく揺らいだりする。アメリアの隣で、サンダーソンが同情の視線を少佐に送っていた。
作戦の大枠を話し終え、僅かながら質問の時間が設けられた。とりあえず、アメリアは一番に手を挙げた。
「あの、なぜ私だけ第一種軍装なんでしょうか?」
説明を聞いている途中、他の魔女からの視線を感じていた。もちろん身勝手に張り切った格好をしたわけではないのだが、なんとも居心地が悪い。
ソロモンス中佐はしばらく険しい顔で考えてから、やっと表情を崩した。
「お前が可愛いからさ」
「はい……?」
「レジスタンスの首脳陣は、公国の亡命政権になるだろうからね。心象を良くしておきたい。お前が連合王国の淑女を代表してご挨拶するんだ」
「で、でも私じゃなくても」
「ケイリーが魔法を使うと一張羅をボロボロにしちまう。サンダーソンは、ほら、野郎がいくら良いカッコしたってつまらんだろう?」
なんだか、下手な言い訳に聞こえる。
でも、ソロモンス中佐はおふざけで無意味なことをさせたりはしない。アメリアは彼女と出会ってこのかた、ずっとその仕事を信頼してきた。腑に落ちないが、それ以上食い下がるのはやめておいた。
今度はケイリーが挙手した。
「中佐、質問の許可を」
「なんだい、珍しいね」
ケイリーは作戦に疑義を唱えるタイプとは思われていなかったようで、多くの魔女が彼女を仰ぎ見た。
「輸送機の航続距離が足りません。ガラティエまで我々を送り届けることはできても、復路で燃料が尽きます」
「ああ、それが?」
淡々と訊いているようで、アメリアにはケイリーの語調に棘があるように思えた。
「乗務員とシャーロットは、どうやって帰還させるおつもりですか」
重傷が未だ癒えないシャーロットを危険に晒すのは、仕事人間のケイリーにも抵抗があるようだった。
「復路の途中で着水し、そこから船で回収してもらう。作戦要員には関係ない話だろう」
「少なくとも、帝国艦隊の制海権内です。安全に回収できるとは思えません」
「撃たれないよ」
「なぜ撃たれないと言い切れるのですか」
いやに食い下がる。中佐は渋々といったように首を振った。
「回収するのが、人道に関する諸条約に基づく救護船だからだ」
ケイリーが息を呑む音が聞こえた。
「帝国の捕虜の中でも、早く返した方がいい奴らがいる。さてケイリー、どんな奴らだと思う?」
「病人と……中立国の民間人、ですか」
「そうだ。人の善意ってのはありがたいね。非参戦国の
「……ですが、白海はこれから乱戦になるでしょう。その船がルートを変更する可能性も」
「話は付いてる」
場の空気が凍り付いた。
中立国と裏取引をし、人道を盾に慈善団体を作戦に利用し、傷病兵と民間人を戦闘に巻き込む。徴用された民兵と仕方なく交戦するのとはわけが違う。
これは、戦争犯罪だ。
ケイリーは、シャーロットの方を向いた。
「知っていたのか」
シャーロットは、黙って頷いた。
「分かったろう。撃てば世界を敵に回す。だから帝国は撃てない。我が身が可愛いのなら、この件には誰も口を挟まないことだ」
ケイリーがそれ以上喋る前に、中佐は手を叩いた。
それ以降質問をしたがる者は皆無で、ブリーフィングはなんとも冷えた空気のまま終わった。アメリアたちは落下傘を背負って滑走路へと向かった。途中、スウィントン少佐が言っていたダミー戦車の列が牽引されていくのが見えた。
ケイリー、シャーロットに続いて機内の硬い座席に着く。重苦しい空気がそのまま持ち出されて、3人は一言も発さなかった。サンダーソン上等兵が気を利かせて小粋なジョークを披露したが、駄々滑りした。
アメリアは、ずっと考えていた。
英雄なんかにならなくていい。自分ひとりが手を汚すぶんには、慣れている。そう覚悟を決めたはずのアメリアは、まだ甘かった。そんな覚悟では腹が満たされないと、悪魔が貪欲に手を伸ばしている。
裁かれるのはアメリアだけではない。魔女戦隊の仲間たちが、ジャバルタリク戦線の同胞が、すべての連合王国民が、裁かれる。
アメリアを無責任に賞賛する、愛国婦人会だかのおばさんも。力のこもった筆跡でラブレターを送ってくる少年も。アメリアに憧れ、魔女になりたいと想いを綴った少女も。一度もアメリアを誇ったことのない祖母も。
アメリアは罪を負わせる側だ。
膝に、手が置かれた。
シャーロットの小さい掌が、夜明けの冷気で冷えたアメリアの肌にわずかな温もりを伝える。
「ごめんね、シャルちゃん」
シャーロットは目を伏せ、首を横に振った。
優しい子だ。こんなに良い子が戦争に行く。それだけでもう、間違っている。エスターライヒの戦場で彼女だけは正しかった。それなのに、彼女以外の誰もが間違っていた。
「ごめん……」
シャーロットは戦争に加担するべきではなかった。魔女戦隊は志願制なのだ。確実に、もっと良い人生があったはずだ。手を汚さずに済んだ人生を投げ打って、戦争犯罪にすら関わって。
魔女は戦争に加担するべからず。
祖母の正しさはいつだって、アメリアを苛んでいた。理解したうえでそれを拒絶したはずだったけど、その正しさはあまりに壮絶だった。
作業員が続々と、武装を積み込んでいく。アメリア用の鉄条網を入れたドラム缶。パンツァーファウストが10本ほど……これはアメリアが要塞砲を破壊するために使うものだ。ケイリーの対戦車ライフル。機体後部にマウントする機銃。やがて輸送機の最終点検が終わり、機関士がエンジンを入れた。
ハッチが封鎖される直前、滑走路にオートバイが駆け込んできた。何事かと思えば、広報部の兵士だった。市街にある新聞社の印刷所から、今日の朝刊が一番に届いたらしい。
「王女殿下とのツーショットですから、まずは魔女どのに届けなきゃと思いまして」
肩で息をしている兵士から、直々にアメリアへと手渡された。
「良い記事ですよ。広報部と殿下には少々軋轢もありましたが、目の覚めるような内容は請け合いです」
「……どうも」
その兵士は機銃の設置をしていた機銃手に「邪魔だ降りろ」と蹴飛ばされ、ふらつきながら退散した。
新聞は軽いのに、折り畳まれたその1面を広げるのが、ひどく億劫だった。
機体が動き始める。轟々と振動が響く。窓から薄紫の朝焼けが流れていく。落ち着かない面持ちのケイリーに肩を寄せられた直後、離陸する。
機体が高度を取り、揺れが少し収まった頃。
「俺は、アメリアちゃんが何を背負ってるのか分かんねえけどさ」
サンダーソンがぽつりと言った。
「背負いすぎて潰れるくらいなら、開き直ってもいいんじゃねえか」
アメリアが顔を上げると、彼は白い歯を見せた。
「ちょっとくらい悪い子になってもいいだろ。もちろん素のアメリアたんが一番チャーミングだけどな」
しばらく彼を見つめていると、やがてキメ顔が困惑の表情に変わった。
「……ど、どしたの? 俺がイケメン過ぎる?」
「そうですね」
アメリアは素直に答えた。リタが惚れるのも分かる……あれは多分、惚れているだろう。無事に合流出来たら確かめてみよう。
「私もそう思う」
ケイリーも不意に口を開いた。
「えっ? 俺がイケメン過ぎる?」
「開き直ってもいい、の部分に関してだ。確かに上司の方針に納得できないこともあるだろう。だが自分の仕事を蔑む者は、その仕事に救われた者をも蔑むことになる」
彼女もシャーロットと同じように、アメリアの膝に手を置いた。ケイリーの掌はけっこう大きくて、温かい。
「ケイリー……」
「私はお前の仕事を誇りに思う。今はそれだけ、分かっていてほしい」
戦えば戦うほど、幻滅する。祖国の正義が揺らぐたび、業が高い塔のように影を落とす。塔を積み上げるのは自分たちで、影に追い込まれるのはすべての人々。これが正しいのか。アイラはこの行いすら赦してくれるのか、今のアメリアには難し過ぎる問いだった。
新聞を手に取る。一面の見出しが、エスターライヒで撮った例の写真だった。
アイラは美人だな、と素直に思った。被写体としての自分をちゃんと意識して、顔の角度や髪や服のはためきなんかも上手く働いていて、
それに対し、アメリアはいかにも慣れてません、といった直立姿勢。背格好は似ているのに、写真写りがぜんぜん違う。なんだか情けない。
記事の表題には、こうあった。
「ジャバルタリク戦線の現実について」
アメリアはその一文を声に出した。シャーロットとケイリーが、横から覗き込む。
「王女アイラの名において、告白する」
注ぎ込んだ戦費、失敗した作戦、戦死者数と死因の内訳、帝国との国力差、和平交渉の停滞、その他色々。「我が軍は今日も勝利した」以外のあらゆることについて、これから包み隠さず報道することを誓った文面。
それから、彼女の言葉が綴られていた。
*
魔女は、普通の人たちでした。
銃弾を受ければ傷つきます。戦場での生活に疲弊しています。戦いを天職だと思っている人もいれば、仕方なく戦っている人もいます。特別な人は誰一人いなくて、ただ魔法が使えるだけの女性たちです。軍神に愛された戦乙女でも、主の啓示を受けた聖女でも、ありませんでした。
彼女たちの守るジャバルタリク戦線は、常に決壊の危機に晒されています。このまま戦況が動かなければ、連合王国は敗北します。どれだけ力を尽くしても、いつかその時は訪れます。緩やかな絶望に侵されながら、彼女たちはずっと、ずっと、戦い続けています。
私たちは、そろそろ気付くべきでしょう。お国のため、仲間のため、家族のためと綺麗事をうそぶいて、人を地獄に追い立ててきた、その罪に。あるいは戦争から目を背けることで、潔白を信じるその浅ましさに。
だって不公平ではありませんか。魔女を讃えて持ち上げるのも、戦いを拒んで突き放すのも、まだ自分が当事者でないと思っているからできるのです。こんなのは欺瞞です。私たちはおぞましい暴力によって今日この日を生き永らえているのです。
私は戦争の当事者として、魔女、ひいてはすべての将兵に報いる覚悟をしています。彼らの流した血と、積み上げてきた屍は、私たちに逃れることを許さないでしょう。だから、私たちは、真の意味で戦うべきです。
ゆえに私は、連合王国第一王女アイラの名によって、本島決戦構想『
あなた自身が武器を手に取ってください。いつかジャバルタリクが陥落するとき、本島に帝国の手が掛かったとき、あなたが戦うのです。もちろん、私も戦います。
*
誰も言える雰囲気じゃなかったけど戦争はクソだ。でも逃げることも許さない。どんなスタンスだろうが、当事者として戦い抜くべきだ。たとえ、連合王国本島を地獄に変えてでも。
短い文に込められていたのは、そういう憤りにも似た覚悟だった。怒れないアメリアたちに代わって、アイラは怒っていた。
「護国の魔女……」
そら恐ろしい響きがする。本島決戦がもし起こったら、ジャバルタリクの比じゃない惨状になるだろう。それでも彼女は戦うべきだと宣言した。
それでも、彼女がエスターライヒで体験した戦いからこの結論を導いたのなら、アメリアはアイラを肯定しよう。
アイラを赦せない人が、これからどんどん増えていくのだろう。
「アイラ殿下は、魔女になりたいのかな」
「あまり向いているとは思えないが。仕事を選べない人種だからな」
ケイリーはそう答えて、窓の外に視線を移した。
朝焼けに煌めく白海が見える。小さく行き交う航跡は、王国海軍だ。いくつかの艦隊は既に戦闘に入っているらしく、海上のあちこちで砲煙が吹き上がるのが見えた。
そのうち、味方の水上機編隊が輸送機に合流してきた。同時に、真下の艦隊から入電があった。無線手が内容を伝えに来た。
「まもなく敵の制空権内に突入します。索敵は水上機の方で引き受けますから、風の魔女は戦闘配置に着いてください」
シャーロットが頷いた。機銃手に肩を貸してもらい、見張り台を兼ねた銃座に座る。
風の魔法が複雑に絡み合い、機体上方に追従するように巨大な雷雲が生まれた。
「大丈夫さ、シャーロットちゃん」
サンダーソンが軽い感じで親指を立てた。シャーロットも控え目に、親指を立てた。
「俺の方がいっぱい殺してる」
「私の方が多く殺しているぞ」
いきなりケイリーが張り合ってきて、アメリアは苦笑した。
「きっと私の方が多いよ」
最低な談笑でしばし笑いあったところに、また無線手が顔を出した。
「帝国軍の主力戦闘機を発見! 10時の方角、進路交錯までおよそ30秒!」
機内の非常灯が赤く
獣が唸るように、雷雲が低く轟く。
アメリアは、風にあおられるシャーロットの乱れ髪の隙間に殺意の眼差しを見た。
女の子がしちゃいけない顔だ。けれど自分も、人を殺す時は同じ表情をすると思う。食いしばるような、痛みに耐えるような。
紫電が
「撃墜を確認。さらに12時の方角、下から来ます!」
包帯に覆われたシャーロットの表情は動かない。だが、彼女は笑っていた。
機銃の一発も、輸送機には飛んでこなかった。シャーロットは正確無比な雷撃で敵機を墜としていった。髪を荒げ、両腕を広げて風を感じながら、彼女は蚊でも叩くみたいに、スコアを稼いだ。世界を回す過ちのひとつに、彼女は進んで身をやつしたのだ。
忘れてはいない。これはろくでもないことだ。けれど、シャーロットが過ちに踏み込んだことで、アメリアたちは撃墜されることなく生きている。ろくでもない循環の中で殺し合い助け合う、遠大なマイナスサムゲームに誰もが囚われている。
後に残した輸送機の航路には、めちゃくちゃに膨れ上がった雷雲が巨大な怪物のように尾を引いた。
やがて、空が深い青に染まった。大陸南岸の、大きな軍港都市がはっきりと見えてきた。外縁部のあちこちで火の手が上がっている。黒々とした点の集まりは、レジスタンスの魔女が操っているゾンビの群れだろう。
湾の方でも煙が吹いている。係留されている艦艇と要塞砲が撃ち合っているようだ。どういう事態なのかは降下して判断するほかない。対空砲火がまったく飛んでこないのを鑑みると、艦艇はレジスタンスが奪っていると考えてよさそうだが。
「行こう。ケイリー、サンダーソンさん」
アメリアはシートベルトを外し、落下傘の開傘装置の具合を確かめた。
輸送機が高度と速度を落とす。機関士がハッチを開いた。
「健闘を祈る」
対戦車ライフルを担いだケイリーは、短く言い残すと何の逡巡もなく外へと飛び降りた。すぐに魔法の翼が顕現し、彼女は高速で滑空していった。
続いて、サンダーソン上等兵がおっかなびっくり機体の縁に立つ。
「俺、空挺の経験ゼロなんだよね」
「私もです」
彼は青ざめた表情ながら、渾身の漢気で機体から飛び降りた。
アメリアはドラム缶から鉄条網を手繰り寄せ、持ち込んだパンツァーファウストを順に保持していった。鉄蜘蛛を形成してから落下傘を開く。指は塞がっているから、開傘装置の紐は咥えて引くことになる。頭ではイメージができた。あとは、やるだけ。
シャーロットと視線がぶつかった。
お互い喋れない状況だから、会釈を交わすだけに留める。
アメリアの魔法が、合理的な怪物を形作る。しっかりと四つ脚で床を踏みしめ、十本の火砲を支える。
でも飛び降りる一歩は、己の二本脚で決める。
宙に身を投げた。落下傘に干渉しないよう、鉄条網を操る。吹き荒れる風に帽子が、スカートが暴れる。自由落下の束の間に、アメリアはガラティエの全貌を俯瞰した。
レジスタンスの魔女。
新型艦。
リタ。
循環する罪禍の中心点に、鉄条網の魔女は降り立とうとしていた。
作戦、開始。
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