第4章:The Exile of Corpses

第15話:死してなお①

 ガラティエ軍港、サン・パウロ沿岸要塞。多数の帝国軍が詰める白海の要衝は今、大混乱の最中にあった。

 ガイスト少佐は、砲台場から街の全容を見下ろしていた。払暁に照らされた地平が徐々に、無数の影を照らし出していく。重苦しい駆動音が響き、要塞司令部の命ですべての砲門が街の方角へと向く。

「ふむ、どうしたものか……」

 さながら、黙示録のようだ。影はすべて、レジスタンスの魔女が操るゾンビだった。


 公国のレジスタンスによるガラティエへの大規模侵攻、およびレジスタンスから連合王国に向けた協力要請を傍受したのが10時間前。同時刻、近隣都市より南下するゾンビの大群を発見した。付近に進駐している部隊が、対応のために包囲網を構築したのが8時間前だった。

 帝国軍の内線戦略は上手く機能していた。もともと、占領地におけるレジスタンス運動の過激化は予測されていた。「完璧な統治などない」という、ある種の皮肉にも近いリアリズムが最悪の想定に備えさせたのだ。結果として、迎撃に当たった戦力は3個師団にもなった。初動は完璧だったと言ってもいい。

 だが、参謀本部の見立ては甘かった。包囲されていたのは帝国軍の方であると、彼らはまったく想像できていなかった。

 5時間前、迎撃に出した全部隊が消滅した。彼らは文字通り、ゾンビの大群に吞み込まれた。4時間前には連合王国軍との前線から部隊を引き抜き、遅滞戦術にてた。停戦の機運が高まっていたおかげで無茶な動員ができたものの、今やジャバルタリク方面軍は風前の灯火だった。

「いやー……ガイスト少佐は部下と合流するためにこの街へ寄ったのだったか? エスターライヒでコテンパンにされた挙句、帰路で別の魔女に襲われるとは運がないなぁ」

 隣でいっそ清々しく笑っているのは、ガラティエ市の駐留軍を束ねるシュヴァンベルク少将だった。天を仰ぐその横顔は、既に諦めの境地にあるようだ。その卑屈な語調には、魔女にしてやられた者同士の傷の舐め合いじみた共感が含まれていた。

 ガイストはすぐに街へと視線を戻した。特に面白みがある将校ではない。

 魔女が相手の戦いなら、どのみち魔女狩り部隊は矢面に立つために赴く。

「魔女が絡むと、盤面を覆されるのが常でございます。予測はできずとも覚悟はしておりました」

 ガイストは特に気に病んだことはないが、軍内部で魔女狩り部隊が連戦連敗の噛ませ犬だとそしられているのは知っている。それは事実だった。魔女は純粋に、通常戦力を凌駕する。彼女たちを擁するのが連合王国軍の精鋭だろうとレジスタンスの雑兵だろうと、同じだ。

 ガイストは心の底から、この仕事を楽しんでいる。負け戦でも面白いものは面白い。


 湾を振り返れば、公国軍から接収した艦艇が続々と黒煙を吐き出している。波止場には物資を抱えた水兵たちの列。

 傍受した通信には、レジスタンスがここで建造中の新型艦の奪取を企てている旨が記されていた。いざとなればこの艦隊で新型艦を護衛しながら、ガラティエから脱出することになる。

 いや、もはや猶予はないだろう。傍に控えた魔女狩り部隊の通信兵が、野戦電話機にやたらと怒鳴っている。たった今、最終防衛線との通信が途絶えた。


 にもかかわらず、ガイストは髭を撫でながら首を傾げていた。

 とりあえず敵の陣容を拝むため砲台場に登ったはいいものの、その中身のなさに拍子抜けだった。ゾンビたちは一見して派手な大軍勢だが、砲兵も車両もまったく見当たらない。

「ふむ……?」

 長年の経験から、ガイストはこの異様な光景に戦術的な違和感を覚えていた。レジスタンスの目的は「新型艦『メルセルケビル』の奪取および白海ルートでの亡命」であるはずだ。ガラティエの占領ではない。ガラティエ駐留軍にとって街を守り通すのは難しくとも、『メルセルケビル』を含む艦隊を港から逃がすのは簡単だ。

「な、なぁガイスト少佐、今すぐこの街を放棄すべきだと思わないか? 奴らに港を占拠される前に」

 帝国軍が街も駐留軍も放棄する覚悟を決めたら、南下してくるゾンビの大軍勢は何の足止めも出来ない。彼らは艦を沈めるための火力を持ち合わせていないのだから。


 脂汗を浮かべたシュヴァンベルク少将に、ガイストはゆったりと振り向いた。状況にそぐわぬねっとりした笑みに、少将はたじろいた。

「少将、いますぐ要塞砲の向きを白海側に戻すべきですぞ」

「は……?」

「この軍勢は囮でしょう」

「お、囮? この大群が?」

 ガイストの推測は、個人的な希望に基づく。

 レジスタンスの魔女も、まさか兵数で押せばいいと思っているわけではあるまい。

「そもそも『メルセルケビル』の基礎はただの水上機母艦です。あれだけを奪っても、白海を突破できるはずはございません」

 そこまで言って、ガイストは港に目を移した。


 きっかけはわずかな変化。

 小さな黒い粒が水面から顔を覗かせる。物資を積み込むのに忙しい水兵たちは気にも留めない。

 粒は徐々に数を増やす。水兵のひとりが足を止めた。悲鳴が上がり、すぐに狂騒が港いっぱいに広がってガイストたちの耳に届いた。

「なるほど……公国艦隊ごと取り返すつもりか」

 ざっと数百。新たなゾンビの一団が、一斉に浮かび上がってきた。それらは我先にと発進前の艦隊に寄り、舷側からよじ登っていく。

 シュヴァンベルク少将は思考のキャパを越える出来事に硬直し、口をパクパクさせている。なんとか絞り出した一言は。

「なんということだ、もう終わりだ……」

 勝手に終わられては困る。ここからが本番なのに。ガイストはガラティエ駐留軍のトップを無視し、部下から電話機を受け取った。要塞司令部へと繋がせる。

「こちら魔女狩り部隊長官、ガイスト少佐。今しがた公国から接収した海軍を奪われた。誰にって……ゾンビに決まっておろう。白海艦隊をすぐに呼び戻せ」

 帝国海軍がこの港を手薄にしていたのは、連合王国海軍の動きに合わせて主力艦隊が出動していたからだ。奪われた艦艇は駆逐艦と水雷艇まで合わせて6隻ほどなのに対し、ガラティエの艦隊は戦艦だけで同数いる。今すぐ呼び戻せば鎧袖一触に蹴散らせる。


 ところが要塞司令部の応答は否定的なものだった。ジャバルタリクから空前の大艦隊が進出してきているため、こちらの主力を下げられないとのこと。レジスタンスと連合王国軍がどこまで連携しているかは定かではないが、上手く隙を突いたものだ。

「では、グリム大尉の部隊を救助した飛行船、あれは今どこにいる? ああ、ガラティエの係留場に寄越したまえ。ワイヤー誘導魚雷の用意も頼む」

 空対艦攻撃の信頼性は未だ低いものの、飛行船の誘導魚雷で王国艦艇を沈めた実績がある。何もしないよりはマシなはずだ。

 受話器の向こうで、要塞司令部の通信兵が困惑している。まだ状況を理解していないらしい。対して、眼下のゾンビたちは更に数を増やし、各艦の表面を覆い尽くしていく。散発的に始まった駐留軍の反抗は、あまりに無力だった。

「飛行船からの雷撃で沈めるのだ、さっさと準備したまえ」

 それだけ言って、ガイストは通信を切った。また天を見上げ、もごもごと神に祈り始めた准将の肩を強く引っ張る。

「楽しい楽しい市街戦のお時間ですぞ閣下! さぁ、今すぐここを離れましょう!」

 港では、水兵たちの抵抗が早くも弱まっていた。最初に制圧された巡洋艦の高角砲が旋回し、要塞の方を向いた。

「走るのです!」

 近くの砲兵が、慌てて砲座から転げ落ちた。ガイストは少将の襟を掴んで駆け出した。直後、砲台場に向けて発射された弾丸が立て続けに空中で炸裂した。時限信管の調整もしていない適当な射撃だったが、盛大な爆裂音はその場にいたすべての帝国兵を恐慌に陥れた。

 ガイストにとって最も腹立たしいのは、要塞司令官が一番に恐れを為していたことだ。

「シュヴァンベルク少将、しっかりなさい!」

「ひっひいっ、もうダメだろうこれは!」

「戦争はもうダメというくらいの状況が一番アツいのですぞ!」

「少佐は頭がおかしいのか!?」

 ガイストたちは艦砲の的となった台場から降りた。すぐに主砲の砲撃音が聞こえてきた。要塞砲の向きを港に戻すには時間が掛かる。先手を打たれた以上、そう長くは持たないだろう。奪われる前に砲台の爆破を進言することも考えたが、窮地に瀕した人間がそう手際よく始末を付けられるか考えると怪しいところだ。

 味方が常に最高のスペックで働くと考えて行動するのは三流軍人だ。むしろ、戦争では上手くいかない事の方が圧倒的に多い。

 ひとまず手近な士官を捕まえ、シュヴァンベルク少将を最も安全な司令室に連行させた。いざ負け戦となった時に士気が乱れるのは、敗北時の心構えを忘れた帝国軍全体の問題だろう。今は要塞の地下深くで指揮に専念させればいい。


 身軽になったガイストは、魔女狩り部隊の車列を呼び寄せた。通信兵が無線の調整をしながら訊く。

「どこに行かれるので?」

「防衛線に穴が開いていないか気になるでな。それと、グリム大尉の到着が遅れるようならこちらも救援に向かわねばならん」

 通信兵はしばし返答に迷った。確かに艦隊を乗っ取ったゾンビたちに対して、魔女狩り部隊のできることは限られている。艦砲射撃を喰らうよりは、北側の大群に対処する方がいくらか勝ち目がある。

 しかし、どれほどグリム大尉が大事でも、この亡者たちの戦列にどう立ち向かえばいいのか。

「……大尉はご無事でしょうか」

「さてな」

 イングリットからは、ゾンビに襲撃された際に炎の魔女の協力を得たとの報告を受けている。ガラティエに辿り着くまでの利害関係が一致しているのなら、その殲滅力で道を切り開いてくれるだろう。

 問題は、レジスタンスが炎の魔女を無傷で強奪できる手札を残していた場合。その時は、なし崩し的にレジスタンス側に着くことになるだろう。

「魔女というのは、実に厄介であるな」

 どうにも、レジスタンスの魔女は不愉快な存在だった。全力を出してこの状況を作り出したなら、まだ御しようがある。しかし、この今になってこれだけの戦力を投入してきたのは明らかに異質だ。まるで戦争以外の、特別な掟に従っているかのような行動原理を感じる。

 ガイストはガラにもなく、嫌な予感を覚えた。


 *


 リタは激しく揺れる車上で、必至にドアの縁にしがみついていた。大波のように押し寄せるゾンビ共を片っ端から焼き払いながら。

「いやいやいやもうダメでしょこれ!」

 サスペンションが逝った。

「諦めるな。ここからが楽しいんだ」

 何十体目になるか、バンパーにゾンビが激突する。昨日まで乗っていた高級車と違い、軍用車両のため耐久性はマシなはずだったが、そろそろエンジンもお亡くなりになりそうだ。

「このイカレ女!」

 勇ましくハンドルを切るイングリットの横っ面は、いつになく輝いている。目一杯の罵倒をしてから、リタは咳き込んだ。

 襲い掛かってくるゾンビの迎撃はリタに一任されている。だが処理が追い付かない。単純に数が多すぎるのもあるが、リタの魔法の弱点が今になって露呈したのが大きい。

 進行方向に向かって魔法を撃つのは、危険だ。めちゃくちゃ熱い。本当に間抜けな話だが、リタは自分の魔法で焼き殺されるのを避けるために手加減を余儀なくされていた。

「なんで、あんたなんか、助けちゃったんだろ……」

 あたしってほんとバカ。自分の決断に後悔しまくりのリタだった。

「君が私を信じてくれたからだろう」

「綺麗事みたいに言うなキショいわ!」

 絶叫も虚しく、ゾンビたちは一向に追撃の手を緩めてくれない。


 ガラティエまであと少しのところだった。完全に帝国軍の勢力圏内に入っていたため、襲撃の後でリタは多少気を抜いていたが、帝国軍の護送部隊は油断などしていなかった。

 完全に不意を突かれた。この軍勢は、地面から沸いて出た。

 なるほど、死体は地面にいくらでも埋まっている。白骨化したはずの亡骸が腐肉を纏っているのは魔法の所業としか言いようがないが、レジスタンスの魔女にとって兵士は文字通り畑から採れるのだろう。

 リタとイングリットは護衛部隊と寸断され、ガラティエの要塞司令部とも連絡が取れない。どこかで通信網が断たれたのは確かだ。


 リタはどうにも、この状況に嫌な既視感を覚えていた。

 なんでレジスタンスの魔女は今の今まで引っ込んでいた? これほどの魔法を使えるのなら、もっと早く参戦すれば帝国に国土を蹂躙されずに済んだのではないか? なんで、今になって。

 こんな時なのに、疑念が頭から離れない。

 そうだ、この状況は、祖国に似ている。


 魔女は戦争に加担するべからず。

 連合王国軍の魔女は皆、その禁を破って戦っている。


「リタ、前に注意しろ」

 イングリットの鋭い声が、リタの思考を現実に引き戻した。

「全方位注意してるっての!」

 とか言いつつもイングリットに従い前を向く。炎の波濤で薙ぎ払ったはずの大群が、また集まって往く手を塞ぎ始めていた。進路上には派手な魔法を撃てないと、相手も気付いているらしい。やはり魔女の「眼」はリタを注視している。

「特異な個体がいる」

「どれよ!」

 どいつもこいつもおかしいだろう。ゾンビのくせに速すぎるし強すぎる。

「巨大な斧を持っている」

 イングリットが言ったのと同時、大群の中から一体のゾンビが跳躍した。空中でリタの炎を照り返し、その手にたずさえた刃が鈍く光る。

 リタはそいつの異常性を精査する前に、さっさと焼却してやろうとカンテラを構えた。

 魔法を発生させる座標を定め――ようとした。目算が外れた。リタの照準を翻弄するように、そのゾンビは縦横無尽に飛び跳ねながら肉薄してくる。

 いやに速い。

 そして、それ以上に異常な点を、リタはようやく察した。


 大きい。

 ざっと、3メートルはある。旧公国軍の濃緑色の軍服を纏った、巨大なゾンビだ。およそ人類とは思えぬ巨漢が、車両との正面衝突コースで戦斧を振り上げた。手斧のように見えたのは錯覚で、それは実用品とは到底思えない重厚なグレートアクスだった。

 見るからに、ヤバい。リタは反射的に座席から腰を浮かせた。イングリットも同じことを考えたようだ。


 示し合わせたように車両から飛び降りた。

 ふたりの席を両断するように、戦斧が振り下ろされる。

 鉄塊が鉄塊を噛み砕く。地面に転がる前に、リタの全身をすさまじい衝撃音が叩いた。


 視野が明滅する。自分の振り撒いた炎の灯りが、激しい頭痛を呼び起こす。

 イングリットは__生きてる。苦悶に顔をゆがめつつ、放り投げたライフルを探してのたうち回っている。車は……ダメそうだ。真っ二つになって道の真ん中でくすぶっている。

 どうにか、生きていた。でも、衝撃で仕事道具のカンテラがどこかへ行ってしまった。これはゲームセットかもしれない。

 地響きがする。

 痛みに支配された真っ赤な視界で、リタはそいつの姿を見た。抜け落ちた歯の隙間から炎が透けている。腐った顔で、そいつは笑った。

「よう、会いたかったぜ。炎の魔女」

 深く渋みのある声色で、彼は喋った。男か女かでいえば、確かに男だろう。やや公国なまりだが、王国語だった。

 群れをなした他のゾンビたちは、リタたちを囲うようにして動きを止めていた。

「昨日は手勢のゾンビ共が失礼したな。まぁ昨日の敵は今日の友ってことで、交渉しようや。俺たちレジスタンスだって、ちゃぁ~んと旨い話を用意できるんだよ。帝国と同じ程度にはな」

 巨大ゾンビはイングリットを一瞥し、戦斧を脇に突き立てた。あと数センチ近かったら、地面に着いたリタの手がぶった切られるところだった。

「俺は公国陸軍少将……いや、もう死んだから大将か!? ダハハハッ大出世だなァ!」

「……」

 世界初のゾンビジョーク、まったく面白くない。もうちょっとユーモアを磨いた方がいい。

「俺のことはゲクラン大将と呼んでくれや。これからよろしくな、炎の魔女」

「いや、勝手に話進めないでよ」

 ゲクランとやらの後ろで、イングリットが音もなくライフルを構え直した。リタが帝国軍の掌中から抜け出しそうな状況になれば、彼女は当然の権利としてリタを殺そうとするだろう。というか今まさに殺そうとしている。判断が早い。まぁこいつの情や良心なんぞに欠片も期待してなかったけど。

 銃声より速く、ゲクランはリタを守るように射線へ立ち塞がった。銃弾は分厚い腐肉に阻まれ、リタの側から飛び出すことはなかった。

「分かってるぜ。お前さんは自分の身を護るために、亡き公国の同胞たちを焼き払った。そうだよな? 俺たちゃお前を脅したりしねぇ、安心しな」

 イングリットはゆっくりと立ち上がりながら、ボルトを引いた。ゲクランもまた、緩やかに振り向いた。

「てめぇはイングリット・グリムだろ? うちの魔女から伝言を預かってんだ」

 イングリットはゲクランの言葉を無視して再度銃撃。ゲクランの頭部に銃弾が叩き込まれる。砕けた頭蓋の欠片が、リタのそばに降り掛かった。

「……話を聞けっての」

 周囲のゾンビたちがはやすように吠え始めた。イングリットは銃を捨て、ナイフを手に取った。短く駆け、ゲクランの懐に潜り込む。リタは自分が狙われていると思い、慌てて後ずさりした。

 ゲクランは、自身の股下を潜り抜けようとするイングリットの襟首をひょいと掴んだ。だがそれが狙いだったらしい。彼女は素早く身を捻って、大木のような腕に身を絡ませた。刃が閃く。瞬く間に手首、肘、肩の腱に刀身が突き立てられる。そのまま腕を足場に巨躯を駆け上がり、ゲクランの頸を抉る。

「痛ぇじゃねえかよ!」

 本当に痛がっているかは疑問だった。ゲクランは一切の攻撃を意に介さず、再びイングリットを掴み直し、地面に叩き付けた。ゾンビ共がどよめく。

「俺たちの魔女は、こう仰せだ。『掟を破った売女を裁く』とな。首を洗って待つか、赦しを乞うか、好きに選べ。言いつけがなきゃ、今すぐてめぇをブッ殺してもいいんだぜ……以上だ」

 イングリットは、息をしていた。利き腕を逆側にへし折られ、それでもまだ得物を掴み直そうと、もがいていた。


 ゲクランは戦斧を持ち上げ、高々と振った。ゾンビたちが静まり返る。

「さてお嬢ちゃん、一緒に来てもらうぜ」

 大群が包囲を解いて、波の引くように離れていく。向かう先はガラティエの方角だった。リタは反抗する動機も手段もなかったので、大人しく腐った腕に抱きかかえられることになった。

 リタとイングリットの視線がかち合った。

 可哀想だな、なんて?

 思うわけない。成り行きで背中を預けたけど、やっぱり帝国軍のクズとはお友達になれない。このゾンビがなぜ止めを刺さないのか知らんけど、さっさと死んでくれた方が世のため人のため連合王国のためだろう。

 でも、なんだか。

「残念だったね、イングリット。もう仕事やめたら?」

 拉致されながら、リタは捨て台詞を放った。嘲笑は強がりだ。


 さて、巨大ゾンビに抱えられての移動は不快を極めた。腐敗臭と絶えず襲い来る振動で、リタは吐きそうだった。

 すっかり日が昇った。ゾンビの大群は鳴りを潜めてきた。ガラティエへの主要道路を逸れ、ゲクランは荒廃した田舎道を猛進する。途中で疎開中の農民団とすれ違ったが、彼らは巨大ゾンビにさしたる反応もしなかった。

「あっあのさっ、どこ向かってんの?」

「あァ? 俺たちの魔女ンとこだよ。ガラティエ突入作戦の臨時司令部がある」

「てかさ、あんた何者?」

「ハッ」

 ゲクランは鼻で笑った。おバカを見るような表情……死体の顔でもちゃんとそういう顔ができるんだな。リタはムカついた。

「大陸戦線じゃあ巨人ゴリアテ将軍の名で鳴らしたんだぜ。知らんとは、お前さんモグリか?」

 ソロモンス中佐やセントジョン将軍なら知ってるかも。ババアやジジイなら。

「ジャバルタリク戦線より前のことなんか知らなくて当たり前だし。うぬぼれんなよおっさん」

「カーッ! これだから最近の若いモンはいけねぇ!」

「う……ウザっ」

 やっぱり敗戦国のレジスタンスはダメだ。そんなんだから帝国に占領されるんだ。

「一応言っとくけど、あんたらのこと信用したわけじゃないからね」

「うちの魔女に会えば、考えも変わるだろうよ。俺も人生変わったぜ。ま、くたばってたところを蘇らせてもらったからな」

 この期に及んでも、リタは警戒を捨てきれずにいる。ずっと考えていたことだ。レジスタンスと共闘する際の一番の懸念は、このゲクランとやらが体現している。


 すべてのゾンビは、レジスタンスの魔女に命運を握られているはずだ。少なくとも、彼女が「死体を手駒にしている」のは確かだ。それはつまり、「殺した相手は手駒にできる」可能性もあるわけで。


 ゲクランに生殺与奪を握られたこの状況は、帝国軍に捕まった時と同じくらいピンチなのだ。そう頭では思っていても、結局リタに他の策はなかった。

「着いたぞ」

 山をひとつ越えたくらいのところで、ゲクランは速度を緩めた。酔ったリタがゲロを吐いたことを除けば、いたって安全なジョギングと言ってもいい。辿り着いたのは小さな集落だった。まともな設備は、広場に張った電索装置レーダーくらいか。前哨基地としては前線から離れすぎているが、ゾンビが持つ無限のスタミナと圧倒的な機動力を鑑みれば問題ないのだろう。

 古い石橋を渡ったところで、ようやく腐った腕から下ろしてもらえた。

「ゲクラン将軍、よくぞお戻りで!」

 リタは初めて、ゾンビじゃないレジスタンスを見た。ボロボロのケピ帽を被った青年たちがゲクランの元に駆け寄ってきて、ぎこちない敬礼をした。視線だけはリタを物珍しげにじろじろ見ている。

「じろじろ見んな、スケベ」

 王国語は通じなかった。ゲクランがまた鼻で笑って、青年たちに雑な敬礼を返す。

「留守番ご苦労。マリーはどうしてる」

 魔女はマリーという名らしい。

「はい! 村長舎で軍略を練っておられます」

「そうか。どうせ昼寝の口実だろう。客人を連れてきた、通せ」

「はい!」

 青年たちは揃って、リタたちを集落の中央にある邸宅へ案内した。案内に5人も6人も要らないはずだが、仕事がないのだろうか。にしても、若い奴らだ。元公国軍人ではなさそうだ。手足も胸も薄く、装備も不揃い。今までリタが戦ってきたゾンビと比べると、アンバランスなくらい貧弱に映った。

 これが、レジスタンスの本体?

「公国の敗戦後、正規軍は予備役まで含めて粛清された。生きている将兵はその残りカスだ」

 リタの思いを見透かしたようにゲクランは言った。彼は村長舎の前で、戦斧を担いで立ち止まった。

「一人で入れ。俺はこの図体だからな」

「入ったら速攻あんたらの手駒にされる、なんてことないよね?」

「できるならとっくにそうしていると思わねぇか?」

 これ以上ゲクランとたわむれるのは時間の無駄だ。リタは村長舎の扉を開けた。


 いよいよレジスタンスの魔女とご対面……の前に。ホールにたむろした冴えないおっさんが数人、戦略地図とにらめっこしていた。

「あ……っス」

 おっさんたちは胡乱な目でリタを睨み、やや遅れて客人と気付いたのか会釈をした。リタは面食らい、さらにワンテンポ遅れて頭を下げた。普通にレジスタンスの首脳陣のようだ。先ほどの青年たちと同じ、公国軍のケピ帽を被っている。日焼けの仕方や手のタコは、彼らがそこらの労働者だったことを示していた。

 将校のひとりが二階に通じる階段を指した。魔女の客人であることは雰囲気で伝わったらしい。

「どうも……」

 階段を昇ると、幼い少年たちがかくれんぼをしていた。リタの赤毛が珍しいのか怖いのか、物陰に半分だけ隠れて遠巻きに観察している。廊下を進んですれ違う。「わっ」と小さく叫んで、彼らは逃げていった。

 一番奥の戸に『魔女在中』の即席看板が掛けられていた。ノックしてみる。20秒ほど待ったが、返答なし。

「入るよ」

 戸を開く。


 殺風景な部屋に、粗末な机と椅子が一組。四角く差し込む陽射しの下、少女が頬杖を突いてうたた寝していた。

 もしかして魔女本人も死体なんじゃないかと思って、リタは息を止めて近づいた。顔を寄せて確認すると、つやつやの白い肌をしていた。幼さは残るが目鼻立ちも整っていて、相当な美貌であることがうかがい知れる。

 しかしリタは、彼女の容姿に底知れない薄暗さを感じ取った。

 特異なのは、まず灰色の髪。光の加減やシラミなどではなく、本当に灰を被っている。魔法的な意味合いだろうか。

 黒いドレスに見えたのは公国教会の伝統的な修道女のもの。ずいぶんと冒涜的というか、悪趣味だ。

 腕や首には、チェーンに繋げた大量のドッグタグをぐるぐる巻きにしている。

「なんてまぁ」

 今までに見知った魔女の中でも、かなり、それっぽい。象徴的な装いをしているのは、指導者としての求心力を期待されているからだろうか。


 じゃらり、音を立てて魔女が首を上げた。

「ん……」

 リタを見上げて、あくびをして……かくん、と首が落ちた。

「ぐぅ」

 可愛らしい寝息。

「見てから二度寝すんな」

 リタは机を強めに叩いた。駄々っ子みたいに頑なに頭を上げようとしないので、バンバン叩きまくる。

「ん~、あと5分……」

「起きろ! こちとらあんたの部下に拉致されて来てんの!」

 王国以外の魔女って奴は、こうも身勝手なのか。もっと協調性を学んだ方がいい。


 魔女がシャッキリ目を覚ますまで、本当に5分掛かった。大きなクマができている辺り、どうやら寝不足らしい。

 椅子が余っていなかったため、リタは机に腰掛けてレジスタンスの魔女を見下ろす格好になった。人を拉致しておいてどうかと思うが、もう落ち着いて話せるなら何でもいい。

「余は――」

「んふっ」

 話せりゃ何でもいいはずが、ついリタは笑ってしまった。

 流暢な王国語の割に、随分と堅苦しいことで。自分のことをだなんていうのは、女王陛下を除けば大昔の貴族だけだ。

 レジスタンスの魔女は片方の眉を吊り上げた。リタは「どうぞ」と手で示した。

「……余は、マリー・テレーズ・ド・フランクール。レジスタンスの最高指導者であり、魔女でもある」

 尊大に、握手を求められた。リタは躊躇ためらったが、手を下ろしてくれないので渋々ながら応じた。冷たい掌だった。

 こちらの心境を察して、マリーは柔和な笑み……いや、嘲笑だ。おちょくられている。

「お主を殺して事が優位に運ぶのなら、とっくにそうしておる。そうしていないのは、ひとえに余が連合王国の友だからじゃ」

 なんか、やけに古めかしい口調だ。めちゃくちゃ胡散臭い。リタはちょっと手に力を込めてみた。

「単に、死体を操る魔法には厳しい条件があるってだけじゃないの?」

「もちろん、そう考えてもらっても結構じゃぞ。ほれ、友には弱みを見せるものじゃしな……痛い!」

 ちゃんと人間のようで安心した。ぶん殴れば痛がる相手だと分かれば、お話もしやすい。本当に実行するかは抜きにして。


「疑問が色々あるじゃろう? 時間の許す範囲で、答えてやろう」

 質問は色々ある。ゲクランの言っていた「掟」とか、気になる点は多い。多すぎてどれから聞いたらいいか迷うくらいだ。

 が、まずはっきりさせておきたいのが。

「あんたは本物の魔女なの?」

 連合王国本島にのみ、魔女は生まれる。なぜそうなっているのかはさておき、どうやらこの世界はそういうルールで回っている。ルールを破る存在を疑ってかかるのは当然だ。

 例えば、帝国軍から奪った新種の細菌兵器が魔法のような働きをしているのかも。あるいは、公国にはまったく別の神秘体系が存在するのかも。レジスタンスがゾンビを操れる点についてはもはや疑いようがないとしても、それがどんな類の力なのかは明示してもらいたい。こちらの認識を歪められたまま掌の上で踊るのは、気に喰わない。

 するとマリーは、立ち上がってリタと目線を合わせた。結構、背が低い。髪を染める灰が、キラキラと陽光を反射する。

「難しい問いじゃな。話すと長くなる」

 たくさんのドッグタグが、絶えず小さな金属音をかき鳴らす。

「短く話してよ」

「乱暴な結論になるぞ。我が国の歴史を『戦争に負けた』で総括するのと同じくらい、乱暴じゃぞ」

「公国が負けたのは事実でしょ」

「……」

 ぐうの音も出なかったようで。

 リタは座学が嫌いだ。アメリアやケイリーほどではないにせよ。まだるっこしい話は亡命してからお偉いさんとでもしてくれればいい。さっさと続きを促す。

「うむ。では結論から言うと、偽物はお主たちのほうじゃ」

「はぁ?」

「ほれ! だから言ったじゃろ、乱暴な結論になるって!」

 猛獣をなだめすかすように手を振るマリー。流石に暴力に訴えはしないので安心して頂きたい。

「……私たち、ってのは。連合王国の魔女ってことでいい?」

「そうじゃ」

 しっかりと睨みを利かせる。若干マリーの目が泳いだが、たぶんリタの顔が怖いからだろう。怒ってないと示すため、リタは机に座り直した。


 前提条件の確認くらいの意味で聞いたのに、なんだか思ったより深い話になりそうだ。

 マリーの表情は読みづらい。焦りや怖れの下に、硬く厚い仮面を被っている。リタの嫌いな、リタが目を背けてきた、すべてを掌に握っている奴のかおをしている。

 また、ドッグタグが鳴いた。いやに心臓が高鳴る。

 盤面をひっくり返す手札を、彼女は持っている。

「本物の魔女は、72人。魔王ソロモンのしもべたる、72柱の悪魔が末裔じゃ」

「魔……王? ソロモン? 悪魔? 一体、あんた何を……」

 じゃらり、じゃらりと、戦死者の証がさざめく。

「お主、魔女戦隊の者なら心当たりがあるじゃろう?」

 不意に、もやの中から鍵が見つかったような。唐突に出てきた知らない単語の羅列を、リタのわずかな心当たりが繋ぎ留めた。


 ソロモン。

 ミランダ・ソロモンス。マグダレナ・ソロモンス。


 そういえば、ミランダ・ソロモンス中佐は「何の魔女」だ?

 彼女の「孫」とやらは、一度も撃ったことがない魔法の条件をなぜ知っている? そもそも魔法って、「そういうもの」だったっけ?

 どうして、今まで、誰も、不思議に思わなかったんだろう。


 マリーの瞳が、リタの動揺を見透かすように細められた。彼女は初めから、鍵の在処を知っていた。


「ミランダ……あの老婆がいつから連合王国に巣食っておるか、お主は知っているか?」

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