第6話:魔女の御旗③

 筋繊維のひとつひとつが軋む。甲高い打撃音と共に、表皮が穿たれ、肉が裂け、骨がひずむ。痛みを覚えて、アメリアは覚醒した。

 目を開くと、甲殻に縁どられた狭い窓から覗く星灯りすら眩しかった。

 傾いた視界の外から、ツルハシか何かで身体を叩かれている。自分の肉体が、壊されていく。アメリアはそう感じた。敵の攻撃だろうか? 反撃を。私には__8つの脚と2つの鎌が付いている。奴らを薙ぎ払って、轢き潰してやる。

 殺意をみなぎらせて立ち上がろうとした。が、立てなかった。彼女の身体を支える脚に目を向けると、見える範囲の全てに焼き切られたような痕があった。双鎌を振るうための腕も、付け根から溶かされていた。

「私の、身体」

 彼女を守る甲殻に、ヒビが入る。

「痛い」

 無骨な工具がひたすらに自分を壊そうとするのが怖くて、アメリアは必死に身を捩らせた。よく分からない工具が覗き窓に嚙まされ、ウィンチで強引に引き剥がされる。夜風が一気に汗まみれの頬を冷やす。憎しみをつのらせた敵兵が、銃口を突きつけてくるだろうと思った。その後の展開は頭が恐怖に塗り潰されて考えられなかった。

「やめて」

 叫び未満の弱々しい呟きは、確かに聞き届けられた。

「寝言は終わりよ。起きなアメリア」

 青い携帯カンテラの灯りが視界に揺れる。照らし出されたのは、見知った先輩魔女の赤毛。強引にアメリアの腕を掴み、鉄条網の繭から引き上げる。

「……リタ」

「何」

「ごめん」

「何が」

「うんと……よく覚えてないけど、皆に迷惑掛けちゃった。多分」

「自分のも覚えてないんじゃ謝罪もクソもないよ」

 リタに背負われ、アメリアは自らが創り出した鉄の怪物から抜け出した。同時に、彼女の身を苛む痛みが遠ざかる。アメリアの肉体は、どこも傷ついてはいなかった。手も脚も2本ずつ。人のかたちをしている。それが当然だと、ようやく思い出せた。

 開けた視界を見渡す。前方に広がるのは敵軍第3塹壕線のその先、紛れもない帝国領。右手には土壌汚染で禿山と化した高台、左手にはまばらな森林地帯。正面の軍道を遡ると、灯火管制を敷かれたエスターライヒ城の外郭都市が黒々と影を落としている。

「作戦開始から28単位時間。帝国軍はジャバルタリク戦線をひとまず放棄した。連合王国軍は想定より少ない損害、早い速度で帝国領に斬り込んだよ。あんたのお陰でね」

 リタの口調は淡々としている。

「でもあの時、あんたは暴走した」

 いきなりリタの腕が力を緩めた。当然の帰結としてアメリアは彼女の背中から滑り落ち、勢いよく地面に尻もちをついた。見上げたら、悲しくなった。リタも悲しそうな顔をしていたから。


 目を逸らした先に、見たくないものがたくさんあった。無数の赤黒い肉塊が、そこらじゅうで遺体を燃やす炎に照らされている。友軍部隊はとりあえず原型を保ったものから運んでは処理しているが、この凄惨な虐殺痕をどう片付けようか途方に暮れているようだ。死骸の散らばり方からして、アメリアが潰走した帝国軍を執拗に追いかけて殺戮したのは明白だった。

 気化した脂を含んだ死臭が、べったりとアメリアの服に、肌に、まとわりつく。

「そのままエスターライヒに突っ込みそうな勢いだったから、あたしらで止めさせてもらったの。本当に覚えてない?」

 先任軍曹やサンダーソン上等兵たちが険しい表情で集まっていた。彼らが工作機を運び込み、鉄細工の装甲を剥がしていたらしい。彼らもアメリアに対し声を掛けあぐねている。畏怖しているのだ。

「ようやくお目覚めかクソガキ! 味方の射線に入るなとパパに教わらなかったのか!?  命令を無視した無駄な追い撃ちはママの躾の賜物か!?」

 怒号が上がったのは、ウィンチを引っ張っていたマークⅨ戦車中隊の指揮車からだった。鬼の形相で拳を固めながら降りてきたカニンガム中佐に、リタが立ちはだかる。

「どけ炎の魔女! 鉄拳制裁だ!」

「アメリアを突破支援に出したのはあたしです。部下の不始末でご迷惑をお掛けしました。殴るならこちらにどうぞ」

 まだ18歳の少女は、歴戦の老将を睨み返したりはしなかった。アメリアが暴走した責任は、アメリアを信頼したリタにある。だから彼女は本物の軍人のように脚を開いて手を後ろに回し、歯を食いしばって中佐の指導を待った。

 中佐はしばらくリタを見下ろしていたが、やがて拳を開き、平手で彼女の頬を張った。

「ならば貴様が始末を着けろ。他の前線将校には儂が話を通しておく」

「どうも……ご厚意に、感謝します」

 衝撃で地面に倒れたリタは、なんとか頭だけ上げて謝意を口にした。皮肉ではない。本来ならその場で略式軍事裁判を開くところだ。アメリアが貴重な魔女であることと、彼女が戦ったことで拾われた命の数を鑑みて、中佐は最初からぶん殴って済ませることにしてくれたのだ。あとは誰が誰をぶん殴るかの問題になる。アメリアはリタに殴られた方がいいだろうと、彼は判断してくれた。

 カニンガム中佐は鼻息荒く踵を返し、各梯団から出向いた連絡将校たちにアメリアの処遇を説明し始めた。魔女戦隊には総司令部によって独立した権限を与えられている。作戦上でどんな部隊に編成されようと、魔女が一般将校の指揮下に入ることはない。これは魔法という特殊な戦力の舵取りは魔女にのみ託されるべし、という原則に基づく。それすなわち、「魔女の戦いに口出しするな」というジャバルタリク総司令部のお墨付きを頂いているのだ。ゆえに個々の魔女にも戦闘における一定の裁量が与えられ、実際に成果を上げてきた。リタがナハツェーラー部隊に相対した際も、ケイリーが新型飛行船部隊の急襲を受けた際も、その裁量権ゆえに即応できた面があった。

 しかし今回のアメリアはやりすぎだった。だから、彼女の運用を預かるリタはいっぱしの戦争屋としてかたちだけでも制裁を受ける必要があった。


 アメリアはリタに胸倉を掴まれて無理やり立たされ、同じ痛みを味わった。もちろん特に鍛えてもいない少女の掌と、歴戦の猛将の鋼のような拳が同じ威力なわけはない。アメリアはリタに10回ほどビンタを喰らった。第4梯団として集められたシャーロットやサンダーソン上等兵たちの前で、アメリアは繰り返される痛みを黙って受け入れた。

「あんた、あたしに無茶するなって前に言ったよね」

「……あぁ」

 そんなこと言ったっけ。アメリアはその場面を思い出すのに数秒を要した。また、頭痛が警鐘を鳴らす。ちゃんと人間に戻れ、私を繋ぎ留める糸を忘れるな、と。

「あぁ、じゃないでしょダブスタ馬鹿女! 消去法でもあたしにとってはあんたが一番大事なの! こんなしょうもない戦いで命を無駄遣いすんな!」

 11回目で胸倉を掴むリタの手がすっぽ抜け、アメリアは再び尻もちをついた。

「……ごめん、忘れてた」

 地面に背を打ち付けながら、まだ殴られ足りないとアメリアは思った。リタは半泣きでマウントを取り、更に制裁を加えようとする。

「リタさん、そこまでにしましょう」

 人垣を割って入ったアイラ王女が、12回目の前にリタを引き剥がした。アイラの方もずいぶん非力で、暴れるリタと一緒にもんどりうって後ろに倒れる。

「り、リタさん。部外者の私には、あなたとアメリアさんの関係は計り知れませんが……それ以上はただの暴行です」

「殿下には、お分かり頂けなくて、結構です。こいつはいちどボコボコにしてやる必要があるんですよ!」

 魔女と王女が土の上でもつれ合う。互いの立場を考えれば周囲の大人が引き離してやるべきだが、十代の少女たちが繰り広げる無様なキャットファイトに誰も手出し出来ずにいた。あまりにその光景は、馬鹿馬鹿しかった。

「ぼこぼこにして、彼女の戦闘能力に差し支えがあっては、困るでしょう。一旦、とにかく、落ち着いてください!」

 闇雲に振ったリタの拳が、アイラの鼻にいい音を立ててクリーンヒットした。ぼたぼた、と王女の顎を伝って赤いしずくが落ちる。

「……あ」

 アメリア、リタ、アイラの3人が同時に「やらかした」という含意の声を漏らした。


 半時ほど小休止を挟んだ末、アメリアの鉄の怪物はひとまず封印することが決まった。出立の準備を整えたリタが少しバツが悪そうに告げる。

「味方と連携取れないのも、自我が曖昧になるのも致命的。いくら強くなれたって、軍隊で運用できなきゃ論外だから」

 第4梯団のエスターライヒ城攻略は予定通り進行する。アメリアの暴走は前線将校たちの口裏合わせにより黙殺され、ついでにアイラ王女がリタに顔をぶっ叩かれて鼻血を吹いた件も寛大なる御慈悲によって不問とされた。すべてはつつがなく作戦を終えるためだ。

「あんたの役割は取りこぼした敵の掃討。それとナハツェーラー部隊みたいな奴らが出た際の白兵戦。それ以外で無駄に自分の身を晒さないこと。いい?」

「……うん。分かった」

 アメリアも有刺鉄線を巻き入れた背嚢を背負い、立ち上がる。先任軍曹とシャーロット、そしてアイラ王女が後に続く。森林地帯を経由してエスターライヒに侵入することになっていた。サンダーソンたち射手はふたつの分隊に別れ、片方が先行偵察、もう片方が魔女たちの護衛を担当する。

 出発の時、アメリアたちは右手側の禿山へ登っていく戦車隊を見送った。カニンガム中佐の申し出で、攻略開始と同時に砲撃による陽動を行ってくれることになったのだ。高所を取れば、エスターライヒ城に2方向から攻撃を加えられる。正面の軍道から塹壕の奪還に来るであろう敵部隊の迎撃にも上手く働くだろう。ただし、掩蔽のない禿山からの攻撃は相応の危険を伴う。急な登坂・降坂に際して戦車のエンジンや足回りが機能不全を起こす可能性も充分にあった。

『鉄条網の魔女のお陰で、儂の戦車隊の損害が減ったのは事実だ。余った弾を有効に使わせてもらうぞ』

 中佐は縦深突破で自身の戦車隊を壊滅に追いやる覚悟をしていたという。本来、この攻勢はそれだけのリスクをはらんでいた。アメリアの無茶が拾った人命の中には、彼らも入っていた。彼らにとっても、無駄ではない命の使い方がある。それが今なのかどうかアメリアには確証を持てない。ただ同じ勝利の為に進んでいるのだと自分を納得させて、帝国領に踏み入った。


 森林地帯の踏破は迅速に進んだ。帝国軍が敗走した部隊の回収と軍道の封鎖に追われていたため、森の警戒網はひどく手薄になっていた。こうした地形は起伏や遮蔽物に富み、大部隊の展開の妨げにもなるため、捜索・防衛側が不利になる。無謀な索敵に人員を割くくらいなら、連合王国軍の主要な侵攻ルートと想定される軍道を固めるという潔い戦略が見て取れた。もっとも、非戦闘員の重荷アイラを連れて夜の森を行軍するという無理を可能にしたのは、狙撃手たちの類まれな夜戦技術だった。

「待て」

 魔女たちの供回りを勤めるサンダーソンが制止すると、先遣隊が歩哨を発見した合図だ。この暗闇で前方に潜伏する味方からのハンドサインがなぜ見えるのか、アメリアには不思議だった。他の射手たちも鍛えているそうだが、特に彼は異常に夜目が効く。

「クリア。前方5メートル先、ぬかるんでるぞ。右手側の幹に捕まって渡るといい」

 サンダーソンがエスコートを再開し、少女一行はそれに付き従う。ここまで彼らは1発も撃っていない。まばらな帝国軍の歩哨たちは、アメリアたちが通り過ぎる時には既に喉を掻き切られて転がっていた。アイラ王女が死体を蹴りそうになって、小さく引き攣るような悲鳴を漏らす。

「後ろから……殺したのですね」

「誉れある王国の騎士道に反しますかね?」

「いえ。ただ……戸惑っています。彼らは殺されたその瞬間も、実感がないのだろうと、思うと」

 どんな殺し方であろうと、アイラ王女が一日で戦場に慣れることはないと皆が踏んでいた。取り乱さないだけでも肝が据わっていると言えた。サンダーソンは漠然とした王女の呟きに、軽い口調で答えた。

「戦争はじきに、こんなかたちになっていくと思いますよ。知らないうちに刃を滑り込ませていくんだ。海峡も塹壕も城壁も国境も、前線を規定できなくなる」

 一行は夜をひた走り、エスターライヒの喉元に迫っていく。絶叫にまみれた塹壕戦と打って変わった静かな攻防には、アメリアも新鮮味を感じていた。もちろん、悪い意味でだ。今、アメリアたちは敵地の市街へと最接近している。帝国との戦争が劣勢に転じ、ジャバルタリク半島に押しやられてからこんな事態は初めてだ。そもそも魔女戦隊にとって、攻撃戦は初めての経験となる。

 最前線から離れた小規模な補給地であっても、そこが街である以上は民間人だっているだろう。兵隊にパンを売りに来た娘たち。祈禱に明け暮れる従軍神父。彼らを巻き込む。確実に、被害が出る。

「前線が無くなりゃ、銃後の守りなんて言葉も消えるかもしれませんね」

「お喋りが多いぞ、サンダーソン上等兵」

 薄闇の中、先任軍曹の声が唸るように響いた。

 アメリアたちは今、無辜の市民に忍び寄る悪夢の先触れだった。


 空に一筋の赤みが差し込む。一行が外郭都市の時代遅れな石壁に辿り着くと同時に、払暁の時が来た。遠くで砲声がした。リタが仕事道具のカンテラを取り出す。

「うちの戦車隊よね。市街に着弾し始めたらこっちも爆破するわ」

 当てずっぽうな弾着音から察するに、カニンガム中佐も照準の修正に手間取っているようだ。戦車は本来塹壕を突破するもので、戦車砲は敵戦車やバンカーを撃破するためにある。高所から地形の手も借りて車体を上に向けたうえで仰角最大で榴弾を放てば最大射程に届くらしいが、それだけやって市街地のどこかに当たるか、というレベルだ。何両揃えたところで本職の砲兵隊と同じ働きはできない。とはいえ野戦砲を山に引き揚げる時間も手段もなかったので、これが今受けられる最大の支援となる。

 何発目かが突然、一行のいる城壁のすぐ裏手に着弾した。

「うぉっ! 危ねえなあのジジイ!」

 肝を冷やしながらも女性陣を庇う恰好のサンダーソンを押し退け、リタがカンテラを掲げた。

「チャンスよ、下がってなさい! 砕けろ!」

 青い爆圧を封じ込めた魔法の槍が一閃し、脆弱な壁面を撃ち破る。

「か、壁の後ろに人が居たら__!」

 アイラ王女の混乱が長引いているようだ。リタは不良らしく親指で市内を指し示した。

「人が居たら、そいつは帝国やばん人です。王国語ことばが通じるとは思わないように」

 焦げかけたプロパガンダ紙の欠片が熱風に舞ってアイラ王女の元に落ちる。外交教育のため帝国語を読める彼女は、その文面を理解できてしまったことを悔やんだ。貴人の語彙ではとても表せない下品な風刺画の下に、『連合王国で最も高価な慰安婦、ジャバルタリクに上陸』の一文。もちろんアイラのことだ。

「人は……話せば分かり合えると信じます。彼らも高度な皮肉を嗜むようですから」

「だといいっすね」

 帝国語を読めないリタもなんとなく文面を理解してせせら笑った。

 ライフルに着剣した射手たちが一斉に散開、侵攻ルートの索敵を始める。サンダーソンが目をはしらせ、ハンドサインを出したポイントに各員が踏み込んで安全を確保する。マンションなどの高い建物の窓から射線を通し、少しずつ制圧範囲を広げていく。

「民間人にはなるべく手を出さないようにしますが、肉体言語ボディランゲージが通じないなら弾丸で論破するしかないですよ」

 サンダーソンが跳ね上げるようにライフルを構える。ほとんど早撃ちのような動作で1発。頭を撃ち抜かれたのは、騒ぎを聞き付けて細い街路から飛び出した官憲だった。

「ちゃんと見てから撃った?」

 リタに小突かれたサンダーソンは、犬歯を覗かせるように口元を吊り上げた。

「ああ。全部お見通しだ」

 死体の制服は武装警察のものだった。連合王国軍の交戦規定では殺害を許可されている。しかし彼らは人員不足のため徴発され、軍用の装備を供与されただけの警察官だ。彼はきっと、敵軍の精鋭部隊に強襲されるだなんて夢にも思わなかっただろう。戦争をする人と戦争をしない人、その曖昧な領域グレイエリアに刃が突き立てられている。


 可能な限りの速度で前進する間にも、繰り返しハンドサインが行き交う。射手たちが何を気にしているかと思えば、民間人の避難状況だった。

「妙な動きだ。非戦闘員の一部が民兵として城の守備隊に吸収されたらしい。見た限りでは、400名ほど」

 サンダーソンの寄せ集めた報告に、リタが顔をしかめた。

「多すぎでしょ。城の守備隊丸ごと入れ替えられるわよ」

「だよな。実際問題、籠城するにはここしかねぇんだが……増援としてこの頭数を城内に詰め込んでも邪魔なだけだろうよ」

 ここまで黙って付き従っていたシャーロットが口を挟んだ。

「実際に入れ替わっているのではございませんか?」

「何のためによ」

 リタに見下ろされ、シャーロットはむっと口角を下げる。

「市民兵を囮に本隊が街から脱出して、塹壕の奪還に向かった……とか」

「ボロい城の警備を任されるような程度の部隊が、守るべき補給物資を市民に預けて? いやまぁ帝国軍も無能晒す時はあるけどさぁ……」

「そ、それは」

 答えに詰まりながらもシャーロットはリタを見上げる。何かひっかかるところがあるのだろう。アメリアはまたふたりが険悪なムードになる前に割って入ることにした。

「ナハツェーラー部隊の件もあるし、警戒するに越したことはないよ。私たち魔女戦隊に見せてない手札がたくさんあるように、あっちもどんな新兵器とか改造人間とか隠してるか分からないんだから」

 つい数時間前に見せるべきではない手札をおっぴろげたアメリアが言っては説得力に欠けるが、リタはやや不本意そうに首肯した。

「ま、勝算がなきゃわざわざ母屋おもやを開けやしないか。後が怖そうね」

 敵も策を巡らせている。それが味方を殺すかもしれない。だとしても、味方の死に見合う利益を上げればこちらの勝ちだ。そのためなら背後の犠牲を無視して突き進み、銃の構えもままならない民兵を蹂躙し、死体の山の頂で記念撮影と洒落込む。アメリアやシャーロットにとっては心底嫌な仕事だ。リタは今更罪悪感などに苛まれる性分ではないが、流石に気乗りはしない。400人も徴発したら、半分くらいは予備役かどうかすら怪しい素人だろう。

「さて、仕事よ皆」

 とうとう殆ど抵抗を受けないままエスターライヒ城正門の跳ね橋まで辿り着いてしまった。リタが物陰に再集結した射手たちを含め、全員に呼びかける。

「門を破ったら、あたしの炎で可能な限り広範囲を焼き払う。シャーロットの風魔法で鎮火したらアメリアとあたしが本館に突入して残敵を掃討。射手諸君ライフルマンズは歩廊を制圧しながらあたしらの援護に回って。捕虜は取らないこと。安全を確保するまで先任軍曹とアイラ殿下は待機。制圧が完了したら主塔に登って旗を掲揚して記念撮影。終わったら即撤退。簡単でしょ、質問ないわね?」

 全員が頷いたのを確認して、作戦開始。まずは門を破る。アメリアが有刺鉄線を取り出し、ラベリングフックのように正門塔へ投げ渡して飛び移る。当然のごとく中には民兵が構えていたが、発砲を許す前に鉄線をしならせて首を斬り裂く。内側の壁に背をかがめて忍び寄る。手鏡をかざして、内郭前広場の配置を確認。

「機関銃2、歩兵が30くらい……歩廊に狙撃手が3、4人……野戦砲が3門」

 民兵の展開の仕方はよく言えば基本に忠実、悪く言えば愚直だった。土嚢に機関銃を載せた防御陣地が距離を離してふたつ、正面からの攻撃に対し十字砲火を浴びせるように組まれている。狙撃手の射界は正門塔に遮られ、跳ね橋の外側まで届いていない。野戦砲はまさにカニンガム戦車隊への反撃中で、精度の低い散発的な砲撃を繰り返している。市街戦における砲兵陣地は本拠地と離れた位置に配置するべきだが、おそらく館内の補給品をそのまま引っ張ってきたのだろう。

 エスターライヒの民兵たちはとても囮や時間稼ぎ以上の役割はこなせそうにない、かなりお粗末な練度だ。つまり、それだけ帝国軍本隊はエスターライヒ城を軽視している。見掛け倒しの空城にかかずらっていられる時間は少ない。

 リタの魔法なら一撃で制圧可能だと判断したアメリアは、銃眼から手を出して彼女に合図を送る。背嚢のポケットから爆薬を抜き取り、跳ね橋を制御する両端のウィンチにセット。導火線を繋いで着火する。爆破、巻き取られていた鎖が暴れるように解き放たれ、轟音と共に橋板が城郭の外側へと倒れ込んだ。

「爆ぜろ!」

 リタが渾身の呪文を叫ぶ。炎の波濤が橋を渡ってアメリアの下を駆け抜け、エスターライヒ城正面を灼熱の渦に沈めた。広場に布陣していた民兵は一切の反応すら許されず、即死。急激な気圧の変化で暴風が吹き荒れる。地上から離れた歩廊の狙撃手も、瞬時に肺や表皮を焼かれて無力化された。アメリアはシャーロットの魔法によって熱風を軽減されていたものの、この位置はリタの攻撃に巻き込まれないギリギリのラインとなる。アメリア自身の無事を示す前に、何度も咳き込んだ。

「降りて、アメリア。内郭を制圧するわよ」

 場内へ踏み入ったリタの指示が飛ぶ。アメリアが正門塔から降りるのと入れ替わりにサンダーソンたちが駆け登っていった。彼らは2つの分隊に分かれ、環状防壁カーテンウォール上の歩廊を左右から制圧しつつ、魔女の戦闘を高所から援護する。

「やることが……やることが多いんですよリタお姉さま!」

 シャーロットが小さな歩幅でやや遅れて続く。彼女の背嚢には煙幕擲弾筒スモークグレネードや信号弾が詰め込まれている。彼女は信号銃にカートリッジを込め、さっそく一発空に打ち上げた。「侵入成功」の合図だ。これでカニンガム中佐は城への砲撃を中断するだろう。

「おチビ、広場の鎮火早くして」

「分かっていますっ!」

 憤慨しながらシャーロットは宙に手をかざした。先ほどの無秩序な暴風とは違い、不自然なまでに整った風の流れが広場の木々や可燃性の物資を鎮火していく。爆薬などが不発のまま残っている場合もあるし、木製の建材に延焼でもしようものならこちらが退路を断たれてしまう。地味ながら大事な仕事だ。彼女を連れてきた理由の半分くらいはこれにある。

「おーいリタ! 向こうの空から敵の機影だ!」

 歩廊の制圧に向かったはずのサンダーソンが、指示を仰ぐため脚を止めて怒鳴る。

「前線に向かう偵察機だろうが、道中こっちにも目を向けるはずだ! 狙撃してみるか!」

 歩兵用のライフルでも軽装甲の機体にはダメージを与えられるため、一応狙ってみる兵士は多い。ただし相手が偵察のためにとりわけ高度を下げた場合に限る。リタがシャーロットを不躾に指して怒鳴り返す。

「こっちに任せて! 聞いたわねおチビ、上空に嵐を起こして偵察機を妨害しなさい。可能なら撃墜して」

「もうっ!」

 シャーロットの怒りを反映してか、即座にむくむくと黒雲が沸き立った。エスターライヒの外郭都市を巨大な影が覆い、そこかしこで紫電を光らせ始める。

「後で異常気象が起こるので、あまり急いで展開したくないのですけど……」

「あんたが気にすることじゃない。戦争してる時点でお互い様よ。責任はあたしが取るから」

 シャーロットの風魔法は荒風のうねり、雷鳴の轟き、雲の渦巻きまで彼女の思うがままに掌握する。それは自然を操る傲慢さというよりは、身勝手な空模様を既存の空間に無理やり描き入れる得体の知れない不条理だ。ジャバルタリク戦線における自然環境の破壊には、彼女の魔法による気象変動も1枚嚙んでいる。指先ひとつで制空権を奪取しうる都合のいい力は、直接血の見えないところでさえ悪辣な代償を伴う。それでも勝つために、まだ幼い少女ですら悪魔への支払いをためらったりはしない。

「上に立つものが罰を受けようと、罪は平等に背負うものです。リタお姉さまにはご理解いただけないかもしれませんが、私はただこの良心を痛めているのです」

「あっそ、じゃさっさとやれドチビ!」

 帝国軍の偵察機が都市上空に差し掛かった。どんなパイロットでもここまで唐突に発生した嵐は避けようがない。

「言われずとも、墜とします」

 不吉な紫電が空を輝かせる。明らかに不自然な軌跡を人々の網膜に焼き付け、雷撃の束はジグザグを描きながら収束して偵察機を貫いた。大気を揺るがす轟きに呑まれ、帝国軍事科学が生み出した翼は静かに炎をたなびかせて空から滑り落ちた。

 シャーロットは十字を切った。魔女に神はいないのに、それでも幼い少女には縋れそうなものが必要なようだった。普段はジャバルタリク戦線の最奥で防空を任される彼女にとって、明確な意思をもって敵機を撃墜するのは初めての経験となる。


 空の憂いを断った魔女たちは内郭__城における生活区画へと突入する。古い石造りの建造物は、リタの魔法が持つ火力の前には等しく路傍の石くれ同然だった。それはまさしく蹂躙の一言で表せる。青い炎が津波となって押し寄せれば、待ち構えていた民兵も備えられていた物資も等しく灰燼に帰す。運よく火の手を逃れた者も、歩廊を制圧し終えたサンダーソンたちの狙撃によって次々と上から掃討されていく。

 炙り出された伏兵が、内郭から中庭へと転げるように逃げて行った。アメリアは殆ど反射的にその背に向けて有刺鉄線を放った。棘が逃げ足を絡め取り、屋内へと引きずり戻す。直後、リタの爆撃が中庭全域を焼き払う。

 別に助けたかったわけじゃない。殺すつもりで魔法を行使した。

 なんで鉄線を手繰り寄せてしまったのか、アメリアは考えてしまった。足元に投げ出された敵兵が、アメリアと同じくらいの年齢の少女だったからか。それとも、無意識に「赦し」を求めずに戦っていたことが今更怖くなったからか。

 エスターライヒの少女兵は、有刺鉄線の棘でズタズタになった脚をばたつかせ、拘束から逃れようとした。炎熱で頬をただれさせながらも、懸命にアメリアを睨みつけている。彼女はどこかに放り投げてしまった武器を探してもがいていた。アメリアを殺そうと、必死に。

「捕虜は取るなって言ったでしょ」

 リタがいつもと同じうんざり顔でアメリアに歩み寄る。彼女の手に、死の灯火が揺らめいている。アメリアはのろのろと頷いた。

「分かってる」

 踏み越えるべき死体の山の一角だ。足を取られるな。侵略者を退けるまで、勝利を掴み取るまで、進み続けろ。皆そうしている。アメリアは今更、敵兵の断末魔に耳を貸す気はなかった。野蛮人の国の言葉なんて、知らない。意味を失った呪文に、こう返す。

「うん、私を憎んで」

 鉄条網の魔女が魔法を行使する時、必ずむごい死がもたらされる。アメリアには綺麗な殺し方ができない。鉄の茨は、人をズタズタのボロ雑巾みたいな肉塊に変えてしまう。この戦争で数十万と生産される、棺桶に入れてもらえない汚れた死骸にしてしまう。


 たとえ赦されずとも、皆のために。

 ずっと、祈るように戦ってきた。いずれ大好きな人が赦してくれると、心の片隅にいたいけな願いをしまい込んで。

 でも今アメリアは、怪物になりたかった。あの何も感じない巨大な甲殻に精一杯の罪を背負って、裁かれたい。

 楽に生きて、そして死ねたらよかったのに。


「リタ。この子、燃やして」

 アメリアは鉄の茨に付いた血肉を振り払った。リタはそっと少女だったものにカンテラをかざした。青い魔法の炎が、それを灰に帰す。ここを死地に選んだ者たちは等しく同じ末路を辿る。綺麗に頭を撃ち抜かれようと、小さな醜い肉片に成り下がろうと、同じだ。

「……本当に捕虜は取らないんだよね?」

「そうね」

 アメリアとリタは同時に顔をしかめた。たった今、本館から出てきた民兵が、白旗を掲げていたからだ。訛った王国語で「撃たないで」と繰り返し唱えながら中庭を渡ってくる。おまけに本館上層の主塔でも、降伏の意を示す白旗が揚がっていた。禿山に陣取る中佐の戦車隊に向けて、砲撃を再開しないように念を押しているのだろう。

 アメリアたちにとって、彼らは皆殺しにした方が都合がいい。投降した兵士を殺害することは条約に反するが、この閉鎖環境では誰も詳細など知り得ない。罠の可能性もある。投降が真意だとしても、消えた帝国軍本隊のための時間稼ぎかもしれない。見逃した、で済ましてしまえばいい。殺すべきだ。

 アメリアはリタを盗み見た。

「迷ってる?」

「まさか」

 リタがカンテラを青く輝かせる。あと一撃で片が付く。だが明らかな攻撃の兆候にも関わらず、白旗を持った民兵はふたりに向かって叫んだ。

「奥にいるのは、女子供だけです! どうか、もう殺さないで!」

 その民兵も、年若い女性だった。

 女子供。

 だからなんだと言うんだろう。アメリアも、リタも、シャーロットも、女子供だ。同年代の男の子たちはとっくに徴兵されまくって、死にまくっている。帝国も連合王国も、同じことをしている。彼らが白旗を揚げる直前まで民兵の女の子は戦争をしていて、そのために死んだ。なのに、今更「どうか」「殺さないで」って。

 歩み寄る民兵は、被害者の顔をしていた。もうその表情が読めるほどに、彼女は近い。つい先日までエスターライヒ市で普通の主婦をしていました、そんな顔だ。

 アメリアの頭を巡る血が、急激に冷めていく。

「リタ、早く撃って」

「分かってる」

 リタの諦観が伝わってきた。青い炎がまばゆさを増す。

「待って、リタお姉さま!」

 内郭の前で待機していたはずのシャーロットが、勢いよくリタに駆け寄る。小さな身を晒して、彼女は炎の前に立ち塞がった。リタは舌打ちして少女を押し退けようとする。

「後ろで待機してなって言ったでしょ」

「こちらからも白旗が見えました。これ以上の殺戮は不要でしょう! 相手は民間人ですよ!?」

 シャーロットがこうなるかもしれないと、アメリアは薄々勘付いていた。風魔法による防空は作戦上どうしても必要だったが、彼女は最前線での魔女の戦いに慣れていない。おまけに魔女戦隊の中でも一番の年下で、戦歴も短い。この蹂躙劇に何食わぬ顔で対応できる方がどうかしているのだ。

 アメリアはシャーロットを引き剥がそうと手を伸ばした。


 その指先で、ふいに赤い花びらが舞った。一瞬遅れて銃声。


 シャーロットの側頭部から、血が咲き乱れる。丁寧に巻かれた栗毛の一房が、ぱっと空中に散る。ちぎれ飛んだ片耳の付け根と削れた頬の裂け目から、赤い液体がまた、ほとばしる。綺麗なままの半面に驚きの表情を固着させたまま、彼女は身体の制御を失って倒れ伏した。

 マズルフラッシュは、本館の窓から発された。民兵の女は白旗を投げ捨て、アメリアたちのいる内郭へと飛び込んだ。

「爆ぜろ!」

 リタが吠えた。アメリアも初めて見るほどの爆轟が視界を覆い尽くす。激烈な熱の大波が古いエスターライヒの居城を丸呑みにした。すべての窓ガラスが粉々に弾け、正門は溶け去り、うねる波濤が中に潜んでいた敵をひと舐めで消し炭に変える。

 それが本当に投降と見せかけた騙し討ちだったのか、恐慌に駆られた狙撃手の誤射だったのか、定かではない。不幸な事故だったのかもしれない。だが民兵の女は起き上がりざま、民生品の猟銃を切り詰めた粗末な武器を片手で構えた。魔女を殺し得る、ただの銃だ。アメリアは有刺鉄線を操ってそれを絡め取る。腕ごと引きちぎるつもりだったが、民兵の指は固く引き鉄を絞ろうとしていた。咄嗟に鉄線を横に払い、銃口を壁に向けさせる。一度だけ、銃身が跳ねた。

「地獄に落ちろ、悪魔の__」

 自分が地獄じゃない場所にいると思わなきゃ出てこない言葉だ。自分の所業に綺麗な余地があると思わなきゃ出てこない台詞だ。もういい。もう、充分だ。鉄の茨が巻きついて、全身の血肉を搾るように女を絞殺する。アメリアは腕を下ろした。

 リタがシャーロットを抱きかかえている。少女の顔は右半分が真っ赤に染まっていた。意識はなさそうだ。

「生きてる……」

 リタは、気が抜けたようにぽつりと呟いた。

 アメリアは辺りを見渡した。敵の影は見えない。エスターライヒ城の制圧はほぼ完了した。歩廊から降りてきたサンダーソンらに合図を送って、本館を包囲してもらう。風魔法を使えない以上、鎮火には少し時間が掛かりそうだった。

「リタ。しっかりして。みんなで生きて帰るんだよ」

 シャーロットを撃った弾丸は幸運にも彼女の片耳と頬肉を削ぎ、それと歯と顎関節を少々砕いただけで終わった。適切な処置をすれば致命傷にはならない。リタとふたりがかりでシャーロットをうつぶせにして、口内に残った歯の破片を吐き出させる。傷口を水筒の水で洗い流し、応急キットの綿布を当てる。治療しやすいようにナイフで周辺の髪は切っておく。問題は顎関節の損傷だが、今は専用の固定器具など持ち合わせていない。包帯で仮留めして、後は帰還後に軍医に任せる。

 おそらくシャーロットは、もとの愛らしい顔立ちには戻れないだろう。顔の右半分には、生涯消えない傷が刻み込まれる。アメリアは無事な方の頬を優しく撫で、それから彼女の腰のホルスターから信号銃を手に取った。



 主塔に白旗が昇ったのも、その白旗が炎に呑まれたのも、アイラは見ていた。その順序は、あってはならないことだった。捕虜は取らない、と炎の魔女は言っていた。敵の投降は許さないという意味だったのだな、と今更ながら気付いた。

「ままあることです」

 先任軍曹はアイラの憂いの表情を汲み取ってそう呟いた。

「戦時国際法は……余裕がある時に守るものです」

「私は彼女たちを責めません」

 城の奥から信号弾が上がった。エスターライヒ城の制圧が完了したのだ。

「合流しましょう、軍曹」

 警戒を維持した先任軍曹の足取りに対して、アイラは落ち着いて、けれど速足で歩く。橋を渡る。広場を抜ける。黒こげの死体がそこかしこで縮こまっている。あらゆる防備は魔女の前では意味を成さず、たちどころに蹂躙されたのが見て取れた。シャーロットが起こした嵐はいつの間にかかき消え、この地方本来の生ぬるい風が灰を青空へとさらっていく。悪臭は覚悟していたほどではなかった。リタの炎魔法の火力が高すぎたためだろうか。中途半端に焼けた死体は皆無で、壁に人型のシミのような痕跡を残して完全に焼き尽くされた者もいた。

 内郭へと入る。窓際から外に出た死体はいずれも綺麗に頭を撃ち抜かれていた。屋内は来た道と同じように焼かれていたが、炎を免れたと思しき少数の民兵は凄惨な裂傷を刻まれて死んでいた。アメリアによるものだと、アイラにもすぐに分かった。

「殿下、こちらです!」

 未だ煙の燻る本館の前。中庭に集結した第4梯団の人垣から、アメリアが手を振っていた。


 リタの報告によると、こちら側の死者はゼロ。人垣の中心で横たえられたシャーロットを見た時は心臓が止まる思いだったが、致命傷は避けられたと聞いて大きく息を吐いた。

「おチビがこのザマですので鎮火に時間が掛かると思われましたが、想定より火勢が落ち着いています。既にサンダーソンたちが先に入って安全を確認してます」

「そう……ですか」

 アイラには、リタは落ち着いているように映った。風の魔女が傷を負ったものの、犠牲を出さずにここまで来た以上、彼女はそれなりに上手くやったはずだ。祖国の勝利の為に邁進した彼女らが、目に見えて落ち込んでいないことにアイラは安堵した。

「ですが不可解な点がひとつ。消火に難儀しそうな燃料類を含めて、物資がほとんど備蓄されてなかったんです」

 軍事に疎いアイラは首を傾げた。素人目線で思い付いたことを述べる。

「元々ここを守っていた帝国軍本隊が持ち出したのでは?」

 ところが、作戦について最も理解しているであろうリタも同じく難しげな顔をしている。

「守備隊を担うのは基本的に歩兵なので、荷馬車やトラクターを自前で充分に揃えているはずがないんです。で、連合王国軍の前線突破からここまでの間に鈍重な輜重隊が他所から駆け付けて、この城の物資全部を引き揚げる時間的余裕もなかった。だからあたしたちは奴らが物資を抱えて撤退した可能性は最初から捨てていました」

 シャーロットが唱えた「守備隊が城を民兵に任せて前線に向かった」説は、これらの前提から成り立っている。ところが、置いてあるはずの物資がないとなれば、前提が崩れる。

「鎮火の手間要らずで不幸中の幸いかと思ったら、どうもあたしら藪蛇突っついちゃったみたいなんですよねぇ」

 ガリガリと赤毛を掻きむしるリタに代わって、アメリアが言葉を継ぐ。

「ここ、補給物資とは全く別のモノを収容していたみたいなんです」


 ほどなくして、選抜射手たちから安全を確保したとの報告が入った。彼らの内のひとりが主塔にカメラを設営してくれたようで、上階から手招きされた。とにかく時間が惜しいとのことで、アイラはアメリアに説明を受けながら一緒にエスターライヒ城本館を登っていった。

「別のモノ、とは?」

「帝国軍の、改造……人間と呼んでいいのか私には分からないです。たぶん、先日襲来したナハツェーラー部隊とは別モノです」

 焦げ臭い床を、子供のようにアメリアに手を引かれて進む。本館で焼け残っていた手がかりは、グロテスクな「収容」の様子を想起させた。床に散らばった鎖、枷、拘束具の数々。いずれも特注の巨大なものだ。同じく大きな体躯を有する生物を抑え込むために使われていたのが見て取れる。

「制御が難しかったのだと思います。拘束された側が自力で破壊した跡もありました」

 選抜射手のひとりが、予備のカメラを担いで遺留品の撮影に奔走している。これらの情報は、連合王国軍全体にとって非常に重要な意味を持つ。必ず持ち帰るべきだ。

「リタさんの魔法で焼き尽くされた可能性はありませんか?」

 階段を登りながら、アイラは希望的な質問を口にした。アメリアは即座に首を横に振った。彼女もそうであればいいとは思っていたのだ。

「残念ながら。裏口から拘束具を引きずった形跡が見つかりました。おそらく、ここに駐留していた帝国軍は、その怪物のようなものを運用する部隊だったんだと思います」

 先んじて彼らが撤退していたとすれば、その怪物とやらを前線に差し向けるため転進した可能性は残る。魔女たちは記念撮影なんかどうでもよくて、一刻も早く彼らを追撃したいはずだ。

 未知の敵部隊を警戒すべき状況で悠長に記念撮影なんて、馬鹿げている。この歩みが一体誰のためのものなのか、アイラは分からなくなりそうだった。けれど、壁のシミと同化した焼死体を通り過ぎるたび、断末魔の幻聴がアイラに訴える。柔らかく手を繋ぐアメリアの指先に染み付いた血の匂いが、斬り裂いた命の数をアイラに教える。


 屍の山を踏み越え、血の河を渡って、アイラはここに導かれた。


 階段を登り終えると、屋上でサンダーソン上等兵たちが準備を終えていた。三脚付きのカメラの前に手招きされる。背景にはエスターライヒ城の象徴といえる鐘楼と、城下の街並み。連合王国旗ユニオンクロスを結んだ短い旗竿を手渡される。細いアイラの腕には重くて、抱えるだけで精一杯だった。

「どうぞ、殿下。笑顔でお願いします」

「笑顔……」

 心にもない笑顔は宮廷教育の第一歩だった。アイラは国民のために、上手に笑えるよう訓練してきた。だが、今そうするのは途方もなく難しいように思えた。敵味方の死の先で笑うのは、とてもグロテスクな因果だった。

 アメリアがそっとアイラの背を押す。急に湧き出た考えが、アイラの足を止めた。

「アメリアさん」

 アメリアは写真撮影そのものには無関心なようで、既に踵を返していた。満足のいく写真写りになると信頼されているのか、口出しするほど知識がないのか。

「一緒に写って頂けますか?」

 ぬるい強風がふたりの金髪を同じようにはためかせた。片方は生まれつきの美しいプラチナブロンド、もう片方は戦場の砂塵と返り血ですっかり痛んでしまった。ふたりの視線がぶつかり合う。澄んだ空色の瞳と、くすんだ曇り空。

 アメリアは口を半開きにして少し言葉を濁したが、やがて躊躇いがちに微笑んだ。

「殿下がよろしければ……喜んで」

 アイラの手に、再びアメリアの手が添えられた。旗の重さを、分かち合う。少女ひとりぶんの腕力だが、彼女はそれなりに鍛えているようで幾分楽になった。何より、これで上手に笑える気がする。

「殿下。私のばあちゃんは、従軍してこのかた一度も手紙をくれないんですよ。私がどれだけ戦場で活躍しても」

 間近で見るアメリアの微笑みは、どこか諦観がにじんでいた。ありふれた願いに縋るのに疲れてしまったような、そんな複雑な表情。

「この写真が記事になって本島に出回ったら、今度こそばあちゃんも喜んで便たよりをくれると、思いますか?」

「いいえ」

 風の音が強くなったので、アイラの言葉も思ったより強い語調になってしまった。知ったような口ぶりで断定するのは、気が引ける。アメリアの家庭事情なんて知らない。どうせ二度と会うことのない相手に、この際だからと零した愚痴だろう。薄情だよね、という。要は魔女だって年頃の女の子だ。適当な共感を示しておけばよかった。アメリアの曇り色の瞳が僅かに暗くなったのを感じて、後悔した。でもここまで踏み込んだら、もうアイラは進むほかなかった。

「あなたが戦争の渦中にいる限り、あなたのお婆様は喜ばれないでしょう」

 魔女が連合王国のために戦うのは、たいへんな名誉とされている。無論、名誉に比肩する地位も約束される。魔女戦隊が編成された2年前から、そういうことになった。だから魔女を持つ親は喜んで娘を戦地に送り出す。その光景に、2年前のアイラは憧れていた。

「魔女の戦いを否定するのは……勇気の要ることです。あなたはただの孫娘として、お婆様に愛されているのですね」

 王女が女王陛下に、ただの娘として愛されることはない。だからアイラは魔女になりたかった。しかし魔女になっても、魔女として崇敬されるだけだ。それに気づくのに、アイラは17年掛かった。

「アメリアさん、こんな馬鹿げたことは早く終わらせましょう」

 茶番は劇場で見るに限る。その当事者になるなんて、やはりアイラにはまっぴらごめんだった。綺麗な英雄譚も、泥沼の戦場ドラマも、中心から見たら等しく滑稽だ。何百何千と人命をドブに捨ててやることがこれなんて、どうしたって馬鹿げている。

「……やっぱり、この作戦に引き込んだの怒ってます?」

「私が言いたいのは、この馬鹿げた戦争のことです」

「女王陛下の戦争を否定なさるのですか?」

 ようやくアイラは自然に笑えた。それは皮肉だったが、無力感から来る自嘲よりはだいぶ前向きな笑い方だった。

「ええ、本当に笑えないわ」

 アメリアが、ふっと噴き出した。今まで薄い微笑しか見せなかった彼女が、目を細めて普通に笑ったことにアイラは驚き、また笑った。


 フラッシュが焚かれる。

 王女と魔女、ふたりの少女が旗を手に笑い合った一瞬が美しく切り取られる。後にアイラはこの場面にまつわる記事を出来る限り正確に記述させたが、笑みの真意についてはふたりだけの秘密にしておいた。

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