第14話:生きてこそ

 アメリアが特別訓練を開始してから1週間が経った。

「今日はここまでにしておこう」

 アメリアの構えた盾を拳でぶち抜きながら、ケイリーは言った。

「まだ日が暮れてないよ」

 まつ毛に落ちた汗をまばたきで払い、アメリアは視線を上げた。太陽はまだ練兵場の真上にある。体力的にはまだ余裕があるし、余裕がなくなってなお続けなければ訓練にはならない。

「練兵場の外が騒がしい。何か非常事態が起きている、あるいはその前触れだろう」

「あ……そうなの? ごめんね、気付かなかった」

 ケイリーは耳がいい。それは魔法によるものではなく、航空隊の一員として戦う中で身に着いた技能だ。空で働く者は、空から襲い来るあらゆる脅威に備えるべく聴力を鍛えるらしい。雷や嵐の予兆はもちろん、敵機のエンジン音を察知するためだ。外の騒ぎが聞こえても不思議ではない。

 なお、アメリアの聴覚は鈍い。陸戦に長く従事していれば大なり小なり銃砲の音で耳を悪くするものだが、彼女の場合はもう一つ要因がある。有刺鉄線の擦れ合う音が、細かい収音を妨げているのだ。とりわけ鉄蜘蛛のような自身に纏わせる用途で魔法を使うと、音が耳元で反響しやすくなる。如何いかんともしがたい職業病だった。

「私の方が耳が良かっただけだ。それより様子を見に行こう」

「うん、そうだね」

 ケイリーが拳を引くと、有刺鉄線の絡まった装甲板がベキベキと剥がれ落ちた。


 この1週間、早朝から日没までアメリアとケイリーは魔法を用いた「組み手」を行っていた。より長く理性を保ったまま戦闘を行い、継戦能力を伸ばす訓練だった。

 飛行能力を封印し、単純な打撃に専念してさえも、ケイリーは強かった。インファイトに持ち込まれれば一撃で装甲板を貫かれ、死亡判定を喰らってしまう。相手の的が小さく小回りが利くため、パンツァーファウストでの命中判定はまったく取れなかった。

 けれど成果は着実に積み上がっていた。未だ闘争本能に引き寄せられるきらいはあるものの、理性を手放すまでのタイムリミットは徐々に伸び、半日ほどなら作戦行動に支障をきたさないまでになっていた。

 単純な話、魔法の習熟に必要なのは慣れ、根性、気合だ。理論が通用しない領域に立ち入るのなら、己の感覚を磨いて道を踏み外さないようにするしかない。突貫ではあったが、その試みは成功した。

 アメリアは己の中の怪物を飼い慣らしつつあった。闇雲に強いだけのバケモノだったこの鉄蜘蛛が、今ようやく戦術兵器として鍛え直された。

 そんなわけで、アメリアはちょっぴり自信を持っていた。もう、鉄蜘蛛を解除する度に幻肢痛に襲われたり、パニックになったりはしない。スムーズに鉄条網をほどいて片付け、ケイリーと共に練兵場を後にした。


 ケイリーが勘付いた通り、外はかなり慌ただしくなっていた。厳密には、白海艦隊が係留されている港のあたりが騒然としていた。

「なんか、海兵さんがいつもより多いね」

「急に動員が掛かったようだな」

 アメリアもケイリーも、所轄は海軍ではない。どちらかと言えば魔女戦隊自体が、白海を封鎖している海軍との関わりは薄い。しかし今まで大人しくしていた海軍が動き出したということは、ジャバルタリク半島全体の防衛に関わる事態が起きているのだろう。停泊している艦の半数ほどが錨を上げ、出撃しようとしていた。

 誰かに話を聞こうと港へ降りたところ、後ろから声が掛かった。

「おーい、こっちだお嬢さん方!」

 振り返ると、サンダーソン上等兵が汗をぬぐいながらこちらに近づいてくる。

「ああクソ、練兵場にいるって聞いてたんだけどな」

 どうやらアメリアたちを追いかけて来たらしい。アメリアはとりあえず、内ポケットに入れていたハンカチを差し出した。少しは女の子らしいものを、とシャーロットに貰って身に着けている品だが、なぜだか使う機会がない。サンダーソンは新品同然のそれをじっと見て、やんわりとアメリアに返した。

「ふたりともソロモンス中佐に呼ばれてるぜ。まぁ俺もなんだが。特殊作戦の段取りが変わったとか、皆で組み直すとかなんとか」

 軍議に呼ばれているのに伝令までさせられたサンダーソンを労いつつ、アメリアたちは司令部に足を運んだ。


 戦争が日常の一部になって久しいジャバルタリクで、これほど浮足立った雰囲気は珍しい。誰かが慌てて食糧庫を開けたのか、古い缶詰がいくつか廊下に転がっていた。危うくアメリアが踏んづけるところだった。

 ソロモンス中佐も全く別の案件を話し込んでおり、3人が到着するまで別の将校たちが同席していた。入室して最初に目に入ったのは、広報部の面々。前者は大本営のゴマ擦りに余念のない政治将校が多く、ジャバルタリクでは珍しく兵たちの反感を買っている。いけ好かない顔ぶれにアメリアとサンダーソンは顔をしかめた。

 しかも彼らの後ろから、更なる嫌われ者がひょっこりと顔を出した。人垣を割って、丸眼鏡の従軍記者が無遠慮に進み出る。

「ややっ、これはこれは失敬失敬! 鉄条網の魔女に竜の魔女ではありませんか!」

 アメリアは彼の名を覚えていない。裏で失敬さんと呼んでいる。将校のお歴々を差し置いて魔女に話しかけるあたり、実際かなり失敬ではある。我が物顔で要塞をうろちょろする割に戦場には出てこないので、やはり兵たちの反感を買っている。

「もしや次の作戦に向けた軍議に出席するんですかね? ちょっとお話を伺っても?」

「ご、ごめんなさい、えっと」

 アメリアは一歩、後ずさりした。すかさずサンダーソンが割り込む。

「おいてめぇ、邪魔だぞ」

「なんだねキミは」

 従軍記者が果敢にもサンダーソンを睨み返す。歴戦の兵士に一歩も引かない根性は見上げたものだが、ちょっと危機感が足りていないようだ。

 サンダーソンが軽々と記者の胸ぐらを掴み、宙に浮かせた。そのまま床に放り投げる体勢。

「おああああっ!? ま、待て! 暴力反対!」

「そいつぁ立派な思想だな。帝国軍に説法でもしてやがれ」

 緊急事態で気が立っているのもありそうだが、サンダーソンもいつになく手が早い。ポカンと突っ立っている広報部の面々と冷めた目で静観するケイリーをよそに、アメリアは止めようとした。

「止めなバカ共!」

 叫んだのはソロモンス中佐だった。同時。取っ組み合う男たちが、見えない巨人に仲裁されたように反対方向へとぶっ飛ばされた。ふたりは平等に無様な体勢で、リノリウムの床を滑走した。

「まったく何やってんだい。王女殿下の御前だよ」

「えっ!?」

 アイラ王女。

 アメリアは思わず部屋を見渡した。あの輝くプラチナブロンドを探す。

「あ……」

 広報部将校たちの人垣の後ろに彼女はいた。

「あら、アメリア。ごきげんよう」

 今の暴力沙汰に若干気後れしたようだが、アイラは控え目に手を振ってアメリアに微笑んだ。アメリアは会釈するようなしないような、曖昧な反応でお茶を濁した。色々話したいことはあるけども、今はタイミングが悪い。悪い……のだけど、あんなにこっちの気持ちをめちゃくちゃにしておいて澄ました顔をしやがって、とも思った。


 ソロモンス中佐の一声で、広報部と従軍記者とアイラ王女には退室してもらった。あの面子が揃っていたのは、エスターライヒ攻略作戦の記事をリリースする前の最終確認のためだったらしい。アメリアの預かり知らぬところで調整が進み、ようやく明日の朝刊で一般国民に戦果が公表されるという。しかし今になってまだ会議をしていたのだから、記事の解像度を巡って揉めていたのは想像に難くない。


 改めて、4人が会議用の円卓に着く。

「いきなり呼び立てて悪かったね。海軍の奴ら大慌てだったろう? フフッ、私もびっくりさ」

「あの、こないだ言っていた帝国軍の新型艦が関係しているんですか?」

 あくまでゆったりとした態度の中佐に対し、アメリアはやや食い気味に質問した。自分がこの一週間行っていた訓練は、その艦に関わる特殊作戦を想定したものだったはずだ。なかなか落ち着いてはいられない。

「ああそうだよ。アメリアには、その新型艦を破壊するための訓練をさせていた。私も並行して特殊作戦の段取りを組んでいたところさ。元々はケイリーとのツーマンセルによる空挺降下をさせるつもりだった。行きの便はシャーロットの天候操作で援護させ、帰りはケイリーが抱えて飛ぶ手はずになっていた」

 ソロモンス中佐は卓に頬杖をついた。彼女の軍服の端々からはいつもより濃い煙草の匂いがして、軍議にかかりっきりだったことが見て取れた。中佐自身は喫煙者ではないのに、ヘビースモーカーばりの染み付きようだった。

「だがね、公国のレジスタンス共のせいで作戦がパーになった」

「え?」

「お前たちに集まってもらったのは、作戦の修正を手伝ってもらうためだよ。まずは前提として、レジスタンスから連合王国軍に送られてきた情報を話そうかね」

 中佐が卓にぶち撒けられた書類の束を払う。白海を中心とした地図が現れた。ガラティエと思しき大陸南岸の都市と、その近郊の街にいくつか赤点が記されている。

「連中は新型艦を奪取すべく、ガラティエへの大規模な侵攻を企てている。ぜひ連合王国軍のお力添えを、とのメッセージが情報部に宛てられた」

 サンダーソンが鼻で笑った。

「国土を制圧されたレジスタンスが、軍艦なんぞ奪ってどうすんですか?」

「海路で連合王国への亡命を希望しているそうだ。レジスタンスが強奪した新型艦を護衛するために、我らが軍に出張っていただきたいんだとさ」

 サンダーソンが頬を引き攣らせた。それは笑えなかったらしい。

「……白海の膠着を破らせる気ですか? 下手すりゃ王国艦隊の半分が消し飛ぶかもしれねぇってのに、その新型艦とやらはそれほどの価値があるとでも?」

「スペック上はね。……あくまでも、レジスタンスのリークによれば、だよ」

 サンダーソンは沈黙した。中佐は、自身も信じていなさそうな性能諸元をつらつらと述べ始めた。

「帝国海軍洋上機動戦隊所属、特務計画艦『メルセルケビル』。排水量1万2千トン、最大速力23ノット。水上機母艦をベースに、対地・対艦兼用の誘導航空爆弾16機を搭載している」

 排水量も速力も、常識の範疇に収まっている。ごく一般的な水上機母艦といったところだろう。気になるのは、単語を繋げただけの耳慣れない訳語、「誘導航空爆弾」だ。アメリアにはまるで想像がつかない。ちらっと横目に窺うと、サンダーソンはもちろん、ケイリーも首を傾げていた。

 中佐は雑に描かれた航空機のようなイラストを卓に乗せた。設計図ではなく、リークを元にした想像図のようだ。

「誘導航空爆弾ってのは、何と言ったらいいのかねぇ……定義上はロケットだよ。だがアメリアに扱いを学ばせてるパンツァーファウストとは全く違う。弾体そのものにパルスジェットエンジンを搭載し、飛行機みたいに巡航する。で、内蔵された複合センサーモジュールで距離から方位、高度までを算定して進路を修正しながら目標に突っ込むんだとさ。巡航速度は時速600キロ。帝国海軍の主力戦闘機アイゼンフォーゲルが時速200キロだから、まぁべらぼうな数字だね。大本営が手のひら返して鹵獲したがるのも分かるよ」

 まずアメリアにはパルなんとかエンジンが何なのか分からなかったが、話の腰を折るのはやめておいた。アメリアよりは空の技術に詳しいであろうケイリーが挙手した。

「パルスジェットエンジンとはなんですか」

 ケイリーも分からなかったようで、アメリアは安心した。

「私にも分からん。レジスタンスも仔細は伝えなかった辺り、連中にも理解不能なんだろう」

 ケイリーはすごすごと手を引っ込めた。ソロモンス中佐さえ分からないのでは、流石に不安になる。

「帝国軍の超兵器はいくつか見てきたが、今回ばかりは怪しいですよ」

 今度はサンダーソンが疑念を口にする。

「飛翔中に距離、方位、高度さえ算定できれば、理論上は目的座標まで誘導できます。でもそんなのは机上の空論だ。見えもしない目標に弾を当てるには、それこそ魔法のような精度が必要になる。地上戦にさえ投入されてない兵器が、いきなり艦対地、ましてや艦対艦で実用化されるなんておかしくないですか」

 確かに、アメリアもジャバルタリク戦線でロケットが降り注ぐ場面は見たことがない。どんな兵器であれ、地上よりも艦上で運用する方がハードルは高いはずだ。実戦に登場する順序がおかしい。改造人間やら巨大な竜やらのトンチキ兵器を相手に戦っておいて、今更かもしれないが。

「ま、普通に考えれば信頼性など皆無に等しい。だが、魔法のようなからくりがあるのかもしれないよ?」

 中佐は不敵な笑みをサンダーソンに返した。サンダーソンが一瞬、怯んだ。

 少なくとも、魔法は存在する。連合王国軍はジャバルタリクに最後の砦を構えて以来、ずっとその力に頼り続けてきた。

「俺が言いたいのは……こいつがレジスタンスのフカしじゃないかってことです。帝国海軍の封鎖を突破できれば、手土産に釣られた連合王国軍にどれだけ被害が出ようと関係ない。亡命に成功しちまえば、後になってロケットが使い物にならないゴミだと分かっても問題ないんだ」

 アメリアとサンダーソンの目が合った。彼は、怒っていた。ナンパな気質だと思っていた青年が、今は硬い表情で義憤の言葉を連ねている。

「アメリアちゃん。破壊より鹵獲の方が難しいって分かるよな。得体の知れねぇ公国のレジスタンスのせいで、必要ないリスクを背負うんだぞ。たかが船1隻にそんな価値があると思うか?」

「サンダーソン、今日はえらく真面目じゃないか」

 アメリアが何か答える前に、中佐が遮った。ぞっとするくらい、低い声だった。

「リスクを背負う価値があるかどうか、決めるのは大本営だ。お前を作戦に加えたのは作戦の都合上、魔女の護衛が必要になったからであって、魔女を戦いから逃がすためではない。お分かりだろうね」

 サンダーソンはまだ口答えし足りない様子で、机の下で拳を握り込んだ。けれど彼の階級は上等兵で、拳を机に叩きつける権限はなかった。

 すべては価値で決まる。算盤を弾いた結果、価値があると判断されたからこの戦争は続いている。中佐も、戦争を継続するための大きな歯車のひとつだった。


 中佐は窓に視線をやり、白海を見つめた。大陸南部の海岸線が陽光にきらめいている。遠くは霞んでいるが、辿っていけばガラティエに行き着くだろう。

「新型艦だけなら諦めも付く。しかしね、レジスタンスはもうふたつほど、我々が退くに退けなくなる情報を寄越した。是が非でも真偽を確かめなきゃならん」

 視線はそのまま、中佐の指だけがガラティエ近郊の街に付けられた赤丸を指す。

「ひとつ。レジスタンスの首魁しゅかいは魔女だ。死体を操る魔法によって、ガラティエ周辺でゲリラ戦を行っている」

「……?」

 魔女と兵士の3人が、またも首を傾げた。

 衝撃というより、困惑が勝る。

 魔女は連合王国本島にしか生まれない。よその国に魔女がいたとしたら、彼女は詐欺師か手品師だ。それは海が青いこととおなじくらい絶対的な原則だと、アメリアは記憶していた。今更前提を覆されたところで、反応に困る。

 アメリアとサンダーソンがどこから聞くべきか悩んでいる間に、ケイリーがシンプルな疑念を提示した。

「その情報は、確かなのですか。連合王国軍を引き入れるためのブラフである可能性が高いのでは?」

「死体……もとい、ゾンビの大群がガラティエ近郊の帝国軍を襲撃しているのは確かだ。情報部に探りを入れさせたから、そこは間違いない。ただ、魔女の存在は確認できなかったね」

「帝国軍が開発した新手の生物兵器を、レジスタンスが奪って使用している可能性は?」

「ある。だがそれなら、わざわざ魔女と偽る必要性は薄い。手土産の兵器がふたつあると素直に言えば、余計な警戒を招かずに済んだはずだ」

 ケイリーはしばし中佐と同じ方に顔を向け、考え込んだ。

「ふむ……ふむ。なるほど」

「ケイリー、何か分かった?」

 アメリアはケイリーの前に身を乗り出し、少しだけ期待してその怜悧な顔を覗き込んだ。

 しかしケイリーは、難しいことを考えるのが苦手だったようだ。

「今、この情報の真偽を判断しても無駄でしょう」

 アメリアは脱力して卓に突っ伏しそうになった。結局それか。まぁ、確かに、彼女のさっぱりとした割り切りようは好ましい。仮にレジスタンスの思うつぼだったとしても、悩むくらいなら考えない方がいい。

 仮にレジスタンスの魔女が本物だったとして、その処遇をどうするかは作戦が成功してから決めればいいことだ。


 中佐が視線をこちらに戻し、居住まいを正した。

「さて、もうひとつの情報だ。レジスタンスは現在、リタ・レッドアッシュを護送中の帝国軍小隊を捕捉しているそうだ。連中の予想では、彼女はガラティエの政治犯収容所に送られる。我々が全面的に協力してくれるなら、救出を手伝うってさ」

「リタが!?」

 アメリアは椅子から跳ね上がった。

 リタが、生きてる?

「ほ、本当なんですか、中佐?」

 声がうわずる。ソロモンス中佐はいまだ険しい目つきで、アメリアを見上げる。

「私は、確かめるべきだと思うね。お前はどうだい、アメリア」

 そんなの。もちろん。決まっている!

「私、確かめたいです! 本当なら、今すぐにでもリタを助けに行きたいです!」

 ケイリーも立ち上がって、アメリアの肩に手を置いた。

「私も異論はありません。より困難な仕事になったとしても、それだけの価値はあるでしょう」

 アメリアの肩に、やんわりと、しかし確かな力が加わる。座らされた。

「ですが、作戦要員の帰還を念頭に置くべきです。リタに関する情報を深追いして、さらなる被害が出ては本末転倒です」

 中佐も頷いた。

「無論だ。今確実に生きてるお前たちより、行方不明者を優先する気はないよ」

 アメリアは、置かれたままのケイリーの肩をそっと握り返した。震えているのはアメリアの手だけで、ケイリーはずっと落ち着いている。

 リタは強い。でも強ければ死なないなんてことは、現実の戦争では絶対にない。「あいつが死ぬはずない」なんて信頼は、独りよがりの虚しい希望だ。今や彼女は行方不明者。生と死の境界にあって、限りなく死者に近いひとだ。

 希望は人を狂わせる。

「分かっています」

 アメリアは、彼女を一度失った痛みを知っている。諦観した方が、痛みに耐えられる。大事なひとを一度失ったくらいでは戦争は終わってくれない。楽観的な考えを飲み込んで、首肯する。

 目線を落とすと、サンダーソンはずっと机の下で拳を握り込んでいた。日焼けした手の甲まで、真っ白になるくらいの力で。そういえば確か、彼はリタといい感じの関係だったように思う。

 同じなのかな。

 ケイリーのように揺らがない手を添える度胸はないけれど、アメリアは彼の代わりにもう一度呟いた。

「分かって、います」

 ソロモンス中佐が、アメリアを見ていた。やはりこうなるのだと、彼女は察していたはずだ。新型艦の詳細、死体を操る魔女の存在、そしてリタの生存を示唆する情報。いずれも、連合王国軍をレジスタンス側へと引き込むためのていのいい餌とも取れる。ここまでの問答は、利用される自覚を持つ程度の意味しかないのかもしれない。

 されど、自覚は大事だ。当事者の自覚を持たない者は、遅かれ早かれ食い潰されてしまう。そんな人たちをアメリアはたくさん見送り、そして殺めてきた。

 餌でも何でも、喰い付いてやらなきゃ。アメリアは騙されてではなく、価値を証明するために戦いたい。選んで戦争に脚を突っ込んできたし、選んでこの手を血に染めてきた。レジスタンスの盾でも何でも買って出よう。でもタダでは帰ってやるもんか。


 柄にもないけど、リタみたいに言わせてもらえば「舐めんな」、だ。


 アメリアの意気込みを察してか、中佐はほんの少しだけ表情を緩めた。彼女が手を叩くと、部屋の外から紅茶を持った給仕と、ノートを両脇に抱えた書記官と、山積みの資料をカートに積んだ下士官がぞろぞろと入室してきた。

「では、今から作戦を修正するよ。レジスタンスとの共闘を軸にするから、大幅に手を入れる必要があるんだ。晩まで掛かると思いな」

 円卓にドサドサと積まれていく紙束に、アメリアは思わずのけぞった。

「まずは非正規軍との共同作戦における規定をジャバルタリク陸戦条約に照らし合わせて__」

「中佐。ジャバルタリク陸戦条約とは何ですか」

「おやおやケイリー、堂々と無学を晒すのは見上げた根性だが、後輩魔女に示しが付かんと思わないのかねぇ」

 中佐の笑みがいかにも魔女らしい、意地悪なものに変わった。アメリアとケイリーは、座学がかなり苦手だったのだ。ずっと固い表情だったサンダーソンも、魔女ふたりの狼狽っぷりに苦笑を隠せなくなっていた。

 作戦の修正案を一通り組み直すまで3人は帰してもらえず、軍議が終わったのは深夜1時を回った頃だった。翌朝9時までに修正案をセントジョン将軍に提出しなければならないとのことで、それはもう大変だった。

 なお、ソロモンス中佐は細部の検証を行うと言い残し、自室に戻っていった。明らかに徹夜する面構えだった。


 さて、ようやく部屋を出たアメリアは、不思議と眼が冴えていた。緊急時以外でここまで夜ふかしをしたのは、初めての経験だったりする。魔法の性質上、あまり夜戦が得意ではなかったためだ。

 ケイリーは「夜更かしは仕事に差し障る」とか言って一目散に隊舎へと戻っていった。サンダーソンも若干ろれつの怪しい挨拶をして、煙草を咥えながらどこかへ消えた。二人とも、現場での戦闘よりはるかに疲れているように見えた。

 独りになったアメリアは、温かいお茶でも貰おうと思い立って厨房へと向かった。総司令部付きの高級将校が利用するため、兵や魔女が軽いおねだりをしに行くのには向いていない。でも今なら番兵くらいしか居ないだろうから、アメリアのお願いくらい許してくれるだろう。


 ところが厨房に着いてみると、番兵は先客の相手をしていた。

「あ、殿下……」

「まあ。奇遇ね、アメリア」

 にこやかに手を振り返すアイラ。高級将校どころかこの国のお姫様がお忍びで厨房にいらっしゃる。しかも護衛(という名の見張り)役の憲兵をぞろぞろ連れて。

 アイラは、ちょうど番兵から茶葉を受け取ったところだった。

「夜ふかしをしてしまったから、お茶を頂こうと思ってここに来たの。よろしければ、アメリアも一緒にどうかしら」

 憲兵このひとたちには仕事だからと断られてしまったの、と付け加える。彼らはむっつり顔で後ろ手を組み、アイラに目を光らせている。確かにお茶会に快く参加してはくれなさそうだ。彼らの王女への思いは「早く寝ろ」以外にないだろう。

 勤務中の番兵が早く退散してほしそうにこちらを窺っていたので、アメリアはすぐに了承した。

「はい、喜んで」

 願ったり叶ったりだ。いそいそと駆け寄り、顔をほころばせる。

「私も、殿下とお話がしたかったんです。えっと、この間は、なんだか失礼なことを__」

 言い終わる前に、アイラの眼差しがすうっと細まった。

 肩を抱き寄せられる。囁き声が耳元をくすぐる。

「ふたりだけでお話したいわ」

「……ひゃい」

 骨抜きなアメリアの返答を脇に、憲兵の一人が何か言いたげに頭を掻いた。アイラに監視を抜けられると、彼らは当然困る。散々に責を問われたであろう憲兵隊をこれ以上困らせるのはふたりとしても忍びない。けれど、しかめっ面の憲兵たちに囲まれながら茶を啜るのは、なんだか気分が悪くなりそうだった。

 対案を思いつかないアメリアに代わり、アイラが何食わぬ顔で先手を打った。

「ご安心なさい。私がお借りしている客室に案内するだけです」

 言外に、まさか男共が姫の居室にぞろぞろ入ったりしないでしょうね、と牽制しているのだ。アメリアは心の中で拍手を送った。流石お姫様、権力の使い方を分かってる。


 そんなこんなで紅茶をゲット。お邪魔な憲兵たちは客室棟のエントランスにて待機して頂く。どのみち彼らは一晩中起きて突っ立っているつもりだろう。アメリアとアイラはふたりっきり、深夜のお茶会を開く運びとなった。

「総司令部の客室って、魔女戦隊の宿舎より豪華なんですね」

 アイラがコンロを温めている間、アメリアはやたらとふかふかなソファで尻を跳ねさせていた。厳密にはアイラ自身の部屋ではないが、目の前に広がる彼女の生活感とか、ただよう高級そうな香水の匂いとかが気になって、無性に落ち着かなかった。

「気に入ったのなら、一緒に住む? 私も少し寂しいと思っていたの」

「あはは……ご、御冗談を……」

 本当に冗談だよね? こっそり顔色を盗み見る。

 アイラは紅茶に関してかなり神経質なようだ。さっきから、湯に差した温度計とにらめっこしている。

「……そ、そうだ! 朝には、エスターライヒ攻略作戦の記事が発行されるんですよね!」

 アメリアはなんだかいたたまれなくなって話題を逸らした。こちらも話したかったことではある。

「広報部の人たちと会議をしていたみたいですけど、大丈夫でしたか?」

 湯が沸いた。アイラが素早くコンロの火を消し、ポットに茶葉を入れて蓋をする。

「ええ。原稿が不適切なのではないかと、従軍記者に混ぜ返されたのです。王都にいる私の叔父の名まで出して、内容を修正させようとしてきたわ」

 アイラの叔父、というと大公だ。たしかあの従軍記者の在籍する新聞社に出資しているとか聞いたことがある。もちろん大本営とも蜜月ズブズブな関係にある。

「はえぇ……大公様が……本当に、大丈夫だったんですか?」

 あまりにビッグネーム過ぎて、アメリアにはビビるどころか想像がつかないくらいだった。

「大公が姫より偉い謂れはありません。後で怒られようが、発行させてしまえばこちらのものです」

 色々と虚勢を張っているのはアメリアにも察しがつく。軍の報道体制に横槍を入れるのは、王女の権限を越えている。常識的に考えて、お姫様が他の王族に逆らえるはずがない。もしかしたら広報部の何人かが左遷されるかもしれないし、本島で新聞記者が何人か職を失うかもしれない。あるいは、それ以上。首を吊る人も出てくるかも。

 それだけで済むのだろうか。将来の島内政治に禍根を残すかも。アイラを女王に相応しくないと糾弾する声が上がるかもしれない。

 発端はアメリアだ。

「あなたが気にすることはありませんよ。将兵の犠牲に見合う成果を出すのが、王族の務めですから」

 王は万民の騎士、なんて危険な理想だろう。

 湯で温めておいたティーカップに、なみなみと注がれる。豊かな香りが立ち昇った。角砂糖を一欠片ずつ。ふたりは席に着いた。

「あなたにはお礼を言いたかったの、アメリア」

「私は、殿下を利用しただけです。戦争の為に」

「いいえ。私を戦争の当事者にしてくれて、本当にありがとう」

 誰だって感謝されたら喜ぶはずだけど、こんなお礼は喜べない。

 苦々しく、乾杯。


 ちゃんとした記事を書かせるまでにどんな苦難があったのか、過程についてアイラは詳しく語りたがらなかった。なので、アメリアもそれ以上は追及しないでおいた。大事なのは結果だ。きっと途中で何度も不愉快な衝突があって、それは王女のわがままとして処理されたのだろう。

「そういえば、殿下はなぜ夜ふかしをしていたのですか?」

「あぁ、お勉強に没頭していたの」

 アイラがサイドテーブルに置かれた分厚い教本を手に取った。『陸軍歩兵操典Ⅰ』とある。大隊指揮官までの士官が学ぶ部隊運用の基礎だそうな。ちなみにⅡとⅢとⅣも積んであった。他にも『戦史概略』、『用兵論』、『野戦基礎』『戦術問答集』といった頭の痛くなりそうなタイトルが続く。それらの脇にはびっしりと綺麗な字で内容を書き写したノートの束が置かれていた。もはや写本の類だ。

「私も王家の一員ですから、お飾りとはいえ軍権を預かっています。いざという時のために最低限の用兵術を学ぶべきでしょう」

「いざという時って?」

「本島に帝国軍が上陸した時です」

「……ジャバルタリクが陥落しても戦うおつもりですか?」

 アメリアはカップを撫でながら遠慮がちに聞いた。否定ではなく、そのまんま確認の意図で。

「ええ。このままでは、いずれ本島への撤退を余儀なくされます。その時に、戦う準備が必要です」

「ジャバルタリク半島を失っても、戦争を続けられるんでしょうか?」

 単純に疑問なのは、その後も戦争を続けられるのか、だ。アメリアたちはここが最後の砦だと日々言い聞かされて戦っている。ジャバルタリク戦線は撤退を想定していない。投入されている戦力は国軍全体の6割を越えているし、継戦能力を支える資源の半分をこの地でまかなっている。

 ここが突破された際、もはや戦う力が残っているとは思えないが。

 アイラは自嘲ぎみに答えた。

「続けられないでしょう。エスターライヒの民兵たちのように、みじめに蹂躙されるだけかもしれません」

 その人たちを無惨に蹂躙した魔女の前で、彼女ははっきりと言い切った。同じ悲劇を王国本島でも起こす、と。

「それでも他人事の振りはしていられませんから、セントジョン将軍に教えを乞いました。民間防衛ホームガードの組織、動員計画、防空網の整備、最終手段としての亡命についても……学びました」

 すべて、国民を肉盾として国家の延命を図る浅ましい術だ。万民の騎士にはほど遠い。そんな事態になるくらいなら、普通は大人しく降伏する。

 けれど、戦争は普通じゃなかった。悪魔が皆に、魔法を掛けた。ムカつくほどに無限の可能性が、地獄を魅せようとぞろぞろ列を成してにじり寄る。どれだけ見通しても、真っ暗に塗り込められた未来が待っている。ひたすら鬱々と最悪の想定に備え続けた方が勝つ。


 これはそういうゲームだ。


「おかしなことですが、私や女王、王族から軍上層部に至るまで、まったく誰にも戦争を止める権利がないのです。だから私は怯えるのも嘆くのもやめにして、備えることに決めました」

「そう、だったんですね」

 しばらく会わない間に、彼女はそこまで辿り着いていたんだ。

 教本に視線を落とすアイラの瞳は、少し淀んで見えた。アメリアにはそれが悪い変化だとは思わない。

 空色が美しく澄んで見えるのは、見る人が美しいものしか見ようとしないから。本当の空は色々な汚れが混じって少しだけ、くすんでいる。高潔な理想に薄汚い現実を織り交ぜて、ようやく上辺だけじゃない目標が見えてくる。

「そっかぁ……戦うんですね、殿下は」

 アメリアは天井を仰いで力を抜いて、目を閉じた。想像力を働かせてみる。

 まったく根拠はないけれど、アメリアには最後まで戦い続けるアイラの姿を思い浮かべることができた。そして、その隣には自分も居たいと思う。どうあがいても最悪の事態なのに、不思議とそう思った。


 不意に、頬を柔らかい感触がくすぐる。

「私も、です。あなたやジャバルタリクの皆と同じように、当たり前の戦いに向き合うだけです」

 目を開けると、アイラが後ろに回り込んでいた。髪がカーテンのように垂れて照明を遮る。肩にそっと手を置かれ、弱い力なのに立ち上がれない。この世界で一番いい匂いがする空間に、アメリアは釘付けにされる。

「……殿下」

「なぁに?」

 耳を撫でられた。

「こないだ、お風呂で質問したの、覚えていますか?」

「ん……何の話だったかしら」

 白々しい口調すら、どこか蠱惑的に聞こえる。天然でこれをやっているのなら、酷いひとだ。

「殿下は女の子が好きなんですか?」

「……」

 アイラは何度もまばたきをした。彼女が何度まぶたを閉じて開いても、アメリアは視線を逸らさなかった。

 あなたが逃げられない状況を作ったんだ。ちゃんと答えなきゃダメでしょ。まさか帝国との徹底抗戦を覚悟したお方が、この程度の質問から逃げないと思うけど。

「好きなんですか?」

「……実は、今までそんなこと、考えもしませんでした。私の性的嗜好など、世界情勢に比べれば些事に過ぎませんから」

「誰の好き嫌いだって、戦争と比べたら些事ですよ」

 人は些事によって生きている。アメリアも例外ではない。一番好きな人、二番目に好きな人、残りの指に収まるくらいの大切な人。後は、どれだけ悼んでもいつか忘れ去ってしまう人。

「私、思ったより殿下のことが大好きみたいです」

 そう。思ったより、アメリアの中ではアイラの優先順位が高かったみたいだ。だから正直に伝えた。

「殿下はどうですか?」

 彼女のためなら、どこまでも地獄に付き合ってやれる。だから、確認しておきたかった。

 アイラは長いまばたきをして、ようやく観念したように答えた。

「秘密ですよ」

 それからアイラの唇が、そっとアメリアの額に触れた。

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鉄条網の魔女 西園寺兼続 @saionji_kanetsugu

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