第8話:代償②

 戦争にさえ関わらなければ、幸せに生きていられたのだろうか。時おり、夢に見る。

 女の幸せとは一般に、甲斐性のある男と結婚して、円満な家庭を築き、穏やかな余生を過ごすことだ。思い返せば過去にそれを掴むチャンスは確かにあった。掴む気がなかっただけで。まったく悲しいことに、自分が異常者であることは生まれた時から分かっていた。

「イングリットお姉さん、大丈夫?」

 宵闇に誘われ、居眠りをしていた。顔を上げれば卓上ランプの薄明かりに照らされ、エスターライヒの街娘が勝手知ったる手つきで夕食を作り終えたところだった。この少女はいつも夜明け前に城へ出向き、駐留している帝国兵のために陽が落ちるまで炊事や洗濯を手伝っている。支払われる戦時国債は紙屑のようなものだ。自軍のことながら、まったく血も涙もない。

「うなされてたよ」

 少女の指が頬に触れる。生暖かいしずくをひとつ、拭われる。イングリットは顔をしかめ、黒い軍服の袖で乱雑に目元を擦った。


 参謀本部の認識では、ジャバルタリク半島の攻略はほとんど詰めの段階に入っていた。あと一歩で連合王国本島に足が掛かる。飛行船艦隊の活躍によって、海峡の制空権はじきに掌握できるだろう。人員不足の問題も、徴兵年齢の引き下げで補いうる範疇だと考えられていた。連合王国の魔女は脅威だが、帝国の優れた軍事科学のお陰で質的な差は埋まりつつある。

 もうすぐ戦争は終わる。それが、帝国軍の認識だった。

 だから、侵攻の橋頭保だったはずの3重塹壕地帯が突破されたとの知らせには多くの将兵が耳を疑った。

「君もそろそろ避難した方がいい」

 イングリットは、硬いパンを食べる前に伝えておくことにした。ここ最近は物資不足の影響で混ぜ物が多く、口に入れたらしばらく喋れなくなるほどパサついている。

「連合王国軍は28時間でこちらの前線を壊滅させたそうだ。エスターライヒ城の駐留部隊はここを放棄して反撃に加わる」

「で、代わりに市民兵が守りを引き継ぐんですよね? わたし知ってますよ、役場で民兵組合のおじさんが募集掛けてたもん」

 少女は食卓に着かず、台所をガチャガチャと探し回っている。イングリットは彼女が武器になりそうなものを見繕っているのだとすぐに察した。

「わたしも、イングリットお姉さんみたいに戦うんです!」

 少女が肉切り包丁を重たそうに持ち上げた。イングリットは脱力感を抑え、彼女との付き合いに免じて優しく諭すことにした。子供ながら、駐留軍で唯一の女性士官である自分にいたく世話を焼いてくれた恩がある。それに、亜麻色の髪が母にそっくりだと言ってひどく自分になついていたので、多少の可愛さは感じていた。他人の母の面影を見出されて喜べるほどの歳ではないが。そこら辺のクソガキなら黙って疎開民の列に投げ込んでいたところだった。

「それは……難しいな。王国軍だって、律儀に剣で戦ってはくれないよ。いや、剣を使う状況がないわけではないが……みんな小銃を持っているし、大砲や戦車も帝国軍ほどではないが揃えている」

「じゃあ鉄砲ちょうだい!」

「あげない」

「じゃあお姉さんのパン没収!」

「返して」

 投げ込むことにした。


 包丁を叩き落として少女の襟を掴んで家を出る。この家にはもう誰もいない。親は前線が大陸深くにあった頃__すなわちこの街がまだ連合王国領だった頃に殺されたらしい。経緯はおおかた不当な徴発に抗議してリンチされたとかだろう。占領地に圧政を敷くのは帝国も同じなのに、わざわざこちらに肩入れしてくれるなんて律儀なことだ。

「お父さんとお母さんの仇を討つの! お願いしますお願いしますお願いします!」

「復讐なんて無意味だからやめなさい」

 市壁の北門を目指して少女を引きずっていく。既にあらかた住民の避難が終わった街は、静寂に包まれている。今晩までに避難していない者は、エスターライヒ城の守備隊として召集された民兵と一部の軍関係者だけだ。後者はこの少女と同じく駐留軍の世話をしていた婦人たちを指し、彼女らも明け方までには街を出る手はずになっている。

 前線を突破した連合王国軍は現在動きを止めているが、彼らが威力偵察を兼ねて近郊の新型要塞を襲撃する可能性は高い。エスターライヒ市の戦略的な価値は低いものの、ここが戦闘に巻き込まれる恐れは充分にあった。

「むっ無意味ってそんな! お姉さんわたしのことなんにも知らないくせに!」

「軍はエスターライヒを放棄するのに、わざわざ市民兵を召集して籠城させようとしている。ここが襲われた際、囮になって反撃までの時間を稼ぐためだ。要は我が軍のために死ねと言っているんだけど、君はそれを知っているのかな」

「うっ……」

 少女の語気が弱まった。イングリットはやや大人げないとも感じながらも、おおよそ普遍的な真実で畳み掛ける。

「戦争は君の事情なんて知らないし、気に留めてもくれない」

 戦争なんか、関わったぶんだけ損をする。見ないふりをできる身分にあるのは幸運なことだ。遠い場所でつまらない仕事に精を出し、徴兵を免除された惰弱な男の嫁になり、その日その日の空模様に一喜一憂する生涯を送ればいい。イングリットも、つねづねそういう暮らしを喜んで享受できる女でありたいと思っていた。

「全部忘れて生きた方がいい。その方が楽だよ」

「うぅー……」

 よし、論破できたな。

「ゔぁああああ! 嫌です! やだやだやだやだ!」

 子供をナメていた。イングリットの腕の先で、今度は暴れ牛のように跳ね回り始めた。


 論理が効かないとなると、打つ手がなくなる。暴力を検討するべきかと悩んでいたら、ちょうどライフルを担いだ官憲に出くわした。市民の誰かが火事場泥棒でもしてやしないかと見回っていたらしい。

「こりゃ一体、なんの騒ぎですかい」

 イングリットの説明に先んじて少女が大絶叫する。

「お巡りさん助けて! 連れてかれちゃう!」

「え? なんだって?」

 目を白黒させる官憲に、イングリットは少女を押し付けようとする。

「このクソガキを街から退避させようとしていたのです。私は忙しいので貴官に頼んでも?」

 本音は面倒だからではあるが、忙しいのも事実だ。イングリットは避難民とは反対方向の軍道方面へ参集するよう命令を受けている。軍の行動原理に則るなら、子供ひとり程度放っておけばよかったのだ。

「わたしも一緒に戦う! 戦う戦う戦う!」

 大暴れする少女の右手が、官憲の顎にクリーンヒットした。

「いってぇ!」

 情けない声を漏らす官憲を尻目に、少女はイングリットを見上げて勝利の拳を掲げた。

「ほら見たでしょわたし戦えます」

「……そうだね」

 イングリットはその拳をやんわりと手で包み、そのまま捻って腕を極めた。

「いたい! やっやめてっ暴力反対!」

「素晴らしい思想だ。王国兵にも聞かせてあげたいよ」

 このまま骨を折ってやれば大人しく避難してくれるだろうか……いや、避難した先で医者がいるとは限らないし、怪我をした子供にまともな仕事はできない。

「だけど、ちょっと痛めつけたくらいでその言葉が出るのなら、やはり君は戦争に関わるべきではない」

「降参! わかったから離して!」

 イングリットは泣きじゃくる少女を解放し、改めて官憲の方へ突き出す。

「この通り……面倒なクソガキなのでさっさと連れて行ってくれますか」

「あ、いや。申し訳ございませんがね軍人さん、本官も城の守備隊に合流するところだったんですよう。もう帝国軍の方々から引継ぎ命令を下されてるんで、急がねえと」

 官憲は困り顔で担いだライフルを叩いて見せた。言われてみればそのモデルは、本来彼が持っているべきではない正規軍仕様のものだ。警察への武装貸与も許可されているが、いかにも「近所のお巡りさん」といった風情の中年男が実際に動員された姿はなんとも頼りなかった。彼も王国軍を相手に籠城したら、生き残れないだろう。

 イングリットは襟を正し、自分の階級章を官憲に見せつけた。

「貴官の任を解きますので、さっさとこのクソガキを連れて逃げなさい。避難民の誘導に当たる兵士に問われたら、イングリット・グリム大尉から指示を賜ったと言いなさい」

「いやしかしですねぇ、本官もエスターライヒの男として戦いから逃れるのはちょっと……討死は本望であります」

 官憲はキリッと眉を吊り上げて反論した。イングリットは「男として」まで聞いて、上着の内ポケットに入っていた配給券をひと掴みほど官憲に押し付けた。物資が常に不足しているここでは無用の紙束だが、内地の大都市ならしばらく充分な食事にありつけるだけの厚みがある。

「ときに官憲殿、家族は?」

「え? 妻と息子が既に避難していますが__」

 こうしたプライドは帝国の同化政策が即席で煽った安いものだ。後方でのうのうと生き永らえる惰弱な男の方が全てにおいて得をするのに、多くの男はそう思わない。戦死したら天国に行けるし、残された家族も誇ってくれると思っている。

「命拾いしましたね、これからの人生は家族の為に費やしなさい」

 官憲が配給券をしっかり受け取ったのを確認して、もう片方の手に少女の腕を握らせる。官憲は終始困惑していたが、迷った末に少女を連れて北門へと向かっていった。

「城に戻ってはいけませんよ」

 忠告が本当にふたりの耳に届いたか、イングリットに知る由はない。苦しみたがっている人間を楽に生かそうとするのは、難しい。自分だってそうなのだから、その言葉も薄っぺらくなるだろう。なんとなく、ふたりとも後でこっそり戻ってくるような気がしていた。

 お腹が鳴って気付く。パンを食べ損ねた。


 イングリットは空きっ腹からくる苛立ちを抱えたまま、召集地点へと参じた。前線方面の街門には、エスターライヒ城の引き渡しを終えた将兵が既に集結していた。彼らは表向き、当該戦区の守備を担うために進駐した歩兵部隊とされている。

 だが、実際は違う。非重要拠点の守備隊には似つかわしくない、異様な雰囲気が彼らの佇まいから醸しだされていた。物言わぬ兵士たち、まだ配備されていない試作武装の数々、兵科に見合わない科学機材を満載した輸送車両。そして、どんな戦車よりも大きな特注の幌が掛かった貨車。

「待ちかねたぞ、グリム大尉」

 人垣が静かに割れ、杖を突いた壮年の将校がイングリットを出迎えた。

「ガイスト少佐……」

「そう嫌な顔をするな。笑っていれば存外、戦争も面白い」

 亡霊を思わせる青白い顔の男は、削げ落ちた頬をぎちぎちと歪めた。彼なりの笑顔であるらしい。イングリットは彼が己と同じ異常者であることを知っている。ただひとつの違いは、それを素直に認めるかどうか。大きく腕を振って、戦争の熱気に打ち震えることができるかどうか、だ。

「これからもっと面白くなるぞ。連合王国軍にしては久方ぶりの大規模攻勢、それも魔女を伴っている。あの麗しい乙女たちに相まみえるかと思うと我輩はもう、年甲斐もなく心がときめいて堪らんのだよ! なぁそう思わんか、グリム大尉?」

「気色悪いですよ」

 喜びのあまり小躍りする上司に対し、イングリットは冷ややかに吐き捨てた。ジジイの亡霊が唐突に早口でまくし立てながら踊る様など見るに堪えないどころか悪夢の類だ。彼が悪夢を見せる対象は連合王国軍であるべきで、味方ではない。

「時間の無駄ですので、建設的な話だけどうぞ」

 イングリットは上司の従卒を顎で使って自分のライフルを持って来させ、整備の具合を検める。殺害記録を刻み過ぎた銃床を交換するよう進言されたが、無視してここまで使い込んだ。射撃に支障が出る前に変えればいい。殺した数を見返すたび、罪悪感がほどよくイングリットを苛んでくれるから、気に入っている。自分がまともであるかのように錯覚させてくれる。

 そんな部下の苦悩など露知らず、開けっ広げな方の異常者は芝居がかって地面に膝を付いた。

「では手短に話そう、我々がどのように魔女を狩るべきか」

 彼はチョークを取り出し、石畳に簡素な地図を引き始めた。


 この部隊は「魔女狩り」と呼ばれる。イングリットの聞く限り、帝国陸軍対魔法戦術試験旅団という長い正式名称は参謀本部の書類でしか使われていない。戦争狂いのガイスト少佐が新兵器や試作装備の実戦試験を安請け合いし、自身の思いついた戦術に基づきそれらを敵にぶつけるという奔放さがこの集団の本質である。勝手に特殊部隊を買収して改造人間ナハツェーラーによる空挺作戦を企画したり、海軍航空隊をそそのかして出し惜しみしていた新型飛行船を投入させてみたりと、その行動力は常軌を逸している。

 それでも傲慢な貴族ユンカーがひしめくこの国の軍部で、このような狂人が大手を振って歩けるのは成果を出しているからだ。彼がやりたい放題やった結果として、魔女への対策が進んでいるのも事実だった。

「とりあえず現状を言うと、連合王国軍は我らが3重塹壕地帯を越えた時点で攻勢限界に達している」

 前線が破綻した影響で情報が錯綜しているが、連合王国軍は相当な無理を押して縦深突破を図ったようだ。近郊要塞からの偵察によると、ジャバルタリク駐留軍のほぼ半数に近い兵力が今回の攻勢にたずさわっている。

「奴らには、せっかく押し上げた前線を維持するつもりがない。というか、塹壕を奪い返される前提で布陣している」

 ガイスト少佐のチョークがせわしなく路面を走る。イングリットと数名の参謀は灯りを持ち寄って配置図に目を凝らす。確かに、各塹壕地帯を突破した王国軍の梯団は、以降ほとんど動きを見せていない。多少は前線の遊動性を鑑みる必要があるとはいえ、既に最前線でない地域に大部隊を残しておくのは無駄が大きい。

「おおかた我らが軍の反転攻勢を誘い、退却に合わせて爆破するつもりだろう。ふん、昔ながらの突撃が大好きな貴族ユンカー共の中は引っ掛かる馬鹿者もいるだろうな」

「話、逸れてますけど」

 イングリットが刺々しく掣肘する。

「うむ……で、そんな無駄の多い攻勢の目的だが、おそらく第一王女アイラの来訪に合わせた、戦意高揚のためのアピールであろうな。連中はお姫様にいいとこ見せた、という『やってやった感』を出すために戦っているわけだ。大事な大事な防衛戦力である魔女を投入してまで、悲しいことだ」

「話、戻ってますか?」

「そう急くな。で、アピールの肝は王国民全体にとって目に見える成果だ。塹壕というものがこの戦争の膠着性を象徴するものである以上、前線を何キロ押し上げました、では民衆も王侯も満足しない。そんなニュースは開戦からこのかた、擦りすぎて味もせん。目に見えるような……立派な軍旗を掲揚できるような場所を攻略する必要がある。馬鹿げた話だがな」

 ガイスト少佐は気味の悪い笑みでイングリットたちを見渡し、前線から1本の線を伸ばした。方位的には、この街を指している。

「エスターライヒ城、狙いやすいとは思わんか? 本隊こそこれ以上前進できんが、魔女のような個人戦力を結集した小規模な部隊なら別だ」

「貴重な魔女を、そのような見栄のために、大した価値もない陣地へ斬り込ませると?」

「うむ」

 イングリットは少し考えて、この気色悪い上司がまあまあ的を射ていると判断した。確かに一見して連合王国軍の動きは思慮に欠けている。停滞する戦況で功に焦り、無軌道な賭けに出たようにも映る。しかし、連合王国軍が最初から最小限の功のみを目当てにしていたとすれば。

「うむ……って、こうしている間に魔女を擁する奇襲部隊がこちらに向かっているかもしれない、と?」

「慌てるな。侵攻ルートの予想は容易い。軍道は塹壕線から撤退した部隊が固めているし、北側の山稜は禿山が目立つため避けるだろう。となれば南の森林地帯を通るしかない。既に斥候を放ったが、連絡が途絶えたゆえ当たりだ」

 イングリットは勢いよく立ち上がった。

「では狩りにいきます」

「なぜ貴様はそう死に急ぐのだね。冷静に考えて、魔女と正面から撃ち合って勝てるわけがなかろう。」

「魔女だって撃てば死にます。今から向かえば、敵がエスターライヒに到達する前に撃退できます。私が夜戦狙撃で負けるとお思いですか?」

「そうだな」

 ガイスト少佐は意に介さず、チョークを引き続ける。

「だが例えば、竜の魔女は小銃弾では死なないだろうな。炎の魔女なら、狙撃戦に応じず森ごと焼き払うだろう。唯一投入を確認できた鉄条網の魔女には有利を取れるだろうが、だからこそ単独で向かわせるはずがない。我らが軍のあらゆる戦力に対抗できるよう、複数の魔女を揃えているはずだ。たとえひとり仕留めたとして、貴様が刺し違えるようなら帳尻が合わん」

 魔女の首よりも、イングリットの方が大事だと言ってくれている。なんとも嬉しい評価だが、たぶん魔女10人くらい道連れに死んだら、それはそれで大喜びしてくれるであろう嫌な信頼がこの上司にはある。

「でしたら__」

 イングリットは巨大な幌に目を向けた。

 金属が擦れる音、それから遠雷のような唸り声。

 アレは、まだ帝国軍が見せていない戦力だ。当然、ガイスト中佐はこれを使うものだと思っていたが。

「首を狙うだけが狩りではあるまい。相手が餌に喰らい付く間に、手足や尻尾を噛み千切った方が上手いであろう」

 亡霊ガイストが、ガチガチと楽しそうに歯を鳴らした。呼応するかのように、幌の中の怪物が長く低く、唸った。

「良い狩りにしよう。我輩も、貴様も、そのために生きているのだ」

 いけない。

 見透かされている。

 イングリットは唇が緩むのを抑えきれない。やっぱり人生こうでなきゃダメだ。獲物を前に疼く獣性が、偽りの善性をかなぐり捨てようとする。どうしたって、死神グリムと亡霊は同類なのだ。


 ただ、戦場は狩りの浪漫など求めていない。基本は自軍の戦略に則った最善手を打ち、外れたら次善の策をすかさず打つ。結局、当たり前の論理を突き詰めた方が勝つのだ。そこは魔女狩りたちも弁えていた。

 奇襲部隊にとって一番困るのは、退路を塞がれることだ。

『我輩は現状における最前線、つまり第3塹壕地帯を荒らしに行く。なぜなら今攻められるのが連合王国軍にとって一番困るからだ』

 もちろん前線の帝国軍は潰走しており、近郊要塞からの増援を待ちながら部隊を再編している真っ只中である。対して、ガイスト少佐の部隊はある程度の正面戦闘をこなせるだけの火力があり、それでいて機動力を確保できる程度の規模でもあり、さらに前線からほど近い。まさか連合王国軍も、補給拠点の部隊が一直線に前線へ駆け付けてくるとは想定していないだろう。

『グリム大尉は狙撃分隊を率い、エスターライヒへ奇襲してくる部隊を監視せよ。民兵への助太刀は無用であるぞ。複数の魔女に捕捉されたら勝てんと思え。連合王国軍の本隊に合流される前に挟撃できればいい』

 イングリットは市街に戻り、古い市庁舎の鐘楼で警戒態勢に移った。道中食べ損ねた夕食のパンを分隊員に分けてもらい、小銃の点検の合間にかじる。

 夜明けが近い。

「見捨てろ、か」

 イングリットの懸案は、ひと欠片のパンでは空腹が満たされないことくらいだった。

 ガイスト少佐は、魔女を擁する精鋭がエスターライヒを襲撃すると断言した。ならば味方は死ぬだろう。城に立て籠もった民兵もだ。別に誰でも死ねばいいとは思わないが、いちいち犠牲に心を痛めるのも億劫だ。

「嫌だね……魔女って」

 誰の耳も届かない場所でひとりごちる。

 連合王国軍がこのような無謀な作戦を押し通した背景には、やはり魔女の存在がある。何が楽しくて女が戦争なんぞに関わるのか。島の田舎でつつましく暮らしていればよかったのに。お前たちには、無関係でいる権利があったのに。悪魔と契約して手に入れた、怪物の力を正しいことに使えるとでも思っているのか。

 間違いだよ。大間違いだ。


 それは、同族嫌悪だった。


 払暁。

 直後、前線から空を切って飛来した榴弾が、城からだいぶ離れた住宅街に着弾。轟音と共に白煙を上げた。

「来た」

 奇襲部隊を支援するためのものか。狙いは甘いし威力も低い。察するに、野戦砲ではないのだろう。この速度で展開できるのは、戦車くらいだ。自分が巻き添えを喰らう可能性は低いと判断し、監視を続行。

 何発か見当はずれの地区に着弾した後、森林側の市壁あたりで大きめの爆発が起こった。

「攪乱だったのか……」

 スコープで覗くと、複数の人影が市内へ侵入するのが確認できた。特徴的なとんがり帽子のシルエットが3人。やはり魔女だ。民間人らしき少女の姿も見えたが、距離が遠すぎて詳細は分からない。

 ちょうど、階下から分隊員が報告する。

「数名の民兵が敵と接敵しようとしています。共闘しますか、大尉」

 イングリットは少し考え込む。民兵に紛れて狙撃するのはアリだ。だが反撃を喰らうリスクを考えると、もっと慎重を期したい。3名の魔女のうち、ひとりは先ほど市壁を破った魔法の使い手……おそらく、火力戦に秀でた炎の魔女だろう。もし彼女を撃ち洩らしたら、こちらはなすすべがない。あの広範囲を焼き尽くす魔法を街中で使われたら、以降の追撃も撤退も難しくなる。

「捨て置きなさい。潜伏位置を気取られないように」

 観測を続ける。しばらくして、奇襲部隊の一団と、ひとりの民兵がスコープの視界に収まる。街路でばったり遭遇した彼らの交わした銃弾はたった1発。倒れたのは、見覚えのある色合いの制服を着た民兵の方だった。

 顔は遠すぎて見えなかったけれど、昨晩世話になった少女を預けたはずの官憲だとすぐに分かった。

 イングリットの胸に湧き上がったのは僅かな悲しみと、そこそこの虚無感。

 配給券は無駄になったわけだ。他ならぬお前のために渡したのに、馬鹿な奴。

 彼がここで職務を全うしていたとなると、あの少女がちゃんと避難民の列に合流したかどうかも怪しくなってくる。ふたりで示し合わせてエスターライヒ城の守備に加わったのかもしれない。

 ようやく、城から反撃の砲声が上がり始めた。あまりに動きが遅すぎて、守備隊が全員逃げ出したのかと勘違いしかけたほどだ。練度はお察しだろう。このまま魔女と交戦すれば、まず全滅する。だからと言って助けに行こうとは、露ほども思わない。どうしても綺麗に死にたいのなら、死なせてやればいい。

 距離を保って監視に徹する。敵戦力を算定し、機を伺う。街に潜伏して半日ほどで、エスターライヒ城の主塔に連合王国旗が掲げられた。守備隊の全滅と、当地の制圧を確認。イングリットは守るべき民に対するすべての暴力を、黙認した。



 前線へと続く軍道を、巨大な四肢が踏み越えていく。戦力の再編を行っていた敗走兵たちが、蜘蛛の子を散らすように道を開ける。魔女狩り部隊の車列は、注目を一手に浴びながら悠々と行進する。

「ほれ、ほれ、あんよが上手だ、坊やァ」

 通信車両の銃座で手を叩き、猫なで声でを先導するガイスト少佐。友軍のパニックもどこ吹く風である。同席する無線手は、上機嫌な上司を冷めた調子で呼ぶ。

「グリム大尉からの連絡です。観測によると、奇襲部隊は炎の魔女、風の魔女、鉄条網の魔女を擁する20名ほどの小隊。戦車らしき砲による支援を得て城を制圧した後、すぐに前線へと引き返したようです」

「で、あろうな」

「それとこの通信ですが、市庁舎に残された無線機から送られたものですので、傍受対策が全くありません」

「情報は早ければ早いほどよい。それに知られたところで、奇襲部隊が王国軍本隊と分断されている状況には変わりあるまい」

「いえ。エスターライヒ戦区を統括するレッケンドルフ大佐が、お怒りです」

「む?」

 はて、そんな奴が居たかな、という感じでガイストは首を傾げる。革新的な戦略眼を持たない輩は基本的に記憶に留めない。なんとか顔を思い出そうとしていたら、ちょうど脇道から軍馬に乗った将校が飛び出してきた。

「こらガイスト貴様また独断専行か! 勝手に市民兵を動員するなど何を考えているのだ! 一体なにをやらかすつもりだ! 森の方から火の手が迫っていると報告が上がっているが貴様の仕業か! ってうわぁなんだそのバケモノは!」

「おやレッケンドルフ閣下。質問には順番にお答え致そう」

 噂をすれば、手っ取り早くて助かった。ガイストは並走する上官にうやうやしく一礼し、いちいち反論されないよう一気にまくし立てる。

「まず我輩は参謀本部から独自の裁量権を預かっております。動員に関しても作戦遂行の必要性に応じて部隊規模の一時的な展張のため許可されておりますのであしからず。我ら魔女狩り部隊はこれより第3塹壕地帯に対する威力偵察および破壊工作を行いますが、大佐の麾下にある部隊におかれましてはどうぞごゆっくり再編して頂ければ結構。森の火災は作戦の一環として我らが放火したものです。そしてあなたがバケモノと仰せになったのは__」

 レッケンドルフ大佐の馬が、恐怖でいなないた。雷鳴じみた唸り声が、辺りに轟く。

「鎧蜥蜴、リントヴルム。帝国が誇る軍事科学の、新たなるいとし子にございます」


 それはまさしく竜だった。帝国軍の重戦車を上回る巨体を支える四肢は丸太のように太く、それでいて自動車と遜色ない速度で軽快に地を蹴る。体表は黒光りする鱗に覆われ、隙なく銃弾や破砕片から身を護るようされている。博物館の恐竜が息を吹き返したがごとき威容だが、先導するガイスト少佐を一心に追いかける瞳には、ある種の知性にも似た輝きが宿っている。

「味方を取って喰いは致しませんよ、閣下。こやつは簡単な作戦行動を理解できます。時おり、癇癪を起こすこともございますが」

 可愛いでしょう? と言わんばかりのガイストに、レッケンドルフ大佐は唖然とした。

「……癇癪?」

 リントヴルムの顎には、若干ひびの入った拘束具が取り付けられている。大佐はそれを二度見して、ガイストに問い返す。

「ガイスト、こいつは本当に安全なのか?」

「それを実戦で試すのが戦術試験旅団です。まぁ、調教のために人の味を教えておりますので、絶対はございません」

 ガイストは軽快に手を叩き、軍道から逸れそうになったリントヴルムを誘導する。


 狂っている。


 ガイストと関わった人間は皆、彼をそう評価する。否定はしない。

 しかし己だけがおかしいのかと言えば、違うとガイストは確信している。狂気の源を辿っていけば参謀本部が、帝都の科学アカデミーが、皇帝陛下が、そして国民が。誰かが狂気の最終的な出力先を担っているだけだ。

「そう、火災から逃れるために敗残兵を軍道から退去させねばなりません。ひとまずは向かいの山岳陣地に配置するとよろしいでしょう。エスターライヒ市を防衛するための陣地ですが一通りの補給ができますし、砲台をジャバルタリク側に向ければ前線を支援できます。また、正規軍が布陣すれば奇襲部隊の退路も塞がれましょう」

「待て待て貴様! まだ話は終わって__」

「次の策はお伝え致しました。どうぞ賢明な判断を」

 本来は幕僚をテントに集めて軍議する内容を、即座にまとめ上げて聞かせる。まともな軍人ならだいたい同じ策を提案するだろうが、それなら最適解をさっさと選んでしまえばいい。拙速は巧遅に勝る。ガイストは運転席を杖で突き、自動車の速度を上げさせる。追従して脚を速めるリントヴルムに満足し、前へ向き直る。

「それでは失敬」

 失敬と言いながらとうとう一礼もせず、上官を置き去りにする。


 夕刻、ガイスト少佐の車列は奪われた第3塹壕地帯の正面に到達した。たった半刻ほど前に偵察部隊が塹壕付近の散兵壕へ侵入したところ、横合いから砲撃を受けて電話線が断ち切られてしまっていた。軍道へと引き返した兵はいなかったため、全滅したのだろう。

 イングリットの報告によれば魔女を擁する奇襲部隊も砲撃支援を受けていた。塹壕からエスターライヒ城まで射程を届かせるには大型の野戦砲が必要だが、今のところ敵砲兵隊にそのような動きは見られない。ふたつの情報を擦り合わせると、同じ部隊が策を弄していると見える。彼らは砲弾を届かせるためにより深く帝国領へ斬り込み、より高い位置に布陣しているはずだ。そして、それは塹壕の奪還を試みる帝国軍の横っ面を叩ける場所でもある。

「ふむ、グリム大尉は戦車と言っていたな。戦車なら、無理をすれば自力で登坂も可能であろう。良い時代だ……何十頭と軍馬を潰して大砲を牽かせるのは、心が痛むしな」

「我々は人間すら使い潰しますけどね」

 無線手が淡泊にツッコミを入れるのに構わず、ガイストは落ちくぼんだ眼差しを鋭く巡らせた。気分はかくれんぼだ。

「あの禿山、ちょうど射界が通りそうではないか。あそこに敵戦車が隠れていたら、心が躍るなぁ」

 敵は優秀な方が面白い。士官たるもの常に最悪の事態を想定するよう教育されるが、彼はそれを最高のサプライズだと考える。散兵壕に到着したところ、予想通り砲撃された痕跡がある。せっかくの掩体も上方側面には効果がない。良い的だったようで、戦車隊長の手腕にも期待が高まる。胸の高鳴りを抑えられず、無線手にダルい絡み方をしてしまう。

「敵戦車隊は、こちらが布陣しようとする散兵壕に対し、優位な位置から伏撃を試みている。さて、我々はどうするべきか分かるかな?」

「……」

「うむ結構結構、正解は無視だ! 敵本隊の懐に入ってしまえばいいのだ! まさか同胞に向けて砲撃するやからなどおるまい! というわけで我々は散兵壕には停車しない!」

 自然と銃座から身を乗り出して、意気揚々と伝達する。

「全車戦闘配置! 自動擲弾砲、構え! 速度そのまま、塹壕に沿って行進間射撃だ! 敵機関銃を優先的に狙いたまえよ!」

 各車両が、搭載された擲弾投射機グレネードランチャーの砲身を旋回させる。ガイスト少佐も心底楽しそうに空中信管を調整し、手ずから装填する。6連装リボルバー式弾倉を備えたモデルは連射力に長け、優れた制圧力を発揮する。これもまた参謀本部から貸与された試作兵器だ。複雑な機構で壊れやすいそうだが、それは実戦機動を行う中で改善点を洗い出せばいい。こうした小さな積み重ねで戦争を優位に進める実感が、ガイストは好きだった。

 やはり戦争は心地よい。

 亡霊は昂ぶるままに、吠える。

「我らが坊やの初舞台だ! 各員自由射撃、号砲を上げろおおおおおおッ!」

 迫撃砲が、小銃が、機関銃が、一斉にけたたましく咆哮する。魔女狩り部隊は皆、ガイスト少佐のお眼鏡に叶った兵士たちだ。彼らは合理性を突き詰め、心から楽しんで戦争に赴く。どんな犠牲も怖れはしないし、敵に特段の恨みも憎しみもなく、ただ冷静にこの狂気を謳歌する。

 塹壕一帯に爆発が次々と咲いて、荒野の夕暮れを土色に汚す。呼応するように、リントヴルムが高々と首を掲げ、力ずくで口枷を引き裂いた。拘束具の強度について改善案を出さねば、と思いつつも興奮で残弾を撃ち切ってしまう。

「よし坊や! 王国やばん人共にご挨拶申し上げろ! 行け行け行け!」

 リントヴルムは地鳴りがするほどに脚を打ち付け、激しくいななく。連合王国軍の反撃が始まったが、竜の鱗は強固な装甲となって一切の銃弾を跳ね退ける。

 リントヴルムは砂塵を蹴り上げ、塹壕に向かって突撃する。敵味方の起こした爆轟を突き抜けて、絶叫が響く。巨大な坊やが初めて仕留めた獲物は、下半身を牙の間に残して血肉のシャワーを降り注がせる。

「ハッハー、いい子だ! 素晴らしいぞ!」

 拍手して喜ぶガイスト少佐に、無線手が横槍を入れる。

「リントヴルムが迫撃砲に巻き込まれますが、砲撃を停止なさいますか」

「計算上は傷も付かんはずだが、そうだな! これも性能試験チャレンジだ! 坊や、迫撃砲に耐えたらご褒美をやるぞぉ!」

「坊やは同胞じゃないんですか……?」

「痛みを教える愛もある!」

 解き放たれた竜のあぎとが、銃弾の雨にも怯むことなく塹壕内の王国兵を片っ端からついばんでいく。血と夕陽に赤く染まり、衝動に駆られるままに。彼も戦争の歓喜に心を躍らせているのだと、ガイストは信じて疑わない。戦う術を生まれ持った者は、戦争によって祝福されるべきだ。この怪物も、連合王国の魔女とそう変わらないとさえ思える。あるいは、周囲に魔女狩りの亡霊ガイストと忌み嫌われる自分自身さえもきっと、同じ地平にいる。

 平和な時代なら、怪物は世界から遠ざけられ、ともすれば忌み嫌われる。だが今は戦争の世紀だ。殺戮の才に恵まれたのなら、殺戮を楽しめばいいではないか。戦うことでしか生を見いだせないというのなら、それでいい。種をかれた地で花が咲くように、ここで輝く命があるのだ。

 たとえ人間賛歌が怪物を否定しようとも、ガイストは怪物をひたすらに肯定し続ける。そこに憐れみなどない。ただ、人間と等しく無性の怪物賛歌があるだけだ。己のさがに殉ずる者は、いついかなる時代においても、どれほど人のかたちから外れようと尊いのだから。


「さて王国兵諸君、打つ手はナシか!? グズグズしていたら塹壕が血の海だぞ!」

 挑発するように擲弾をつるべ打ち。鹵獲された塹壕備え付けの銃座はあらかた潰した。砲撃とリントヴルムの突入によって連合王国軍は足並みを乱され、的確な反撃をできずにいる。散発的な歩兵の射撃は大した脅威にはならない。

 あちらに策があるとすれば__あの戦車隊だ。ガイストが思考を巡らせたが早いか、禿山の稜線付近から砲炎が猛り、ガイストの乗る車両のすぐ脇に着弾した。日没によって急激に視認性が落ちるこのタイミングで仕掛けてきたということは、山影の作る闇に紛れて移動するつもりなのだろう。主砲発射直後に動き出したはずだ。こちらの企図した塹壕への突貫作戦に対して、交戦距離を著しく縮めることで味方への誤射を防ぎ、かつ確実にこちらを仕留める意図が読み取れる。

「おおっと期待に応えてくれたな! 全車両に伝達、180度転進! 敵戦車隊が山から下りてくるぞ!」

 対歩兵用の擲弾砲では戦車にダメージを与えられない。正面から撃ち合えば確実に蹴散らされる。しかしこれで厄介な相手が優位な布陣を捨ててくれた。

 進路を変えて投影面積を最小限に抑えながら、車列を塹壕から離脱させる。後はリントヴルムの援護に徹すればいい。彼の鱗は連合王国軍の主力戦車砲を跳弾させるよう設計されている。あの戦車隊長はおそらく切れ者だが、よほどの策がない限りは竜の膂力で蹂躙できるはずだ。

「坊やのために灯りをともすとしようか。照明弾の用意を__ん?」

 ガイストが指令を発しようとした、その時だった。

 日没直後だというのに、猛烈な日輪が夜を払ったように見えた。振り返る。

 光源は山岳陣地の直上。それはまばゆい流星となって一直線に軌跡を残し、莫大な運動エネルギーを地上に叩き付けた。


 爆風に軍帽を飛ばされ、巻き上げられた土砂が嵐のように周囲へ降り注いでも、なおガイストは爆心地から目を離さなかった。

「……魔法か?」

 威力。着弾地点。落下角度。タイミング。イングリットのもたらした情報。それらを素早く整合し、これは偶然飛来した隕石などではなく、連合王国軍が未確認の魔女を投入したのだと推察する。

「規格外だな。次弾はないのか?」

 無線手の肩を小突く。

「次があったら……我々が消し飛ばされるのでは?」

 返答はやや震えていた。魔女狩りの精鋭であっても、今のは流石に堪えたようだ。無理もない、戦術で挽回しつつあるとはいえ、未だ魔女は得体の知れない最強の敵である。新魔法の後出しでこちらの新兵器を凌駕してくるのにはもう慣れたが、まさか魔女自体を出し惜しみする余裕まであったとは。だがこのタイミングでこの規模の攻撃をしてきたとなると、その意図は限られてくる。

 ガイストは低空を駆けるプラズマを不敵に睨み返した。

「そう悲観するべきではない。これはおそらく魔女戦隊の切り札だ……レッケンドルフ大佐に繋げ。今ごろは、山岳陣地の北側で増援と合流しているはずだ」

「なんと打電しますか」

「山岳陣地を砲撃せよと」

 この攻撃の意図は、奇襲部隊の撤退ルートを確保することにある。必ず彼らは山を越えようとする。そして、遮蔽物が消失した地形を通過する時間、彼らは最も無防備になる。今度は増援に隕石が落ちるかもしれないが、現状アレを回避・防御する術を帝国軍は持ち合わせていない。今、帝国軍が避けるべきは怖れを成してやるべきことをできなくなることだ。

 イングリットなら、この機を逃しはしない。



 魔女たちを追っていたイングリットが攻撃命令を躊躇ったのは、彼らが廃農場で妙な信号弾を打ち上げたからだ。ガイストの誘導によって友軍が山岳陣地に配置転換したことは分かっていたため、ここで挟撃するつもりだった。

 警戒して正解だった。わずか1分後、当てにしていた味方の上に隕石が降って来た。魔女戦隊がまだ戦力を隠していたことに驚きはしない。アレを無制限に使えるのなら、連合王国軍は緒戦で帝国軍を圧倒できたはず。つまり使い勝手は悪いのだ。

「グリム大尉、いかがなさいますか……」

「距離を詰めます。今の攻撃で山頂の掩体は壊滅した。奴らが山を通過する今この時が、攻撃のチャンスです」

「しかし我々があの隕石を喰らうのでは」

 動揺する分隊員に対し、イングリットは冷酷に状況を整理する。

「先ほどの信号弾は、おそらく隕石を誘導するためのもの。であれば、あの魔法を行使する魔女は隕石の投下地点が見えているわけではない。細かい指示ができない以上、戦線後方から観測できない小規模部隊を狙う確率は低いでしょう」

 魔女との戦いに万全の策などない。読みが外れればただの人間など瞬時に消し飛ばされる。でもそれは普通の軍隊が相手でも同じだ。イングリットを含め、魔女狩りたちは好き好んで地獄に足を踏み入れた。ならば狩りを楽しむのが、流儀だ。

「ガイスト少佐なら、この機を逃しはしない」

 唾棄すべき信頼関係がある。イングリットは猟犬でいい。有意義な狩りができるのなら、少しだって主人を疑わない。


 獰猛な忠義を胸に、彼女は疾駆する。分隊員は後衛に回し、自分が斥候を担う。

 未だ吹き荒れる熱風の中、まさしく獣のような速度で敵の背を追う。彼らに勘付かれないよう万全を期して2キロほど距離をとってあるが、イングリットにはこの程度ならほぼ狙撃を成功させる自信があった。

 南では森林火災が燃え広がり、大きな光源となっている。低く屈んで、勾配を駆け登る間にスコープを取り外す。夜間でも光源が広域にある状況では、反射によって位置を悟られることがある。肉眼で捉えさえすれば、彼女はアイアンサイトだけで当てられる。

 頂上付近で立ち止まり、後続の分隊員に「待て」のサインを送る。隠密に自信があろうと、視線が切れる場所では待ち伏せに警戒するべきだ。登坂中に稜線の裏から撃たれるのは避けたい。

「一旦、無事なタコ壺に隠れなさい。私がサインを出すまで__」

 北側で、砲炎の列が順に瞬いた。

 この光、続けて唸り上がる音は知っている。

 帝国軍の迫撃砲。

 北から。ああ、迫撃砲を積んだ増援の車両が向かっていたな。

「退避!」

 ほんの50メートル先で空中信管が炸裂する。幸いイングリットたちのいる坂側には着弾しなかった。

「あの気狂いジジイ……」

 近くのタコ壺に飛び込んだが早いか、イングリットは悪態を吐く。増援にはエスターライヒ戦区長のレッケンドルフ大佐が合流しているだろう。しかしあの小物に、味方の陣地を撃つような度胸はない。ガイスト少佐が口車に乗せたに決まっている。

 立て続けに砲弾が降り注ぐ。当てずっぽうな銃撃も始まった。これで魔女が死んでくれれば仕事は楽に終わる。けれど大抵、運は味方しないし、それではつまらない。

 ガイストの期待は砲撃で魔女を殺すことより、あの隕石を落とした魔女の対応力を測ることにある。次弾が来るのか来ないのか、来るなら何秒後か。すべての情報が魔女戦隊攻略の糸口になる。

 土砂に背を付けて息をひそめ、何十発かの弾着をやり過ごした。

 空に、また赤い信号弾が昇った。

 部下への指令を出す間も惜しい。イングリットは跳ね起き、ライフルを構えた。ボルトハンドルを倒す。およそ狙撃に相応しくない体勢で頬と肩を当て、照門に右目を合わせる。砂塵と煤と砲煙にまみれ、コンディションは最悪に近い。闇雲に撃ちまくるのならともかく、この状況で狙撃を成功させられる人間はそう居ない。


「開け、シャクスの義眼」


 イングリットは吐き捨てるように、短く詠唱した。

 視界が、書き換わる。すべて、クリアになった。

 この魔法のろいは命の在処ありかを教えてくれる。ここを撃て、と誰かが耳元で囁く。黒く塗り潰された世界でぽつりと灯る、赤々と美しい輝き。それが本物の悪魔の声なのか、戦闘狂の頭に鳴り響く都合の良い幻聴なのか、もうイングリットには分からない。生まれた時から、彼女の目は命だけを見ようとしていた。輝きを壊して、散らしたら、美しいから。

 イングリットにとっては魔法を発動しているのが普通で、止めるのが異常だ。けれどこの世界は彼女の普通を許さない。それが忌々しかった。命に手を伸ばすのがこんなに心地いいなんて、別に知りたくなかった。

 照星の先で揺らめく命はひどく無防備だった。担架かなにかの後ろ側を担いでいる。それはまるで戦争に慣れていなくて、震える足取りで強がっていた。

 __軍人じゃないのか?

 人間性の残滓が、イングリットの銃口を一瞬だけ迷わせた。

 その隙を突いて、照準に他の標的が割り込んできたのは、単に偶然振り返ってイングリットに気付いたからかもしれない。殺気を勘付かれたとは考え難い。ただ、割り込んできた人間は手元に真っ青な炎を宿していた。それで、そいつが炎の魔女だと分かった。

 再び流星が夜を裂いたのと同時、重なった命に引鉄を絞る。

 小さく、灯りが砕ける。遠くで味方を壊滅させた暴力的な光などには目もくれず、イングリットは命中の実感を噛みしめる。瞬きひとつせず、ボルトハンドルを起こして引いて、排莢、すぐに次弾を薬室に送り込む。空薬莢が土に落ちる。横殴りに吹き付ける轟風を読んで数呼吸置き、もう一発。命中。

 流石に隕石衝突の衝撃波による偏差までは読み切れなかった。急所は外れている。まだ、あの命は散華していない。

 炎の魔女は叫んでいるだろうか。痛みを仲間たちに訴えているだろうか。それもいい。救出しに来た奴も撃てば、更なる戦果を狙える。

 まだ仕留められる。この闘争に、もっと浸りたい。

「……」

 先ほど引き金を迷わせたあの灯りは、イングリットが再装填を終え、もういちど偏差を計算し直すまでの間に、下り坂へと姿を消した。あっさりと見捨てたように見えたが、担架の前を持っている者が無理やり引っ張ったとも取れる。


 炎の魔女に照準を戻す。

 3発目。


 イングリットは頬を銃身から離した。排莢しながら「シャクスの義眼」を閉じて、元の視界を取り戻す。タコ壺に潜んでいた分隊員を呼び寄せる。

「ひとり無力化しました。山頂近辺を確保しますよ」

 分隊員たちは若干安堵したように顔を見合わせ、すぐにイングリットの後ろに続いた。ガイスト少佐とイングリットの強さを信じない者はいない。しかし魔女狩りも帝国軍も、これまでいちどだって魔女を仕留めたことはなかった。ようやく一歩前進したのだ。

「お見事です、グリム大尉。これで名実共に魔女殺しですね」

「殺していません」

「は?」

 部下たちの歩みが遅れる。脚を止めない辺り、やはり魔女狩りに選ばれるだけはあるとイングリットは思う。

「捕虜にします」

「魔女を……拘束などできるのですか?」

「魔女は基本的に、仕事道具を失えば魔法を使えません。ただし複数の発動条件を持つ可能性も否定できません」

 イングリットは話しかけてきた部下に自分のライフルを預けた。

「ので、交渉をしてきます。400メートル離れて待機、私が死んだら即座に炎の魔女を射殺しなさい」

 命令に従いつつも困惑を隠せない部下たちを残し、歩みを進める。

 我ながら、らしくない。こんな分の悪い賭けはするべきではない。今ここで死んだら、この先訪れるであろうもっと楽しい戦いを、永遠に手放してしまう。今更、偽りの善性にしがみつこうとしているなんて。

「炎の魔女! 聞こえますか!」

 久方ぶりに声を張った。返答ナシ。もう炎の波濤の射程に深く入り込んでいる。

「私たちの平和に関するお話をしましょう!」

 これ以上の害意がないことを伝えるには、この言葉選びでよかったのか、正直自信がない。なおも近づく。倒れた魔女の赤毛が揺れている。

「君にも愛する家族とか恋人がいる……はず。おとなしく投降してくれれば、条約に準じた捕虜としての待遇を約束するよ」

 もう、一歩のところに魔女が居る。

「生きているよね?」

 覗き込む。とんがり帽子が風にあおられ、薄闇の中、少女の顔がはっきりとイングリットを睨み返した。

「やっば……イカレ女の、戯言が、聞こえんだけど……」

「よかった」

 炎の魔女は失血でひどい顔色をしていたが、舌打ちするくらいの余裕はありそうだ。3発目はあえて外した。その意味は分かってくれると思う。

「よかった、じゃないわよ……なんで王国語、喋ってんの」

「質問に答えなさい」

「はっ……家族なんてクソ喰らえ。恋人は絶賛募集中……いや、いい男にアタックされるけどね……多分……脈はあると思う……」

「時間稼ぎかな?」

「あっ、あんたが、答えろって言うから……!」

 炎の魔女が苦しげに憤慨する。イングリットは首を傾げた。コミュニケーションは難しい。

「で、投降する?」

 射殺命令のハンドサインをするため、腕を上げる。炎の魔女は自身の仕事道具のカンテラが砕けて転がっているのを見て、ため息を吐いた。

「……いいよ。降参。もう、打つ手ナシ、あたしは、ただの非力な女子よ」

「そういうことにしておく。君がなにかしら魔法を行使する術を持ち合わせている可能性は否定できないけど、ひとまず武装解除に応じてくれた体で扱おう」

 イングリットは赤毛の少女を抱え上げ、待機する分隊員の方へ歩き出す。大事な捕虜を手に入れた以上、これ以上の戦闘はできない。魔女の部隊がまとまった戦力を連れて救出を試みる前に、急いで撤退する必要がある。

「君は、炎の魔女で合ってるよね? 先に名前だけ訊こうか」

「リタ……レッドアッシュ。階級は、中尉相当。丁重におもてなししてよ」

「よろしく、リタ。私は帝国陸軍大尉、イングリット・グリム」

 続く言葉は、自嘲だった。


「ただの魔女だよ」

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