第5章:Actor Hunter Soldier Witch
第20話:世界を売った女の末裔①
イングリットはひたすらに、前線を目指して郊外の瓦礫を踏み越え続けていた。
ゾンビ共に囲まれてナハツェーラー部隊と分断され、ゲクラン将軍を名乗る巨大なゾンビに車両を破壊され、炎の魔女をレジスタンスに奪われた。挙句、イングリット自身は利き腕を折られながらも助命された。
惨敗だった。それでも前線たるガラティエ市街へ歩みを進めていたのは、まだ戦争が終わっていないからだ。
まだ、終われない。脚は動く。眼は見えている。銃は左手でも撃てる。
「グリムくぅ~~~~~~ん!」
まだ……終わりたくない。
「よぉくぞ生きていたあああああああああ!」
……それは、大嫌いな上官も同じだったようだ。
イングリットと魔女狩り部隊は、本来ならガラティエ市内にある捕虜収容所で落ち合う手はずだった。だがレジスタンスによる都市包囲によってその計画は破綻したため、ガイスト少佐自らイングリットの救援に来た。
「あのゾンビ共の包囲網を突破したんですか。よく無事でしたね」
「ああ、さすがの我輩も死を覚悟したな」
イングリットを迎えに来たのはガイストの座乗する指揮車1両に装甲車5両。その戦力は、車載機銃や座乗する歩兵を加味しても1個小隊にも満たない。合流するまでに道中ほとんどの武装を使い果たしてしまったようで、その苦労がうかがい知れる。同じ武装を揃えていても、一般の帝国軍部隊では到底不可能な強行突破だったはずだ。
「さてグリム大尉。我々はこれからガラティエ市に再度突入し、全力を以てレジスタンスおよび連合王国軍への対処に当たる。異論はあるかね?」
この無様な姿を見てなお、ガイストは当然のごとくイングリットと共に戦うつもりでいる。単に作戦行動を続けるためにイングリットが必要だから、彼らは助けに来たのだ。たとえ四肢のすべてを失っていようと、生きている限り魔女狩り部隊は戦いを求める。
イングリットはそんな上官に嫌気が差しつつ、どこか安堵を覚えた。
死に触れなければ、生きていけない。同族の救い難さは、昏い自己肯定感を与えてくれる。
「いいえ」
ガラティエ市へ転進した車両の狭い後部座席で、イングリットはガイストと情報の整合を行った。さしあたって知らされたのは、このゾンビの大群による大攻勢がレジスタンス首脳陣の亡命を助けるためのものであること。レジスタンスがガラティエに降下した連合王国軍と協力して新型艦を奪取し、白海を突破しようとしていること。魔女狩り部隊は目下その阻止のために動くこと。などなど。
次に、目の前にある問題への対処。つまり市街を包囲するゾンビを、武器弾薬が底をついた状態でどうやって突破するか、だ。
「武装を使い果たしたのですよね。どうやって市内に再突入するつもりですか」
「あぁ、問題ない。じきに奴らは動きを止める。外を見たまえ」
イングリットは銃座によじ登り、前方に蠢くゾンビ共の大群を改めて確認した。
「よく観察するのだ。ゾンビの大半は動いているだけだ」
「なるほど」
防衛線で必死に砲撃を浴びせている帝国軍には、ゾンビたちはすべてを押し流そうとするひとつの濁流のように映るだろう。しかしこうして背後を取ってみると、大群の後ろの方は仕事をしていない。突っ立っているだけのにぎやかしだ。魔女狩り部隊が包囲を突破できた理由のひとつは、この手抜きにあるようだ。
「おそらくレジスタンスの魔女の力にも制約がある。もしこの大群を完全に制御できるのなら、連中は亡命するまでもなく国土を奪還できるだろうからな」
現状のゾンビ共は、イングリットがリタを移送していた際に戦った時よりは弱体化しているということか。
「そして我輩の推察では、精度に対する制約と同様に、時間的な限界もあると踏んでいる。この仕事をしないゾンビの割合が、徐々に増えているからだ」
「ではそう遠くないうちに、すべてのゾンビが活動を停止すると?」
「おそらくな」
しかし問題はまだある。
「それでも、我々が今すぐゾンビの群れに突入しなけれなばならない事実は変わりません。単純に数が多すぎますが、蹴散らせるんですか」
「無論だ。空を見ろ」
イングリットは再びガイスト少佐の指す方へ視線を向けた。
魔女狩り部隊の車列を追うように、一隻の飛行船が巡航していた。それは徐々に高度を落とし、シルエットから艦種が特定できるほどに地表へ近づいた。
「LL級……」
呟くが早いか、巨大な船体の下部から十数門の機銃が閃光を放った。曳光弾の軌跡は瞬時に撃ち降ろされ、ゾンビたちの肉壁を地表ごと抉り取っていく。天からの裁きのごとく降り注ぐ火箭に、亡者たちが逃れる術などない。
飛行船には様々な弱点があるが、その定点支援能力はどんな爆撃機・攻撃機よりも高い。低速で戦場にとどまり、長期的に大火力を提供する
「これで道は開けたな。そして我々自身の補給についても、あの飛行船が解決してくれる」
ガイスト少佐はまるで指揮者のように指を振った。タイミングよろしく、前方上空に位置取りしたLL級から落下傘が投下された。下に提げられているのは、カーゴのようだ。
「補給物資も空中投下してもらおう。まったく便利な時代になったものだなぁ。あっ、物資のカタログあるから好きなのを選びたまえよ。我輩のおススメは、サブマシンガンだな。片手でも牽制くらいはできるぞ」
本当にカタログを手渡された。八百屋のチラシじみたふざけたデザインは一体誰が作ったのか定かではないが、またも実戦配備されていない試験兵器の数々が届けられたようだ。
「そして追加の兵員も必要だな?」
LL級から更なる影が降ってきた。コウモリのような、真っ黒なグライダーで滑空する怪人たちが、ざっと1個小隊ぶん。
「ナハツェーラーまで揃えたんですか」
イングリットは半ば呆れかけていた。よくもまぁ、土壇場にここまで準備できたものだ。レジスタンス対策にナハツェーラー部隊を運用していたのが功を奏したか。
「まだあるぞ。あの船はとある実験兵器を積んでいる。本来ならガラティエの係留場でワイヤー誘導魚雷に積み替えるつもりだったが、時間的猶予を考えるとこちらを利用した方がよいだろう」
ガイストが自分の眼を指差して気色悪いウインクをした。命の在処を見通す魔眼を使えと言いたいらしい。イングリットは不快に思いながらも、己の魔女としての力を行使した。
「開け、シャクスの義眼」
すると、飛行船のゴンドラ下部に巨大なゆらめきが見えた。
「なんですか、あれは」
シルエットは空想上の竜に見える。もちろんエスターライヒで魔女戦隊が試験運用した鎧蜥蜴を知っているため、それが実在することは知っている。が、あれと同種の個体が飛行船で運べるとは流石に思っていなかった。
「
「まぁ使えるなら何でもいいです」
ガイストとイングリットは同じ戦争狂でも、やや趣味が異なるようだ。イングリットは自分が満足に戦えればそれでいい。
戦いは、練度や闘志や才能の前に、どれだけ周到に備えたかで決まる。イングリットがガイストを上官として信頼しているのは、そこを違えないからだ。
続いて問題となるのは、レジスタンスの動向。
「市街に再突入するということは、既にレジスタンスはガラティエ周縁の防衛線を突破しているのでしょうか」
ガイストはこの問いに、やたら胡乱な回答を出した。
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるな」
「分かるように教えてください」
別に冗談で言っているのではなさそうだ。いつもなら幽鬼のような気色の悪い笑みを貼り付けているこの男が、口を真一文字に結んでいる。
「ゾンビの大群が見掛け倒しであるという点を踏まえると、あれらの目的はレジスタンス本隊がガラティエ市に侵入するための目くらましと考えられる」
それでイングリットはピンときた。たいそう原始的な目くらましだ。
「坑道を掘っている、と」
「左様。ゾンビの波をかき分けて坑道の入り口を探すのは不毛なので最初から諦めた。そこで、次に注目すべきは出口なのだが」
分かるかね? と顎で促され、イングリットは癪に触りながら言い当てた。
「収容所ですか」
「ご名答。公王をはじめとする公国政府の要人が多数収監されている」
「では公王たちを移送させ、待ち伏せの準備をしているのですね」
「いいや、移送していない。収容所の守備隊にも、伝えていない」
「は?」
聞き間違いかと思った。それはつまり、無策ということか。そこまで敵の動きを推察しておいて。
しかしイングリットはここで、ガイスト少佐が笑っていない理由に思い当たった。
「……レジスタンスの亡命を、見逃すおつもりですか」
ガイストの双眸は、昏く淀んでいる。彼は初めて、戦場で不愉快そうに口を開いた。
「我輩は、そうではなかった。ゆえにヴェアヴォルフを仕込んでおいた」
ヴェアヴォルフ。
その符牒は、潜伏者を表す。魔女狩り部隊に与えられた手札の中で最も秘匿性が高く、そして最も使いどころを選ぶカードだ。ガイストには手札を切る用意があった。
「収容所の捕虜の中に、事前に布石を撒いておいたのだよ。本来は敵が捕虜を奪還した場合に背後から奇襲させるつもりの保険であった」
レジスタンスが公王の処遇をどうするかは不確定だ。彼らには既に死体を操る魔女という立派な指導者がいる。元より求心力を失った公王など、下手に帝国に利用される前に処分してしまう可能性もある。
しかし、そのほかの政府要人は違う。彼らはレジスタンスにとって、“できれば確保しておきたい人材”だ。救出できる状況なら確実にそうする。そして、この条件付けこそがレジスタンスの隙となる。彼らは身中に
「我輩は、この戦局における目標を“亡命の阻止”と定義していた。レジスタンスを無力化し、連合王国軍を退け、『メルセルケビル』を守り抜く。このすべてを達成するには、最悪でもガラティエ市内で決着をつける必要があった」
ガイスト少佐は、その作戦に勝ち筋があると踏んでいた。少なくともコントロール可能な手札が揃っており、命を賭すに値する「激アツ」な戦場だったのだ。
だが、そう考えない者もいた。むしろ、ガイストの方が異端だと言った方が正確だろう。
「……先ほど、参謀本部からの指示が届いた。人狼はまだ伏せておけ、とな」
「参謀本部から、ですか?」
魔女狩り部隊は独自の作戦指揮権を持っている。ガイストは少佐といえども事実上の軍団長であり、帝国軍におけるほとんどの戦略に口を出すことができた。それを頭から抑えられるのは、彼に指揮権を与えた当の参謀本部だけだ。
「上はこの状況を、別の好機と見ている。レジスタンスにはこのまま『メルセルケビル』を奪わせ、ヴェアヴォルフを仕込んだままジャバルタリクへと亡命させればよいとな。公王も新型艦も、存外に軽い手札だったらしい。その一方、公国人の身分で潜り込ませた影は、連合王国軍にとって迂闊に手を出せぬ伏兵になりうると……ふん、己の視野が大局的であると信じて疑わん上級参謀共の考えそうなことだ」
イングリットは、上官の不機嫌な理由がようやく分かった。
「我々は、仕込みを敵に悟らせないために完全敗北を演出する役ですか」
「いかにも」
機銃の雨が周囲を薙ぎ払い、ゾンビの大群を粉砕していく。降り立ったナハツェーラーたちが猛烈な脚力で車列を追い抜かし、前方に投下された補給物資を確保し始めた。
ここまで力を尽くしておいて、やることは失態の演技か。
「我輩は戦争が好きだがね。こればかりは嫌になるよ」
今、帝国軍はジャバルタリクに刃を滑り込ませる千載一遇のチャンスを掴みかけている。窮地に活路を求める帝国軍の頭脳たちが、目の前の局地的勝利を棒に振ってでも戦略的勝利を選ぶべきだと判断した。
それが、危ういのだ。軍上層部において理想的ともいえる大局的視野が、今や彼らの目をくらませている。
ジャバルタリク戦線における帝国軍参謀本部は、奇策を過剰に重んじる傾向がある。
新たな武器、兵器、戦略。目まぐるしい変化によって敵の知らない手札を揃え、スクラップ&ビルドを繰り返して魔女の力を超えようとする。それは一定の見方をすれば功を奏していると言えた。
しかし、その功を得るための手札が常にコントロールできると考えるのは過ちだ。敵が布石の白黒を裏返すかもしれない。あるいは知らずのうちに踏み砕いてしまうかもしれない。あるいは誰も手の届かないところで、独自の色を纏うかもしれない。今まで魔女狩り部隊が運用してきた新技術の数々は、いずれも発展途上の不安定なものだ。少なくとも、ガイスト少佐の目の届かぬところでは使ってこなかった。
イングリットは失望を隠そうともしないガイスト少佐に、更なる質問をした。これはどちらかといえば、確認に近い。
「『メルセルケビル』は、本物なんですか?」
ずっと違和感があった。
そもそもレジスタンスの大攻勢が始まった時点で、新型艦『メルセルケビル』を破壊または移送するタイミングはいくらでもあった。その時既にガラティエに居たガイスト少佐がリスクを見逃すはずはない。ガラティエを取り巻く混乱や、市の守備隊の不手際が幾ら重なったからといって、今の今まで最重要機密の新兵器を積んだ艦がドックにぷかぷか係留されているのはおかしな話だ。
「さてな。あれが元よりダミーなのか、大した技術でもないハリボテなのか、それとも別の意図をもって敵に渡してよいとされたのか……我輩は知らなんだ」
「少佐にも、あの艦をどうこうする権限がなかった。だからこうして、無理な状況でせこせこ守勢に回っていたんですね」
「返す言葉もないな」
イングリットは嫌いな上官の、肉の削げ落ちた横顔を見つめた。
『メルセルケビル』は、最初からこういう筋書きを通すために造られたのではないか。レジスタンスや連合王国軍や魔女狩り部隊すらも筋書きに組み込んだ演出家が、帝国の奥深くにいるのではないか。
そんな疑念が、嫌な確信を伴ってイングリットの胸をよぎった。
イングリットやガイストのような異常者は、常人と違って戦場に絶望しない。
だが、どんな狂人も怪物をも平等に苛む、とある感情がある。
「グリム大尉、失望したかね」
「まぁ、そうですね」
こんなにも空が青いのに、気持ちよく人をぶっ殺せないのなら。
銃後の家庭で男に尽くす、「女の幸せ」と何が違うのか。
楽に生きるのは難しい。余計なものを背負ってしまう。軍旗に忠誠を誓い、国民に勝利を約束した。そんなもの、イングリットにとって何一つ大事ではなかった。なのにどうしてか、囚われてしまった。
「しかしガイスト少佐、らしくないのでは」
萎える気持ちは分かる。しかし、魔女狩り部隊はせこい殺人集団ではない。殺し合うのが心底楽しいから軍隊にいる。
「死力を尽くした作戦が空振りに終わるなんてことは、当たり前です。何も珍しくない。敵も味方もすべてあなたの思いのままに動くなら、とっくに戦争は終わっていたでしょう。だから面白いんじゃないですか」
「む……それは、そうだが」
なんで自分がこの気色悪いジジイを慰めてやっているのか、イングリットは不思議だった。それでも、本性は嘘を吐けない。そこには怪物の原点があった。
「準備が足りなかったのなら、今度は更に周到に備えればいい。味方と足並みが揃わなかったら、より連携を密にすればいい。未知の敵に苦しめられたら、もっともっと敵を知ればいい。戦争は、上手くいかない時も激アツですよ」
イングリットは魔眼を通じてガイストを覗き見た。
老人の魂は、濁り切った色をしている。こいつが死ぬときは、きっと見るに堪えない無様を晒すだろう。だが、誰よりも醜悪な怪物こそ、誰よりも戦場を美しく彩る。
「ガイスト少佐、連合王国の魔女を撃つなとは言われていませんよね。今は魔女狩りを楽しみましょう」
「グリムくぅん……!」
ガイストの薄汚い双眸に、鬼火のような輝きが宿った。
「気色悪いですよ」
イングリットは冷たく吐き捨てた。結局、死ぬ寸前まで良い空気を吸っていたい。原点を忘れては、死んでいるのと同じ。
再び武装を整え、魔女狩り部隊は港へと迫る。
激突の時が近づく中、イングリットはふと一人の男を思い浮かべた。
彼はイングリットの原点を否定し、そしてもう一度生き直そうと手を引いてくれた。その手を振りほどいたのは、自分自身だった。
彼は、戦争を恐れる惰弱な男だったのだろうか。内地で俳優でもやっているのだろうか。そうだったらいい。
*
「皆で生きて帰るんだ。それを邪魔する奴は、絶対に叩き潰す」
アメリアの号令のもと、3人の魔女たちは各々の配置へ就いた。サンダーソンは彼女たちに守られるように、一番奥のポジションに移動した。
運命的な予感というものを信じていない。だが、エスターライヒの山頂でリタが撃たれたと知った時、言い知れない懐かしさを感じた。その感覚は恋人の残り香みたいに振り払えず、今もなお場違いな郷愁を伴ってサンダーソンを縛り続けていた。
「クソッ」
「なんでだよ……」
最悪の確信が、当たってしまった。
エスターライヒでリタを撃った狙撃手。流暢な王国語を話す帝国軍大尉。連合王国に属しない魔女。魔女狩り。戦争狂い。ほんの短い時間で整合した情報だけでも、そのすべてのピースが一枚の肖像画を克明に描き出していた。
その女を知っている。
奴は、遠い遠い大陸戦線で死んだことになっている。そういう風に処理された、らしい。伝聞系だ。すべてはサンダーソンの知らないところで始まっていて、サンダーソンの目の前で完結し、サンダーソンの手が届かないところで幕が引かれた。それで終結したはずだった。彼女に関するすべての当事者は沈黙していた。この話は終わったはずだった。
だから、この感情は未練ではない。
「……殺さなきゃな」
導爆線を繋ぎ終わった。起爆装置も並べた。ライフルのゼロインもやり直した。
前方の空で砲火が瞬いた。ケイリーと敵飛行船の戦いが始まったのだ。護衛機のいない空戦なら、竜の魔女は容易く仕事をやり遂げるだろう。あちらは心配いらないし、サンダーソンに助力する手段もない。
一方、都市の雑多なアパルトマン群をかすめるように、低空を大きな影が横切った。飛行船から切り離された翼竜が、狙うべき獲物を見定めている。こちらはアメリアとリタが対処することになっているが、果たして。
「うおっ!」
サンダーソンの頭上を刺々しい影が跳ね、その後ろを猛烈な暴風が追う。鉄蜘蛛を展開したアメリアを、さっそく翼竜は獲物と定めたようだ。翼が大通りの建物に擦るのも気にせず、巨大な竜はアメリアを執拗に追い回している。
リタは大丈夫だろうか__別に惚れたから余計に心配しているのではない。彼女はアメリアやケイリーと違い、身を護るための盾や機動力を持たない。
だが心配は無用だった。
飛び跳ねながら追手を躱す鉄蜘蛛から、青白い爆裂の槍が吹き上がった。
「ナイスコンビ、推せるね」
リタはアメリアの鉄蜘蛛の中に同乗していたのだ。彼女の炎魔法は惜しくも竜の身体から外れてしまったが、これであのバケモノを警戒させることに成功した。目標は時間稼ぎであり、敵の殲滅ではない。あの竜が好き放題に暴れ散らすのを、少しでも抑止できればいい。
あとは、魔女狩り部隊の本隊。装甲車両とナハツェーラーは一直線に港までの目抜き通りを疾走している。
「敵さんは、ドックに用意されてた爆薬のこと、知ってるよなぁ」
そこまで準備しておきながらどうして連中がさっさと艦を爆沈させなかったのかは、サンダーソンにとってはどうでもいい。少なくともこの爆薬がまだ使えることはお互い筒抜けだ。そう簡単に引っ掛かってはくれないだろう。
爆破で敵は仕留められない。だから、敵の針路を制限するのに使う。
サンダーソンは起爆装置のレバーを順番に叩いていった。数秒遅れて、前方に立ち並ぶ建物の根元で次々に爆発が起こる。
「まずは、ご降車願おうか」
目抜き通りの建物がいくつか倒壊し、道路に大量の瓦礫をぶちまけていく。戦車なら話は別だが、魔女狩り部隊の駆る装甲車は装輪式だ。重い装甲を抱えて走るあの手の車両はエンジンへの負担が大きく、そこまで走破性能が高くない。魔女狩り部隊は歩兵の盾と機動力を捨てて徒歩で目抜き通りを突破するか、通りを迂回して狭い路地からドックを目指すか選ぶことを強いられる。
スコープを覗く。サンダーソンの狙い通り、大多数の敵は装甲車を乗り捨てた。俊敏なナハツェーラー部隊を先駆けに、一直線にこちらを目指してきた。魔女たちは敵の大物を引き付けるので精一杯だ。もちろん、しがない狙撃手のサンダーソンひとりでは手に余る。
レジスタンスは基本的に艦の発進準備に集中してもらっているが、唯一こちらに戦力を回してくれた。そろそろ来てくれるはずだ。
「旦那、出番だぜ!」
背後のドックに向けて叫ぶ。既に敵に牽制射撃がそこらじゅうを飛び交っている。サンダーソンは土嚢にライフルを置いて射撃体勢。返事がないからもう一度怒鳴った。
「急いでくれよ! 囲まれたら終わるぞ!」
ナハツェーラーの不吉な影が、ひたひたと忍び寄る。爆風が塵煙を巻き上げて視界が悪い。誰から撃つべきか__。
「待たせたな、ぶっ飛ばしてやらぁガリガリ野郎共!」
あの竜が背後で吼えたのかと思ったほどだ。とんでもない声量の雄叫びと共に、すさまじい密度の弾幕がサンダーソンの頭を越えて前方を一閃した。被弾したナハツェーラーは上半身を丸ごと消し飛ばされ、路面に真っ赤な花を咲かせた。突撃を完全に挫かれた敵たちが瓦礫の陰に飛び込んでいく。
「ビビったろ、ゲクランの旦那」
「ビビんなよ、若造」
のっしのっしと土嚢に歩み寄ってきたのは、白煙を吹き流す機関銃を担いだゲクランだった。機関銃といっても、『メルセルケビル』に搭載されていた20ミリ連装対空砲を無理やり引っこ抜いてきたものだ。当然ながら航空機を撃つための兵装であって、携行火器ではない。
「帝国軍も焦ってんのは同じだ。今だって無理に突っ込んできたろ? 魔女の嬢ちゃんたちが攪乱して、俺らはここでどっしり艦を守る。あと10分ばかし稼げりゃ勝ちよ」
「ああ……」
流石は歴戦の将軍といったところか。文字通り背水の陣を敷いているのに、ゲクランの言動にはまるで追い詰められた様子がない。いや、ゲクラン本人の戦闘力は将軍であることと全く関係ないのだが。
出鼻をくじかれた敵が、散発的な銃撃を浴びせにかかる。しかしゲクランの機関砲が再び火を吹くと、あっけなく沈黙した。彼らは射線の開けた目抜き通りから退き、装甲車と共に別ルートで回り込む算段を立て始めた。そちらにも爆薬を仕掛けているし、機動力を制限できる分有利に立ち回れるだろう。
サンダーソンは少しだけ安堵した。大丈夫だ、上手くやれてる。
「ハッ、骨のねぇ連中だ! 俺の骨も腐りかけだがな、ガッハッハッ! ……待てよ、妙じゃねえか」
「いきなり落ち着くな」
ゲクランの虚ろな眼球が、神妙に遠くを睨む。上空ではケイリーに取り付かれた飛行船がふらふらと回避運動をとっており、戦線の端では翼竜をアメリア・リタ組が翻弄している。上手く敵戦力を分断しているように見えるが。
「いやなに、魔女狩り部隊ってのはこうも手際の悪い連中かと思ってよ」
「あぁ……確かに」
ゲクランの観察には、サンダーソンも納得するところがあった。エスターライヒで戦った魔女狩り部隊は、的確にこちらの弱みを突いて多大な犠牲を強いてきた。あの時奇襲を奇襲で返されたように、同一の戦術は敵に容易く利用される。大事なのは敵の最終目標を見誤らないことだ。
捨ててもいい手札と、ここで始末したい駒。敵の天秤を傾けたのは、どちらか。
「……魔女戦隊が危ない」
サンダーソンは言うが早いか、すべての爆薬の起爆装置を起動していく。これで何秒稼げるか分からないが、ここで呑気に待ち構えるという選択肢は消えた。
「旦那、敵はうちの魔女を1人でも仕留めるつもりだ。分断されてんのは俺たちだ」
「ンだと? だが……すると『メルセルケビル』は手放してもいいってわけかい」
「分からねえ。だが艦の発進準備は進めてくれ。旦那はドックの防衛を頼む。俺は魔女たちが合流できるよう支援してくる」
それだけ言って、サンダーソンは目抜き通りの方へ駆け出した。
「おい若造、てめぇも死ぬなよ!」
確約はできない。兵士ひとりより魔女が大事だ。捨てるべき手札を捨てられなければ、負ける。
瓦礫を飛び越え、死体を踏み越え、走る。視界すべてが赤と灰色に揺らめている。魔女と怪物が奏でる破壊の音色が焦燥を煽る。間に合ってくれ、そうじゃないと生きてられない。
仲間が目の前で死んだとき、惚れた女が帰ってこなかったとき、サンダーソンは傷ついてきた。ヘラヘラ笑ってごまかしてきたが、悲しむのが億劫になっていただけだ。自分をボロで
身勝手なことに、サンダーソンはもう何も失いたくなかった。戦争に関わらずに生きていけるなら喜んでそうするだろう。もう一度やり直せるなら、本島の劇団でクサい芝居に明け暮れていたい。戦場で走ればいつも肺が裂けそうなくらい痛いし、榴弾片の
だが、もう背負ってしまった。
過去は清算しなければならない。
少女たちの未来は守らなければならない。
たとえ掌が焼け爛れようとも、この燃え
殺したい女がいる。
視界の外で、殺意が膨れ上がった。マズルフラッシュの予感__奴ならここで俺を撃つという確信__を覚え、サンダーソンは瓦礫の後ろに跳び退った。
放たれたのは拳銃弾だった。連射レートの高さが、路面を穿った無数の弾痕から伺える。サンダーソンは懐から手持ちの反射鏡を取り出し、射点を窺った。
「会いたかったぜ、イングリット」
その姿が鏡面に映った途端、吐き気のするような郷愁が胸を締め付けた。
帝国軍の黒い隊服に包まれた、細くしなやかな身体。
右手を吊っているが、利き手でないはずのもう片方で短機関銃を油断なく構えている。
戦場のあらゆる汚れに晒されてなお、亜麻色の長い髪は美しい。
不愛想な顔が好きだった。もっと笑って欲しいとはつゆほども思わなかった。あるがままでいい、表情は顔の動きだけじゃない、お芝居の作り笑いより、淡々と恥ずかしげもなく愛を語ってくれたあの顔が好きだった。
そしてその瞳は。
その瞳だけが、憎かった。
「私は会いたくなかったよ、リチャード・サンダーソン」
命の破滅に歓喜する魔眼。連合王国の敵。悪魔シャクスの末裔。魔女狩りの魔女。
イングリット・グリムという怪物の、艶やかな根源がそこにあった。
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