第2章:Flags of Our Witches

第4話:魔女の御旗①

 ジャバルタリク半島で続く壮絶な塹壕戦において、連合王国・帝国双方にとある教訓が共有されつつあった。


 100メートル戦線を押し上げるために1000人の歩兵を犠牲にするのは馬鹿げている。


 一騎当千の魔法を扱えようとも、あるいは数十年先を行く科学技術で武装しようとも、結局は守勢に回った方が強い。魔女を徹底的に防衛戦力として運用する連合王国軍は、軍事技術で上回る帝国軍の攻勢をことごとく跳ね返してきた。

「あんたたちのことは、我が子のように大事に思っているからね」

 司令部の軍議室に揃って出頭したアメリアとリタに向けて、ソロモンス中佐は不気味な猫なで声を披露した。部屋にしつらえられた椅子の数は20ほど。他に上級将校もいないし、この軍議は中佐が単独で企図したものだと予想がついた。

 どことなく、アメリアは嫌な予感がした。

「はい? えっと、ありがとうございます」

 そう、魔女が大事に大事に運用されているのは確かだった。今までは。

 上司への信頼から笑顔で答えたアメリアと対照に、リタはうげぇっと吐きそうなジェスチャー。

「これから子を崖から突き落とす奴の台詞じゃん……てかどっちかってーと孫くらい離れてるし」

「軍隊に言い訳と反抗期は許されないよ、生意気ボンクラ赤毛! 席に着きな!」

 二人の若い魔女は、謎のテンションの上司に気圧されてすごすごと最前列の椅子に座った。

「ご機嫌よう、アメリアお姉さま」

「あっ、久しぶり、シャルちゃん」

 アメリアの隣に座っていた先客の魔女が、上品に巻いた栗毛を揺らして軽く会釈をする。風の魔女、シャーロット・グレイスヴァイトだった。

 シャーロットはアメリアよりふたつ下の小柄な少女だが、扱う魔法の規模は戦略級と言っても過言ではない。毒ガスや煙幕の制御はもちろん、嵐を起こして敵航空機を攻撃することもできる。アメリアやケイリーのように派手な撃墜記録こそないものの、数多くの飛行船や爆撃機を追い散らしてきた。今では悪天候による航空機の損耗を避け、帝国軍はジャバルタリク攻略に碌な航空支援を出せずにいる。連合王国軍にとって、この少女はジャバルタリク不落の象徴とも呼べる守りの要だった。

「おチビのシャーロットちゃん、あたしに挨拶は?」

 アメリアを挟んで、リタがそっぽを向きつつ鼻を鳴らす。任務中は塹壕に出ずっぱりの魔女と、必ずしもそうでない魔女がいる。アメリアやリタは前者でシャーロットは後者で、それが軋轢を生む場合もある。魔女とはいえど、大半はむさくるしい男共との不衛生な共同生活を良しとしない年頃の乙女である。ただ、この場合リタとシャーロットが純粋にそりが合わないだけとも言えるが。

「あら失敬、リタさま。ちゃんと湯浴みを済ませてきましたか?」

「軍隊にお風呂好きは許されないのよ、20秒で髪洗えるようになってから出直して来なドチビちゃん」

 両隣から火花が散って、アメリアは堪らず仲裁に入る。ちなみにリタが風呂嫌いという風評は、彼女に長風呂を非難されたシャーロットが流したものだ。

「二人とも落ち着いて、ね? リタは不潔じゃないしシャルちゃんはちっちゃくないよ」


 ふいに乱雑な軍靴の列がドカドカと軍議室に入って来た。

「その通りだぜ、淑女諸君」

 アメリアのおざなりな仲裁に知ったふうな口で同意を示したのは、おそらく直前までの会話を全く聞いていなかったであろうサンダーソン上等兵だった。先日ナハツェーラー部隊との戦闘で負った傷は完治したらしい。入口に屈強な兵士たちが詰まっているのも気にせず、元気に気障な口上を述べる。

「我が麗しのリタ、俺の最推しアメリアたん、お初にお目にかかりますは風の魔女、シャーロットちゃんかな? 美しき魔女たちには是非とも百合の花園で戯れるがごとく――」

「軍隊に役者は要らないんだよ! さっさと席に着きな色ボケ野郎!」

 ソロモンス中佐が苛立たしげに踵を鳴らす。するとサンダーソン上等兵の脚が見えない巨人に掴まれたように掬い上げられ、天井近くで宙づりになった。

「うぉっ! あっ、オエっ、も、もちろん美しき魔女の中には中佐どのも入ってますよ!」

 上等兵は見えない巨人にぶん投げられたような挙動で宙を飛び、リタの隣の椅子に頭から着席した。天に向けて大股を開いた体勢があまりに無様で、リタが珍しく苦笑した。

「サンダーソン、この軍議ではケツで応答するように。返事は?」

「い、イエス、マム」

「ケツで答えろと言ったろがい!」

 ソロモンス中佐がまた踵を鳴らす。見えない巨人に尻を引っ叩かれた衝撃で、サンダーソン上等兵は後列の椅子を全部巻き込んで吹っ飛ばされた。リタの引き攣り笑いをよそに、残りの兵士たちはドン引きしながら席に着いた。どうやらこれでメンツが揃ったらしい。


「魔女は大事な大事なお姫様だよ、ジャバルタリク駐留軍にとってはね」

 ソロモンス中佐が過去に見ないほど苛立っていた理由は、軍議の前置きで真っ先に語られた。中佐以外の全員が思わず冷や汗をかくほどの語調で。

「アイラ王女殿下がもうじき到着する件については皆知っているだろう。お花畑で育てられた純粋培養のお姫様が、焼け野原の見学にお越しなのさ」

 栄えある王国臣民なのに王族が嫌いなんですか? と問われて正直に首肯する人間は少ないだろう。多くの将兵たちもジャバルタリクと本島の温度差に色々と不満はあろうが、やんごとなきお方を臆面もなく非難できるのは彼女だけだ。

「そこで、本島のお偉いさん方から今更通達があった。王女殿下の滞在中に戦線を押し上げ、その戦果を殿下の口から全王国民に対し宣伝させろ、とね。セントジョン将軍もおかみには逆らえない。我々はここまで守りを固めてきたが、今回は是が非でも敵の前線基地を奪い取る必要が出てきた」

 ソロモンス中佐が軍議室の黒板を顎で示すと、チョークがひとりでに地形図を描き出した。連合王国軍の第1塹壕線の前方、不毛の無人地帯を越えた先に帝国軍の3重に及ぶ塹壕線が広がっている。更にその奥に、ジャバルタリク要塞線に対抗するようなかたちで大小無数の要塞群が並び立つ。カンカン、とチョークがその一点を強調するように叩く。

「そこで、セントジョン将軍は最も攻めやすい場所を選んで攻略することにした。標的は敵の前線補給拠点、エスターライヒ城。地元貴族の居城を改装して物資の集積に利用しているそうだが、元の造りは現代の火砲戦に耐えうる構造じゃない。陣地としてはかなり脆弱な部類だね」

 味方部隊を表す凸印が自陣の前に複数描かれる。そこから延びた矢印の到達点を見るに、彼らはそれぞれ帝国の3重塹壕線を制圧するための戦力らしい。いわゆる縦深突破だ。しかしひとつだけ、小さな凸印がどの塹壕でも止まらずにまっすぐエスターライヒ城に向けて矢印を届かせている。アメリアとリタはなんとなく嫌な予感を再確認し、顔を見合わせた。ソロモンス中佐が薄気味悪い笑顔を浮かべ、ふたりを見下ろす。

「お察しの通り……ここに集めた人員は、エスターライヒ城の攻略を担う精鋭部隊だよ。最小の損害で城を陥とすため、魔女を攻勢に参加させることになったのさ」

 鉄条網の魔女アメリアが対歩兵を主軸に柔軟な攻撃を担当する。炎の魔女リタは持ち前の火力で機甲戦力や陣地への爆撃を担う。風の魔女シャーロットは毒ガスや煙幕の制御により支援を行う。サンダーソン上等兵をはじめとする20名ばかりの兵士たちは、選抜射手マークスマンという枠組みで方々の部隊から引き抜かれた優秀な狙撃手らしい。彼らは正確な射撃で魔女たちの露払いに従事する護衛役だ。

 一騎当千の魔女が3名もいれば、現状配備されているあらゆる敵戦力を蹴散らせる。ナハツェーラー部隊のような怪人相手であっても、既に戦闘経験は共有されている。鉄条網で敵の動きを封殺できるアメリアと、優秀な射手による護衛があれば充分に対処できる。用兵上ここまで戦力を圧縮させた部隊は類を見ないが、上手くやれば1個小隊にも満たない人員で拠点攻略も可能だろう。

「私にとっちゃあんたら魔女は、本物のお姫様より大事なんだ。何かの間違いで死なれたら困る。このメンツで確実に攻略できるかどうか、リタ、隊長としての所感はどうだい?」

 いきなり名指しされたリタがのけぞる。

「はぁっ!? もっと適任居るでしょ!?」

「城攻めの要はあんたの火力だ。あんたが無理だと判断したら即座に撤退できる立場に付けるのは当然だろう」

「でも……あたしこういうの、苦手で」

「ナハツェーラー部隊との戦いで配置転換を進言したのはあんただって聞いたよ。小娘たちの中じゃマシな戦術眼を持ってるのは間違いないね」

 信じがたいといった顔のシャーロットを横目で睨みつつ、リタは赤毛をガリガリ掻いた。

「……まぁ、城の門をブチ破って守備隊を皆殺しにするだけなら、いけますよ。余裕で」


 だが、問題はエスターライヒ城攻略にはない。むしろ、それ以外の全てに問題がある。リタは心底嫌そうに、けれどはっきりと断言した。

「あたしらの仕事が終わった時、たぶん城の防衛設備は壊滅してます。帝国軍も近郊の要塞から反撃してきますよね。『前線を押し上げた』後、帝国側に突出した脆弱な陣地を守る余裕がウチにあるんですか?」

 この作戦に意味はあるのか? 要はこれだ。

 シャーロットが息をのむ音が、アメリアにだけ聞こえた。自分が言うべきかどうか悩んでいたのだろう。おそらくこの場の誰もが同じことを考えていた。リタが隊長の肩書きを加えられたから皆に先んじて言っただけだ。

 100メートル進むために1000人死ぬ。塹壕をひとつ越えるため、無数の資源と人命が汚泥の中に捨てられる。今まで魔女戦隊、ひいてはジャバルタリク駐留軍が損耗を避けて来られたのは、屍山血河を築いて攻勢に出るほどの余裕がなかったからだ。

 数も質も劣る軍が地の利を捨てて縦深突破を行う、この時点で確実に甚大な被害を被るだろう。その先で脆弱な拠点をひとつ制圧したとして、占領状態を維持できるのか。維持できたとして、それにどれだけの戦力をつぎ込むことになるのか。それは次の攻勢に、ひいては連合王国軍の勝利につながるのか。果たしてこの攻勢に戦略的意義はあるのか。

 セントジョン将軍の苦心は理解できる。本島との温度差はアメリアも感じている。たとえ作戦が成功しても、これから敵の塹壕の中で死にゆく同胞たちは勝利に沸き立つことができない。銃後の人々は戦死者を悼むだけで、彼らの痛みを知らずに生きていく。戦意高揚の対象となる全王国臣民の中に、死者は含まれない。本島とジャバルタリク半島には、海峡を挟んで残酷な隔たりが生じている。

「火力ならあたしだけで充分です。市井の皆さまのご機嫌取りでアメリアやこのチビを地獄に巻き込むのはやめませんか」

 またしてもシャーロットが信じられないといった顔でリタを見上げる。ソロモンス中佐は表情を消してリタの前に立った。電灯が遮られ、暗い影が落ちる。

「ジャバルタリクに、地獄じゃない場所があるとでも言いたげだね」

「少なくとも……攻撃に出れば、何かの間違いで死ぬリスクは跳ね上がります。それが意味のある死に方ならともかく、これは違うでしょ。もしもアメリアが無意味に死んだら、この子が大好きな田舎のばあちゃんとやらを悲しませることになります」

「だから?」

「だから……アメリアとシャーロットなしで行けるよう、作戦の、修正を……」

 急に歯切れが悪くなったリタに、アメリアは彼女の悪癖が出ているのを感じた。死にたがり、ではないだろうけど、自分の命を軽視している。ソロモンス中佐はきっと、1人の魔女が死ぬリスクを極限まで分散した結果としてこの人選を決めたはずだ。


 アメリアは瞠目どうもくした。どれだけ目を凝らしても勝機は見えない。リタに「このままでいいのかな」と訊かれた時、アメリアはある種の諦観にも似た答えをそらんじた。私たちは頑張ってる。それでダメならしょうがない。一番好きな人、私たちが戦う理由になる人が赦してくれるように……祈るだけ。


 目を開けば、いつだって避けようのない現実がそこにある。手紙を寄越してくれない故郷の祖母は、まだアメリアを赦してくれない。

「中佐」

 アメリアは背を正し、挙手した。「何も言うな」と無言で訴えるリタにちょっとだけ微笑み返す。老魔女は黙って次の言葉を促した。これは軍議だ。まだ、祈る前に考えるべきことがある。

「司令部は、最初からこの拠点を維持するつもりはないんですよね?」

 戦意高揚のため、前線を押し上げる。たとえ一時でもその事実があれば、目的は遂げられる。エスターライヒ城の頂上に連合王国旗ユニオンクロスを掲げて写真を撮らせ、戦場に来ないあの従軍記者に好き放題書かせておけばいい。王女の口を借りて上手いこと銃後の人々を煽り、戦時国債を買わせたり志願兵を送りこんだりしてくれるだろう。軍上層部の目標の数字を達成した後は、敵地に突出した脆弱な拠点を維持するコストが釣り合わなくなってくる。

「……そうさ。時機を見て、適当な理由を付けて元の戦線に後退する手はずだよ。莫大な犠牲を払って犬死に確定なんざ士気に関わるから、言わずにおいたがね」

 ソロモンス中佐が苛立たしげに踵を鳴らした。まともな体勢に座り直したサンダーソン上等兵がビクッと身じろぎしたが、今度は何も起きなかった。

「犬死にでなければ、いいんですよね?」

 アメリアの頭の中に、ひとつ残酷な考えが浮かんだ。言葉にしてみて、やはり残酷だなぁと思った。それは鉄条網に愛された魔女にとって、予想通りの響きだった。

「犠牲は避けようがありません。だったら犠牲に見合う戦果を得るしかない。そしてこの攻勢で見込める戦果とは、ジャバルタリク戦線の優勢をアピールすること。ですよね」


 祈るだけじゃ、ダメだ。是が非でも赦してもらわなきゃダメだ。頑張って頑張ってそれでもダメで力尽きた時、その死には意味があったのだと、一番好きな人に納得してもらわないと困る。戦争の当事者として誰かを傷つけ殺した果てに死んだこと、それが犬死にであっていいわけがない。アメリアもリタもシャーロットもサンダーソン上等兵たちも、塹壕に突撃する全ての兵士も。これから払うかもしれない代償に見合う存在意義を与えてもらわなければ、割に合わない。

 そして、このジャバルタリクでそれをくれる人間にアメリアはひとりだけ心当たりがあった。

「より宣伝効果を高める方法があります」

 この考えが作戦に取り入れられたら、祖母はアメリアを赦すだろうか。

 ばあちゃんは優しいからきっと怒るだろうな。

「聞こうか」

 自然と落ちた目線が上がる。

 ソロモンス中佐の顔が、ふと優しさを帯びた。あの日故郷を出た際のことを思い出す。今になって分かった。15歳の孫娘を戦争に行かせまいと怒り狂う祖母には反論ひとつせず、アメリアが泣きながら家を飛び出したら背を撫でてくれたひとだ。

 残酷な決断をする人をこそ、彼女は尊重するのだ。


 *


 煙たがれているのは、分かっていた。アイラ王女の戦争観は多少甘かったが、ジャバルタリクの幕僚団が自分を歓迎するとは最初から微塵も思っていなかった。

「殿下、よくぞ御無事で」

「多くの将兵の挺身あってこそです」

 上陸してすぐ司令官のセントジョン将軍と対面し、握手を交わした。お互い愛想笑いが透けていて、本当に満面の笑みだったのは写真を撮った従軍記者だけだった。ところでこの従軍記者、たいそう身綺麗でカメラも埃ひとつ付いていない。本当に前線に行っているのかふと気になった。


「御食事、殿下のお口に合えばよいのですが」

「厳しい戦いの中、身に余る歓待です」

 それから将軍の率いる幕僚団を交えて食事会。客人相応の料理を振舞われたが、アイラとしては肩身が狭い思いだった。セントジョン将軍を始めとして何人かの将校がテーブルマナーを忘れかけていたからだ。上品な食べ方をする余裕のない日々がありありと伝わってきた。話のタネに兵士の食事について聞くと、なぜか上着のポケットに戦闘糧食を入れていた将校がいて、流れでアイラが食べる羽目になった。

「殿下のお口には合わないでしょうが」

「んっ、げほっ! ……いえ、そんなことは。美味しいですよ」

 硬く分厚くひどく粉っぽいビスケットを紅茶でなんとか飲み下した。不味い、というか味がしなかった。

「素晴らしい。兵士たちはこれが出たら不味い不味いと文句を垂れるので、是非とも殿下の心構えを見習わせたいものですな! ガハハハッ」

 アイラはまたしても愛想笑いで誤魔化した。無意識に発した皮肉に当の将校は気付いていないようだった。王族として品位ある言動を貫いたまでだが、たぶん率直な感想を述べた方がこの軍人たちは好感を抱いてくれるような気がした。


「こら貴様ら! 殿下がお越しだというのに野糞を垂れながらカードゲームに興じる奴があるかああああああああ!」

「私は、き、気にしてませんから」

 食事の後は塹壕の視察。ところが塹壕に入る前に案内役のはずの軍曹が、そこらの原っぱに座っている兵士の一団へと怒鳴り散らしに行ってしまった。兵士たちが座っている椅子っぽい何かがが、手製の簡易便所おまるだということは後から知った。とにかく塹壕の人口密度に対して設営した便所の数が足りず、いつも渋滞が起こるらしい。自分のせいで彼らがとばっちりを喰らうのは不本意なので、アイラは話題を逸らしてうやむやにすることにした。

「ジャバルタリク式のカードゲーム、私は興味があります。皆様がどう余暇を過ごしているのか教えていただけますか?」

 人懐っこい兵士がいそいそとズボンを上げ、こちらに近寄ってきた。

「面白いですよ、殿下もやってみますか? ほらこっち来て、今から手札配るところ――」

「糞を拭いた手で殿下に触るなバカ者おおおおおおお!」

 軍曹が兵士の襟首を掴んでアイラから引き離した。結局彼らは30分間「捧げ銃」状態で立ち続ける罰則を与えられた。


「お会いできて光栄です、殿下。しかしくれぐれも医療行為の邪魔にならないよう御注意ください」

「は、はい」

 次は野戦病院の視察。仕切っているのはやたらと険しい目つきの魔女だった。しゃしゃり出た記者がアイラと一緒に記念撮影するよう要求するが、その魔女はにもべもなく断った。健診を受けに来た半裸の新兵の列が続々と詰めかけ、彼女はその対応をするべく去っていった。

 案内役に放置されたアイラが呆然と立ち尽くしていると、肌色の行列が嫌でも目に入ってくる。兵隊というのは筋骨隆々であるものだと、当然のように思い込んでいた。この場にいる彼らはいたって普通の男たちだ。生白い細腕の青年もいれば、志願前の贅肉が抜けきらない中年もいる。どう見ても募兵検査をクリアしたとは思えない歳の老人までいる。彼は周囲に自分の身体に刻まれた弾痕を自慢していた。

「あれは今から40年前、儂は東南植民地軍の戦列歩兵でな、叛乱軍の突撃を正面から迎え撃ったのじゃ。こいつはその時、敵のライフルマスケットに撃たれてなぁ」

「それ負け戦だったんだろ爺さん。座学の教本に載ってたぜ」

「負けたからなんじゃ! 勝ちの見えぬ戦であろうと、王国臣民ならば忠義を示せという話よ!」

 それ以上聞きたくなくて、アイラは勢いよく踵を返した。すると、顔面が何か柔らかいものにぶつかった。

「ぁっすみませっ」

 すごく背の高い女の胸だった。結構な勢いで衝突したのに、相手は微動だにせずアイラの方が尻もちをついた。どんな体幹の持ち主かと思えば、竜の魔女ケイリー・カーライルだった。袖を捲った白いブラウスと深い青色のカーゴパンツ、フライトジャケットを腰に巻いたラフな恰好だ。長い銀髪を雑に後ろで縛っていて、化粧っ気は皆無。そんなガサツとも取れる出で立ちが不思議と中性的な美貌を際立たせ、変にアイラをドギマギさせた。

「あ……その節は、本当に……」

 反応が遅れたぶん、差し伸べられた手を取りながら愛想笑いを繕う。

「殿下。お仕事は順調ですか」

「え?」

 急に何を言い出すんだろう。

「仕事は人生です。モチベーションを伴わない仕事は、人を疲弊させます。自分の行動がもたらすであろう結果に、自信が持てないのではありませんか」

 海峡で救われてからこのかた、彼女と交わした会話の中で一番長い台詞だった。確かに上陸して以来頬が引き攣る思いをしてきたが、よほど顔に現れていたのか。ケイリーは鉄面皮のまま、困惑するアイラの手を引く。まるで紳士がエスコートするかのように。

「従軍記者を撒きます。行きましょう」

 ケイリーは自然な動きで半裸の男の群れにアイラを引き入れた。むっとするような男臭さにアイラは気が引けたが、ケイリーが「失敬、通してくれ」と手をかざすだけで彼らは道を開けてくれた。魔女への敬意は新兵たちの隅々まで浸透しているようだ。

「あの、どこへ向かうのですか!?」

 人垣が自然に生み出す喧噪の中、アイラはそうそう発する機会のない大声を振り絞った。するとケイリーはアイラの耳元5ミリで、囁くように答えた。

「私の宿舎です」

「え? え?」

「あなたには休息が必要です」

 男臭さの反動もあってか、ケイリーの言葉はびっくりするくらい甘い匂いを伴ってアイラの脳を揺さぶった。


 ちょっと休憩するだけ、とかのたまって部屋に連れ込まれる。つまりはお持ち帰りされる。


 そういう文化が古来より存在することをアイラは一般教養として知っていた。

 いや、だが、しかし。そんなわけ。でもまさか。

 女同士でとか真昼間からとか王族であるこの私をとか、そんな成立し難い条件を全部すっとばしてアイラはそういう考えに至り、顔を真っ赤にした。ここまでの気苦労で思考回路が多少おかしくなっていたのは確かだ。



 司令部に併設された魔女戦隊の宿舎。その一角にある個室にアメリア、リタ、シャーロットが待機していた。3人詰めかけても手狭さを感じないのは、本来の部屋主であるケイリーが全く私物を置かないからだ。

「しっかしアメリアさぁ、ケイリー巻き込んで大丈夫だったの?」

 他人のベッドにどっかり腰を落ち着けたリタが、アメリアに問う。

「ケイリーは『仕事を手伝って』って言ったら喜んで協力してくれたよ」

「や、そうじゃなくてさ……あいつコミュ障じゃん。王女様を無理やり拉致ってきそうで怖いんだけど」

 平素のケイリーの無口っぷりは魔女戦隊の皆が太鼓判を押すところである。アメリアもそこは否定しない。

「でもケイリー、任務に関わるとすごく饒舌になるんだよ。それに多少口下手でも、王女殿下を助けた命の恩人だし、私たちの中じゃ一番警戒されない立場だと思うんだ」

 釈然としない顔のリタに続いて、壁際をうろちょろしていたシャーロットもまた不安げに口を開く。

「ケイリーお姉さまが悪いわけではありませんが、あの上背と無表情で同行を求められたら王女殿下も怖がられるのでは?」

 確かにケイリーの長身や鉄面皮は、彼女をよく知らない者に威圧感を与えることもある。しかしアメリアは胸を張ってシャーロットに答える。

「ああいうカッコいい女性にドキドキする女の子って多いんだよ」

「うーん……? よく分かりません」

「男っぽい女の人はモテるの。つまり、」

 アメリアはローブととんがり帽子を放り、髪を雑に後ろで束ねてシャツの袖を捲り上げた。ケイリーのオフスタイルを真似たのだ。それでシャーロットに覆いかぶさるように迫り、片手で壁をドンと叩く。おまけにもう片手で後輩魔女の小さな顎をクイっと持ち上げて、低い作り声で囁く。

「キミ、可愛いね。私とお茶してよ……みたいな感じ」

「確かに私は可愛いですけど……やっぱりよく分からないです」

 アメリア渾身の決め顔に、愛らしく小首を傾げるシャーロット。他人のベッドでくつろいでいたリタが鼻で笑う。

「アホなことやってないで、次策も考えた方が良くない? 内緒で王女と接触できる機会は多くないよ」

 アメリアは作り声のまま唸った。シャーロットのほっぺたをムニムニ触りながら考え込む。

 アメリアの思い描く作戦の修正案を実現するにはアイラ王女の協力が必要で、そのためにはアメリアたちが秘密裏に王女と接触する必要がある。彼女らの動向が表に出た瞬間、確実に司令部から待ったが掛かるからだ。そこで密会の場には一応女子寮でもある魔女戦隊の宿舎が選ばれた。計画の第1フェーズ、名付けて「魔女のお茶会」。なお、シャーロットはこのネーミングセンスに首を傾げ、リタは馬鹿笑いしてくれた。

 協力者のケイリーが王女をここまで連れ込んでくれなければ、計画は早くも頓挫してしまう。王女のスケジュールはそれなりに過密で、見張りや周囲の将兵の目を掻い潜るチャンスはリタの言う通り少ない。

「てか、ケイリーが女受けするツラだとしてもさ、仮にも王女様がそんなチョロいわけないっしょ」

「ま、まぁあと30分だけ待ってみようよ。お茶の準備もしてることだし」

 アメリアは王女殿下の純粋な義理堅さに期待して、リタを諫める。

 と、ふたつ足音がした。即、部屋のドアが開く。

「こちらです、殿下」

「あ、あの、お待ちください、私、心の準備が……」

 ケイリーはアメリアの期待に応えてくれた。強引な手段を使ったかもしれないが、穏当かつ良好な結果を出してくれたのは間違いない。

 俯きがちな顔を赤らめたアイラ王女が、いじましくケイリーの腕に指を絡めていたからだ。

 慌ててベッドから飛び降りたリタが「チョロかったわ……」と口パクで感嘆した。シャーロットは見てはいけないものを見てしまったように顔を背け、ついでにアメリアの手をそっと払いのけた。


 麗しい竜の魔女に部屋に連れ込まれたと思ったら、3人も別の魔女がたむろしていたアイラ王女の混乱は察するに有り余る。手っ取り早く誤解を解くため、アメリアはストレートに状況を打ち明けることにした。抜かりなく握手を求めてがっちり王女の手を掴み、退路も断っておく。

「お初にお目にかかります、アイラ殿下。鉄条網の魔女アメリア・カーティスと申します」

「え? 一体何が何だか……」

「殿下と内密にお話したくて一計を案じた次第です。喫緊の事態ですのでどうぞ御容赦を」

 アメリアの言葉を継いでシャーロットが素早く来客用の椅子を引き、卓上に準備していたティーセットを指し示す。

「まぁまぁ、お茶を御用意しております。決して殿下を害する意図はございませんので、どうぞお掛けになって下さいまし」

 リタがアイラ王女に見えない位置からケイリーに向けてハンドサインを送る。「グッジョブ」と「もう行け」。作戦に参加しない彼女はここから先の話を知らない方がいい。ケイリーはアメリアたちの思惑を察した様子はなかったが、素直に頷いた。

「お前たちがいい仕事を成せるよう祈っておく。殿下、私はこれにて失礼します」

「えっちょっケイリーさん待って行かないで」

 引き留めようとするアイラ王女の袖をシャーロットが絶妙な力加減で引っ張り、「まぁまぁ」の連打で半ば強引に席に着かせる。素っ気なくケイリーが踵を返し、ドアが無情な音を立てて閉じられた。リタがどっかり自分の椅子に尻を置き、不良っぽくトントンと卓を小突く。

「あたしらと茶ぁしばくのは嫌ですか? 王女様」

 挑発的なリタの態度にアイラは眉をひそめた。しかし不良が売られた喧嘩を買うように、王族は招かれた茶会には必ず応じるのだ。ケイリーに抱きかけたほのかな期待を脇に置いて、アイラはカップに指を掛けた。それがジャバルタリクの流儀ならと、熱い紅茶を一息に飲み干す。

「皆様、一体どういうつもりなのですか?」

 アメリアも座って、皿に盛られた菓子を手に取った。ドライフルーツを練り込んだ薄焼きのビスケットは戦闘糧食の貴重なデザート枠で、戦況の芳しくない昨今はあまり振舞われない。今回はアメリアが急遽、補給科に「おねだり」して調達した。久方ぶりにひと口かじって、やはり美味しくはないなと再確認する。嚥下する間にも、アイラ王女からは無礼への反感と密談への警戒感をひしひしと感じる。アメリアはおとぎ話みたいな魔女の茶会に憧れていたが、実態はこの空気の悪さ。シケている。

 リタとシャーロットが、アメリアの言葉を待つ。アメリアはアイラの瞳をまっすぐに見据えた。

 青空みたいに澄んでいて、綺麗だ。

 ちょっと気が弱そうだけど、きっとその視座が曇ることはない。アメリアはそう信じることにした。

「端的に言いますと、私はあなたに戦争の矢面に立っていただきたいんです」

「……私は魔女ではありませんよ。立場があって、なのに力が無くて、だから戦えません」

 アイラの自嘲をアメリアは自然な微笑で受け流した。

「戦う必要はありません。殿下にはジャバルタリクの将兵の前で国旗を持っていただき、その雄姿を写真に収めます。新聞に載せれば、多くの臣民を勇気づけられるでしょう」

「……それだけの役割を頼むために、このような場を用意したのですか?」

 アイラ王女の当惑はもっともだ。旗を持った写真なんてどこでも撮れる。なんならセントジョン将軍と握手を交わした際も、背景に連合王国旗とジャバルタリク駐留軍の諸軍旗が映った写真を撮られている。

 そんなのは茶番だと、アイラ王女はもう知っている。フィルムと新聞記事を挟んで描かれた虚像は、本島とジャバルタリク半島を真の意味で結ぶことはない。銃後の人々は海峡の向こうを別世界だと思っているし、つい先日まで彼女もそう思っていた。

 アメリアはゆるやかに首を横に振る。

「大役ですよ。占領された敵陣地に旗を突き立てる役割を担うのですから」

 アイラはその言葉を聞いて、空のカップを口に付ける程度には混乱した。シャーロットがすかさずお代わりを注ぐ。

「…………へ? なんて?」

「言葉通りです。これからジャバルタリク駐留軍は戦意高揚のために攻勢に出るんですが、その際に攻略目標であるエスターライヒ城を占拠した証として旗を立てる役割を誰かが担う必要があります」

「それを、私に?」

 アイラが正気を疑うような視線を全員に回す。リタが意地悪そうに犬歯を向いて笑った。

「現役の王女様が最前線で旗を立てるなんてえる写真が出回れば、刺激的エモ話題沸騰メチャバズ間違いなしでしょ? どうせ王族方は王女様の来訪でどんだけ志願者や戦時国債の数字上がるか計算してんでしょーけど、安全な後方ばっか訪問してるよりずっと効果ありますよ。ちなみに発案者はアメリアなんで、不敬罪とかのお問い合わせはこいつにお願いしますね」

 絶句。

 リタのおちゃらけた言葉を全スルーしたアイラ王女は、カップを持った手を静かに震わせている。アメリアは予想通りの反応に対し、予定通りの残酷なお願いで畳み掛ける。

「アイラ王女殿下。あなたの力が必要です」


 この国の姫君に、薄汚い荒野を駆けずってもらう。無惨な兵士たちの死骸を踏み越えてもらう。占拠した敵陣に手ずから旗を立てることで、無謀な攻勢に意義を与えてもらう。その立場と容姿と知名度の全てを以て、王国臣民に勝利を期待させるために働いてもらう。


「私たちと共に、戦場に立ってください」

 アメリアは震えるアイラの手をそっと抑えた。魔女の指は鉄条網のように王女の退路を塞ぎ、がんじがらめにして手繰り寄せる。

 逃しはしない。王女には戦争の、当事者になってもらう。

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