第12話:境界線の裏と向こう②

 ソロモンス中佐に今後の方針を告げられた翌日。アメリアは中佐の辞令により「魔法育成プログラム」と称する訓練を受けるため、早朝から練兵場に召集された。

 ジャバルタリク要塞に複数ある練兵場の中でも、司令部から最も近く、最も大きなグラウンドだ。普段から新兵たちの塹壕戦教習のため障害物が並んでいた場所だが、今日はそれら全てが取り払われていた。代わりにドラム缶入りの鉄条網と、なぜか大量の拳銃、ライフル、機関銃、はてまた迫撃砲や対戦車砲が並べられている。おそらく帝国軍の鹵獲品であろう対戦車携行砲ロケットランチャーまである。あとは何らかの説明に使うらしき黒板。

 博物館かと思えるレベルの品揃えの中心で、「どう? 僕のコレクション」とばかりにご満悦の中年将校が居た。眼鏡の似合う理知的な顔立ちだが、やや痩せっぽちで頼りない。学者か教師と言われたら信じてしまいそうだ。彼はアメリアを見るなり、にこやかに走り寄って握手を求めた。

「やぁ、鉄条網の魔女。僕はスウィントン少佐、戦車兵装関係の技術士官だ。カニンガム准将の部下、というか弟子だった。あの禿げ頭にシゴかれた者同士、よろしくね」

 カニンガム「准将」。アメリアは心臓がどきりと疼いた。軍人が死んで2階級特進しても、喜ぶ人間はいない。生き延びた人間が納得するための、エゴだ。それでも彼の最期を知るアメリアには、彼の親しい人に対し言うべきことがある。

「ど、どうも。アメリア・カーティスです。あの、カニンガム……准将は立派な最期を遂げられました」

 立派な、のところから声が上ずって震えた。

「知っているよ」

 にこにこ顔のまま、少佐はけろりと言ってのけた。やや薄情にも聞こえるが、立派な人が華々しく死ねるとは限らないのが戦場の常だ。けれど軍人が死んだら世辞でも「立派な最期」と定型文のように述べる。

 アメリアは、敵の新兵器と共に灰となることを、立派な献身だとは呼びたくない。

 少佐は握手の力を少しだけ強めて、アメリアに視線を合わせた。柔和な笑みのまま。

「無様を晒しても、生きててくれた方がマシだったとも。けれど、自己犠牲に敬意を払うのは悪いことじゃない。誰も彼もがその当事者になることを嫌がってたら、皆が戦争から逃げてしまう」

 出会って数分なのに、スウィントン少佐には深い思慮と信条が感じられた。当事者意識、これを持っているのがいい。ソロモンス中佐がアメリアのために抜擢した人材だからか。円滑な関係を築けそうだ。


 ただまぁ、性格が合うかどうかは別問題だ。

「では早速本題を。僕はソロモンス中佐から、鉄条網を操る君の魔法を有効活用する手段を見つけるよう頼まれている。エスターライヒ攻略作戦の際に君が形成した鉄条網の怪物……便宜上、鉄蜘蛛と呼ばせてもらうけど、いいかな」

「えっ? てつぐも? あ、はい」

 急に鉄条網の怪物の話を出されて、アメリアは動揺した。昨日の今日で、一体何の因果か。

 スウィントン少佐はアメリアが手を握り返した途端、猛烈なマシンガントークを始めた。

「その時の戦闘レポートを読ませてもらったよ。いやぁ素晴らしいね! 僕はあの鉄蜘蛛に機甲戦力としての可能性を感じているんだ。有刺鉄線という安価かつ調達の容易な材料で即時に展開し、銃火を弾きながら塹壕を蹂躙する! あれはもはや折り畳み式戦車と言っても過言ではないよ!」

 このおじさん、ソロモンス中佐とは対称に話が速すぎる。

「待ってください。あれは制御が難しくて__」

「そう、難点もある。ソロモンス中佐に聞いた話では魔女の魔法は何かしら代償を伴うことがあるらしく、歯がゆいことにあの鉄蜘蛛は君にとっての代償が暴走形態というかたちで現出したようだ。エスターライヒ手前の第3塹壕線突破フェーズでしか使っていないところを見るに、君は暴走のリスクを踏まえてそれ以降の使用を避けている。合っているかい?」

「合ってますけど……」

 スウィントン少佐は得意げに指を鳴らした。

「じゃ、暴走しないようにすれば使えるってわけだ! 今からそのための戦術を一緒に考えよう!」

 かつてないタイプの陽気さに、アメリアは早くも疲れを感じ始めた。戦場で暮らしていれば、どんな人間にも暗い影が落ちる。明るい軍人は、大抵どこかおかしい。


 そもそもなぜ暴走するのか、と少佐は問うた。

「なぜ、と言われましても」

 魔法とはそういう代償を伴うものだ、としかアメリアには分からない。しかし少佐は自分のこめかみをトントン叩いて首を振った。

「僕は魔法に関しては素人だけどね。そもそも代償って支払わなきゃダメなのかい? 見た目が怪物になったら律儀に理性ブッ飛ばして暴れ散らかさなきゃダメなのかな?」

「えぇ……?」

 理知的な印象と裏腹に、少佐の思考はかなり高飛びが得意らしい。呆れ半分、驚嘆がもう半分だ。その因果関係を切り離す人は初めて見た。

 確かに魔女には、力と代償の不文律がある。過ぎたる力は身を滅ぼす。どんな世界にも当てはまる話なので、アメリアを始め若い魔女たちは「そういうものなんだろうな」で納得してきた。ソロモンス中佐が魔女戦隊の戦力を出し惜しみしていたのは、表向きは帝国軍に魔女への戦術的理解を遅らせるためだったが、実際にはそうした裏事情によるところが大きい。

 代償を踏み倒せるか? 2年間戦ってきた魔女としての答えは、とりあえず否だ。

「結論、強力な魔法を使えば、大なり小なり代償は発生すると思っていいです。でも、そうですね……」

 どうしてアメリアの代償は暴走という形で現れるのか。それを考えたことがなかった。

 アメリアは、鉄蜘蛛に時の心境を思い返してみる。8つの脚と2つの鎌を操るため、アメリアはあの時、意識を完全に鉄蜘蛛と同期させていた。それこそ、自分自身の身体であると錯覚してしまうほどに。まさしく「人間に戻りづらくなる」兆候を実体験したのだ。

「あの怪物の姿は、私が想像する最強の姿でした。怪物というものは、あらゆる人々にとって畏怖の対象で、大きな爪や牙で縦横無尽に人を襲うもの……だと思っています」

 果たしてあの姿のアメリアが理性を飛ばしていたのか、今となってははっきりとしない。敵味方の判断くらいは付いていたのだ。ただ、ひとつ彼女の考えを支配していたのは……。

「私は人を思うがままに蹂躙するために、あの姿になりました」

 スウィントン少佐は納得したように大きく手を叩き合わせた。

「なるほど蹂躙ね! 君が内に秘めた暴力衝動を解放すると、そういう形で現出するわけか! 確かに、生物間における闘争に理性は枷となる場合がある。極論、戦闘に適した形態をした生物は理性をブッ飛ばしたほうが効率的に戦える!」

 ずいぶんな言い草にアメリアはムッとしたが、堪えた。キラキラした瞳のおじさんは、あまり止めない方がいい。何より話が難しい。説明する気がないからか、理論がちょくちょく階段飛ばしで飛躍している。

「ポイントは、暴走のトリガーが鉄蜘蛛の形態と結びついているということだよね。爪や牙、あるいは鎌があるから君は敵兵の集団に突撃してしまうわけだ。よしよし、仮定の範囲内だな。ならば鉄蜘蛛の形成を、君の暴力衝動を刺激しない範囲に抑えることから始めよう」

 突然スウィントン少佐は黒板にチョークを走らせ始めた。


 技術者って絵が上手いんだなぁ、とアメリアは無邪気に思った。しかし完成した画面を見て、首を傾げた。

「何ですかこれ」

「鉄蜘蛛の、改修案だよ」

 黒板一杯に描かれたたくさんのラフは、アメリアの生成した怪物によく似ていて、されど決定的に違う点がいくつかあった。

「銃とか大砲とか、載っけてるように見えるんですけど」

「そうだよアメリアくぅん! 鉄条網の魔法には素晴らしい応用力がある! 有刺鉄線を自在に操れるのなら、君の鉄蜘蛛に銃火器を載せて狙いを定めたりトリガーを引いたりできそうだよね!?」

 少佐がチョークでラフ画のひとつを示す。60ミリガンキャリアーモデル、と注釈がある。以前アメリアが生成した鉄蜘蛛より、体躯の構築用に編みこんだ有刺鉄線の量が少ないように見える。いわゆる肉抜き。ついでに脚の本数も8本から4本に大幅削減。浮いたぶんの鉄線を、アメリアが座す操縦席の上方に積んだ軽野戦砲の保持とコントロールに回す仕様らしい。

「どうかな? 人呼んで、多脚戦車!」

 爛々らんらんと輝く瞳がアメリアににじり寄る。

「ちょっ顔近いです。ソロモンス中佐に言いつけますよ」

「おっとゴメン。でもいいアイデアだと思わない? 鉄蜘蛛を、戦場を蹂躙する怪物ではなく、ひとつの機甲戦力として運用するんだ。これはもう意識の問題と言わざるを得ないが、搭載した火器のコントロールに思考リソースを割くことで、君の暴力衝動が直接的に発露されるのを抑制できないかな?」

「うーん……戦車みたいに使う、ですか」

 いちいちスウィントン少佐の話は難しい。何度か質問して要点を噛み砕いていくと、なんとか理解できた。代償が発生しないギリギリの範囲で鉄蜘蛛の基礎的な骨格のみを利用し、爪や鎌を使って本能的な格闘戦を行う代わりに、搭載した銃火器を使う、ということらしい。

 なんだかルールの裏を突くような、言い訳じみた原理を感じる。「これはアメリアの切り札たる怪物ではありません」と主張しつつ、その怪物の骨組みだけは都合よく利用しようというのだ。誰がセーフとアウトを判断するのか定かではないが……いや、判断するのはアメリア自身だ。

 欺瞞はうまく使え。戦争はそういう風にズルく出来ていることを、戦いの中でアメリアは学んだ。

「暴走してしまえば、戦力としては数えられません。そのせいでリタにもシャルちゃんにも怒られたし、カニンガム准将は犠牲になりました」

 ズルく戦っていこう。背負いすぎるな。魔女は魔法の奴隷なんかではない。

 アメリアは決意した。

「同じ轍は踏みません。私はあの鉄蜘蛛を、私自身の意思で使いこなしたいです」


 で、最初の問題が起こる。銃火器を鉄条網__すなわちワイヤーで操作できるか。

 スウィントン少佐は普通に無茶振りしてきた。

「なんかこうさぁ、人形劇みたいに操れない? 魔女ってそういうの得意なイメージあったんだけど」

 とりあえず拳銃で試す。複数の短い有刺鉄線を絡ませて保持するところまでは成功。トリガーも問題なく引ける。リロードもあらかじめマガジンを挿入しやすいように巻きつけていれば、可能。ここまではいい。

 標的に向かって何発か撃ってみて、問題はすぐに露呈した。

 まず、ここまでするのに指5本に巻きつけた鉄線での制御を必要とすること。次に、狙いを定めるには当然ながら自分の利き目と銃の照準を合わせなければならないこと。そして、もともとアメリアは射撃の腕に関して自信があるわけではないこと。

「うーん……これ、私がやる必要あるんでしょうか。精密射撃は無理ですよ」

 曲芸じみた小細工を弄するくらいなら、有刺鉄線をそのまま鞭剣にして攻撃した方がマシだ。

「まぁまぁそんなこと言わずにさ、試してみよう。狙撃がダメなら弾幕を張るくらいの精度でいいんだ」

 軽機関銃を手渡される。この場合の「軽」とは車載や艦載用の重機関銃に対する歩兵用の機関銃、という意味だ。男性兵士でも一人で担ぎ撃ちはしない。

 給弾ベルトに巻き込まないよう注意して、有刺鉄線により空中で保持。トリガーにも連動させた。えいっと連射してみたら、ものの見事に標的から明後日の方向へ弾が飛んで行った。というか連射による継続的な反動を制御しきれず、銃口があっちこっちにブレて非常に危ない。鉄条網を操る魔法は出力こそ大きいが、ここまでの精密な制御は本領ではなかったのだ。

 あと構造上リロードは不可能だった。結局、給弾ベルトに有刺鉄線が絡まって一丁おしゃかにしてしまった。

 アメリアは冷や汗を拭い、少佐にバツ印をつくった。

「ダメです、危ないです」

「やっぱりかー」

 少佐は悪びれもなくにこやかに。アメリアは銃身が熱くなった軽機関銃を返却した。

「分かっててやらせたんですか?」

「試すってことは、理解を確かめるってことなんだよ。魔女にとって、魔法は禁忌かい?」

 それは……どうだろう。アメリアは答えに困った。

 祖母はきっと、人を殺傷する魔法は忌むべきだと思っている。一方、ソロモンス中佐はその禁忌を消し去ろうとしている。

「よし、次は迫撃砲だ」

 今度は軽迫撃砲。こちらの「軽」も車載・牽引式に対して歩兵が運用できるという意味だ。普段は分解して保管してあるため、ふたり掛かりでえっちらおっちら組み立て、ようやく有刺鉄線で持ち上げた。

 気持ちよさげに汗を拭ったスウィントン少佐が、砲を背負ったアメリアに講釈を垂れる。

「今度はいい線いってると思うよ。迫撃砲が簡素で耐久性に優れた構造と榴弾による範囲攻撃能力を併せ持ち、可搬性が極めて良好な歩兵用間接射撃兵器であることはアメリアくんもご存じだろうね?」

「はい、はい、知ってます」

 段々面倒になって、アメリアはおざなりな返事をした。元々アメリアは軍用艦艇をすべて戦艦、戦闘車両はすべて戦車、火砲の類はすべて大砲と呼ぶ無知な田舎娘だったのだ。座学の範囲ならともかく、専門外の蘊蓄うんちくにはかなり疎かった。

「ならよし。曲射用の照準器は覗けないから、適当に撃ってみてくれ」

 理解を確かめるために試す。それは、分かるのだが。アメリアはこの実験の結果が既に見えていた。

 迫撃砲弾は、弾体底部の撃針が砲身の底に落ちた際に撃発することで射出される。砲身が俯角に入っていると砲弾が落ちてゆかず、発射できない。つまりあてずっぽうな曲射しかできない。

 有刺鉄線で砲弾を落とし込んで発射するまでは簡単にできたが、飛翔した弾頭は標的から遠く離れた位置に着弾した。ついでにアメリアは砲撃の勢いで真後ろに吹っ飛んだ。

「ふーむ、そもそも照準器を覗けない造りだからなぁ。多連装にして数で補うか……」

 無駄弾が増えるだけだ。そもそも熟練の砲兵だって照準なしではどこにも当てられはしない。


「直射できて大雑把に周りを吹き飛ばせる兵器ってあります?」

 地面に倒れたまま聞く。

「うん、あるよ。実はこれが本命だったんだけど、帝国軍から鹵獲した対戦車携行砲。帝国語ではパンツァーファウストと呼ばれているね」

「本命なら最初から出してください……」

 それは砲、というかロケット砲弾の制御棒を細長い発射筒に押し込んだ、奇妙な形をしていた。少佐によると照準器から発射筒に至るまですべてが簡略化された使い捨て品で、単純ながらめちゃくちゃ先進的な兵器らしい。現在、連合王国軍でも急いで鹵獲品のコピー生産を始めているという。

 アメリアは有刺鉄線で持ち上げてみて、その軽さに驚いた。

「有効射程は30メートルくらいだから、標的にもっと近づいていいよー」

 少佐の語調は呑気だが、自分の身の安全のためしれっとアメリアから距離を取った。古来よりロケット砲はまっすぐ飛ばすのが難しく、座学でも撃ったロケットが自分に帰って来た、なんて逸話が紹介されていたくらいだ。アメリアも微妙に怖くなった。

「撃ちますよ」

 セーフティを解除して、丸穴型の照星と照門しかない簡素な照準器に右目をあてがう。有刺鉄線だけでレバーを引き、射出。弾頭は鈍重な山なりの軌道を描き、標的のすぐ近くに着弾した。これは無反動砲というタイプらしく、先ほどのように反動で身体が吹っ飛ぶことはなかった。

 少佐はこの結果に拍手した。しかし彼は満足より、さらなるチャレンジを求めている。

「いいね、安定感がある! 今度は5本同時に撃ってみようか!」

 言われるがまま、有刺鉄線に複数のパンツァーファウストを並列して巻き付ける。動作原理が単純なため、右手に絡ませたぶんの鉄線ですべてのレバーを連動させられそうだ。これは確かに、人形劇に似ている。

「撃ちます」

 パンツァーファウストは一応、近距離戦闘のため腰だめ撃ちにも対応しているとのことで、今度は照準器を覗かずに宙空で構える。宣言して、発射。同時に発射されたロケット弾が標的周辺に次々と着弾。さっきから明後日の方向にばかり飛んでいた砲火がようやく、標的のベニヤ板を破砕した。

 先ほどの迫撃砲との命中力の差は、疑似的な連射をしたことのみならず、直射ができたことにもある。単純な話、目で見た方に砲身を向けた方が感覚的に当てやすい。

「いいねぇ! 右手で5本同時に操れるなら、左手も使えば10本だ! 鉄条網の魔女は超火力型の魔女に大変身だよアメリアくん!」

「い、いやちょっと待ってください」

 大興奮で駆け寄ろうとする少佐を、アメリアは使い捨てた発射筒でド突いて追い払った。

「私が制御できるのは、指にそれぞれ1本ずつ絡めた有刺鉄線のみです。複数の鉄線を依り合わせて強度を増すぶんには問題ありませんが、原則として10本の指で10本の有刺鉄線を操っているんです。全ての指をパンツァーファウストの制御に回してしまえば、鉄蜘蛛の骨組みを形成する余裕がなくなってしまいます」

 それに、とアメリアは発射筒を突きつける。そろそろ話の主導権を奪い取らねば、こっちが疲弊してしまうと思っての強気な身振りだ。

「有効射程30メートルということは、肉薄するまでに敵の銃火に晒されます。私自身を守る盾を形成するだけの余力も欲しいです」

「む……確かにそうだね。では意見を参考に、強化案を修正しようか」

 発射炎で熱くなって筒が痛かったようで、少佐はやんわりと後ずさりした。


 黒板に示された鉄蜘蛛強化形態を見て、アメリアは無邪気に感嘆を漏らした。

「おー……カッコいいですね」

「アメリアくんが浪漫の分かる子で良かったよ」

 まず利き腕の右手指5本の鉄線はパンツァーファウストの保持と制御に。経戦能力を確保するため、背後に予備のパンツァーファウストを積載し、右手の鉄線と接続できるようにしておく。

 左手のうち、親指に纏った鉄線は装甲片を絡ませて防盾とする。必要な有刺鉄線の量を減らし、なおかつ機動力を確保するため、エスターライヒ攻略戦で生成した甲殻よりも表面積は小さくする。その分、可動域を確保して現実の盾のように柔軟に防御方向を変更できるようにする。

 左手の残りに絡ませた鉄線は、それぞれ4本の脚を形成・制御する。最初に生成した時は両手指すべてを使って8脚双鎌を操っていたことを思えば、だいぶ効率化できた。

「ではアメリアくん、実際にこの形態になってみようか」

「いきなりですか……」

 理論上は、暴走しない鉄蜘蛛を組み立てた。ただの魔法の応用と割り切ってしまえばいい。それでも、不安なものは不安だ。禁忌に抵触する境界線など、誰にも視認できない。

 スウィントン少佐は落ち着いた足取りで、アメリアの傍らに立った。

「どれだけ不安でもね、理解するには試すんだ。君にはまだ、そのチャンスがある」

 ぜんぜん正反対の人柄なのに、彼の笑みにはカニンガム准将と同じように不器用な含みがあった。

「……とはいえ、仮にアメリアくんが暴走した際には対処する必要があるからね。応援を呼んでいるんだ。そろそろ来るはずなんだが……」

 少佐は時計を確認し、それから目を細めて空を見渡した。アメリアも訝しみながら頭を上げる。そこで思い至った。暴走したアメリアの鉄蜘蛛を止められそうな人。

「まさか……」

「おお、来た来た、竜の魔女」

 太陽を横切って、西の方角から大きな翼の影が飛来する。竜の魔女ケイリー・カーライルは長い髪をたなびかせ、グラウンドに降り立った。陽射しを浴びて輝く銀色の翼をそのままに、アメリアに歩み寄る。

「魔女のお茶会作戦の時以来だな。仕事は順調か?」

 リタが盛大に笑い飛ばした『魔女のお茶会』、律儀に覚えていてくれたらしい。アメリアは吹き出しそうになったが、もうあのメンバーでお茶会なんか出来そうにないのだと思うと、そんな気は消え去った。

「ケイリーったら、仕事の話ばっかりだね」

「私の生きがいだからな」

 ケイリーは真顔で答え、それから少し眉を下げて声のトーンも落ち込んだ。

「エスターライヒでの件も聞いた。お前とシャーロット、王女殿下が帰還できてなによりだ。リタの件は死亡を確認していない以上、諦めずに待つことだ。捕虜交換の時期になれば、彼女の名が挙がる可能性もある」

「うん……ありがと」

 ケイリーの素っ気ない言葉は実直で、彼女なりの慰めが伝わって来た。魔女戦隊は個人プレーが多かった故に関わりの薄い者も多いが、意外にもケイリーは誰とでも打ち解けていた。アメリアは彼女の誠実なところが好きだし、リタもシャーロットも割と心を許していたほうだ。


 ケイリーは普段と様変わりした練兵場を見渡し、スウィントン少佐に問うた。

「さて、すまないが私はソロモンス中佐と白海情勢に関する軍議を終えたばかりでな。ここで何をすればいいのか、時間が押していたせいで知らされていないんだ」

 白海? アメリアはちょっと引っ掛かった。普段ケイリーは本島との海峡側を哨戒し、帝国海軍の大陸北回りルートからの侵攻を阻むのが役割だった。彼女も、専門領域外の情勢に噛まされているのだろうか。ともあれ話の腰を折るのは悪いので、黙っていた。

 スウィントン少佐は打って変わって神妙な面持ちになり、ケイリーにいちど頭を下げた。

「ケイリーくんは、アメリアくんがエスターライヒ攻略作戦で出現させた巨大な鉄条網の怪物__通称、鉄蜘蛛について知っているかな」

「ああ、公示されているぶんの作戦記録には目を通している」

「今からそれを安全に運用するための実験を行う。ケイリーくんには、もしアメリアくんが再び暴走したら彼女を止めてほしいんだ」

「了解した」

 即答。いやいやちょっとは考えてほしい。アメリアはケイリーの肩を掴んでゆさゆさ揺さぶる。アメリアの素の腕力ではビクともしなかったが。

「ちょっとケイリー、話聞いてた? 私も暴走しないように気を付けるけど、かなり危険なんだから! 本当に大丈夫?」

「強くなるための試みなのだろう? 立派な仕事だ、ぜひ応援させてくれ」

「こ、この仕事人間……ありがたいけど」

 実際、アメリアの鉄蜘蛛が暴走した際に止められそうな魔女は指で数えられるくらいしかいない。そのうちのひとりであるリタは消息不明。他数名の中で、おそらく攻・防・機動力共に最強なのはケイリーだ。たったひとりでジャバルタリク防空の一翼を任されるだけのことはある。

「では準備が完了したら始めてくれ。私の用意は__出来ている」

 パキパキ、と硬質の音を立て、ケイリーの体表から銀色の鱗が隆起する。竜鱗鎧ドラゴンスケイルを纏った彼女を前に、アメリアも意を決した。


 アメリアはまず、左手に絡めた有刺鉄線を使って4脚を形成した。

「はっ……」

 瞬間的に、動悸が乱れる。生成した脚から自分の腰に、何か神経が通うような連動感がせり上がって来た。鉄条網で編み込まれた四肢が、生まれた喜びに跳ね上がろうとする。これは自分の脚じゃない。言い聞かせ、痙攣を抑える。

 少佐とケイリーが見守る中、盾を形成する。こちらはあらかじめ道具として構成するよう意識していたから、問題なくかたどられた。

 アメリアは少佐に向かって親指を立てた。

「よし、いいぞアメリアくん! じゃあパンツァーファウストを保持しよう。予備として5本を背部に背負ってから、初撃用の5本を鉄線に絡ませるんだ」

 あくまで絡ませるのだ。本来、有刺鉄線は動きを封じるために使われる。混線したら、射撃にも予備の発射筒の保持にも支障をきたす。慎重に、丁寧に、アメリアは鉄条網を操作する。

 約3分ほどかけて、10本のパンツァーファウストを装備した。最後の発射筒を保持した頃には、指先が攣りそうになっていた。

 ケイリーが律儀に挙手してから、アメリアに進言する。

「この保持作業は短縮すべきだな。敵地で鹵獲品を使用する状況があるかもしれない」

「わ、分かってるってば……」

 速くできるのならそうしている。でも確かに、ソロモンス中佐の想定する特殊作戦にはそうしたシチュエーションが存在するかもしれない。要練習だろう。

 アメリアが鉄蜘蛛を形成している間に、少佐は標的の設置を済ませていた。グラウンドの端から端まで使い、幾つかは掘られた塹壕の内部に置かれている。

「じゃ、運用試験をしてみようか。制限時間は3分。10個の標的をすべてパンツァーファウストで撃破するのが目標だ。ただし全弾撃ち切ったらその時点で鉄蜘蛛を解除し、それ以降の形態変化は行わないこと。右手の有刺鉄線を格闘用の武装に変換した場合、暴走したと見做して竜の魔女に止めに入ってもらうよ」

「分かりました」

 少佐がホイッスルを吹いた。試験開始。


 アメリアはまず4脚を踏ん張り、最も手近な標的に向けてパンツァーファウストを撃ち放った。重い弾道は標的の真下に吸い込まれ、ベニヤ板を破砕した。

「よし」

 次は直線距離で50メートル先。空の発射管を放棄し、次弾用意。射程圏内まで移動する。以前に出現させた8脚と比して安定感に掛けるが、片手で操作できるぶん操作は想像以上に楽だった。2撃目も、命中した。

 3、4、5本目の発射筒も問題なく作動し、すべて標的を爆砕した。グラウンドの端から少佐が声を張る。

「よぉし、予備の発射筒への換装、やってみよう!」

「はい!」

 背面に右手側の有刺鉄線を回し、再度5連装のかたちにパンツァーファウストを構え直す。これにも1分ほど掛かってしまったので、まだまだ修練の余地がありそうだ。3分間の試験での1分なら致命的なロスで済む。けれど戦場では1秒だってもたついていたら命を失うことがある。

 次なる標的を目掛け、グラウンドに敷設された塹壕に飛び降りる。8脚に巨大な甲殻を備えた以前の体躯では塹壕内には入れなかっただろう。より小さく、身軽になったアメリアの鉄蜘蛛は、機動力を生かしジグザグに駆け、壕の内壁を駆け巡る。

 標的を発見。左手で盾を操作し、前面に展開。射程圏内ギリギリで射撃する。狭い坑内に反響する爆轟を、盾でカバーする。そのまま前進。曲がりくねる塹壕に設置された標的に素早く照準を合わせ、立て続けに撃破する。

 残りは何秒だろうか。訓練用の塹壕は狭い。すぐにサーチ&デストロイは終わった。残り1基は確かグラウンドの端に__いや、ない。アメリアが塹壕に降りた間に、少佐とケイリーがブラフを仕掛けていたらしい。反対側に遠く離れた位置へと移動されていた。

「間に合えっ……!」

 塹壕を駆け登って地上に躍り出る。だが強く地面を蹴ったのが悪かった。より少ない有刺鉄線で構成された脚は強度が減少しており、また設置圧は増えていたのだ。編み込んだ4脚がほつれそうになる。

「うぁっ」

 脚の肉が崩れ落ちる錯覚。下腹部が恐怖で脈打つ。違う、これはただの鉄条網で造り出した武器だ。初めから存在しない幻肢痛を振り払い、アメリアは標的へと鉄蜘蛛を走らせる。残り時間なんか数えていない。

 目標まで40メートル。当たるか。まだだ。30メートル、25メートル。走り過ぎた__脚の再編成が不十分だったようだ。急減速する。照準よし。発射。

 外した。

 ロケット弾は標的より戦車数両ぶん離れて着弾した。


 だが。

「まだだっ!」

 アメリアは無意識に叫んでいた。空の発射筒を全弾破棄すると同時に、格闘用の器官ツメをすみやかに形成する。これが訓練であり標的がただのベニヤ板であることは、いつのまにか頭の隅に追いやられていた。倒すべき敵を倒すと決めた時、アメリアに巣食う悪魔が幻聴になって囁く。

 まだだ。戦える。皆の為に。赦されずとも。

 それが。

 それだけが。

「終わりだ、アメリア!」

 アメリアの右腕を強い衝撃と痛みが襲った。骨が、粉々に砕けた。肉が、挽き潰された。血が、血は__なんで、出ないんだっけ。何も分からず、叫ぶ。

「う、ああっ! う、うでが、あああああぁ!」

「落ち着け! それはお前の腕じゃない!」

 ケイリーの声。惑乱する意識の中で、銀色の輪郭を視野に繋ぎ留める。

 アメリアの右手指が制御していた鉄条網はいつのまにか、歪で醜い爪を形成ようとしていた。それを竜鱗鎧の拳で叩き折ったのが、ケイリーだった。

「あ……」

「深呼吸しろ。魔法造物ウィッチクラフトが自分の肉体と同調しているのなら、急いで引き剥がそうとするな。まずは、本来の肉体に意識を集中しろ」

 拳の鱗を剥がしたケイリーが、アメリアの両頬に触れる。彼女の皮膚は度重なる鍛錬と戦歴でごつごつしていたが、温かかった。冷たい風を切って生きてきた人の、力強い指だった。

「お前の顔だ。分かるか」

「うん」

 次にケイリーはアメリアの両肩に触れ、絡みついた鉄条網をゆっくりとなぞるように解いていった。

「お前の首、肩、腕だ」

「うん……うん」

 左手で制御していた盾が装甲板を解き、バラバラに落ちた。右手がかたどっていた歪な爪はその形状を失い、たわんだ有刺鉄線の束になった。

 最後にケイリーはアメリアの腰から太もも、膝までをなぞり、人体の感覚を確かめさせた。

「お前の脚は2本だ。そうだろう」

「そう……だと思う」

「確信しろ。お前は人間だ」

 銀の双眸に射貫かれる。その瞳に映るアメリアは、能面のように表情を喪っていた。

「お前はまだ戻れる」

 再び頬に触れ……ぴしゃりと叩かれた。リタの本気ビンタよりも強力だった。

「痛ったぁ!」

 アメリアはあまりの衝撃にもんどり打って倒れ、その拍子に4脚はぐちゃぐちゃの有刺鉄線の山にほどけた。

「よし、戻れたな」

 満足げなケイリーの言葉に物申したい気持ちもあったが、とりあえずアメリアは感謝することにした。


 アメリアの自己採点では、試験は完全に失敗だった。

 どうにもあの姿に近づくにつれ、近視眼的な思考に寄ってしまうようだ。大まかな標的の撃滅を目的として定めることはできても、どうやって、とか、どの程度の力を注いで、とかの軍事面で必要不可欠な思考が妨げられてしまう。

 ところがスウィントン少佐の評価は真逆だった。

「いやいや、期待以上だよ?」

 身を以てアメリアの暴走を食い止めたケイリーも、何やら満足げに頷いた。

「及第点だな。いずれ仕事に応用できるだろう」

 意外な反応だった。アメリアは鉄条網の山から離れ、ふたりに上目遣いで近づいた。まずは「暴走してごめんなさい」、あとは「怒ってない?」とか、「身の危険感じました?」とか色々な感情を込めて。けれど両者とも否定的な表情を見せないので、困惑してしまった。


 スウィントン少佐曰く。

「10本撃ったら暴走したということは、9本で止めたらいいじゃないか。そこまではしっかり自分を制御できていたように映ったよ」

 禁忌の境界線で反復横跳びしろと言っているようなものだ。けれどアメリアは何か上手く口答えしようとして、何も思いつかなかった。

「高い火力と機動力を併せ持ち、小規模な資材で展開・運用できる超小型の装甲兵器。パンツァーファウストを使ったこのコンセプトは、鉄蜘蛛の強化案としてソロモンス中佐に提出させてもらよ」

 少佐はレポート用の冊子を片手に、さっさとグラウンドを後にした。入れ替わるように、新兵教導隊の兵士たちがグラウンドの後片付けに向かっていった。たぶん機密の試験なので、少佐から入場の許可が出るまでずっと待機していたのだろう。

 と、帰りざまに少し振り返って、少佐は曖昧な笑顔を向けた。

「アメリアくん、これは個人的な推論だけどね。君はたとえ暴走したって必ず、仲間の元に戻ってこれると思うよ」

 アメリアはげんなりした。人の気も知らないで。

「そういう希望的な予測は、できれば確かめたくないですよ」

「いいや、戻れるさ。君は皆を背負ってるようだから」

「皆……?」

 生きてる人。死んでる人。

 飄々とした彼の背中は、どこか寂しげだった。


 片付けを教導隊の兵士に任せ、アメリアはケイリーと共に魔女戦隊の宿舎に戻った。道すがら、ケイリーはなぜか自分の失敗談を雄弁に語ってくれた。

「2年前、魔女戦隊が編成された当初の訓練でのことだ。私は初めて魔法の翼を展開した時、理性が吹き飛んだ」

「う、うん? それで?」

「36時間、ジャバルタリク周辺を飛び続けた」

「へ、へぇ……哨戒で? 当時から仕事熱心だったんだねぇケイリーは」

 笑っていいのか判断に困るので、無難な言葉選び。

「いいや、空を飛ぶのが楽し過ぎて、我を忘れていたんだ。呼び戻しに来た飛行機にレースを仕掛けたり、海峡を航行する船舶に煽り飛行をしていた」

「……ぷふっ」

 噴き出した。笑っちゃダメだろと思うほどダメだった。あの仕事人間のケイリーが「楽し過ぎて」危険飛行をするなんて。しかも真顔で語ってくるものだからアメリアは笑いを堪えきれなかった。

「本島側の警告を受けてスクランブルをした戦闘機と、そのまま鬼ごっこをしたりもした。後でそのパイロット共々処罰されたが、あれは面白い遊びだったな」

「あはははは! ケイリーが、鬼ごっこって、ふはっ」

「まだある。初めて竜鱗鎧を形成した時、鏡に映った鱗のデザインがカッコよすぎて58時間解けなかっ」

「あはははっ、あはっ、ちょっと待って、もう無理分かった、はははっ」

 久々に爆笑して腹筋が痛くなり、ケイリーの話を中断すべく彼女の腰を叩く。相変わらず石柱を叩いたみたいにびくともしなかったが。

「つまり私が何を言いたいかと言うとだな、暴走しないためには精神力を鍛えるしかないんだ」

 いきなり真面目な話に戻った。アメリアはようやく笑いを納め、ケイリーを見上げる。

「人が過ぎた力に溺れるのも、それに代償が伴うのも、自然なことだ。魔法が呪いと同義であることを鑑みれば、当然の摂理とも言える」

 ケイリーは東の方を見た。白海が遠くまで、夕景に煌めいている。

「リタは色々と本性を隠しているようだが、魔法の使い方を見るに慎重を期していたのだろう。彼女が禁忌を踏み越えたら、何が起こるのか分からないな」

 アメリアは、気になっていたことを聞いた。ケイリーは強い。リタが消息を絶った現在の魔女戦隊では、きっと彼女が最強だ。その強さは、痛みを伴うのか。

「ケイリーは、今も戦ってる?」

「ああ。ずっともがいて、苦しんでいる。自分では全くそう思わないのだが、完全な竜の姿になって飛び去ってしまいたい願望があるらしい」

「……意外だね」

「魔法は理不尽なものだ」

 そんな会話をしていたら、隊舎に着いた。

 ケイリーは今後2週間ほど、アメリアの特別教官として訓練を施してくれるようだ。魔女戦隊に何か新しい指令が下り、ふたりがそれに関わる前触れだろう。明日からもアメリアは、鉄蜘蛛を使いこなすのに苦心しそうだ。

「だからこそ、アメリア。禁忌の境界線は自分で決めろ。お前が偉大な魔女になれば、魔法は過ぎた力なんかではなくなるんだ」


 怪物の手綱たづなを握る。これが今のアメリアに課せられた任務だ。


 別れ際、ケイリーはものすごく下手くそなウィンクをしてくれた。今日の彼女は妙に似合わないことをするものだ。でもその優しさが染み入って、アメリアの口元をほころばせた。

 それはさておき、仕事人のケイリーが教官になるとしたら、きっと鬼教官タイプだろう。心して掛かろう。


 部屋の中に、本島からの郵便入りの大きな木箱が置かれていた。ひとつひとつ、目を通す。護国の戦乙女を讃える彼らの美辞麗句に、魔女たちの痛みを労わる文言は一小節だってない。人のかたちを失うという魔法の代償は、どうしたってトップシークレットだ。

 アイラ王女は今頃、ジャバルタリクの広報部と真実を伝えるか否かで争っている頃だろうか。その真実の中に、魔女の内面が飼う怪物のことは含まれない。アイラはアメリアの鉄蜘蛛を見たから内心察しているかもしれないが、この情報に関する開示だけは、絶対に軍部は譲らないだろう。

「ままならないなぁ……」

 当事者になるには、痛みを共有するのが一番手っ取り早い。しかしこちらからも見えず言えずの隔壁を立ててしまっては世話がない。アメリアはわりかしフツーの感性を持った女の子で、「痛い」と言ったら「痛かったねー」と慰めてもらえたらフツーに喜ぶ生き物だ。

 田舎に居た頃の友達はアメリアに崇敬を込めたファンレターを送ってくれる。欲しいのはそんなものじゃない。尊敬なんて今更いらない。ただこの戦争の当事者として、痛みを分かってほしいだけ。

 日が落ちるまで木箱を漁っていたけれど、今日も大好きなばあちゃんからの便りは来なかった。

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