第2話:炎の魔女
炎の魔女リタ・レッドアッシュ、18歳。特技は爆破と焼却。魔女戦隊で最強の魔女は誰かと問われれば兵士たちは「俺の推しが最強だ」と殴り合うこと請け合いだが、誰が最も火力に秀でているかといえば皆がリタを挙げるだろう。彼女の爆槍はあらゆる装甲を撃ち砕き、炎波を起こせば戦区まるごと灼熱の焦土に変えてしまう。
「リタさんだ、うお……いい匂い」
「そうか? あの人なんかあんまり風呂入ってなさそうじゃね?」
リタは暗がりで足を取られた振りをして、ひそひそ話をしていた新兵の脛を蹴っ飛ばした。先を行く先任軍曹が振り返ってリタを心配した。
「大丈夫ですか、魔女どの」
「へーきへーき。それよか最新情報お願いしますよ」
昼間の攻勢を鉄条網の魔女アメリアが撃退した後、帝国軍に大きな動きはない。損害を補填するためしばらくは敵陣も守りを固めるだろう、と司令部では聞かされていた。ただし戦場には不可視の霧が常に滞留している。幕僚たちの見解は理論によって固められるが、実際の戦場が思ったより理論的じゃないことをリタは知っている。今回のように敵を撃退した直後にまた準備砲撃が始まり、散発的な砲声を一晩中聞かされた挙句にヘロヘロの帝国軍(おそらく爆音で眠れなかったと思われる)が突撃をかけてきた事例もある。戦況は全体で見れば帝国が優勢のはずだが、あっちもあっちでどうかしているのだ。
「目の良い狙撃手が一人、日没前に北側から飛来する機影を見たようです。司令部には報告しましたが、行き違いになったようですな」
つい先刻じゃないか。リタは面倒くさそうに頭を捻った。対空戦は彼女の領分ではないので考えたくないが、より悪い可能性を想定して動いた方が良い。
「夜間爆撃、じゃないっすよね。効率悪すぎだしリスクに見合わないし」
夜に飛行機を飛ばすには、未だ技術的な問題を数多く抱えている。大地のかたちは変わらずとも、人の感覚は夜闇の中では容易く惑わされる。夜襲に爆撃機を用いる戦術は両軍ともに試してみたが、自他の位置把握すら覚束ない今の技術では碌に戦果を挙げられていない。
「機影は輸送機のものだったと報告されています。何か企んでいるのは間違いないのですが……」
いきなり頭の上から声が掛かった。
「そりゃきっと夜這いだよ、お嬢さん」
「はぁ?」
狙撃銃を担いだ若い兵士が塹壕に降りて来た。階級章は上等兵。見かけの歳に対して相当の手練れだとリタはすぐに分かった。彼は先任軍曹に短く敬礼すると、すぐに皮肉気に口を続けた。
「
「サンダーソン上等兵! 貴様が見たのは輸送機だけだろう! 不確かな情報を流布するな! 帝国の科学技術に対する兵士たちの怖れが生み出した噂話だ」
どうやらこのサンダーソン上等兵とやらが輸送機を発見したらしい。
「軍曹どの、そもそも敵国の科学技術は怖いもんでしょ。なんで俺たちが帝国軍に押されてるかって言えば分かるはずさ。ライフルから戦車や戦闘機まで、ダンチなまでに性能差があるんだ……次は改造人間が来たっておかしくないぜ」
先任軍曹に口答えする兵士がいることにリタは驚いた。鉄拳制裁で塹壕の端から端までぶっ飛ばされてもおかしくない。が、軍曹は難しい顔で深く唸っただけだった。事実、王国軍の劣勢の一因は軍事技術の差にある。
リタは睨み合う男たちの間に入って、とりあえず聞く。
「で、ナハツェーラーって部隊は実在するんすか?」
軍曹が眉間にしわを寄せたまま答えた。
「過去の戦線で目撃例がいくつか。しかし、なにぶん夜に来るものですから、奇襲を受けた兵士の混乱と合わせて有力な情報は得られていません。また、他部隊との連携を取らないことから、上等兵のいうような怪人を試験運用するための部隊なのではと一部の将兵は囁いていますが……小官としては、根拠に乏しい発言は控えたいところです」
サンダーソン上等兵が得意げに捕捉する。
「夜に単独の機影が見えたってのも、ナハツェーラーの襲撃を受ける前によく言われてた。間違いないだろうぜ」
リタは癖っ気のある赤毛を軽く掻き撫でた。これも彼女の考えるべき分野ではない。しかし、最悪の事態を想定した方が有利だ。いや、実際には有利な方が最悪な事態を押し付けてくるのだが。
「軍曹。とりま、そいつらが来ると仮定して配置転換を勧めます。あたしは第一塹壕線の前に罠を張るんで、全人員を200メートルくらい後方に退避させて、できれば射角を広く取れる地表に陣取るよう将校さんに提言してください」
「最前線を放棄して平地に展開せよと!?」
「伏兵が必要なんです。簡単な掩体程度は掘っていいけど、ほどほどに。軍曹と上等兵の言う噂話がホントなら、敵は前線より深くには立ち入らないはずです」
「空挺部隊なのに、ですか……?」
普通、空挺は敵地後方を狙うものだ。軍曹の当惑は至極当然である。
「今まで尻尾掴めてないのは、すぐ逃げてくからっしょ? なら、その部隊の意義は空挺作戦じゃなくて、上等兵のいう妖怪みたいな兵士の運用試験にあるんじゃないっすか?」
前方の敵陣地は疲弊しているのか、やはり動きがない。ならば輸送機に気を取られている隙に全力突撃を仕掛けてくる心配はない。件のナハツェーラー部隊が単独で仕掛けてくるものとみていい。
「妖怪だかなんだか知らないけど、挟み撃ちにして丸焼きにしましょうよ」
リタは両の掌を打ち合わせた。
提言は受理された。炎の魔女の発言力というよりは、魔女戦隊の長官でありれっきとした幕僚の1人でもあるソロモンス中佐の影響力のおかげだろう。さざ波が引くように、第一塹壕線の兵員が後退していく。リタより近接戦闘の得意な魔女が何人か応援に来てくれるそうだが、襲撃のタイミングに間に合うかは怪しいところだ。ジャバルタリク要塞線はたかが数十名の魔女でカバーできるほど狭くはないし、いつも相性のいい戦場に魔女を投入できているわけでもない。
残ったのはリタと、機関銃手などの一部要員。それとなぜかサンダーソン上等兵が同伴を申し出た。リタの正面に腰を下ろして着剣しながら、若い狙撃手は上機嫌だ。
「あたし護衛とかいらないんだけど」
リタの戦い方は味方を巻き込みやすい。いくら魔法で炎を制御できても、発生する熱自体は物理法則に則っているのだから当然だ。
「あんた、自分が狙われてるって予想してんだろ。そういうの放っとけないんだよね」
「……そう」
空挺部隊は陽動や攪乱の他、敵軍の重要ターゲットを狙うことが多い。ターゲットが人間なら大抵の狙いは高級将校だが、連合王国軍で最もヘイトを買っているのは魔女たちだ。戦力の劣位を補うべく、多くの魔女は前線に出ている。だから必ず、敵の奇襲部隊は魔女狩りを念頭に置く。
魔女は決して敗れぬ戦場の女神。王国民の誰もがそう信じたがる。銃弾は魔女をも平等に穿つのに。
「あ、惚れた? へへっ、俺アメリアちゃん推しなんだけどなぁ」
「惚れないわよ。あたし彼氏いるし」
「えっ……マジで?」
「なんでそこで動揺すんのよ、アメリアが好きなんでしょ?」
「いや推しってそういうんじゃねえから……基本的に女の子にはモテてえし」
リタはふざけた狙撃手の脛を蹴飛ばした。見栄を張っただけで、リタに恋人などいない。言い寄ってくる男は山ほどいるが、彼らはリタを18歳の女としては見ない。うわべはどうであれ、彼女に寄せられる好意の本質は、炎の魔女に向けられる崇敬の念だ。
以前アメリアに魔女戦隊へ参加した理由を聞いた時、彼女は「皆のため」と答えた。いつもアメリアは呪文のようにそう唱えて戦う。なぜか、赦しを乞うように。
リタはそんな可愛い後輩を難儀だと思う。
戦争が始まる前、リタは屋敷の離れに幽閉された悪魔の子だった。田舎で獣除けの鉄条網を編むような大人しい魔女は排斥されたりしない。けれどリタは魔法の性質が示すように苛烈で、衝動的で、ある種の破滅願望すら幼い頃から身に宿していた。だから隔離されていた。軍人として大陸領に行ったきりの父兄に代わり、母がリタを監視した。屋敷を、親を、自分を燃やしてしまわないように。
「魔女なんて、大したもんじゃないのに」
塹壕の底に吐いたリタの独り言に、サンダーソン上等兵は顎を掻きながら押し黙った。
母の態度が変わったのは戦争が始まってしばらくして、父と兄が戦死してからだ。母は国防婦人会とかいう主婦たちの自警組織に加入し、家を守るべき女たちも銃後の支えとして働くよう呼びかけ始めた。同じ時期に魔女戦隊の募兵官が街に来なければ、今頃リタも同年代の少女たちと同じく砲弾を製造する工場で日がな一日働いていただろう。
リタは悪魔の子から、一家の誇りになった。死ねば国家の守護者として首都の英霊墓地に葬られることが決まっている。母は出征する一人娘を涙ながらに送り出し、毎月の手紙も欠かさず送ってくれる。
母は炎の魔女が死んだとき、また泣いてくれるだろう。
「いや、あんたは大したもんだよ」
顔を上げる。いかにも軽薄そうな狙撃手が、不似合いだと一目で分かる真剣な表情をしていた。
「塹壕の中で震えてりゃ、いつか戦争が終わると思ってる奴がいる。本島から手紙を送って応援してりゃ、いつか戦争に勝てると思ってる奴がいる。そいつらは戦ってる気になってるだけだ」
「それについては……同感だわ」
リタは、母の期待に応えてやるつもりなんてさらさら無かった。ドブとシラミにまみれて無様に戦い抜き、なんか奇跡でも起きて本島に帰還できたら……母をぶん殴ってやるつもりだ。いけすかない国防婦人会のオバサン共も、軍のプロパガンダ新聞と化したデイリーなんちゃら紙の記者たちも。ついでに敵を狙ったフリをして弾を無駄遣いし、戦場の女神に縋る一部の兵士たちも。気に喰わない奴らを皆纏めてボコボコにしてやりたい。
「サンダーソン上等兵くんは、そいつらと違うとでも?」
リタが気怠げに問うと、彼は自分の得物の銃床を見せた。刻まれた傷が7本。敵を撃つたびに戦果を刻むのは狙撃手にありがちだ。若い兵士が戦死するまでに7人殺せば、まぁ上澄みの部類に入るだろう。しかし彼の戦果はリタの想像を超えていた。
「10人で1刻みだ。俺は今まで70人殺した」
「わぉ、やる気あり過ぎでしょ」
先任軍曹にデカい態度をした本当の理由はこちらか、ようやくリタは腑に落ちた。彼は天才か、あるいは何かに
「撃たなきゃ勝てねえ。それは兵隊でも魔女でも、同じなんだよ」
当事者で在り続けること。できることを本当にすること。なんて難しいんだろう。それでも魔女と兵士たちは、ジャバルタリク戦線を守り続けている。
「だからまぁ、背中は任せてくれよ。魔女さまの邪魔にならん程度に援護するからさ」
リタは静かに微笑みを返した。
灯火管制が敷かれた第一塹壕線の一点に、ぽつんとカンテラの光が灯る。異なる
無線手が司令部からの暗号を伝えに来た。敵の輸送機を再度捕捉できたらしい。進路はちょうど、リタのいるこの戦区。
エンジンの唸り声が、夜風に混じる。ずいぶんと低い高度を飛んでいる。リタは自然に口角が上がるのを抑えられない。片手に高々と青炎のカンテラを掲げ、もう片手で魔女のとんがり帽子を目深に被り直し、塹壕の上で不敵に笑う。
向けられる殺意が、心地よかった。
リタは同僚たちの前でダウナーを演じている。けれど今でも、本当の彼女は母に怖れられた悪魔の子だった。宵闇を這う帝国の怪物へ、魔女は獰猛に犬歯を剥く。悲しいかな、本当のアタシなんていうナイーブな本性を見てくれるのは、リタと対峙してくれる敵だけなのだ。
「爆ぜろ」
カンテラが不吉に煌めく。一瞬遅れて、第一塹壕線の前方一帯に青い閃光が走った。更に遅れて、大地を揺るがす爆熱の咆哮が大気を巻き上げた。幅約2キロ、射程400メートルの炎の波濤が瞬く間に荒野を駆け巡る。これを放てば生身の敵兵は即死。堅牢な敵戦車も2000度を超える焦土の中でまともに機能するはずがなく、やがて蒸し焼きになった戦車兵と共に爆散する。
初手、極大火力。リタの最も得意とする範囲攻撃魔法だ。しかしこれで空中の敵を撃ち落とすわけではない。
高度600メートルの低空を這う敵輸送機の影が、青く照らされる。十数名ほどの空挺兵を投げ捨てるように投下し、既に離脱体勢に入っている。輸送機自体を狙い撃つのは下策だ。第一塹壕線より後方には照明投射機と大口径の対空砲が設置されているが、ド派手な光を発するそれらを使えば、せっかく配置転換させた兵士たちの居場所をナハツェーラー共に知らせてしまう。ばかりか兵士たちの暗順応を台無しにするおそれもあった。
この魔法の目的は、炎の照り返しでナハツェーラー共の位置を特定すること。彼らの暗順応を棄却すること。そして、グライダーによる低空飛行を炎熱と上昇気流で阻害すること。
敵は第一塹壕線に降りてくるはずだ。リタを狙って。
「サンダーソン! あたしから離れないで!」
塹壕へ駆け下りるなり、リタは狙撃手に叫ぶ。おっと、牙を剥いたままだった。リタは獰猛な笑みを誤魔化そうとしたが、何を思ったかサンダーソン上等兵も同じように凶悪な笑顔で応えた。
「それって愛の告白? 燃えるね」
「あんたまで燃やさないようにって配慮なんだけど」
背中合わせに魔女はカンテラを、狙撃手はライフルを構える。
黒いグライダーの幾つかは上昇気流に速度を殺されたようで、翼を燃やしながらリタが生み出した灼土の中に墜ちていった。それでも炎の波濤を乗り越えたナハツェーラーたちは巧みに急降下、第一塹壕線に次々と着地する。
「来るぞ!」
夜目が効くらしいサンダーソン上等兵が即座に銃撃した。機関銃手も内角に向けて制圧射撃を開始。リタも自陣に降りた敵影を確認、青いカンテラを輝かせて炎波を放つ。
リタは青い火炎に照らされた怪人の影をはっきりと目視した。全身黒ずくめ、ガスマスク、四肢が異様に長い。得物は大振りのコンバットナイフ。それは両手足で塹壕の壁を這い、灼熱に巻かれながらそれでも魔女を狩るべく突き進む。熱が体組織を破壊し、兵士としての機能を奪うまでの数秒間、それは止まらなかった。
「はっ……」
敵刃がリタの喉元に迫ったのは、初めてだった。青炎に抱かれた怪人が絶命する瞬息の間、首筋を掠めた切っ先の冷たさに彼女は呼気を引き攣らせた。横に飛びのく。リタはまだ息をしている。怪人は斬撃を空振らせた勢いのまま、塹壕のドブに倒れ込んで燃え尽きた。
痛みを感じないのか? 死を怖れないのか?
ナハツェーラー。
グライダーで低空侵入してくるからそう呼ばれているのかと思ったが、実体はこちらか。低く低く宵の下を駆け、欠落した生の証を他者から奪い去る怪物。恐るべき身体性能と精神性だ。
機銃の音が止んだ。横目を走らせると、射手がナハツェーラーに首を刎ね飛ばされたところだった。弾帯持ち要員が慌てて反撃を試みるも、あっさり腹を捌かれて崩れ落ちた。嘲弄するように、曲芸じみた動きで次の獲物へと向かっていく。サンダーソンは――とん、と肩がぶつかる。よかった、生きてる。魔女と狙撃手が背中合わせに怪人たちと対峙する。
「想定よかヤバいな。塹壕をゴキブリみたいに跳ね回ってきやがる」
「想定してたヤバさよ。敵は閉所での白兵戦に特化してる。つまり、あたしらの方が閉所でも強いって判断させれば塹壕から追い出せる」
第一塹壕線前方は未だにリタの炎が燃え盛っている。敵はそちらへ逃げられない。リタはカンテラを一際強く煌めかせた。
「片翼を一掃する。隙がデカいから背中を守って」
「了解、牽制に徹するよ」
リタの前方にナハツェーラーが5名、いや6名。いや、そいつらは囮で見えてない本命がいるかもしれない。こちらの狙いを惑乱する足捌きで、着実に距離を詰められる。炎の波濤を塹壕内で生み出せばどんな思惑だろうと一掃できるが、こちらも酸欠で死ぬ。求められるのは精密な爆破。破壊衝動のイメージを、細く鋭く収束する。
背後でサンダーソン上等兵が射撃を続ける。彼が撃ち続けているうちはリタの背中も無事だ。そう信じる。信じて、唱える。
「砕けろ!」
炎の魔女の第2の魔法、爆槍。青い光の束が塹壕を駆け巡る。光の真正面を駆けていた先頭のナハツェーラーが塹壕の床ごと消し飛び、肉片すら残らず塵煙に還る。それと影を重ねていたもう1人は粉々の炭となって壁に痕を残した。光の束は精密に誘導され、3人目の胴体を穿って内側から四散させる。
傍から見れば、聖なる光が悪魔を追い払っているように見えるだろうか。
リタはもう一度、砕けろと吠える。命を賭して躍り出た怪人たちにもう一射、光の束が喰らい付く。戦争という逃げ場のない檻で、怪物同士が喰らい合う。だが敵刃はもう届かせない。有象無象を薙ぎ払うのは爽快だが、覚悟ある精鋭を撃ち砕くのも筆舌に尽くし難い悦びをリタに与えてくれる。爆炎に跳ね返った赤毛が獅子のたてがみのように靡く。火達磨の剣舞に踊り狂う夜の怪物を手ずから撃滅するたび、魔女は官能的なため息をこぼす。
お前たちは、あたしと同じだ。
家族がいたの? 恋人は? お国への忠誠はいかがなもの? そいつらはすべて偽物だ。そいつらは、ジャバルタリク戦線を決して現実だなんて思っていない。どうかしちゃってる兵隊たちの泥仕合を、遠巻きに観戦してるだけ。元より死兵のナハツェーラーは、きっと魔女と違って棺にすら入れてもらえないんだろう。それでも、大事なものを全部捨ててあたしに向き合ってくれた偉大なる敵兵に、最大限の賛辞を。
仲間の燃えカスの中から奇襲を仕掛けてきた敵兵を、丁重に焼却する。目算では、第一塹壕線に降り立ったナハツェーラー部隊のおよそ半数を撃破した。爆槍を制御する間、リタは集中のため一歩も動けなくなるが、どうにかサンダーソン上等兵が背中を守り続けてくれたようだ。
「攻撃が止んだぞ」
ようやく振り返ると、狙撃手は軽薄な笑顔に幾つも傷を作っていた。脇腹から血が流れ、銃剣も折れている。それでもどうにか生き延びてくれた。彼は排莢しつつ肩をすくめてみせた。
「一匹しか仕留められなかった」
「充分でしょ、残敵は?」
「魔女どのの予想通り、後方に駆け登っていったよ。8,9人ってところだ。平地じゃ何もできやしねえだろうな」
有利を確信していた塹壕でリタを仕留められなかった以上、ナハツェーラーたちは地表に上がらざるを得ない。炎の波濤を迂回し、第一塹壕線の後方に沿って撤退する腹積もりだろう。リタが提案した通りの布陣で兵士たちが射撃を開始した。対空用の照明投射機が容赦なく怪人の影を浮き上がらせ、撃ち抜いていく。対空砲まで持ち出しているらしく、激しい炸裂が二人の頭上を揺らした。
趨勢は決した。
射撃止め、の合図で暴力的なマズルフラッシュが黙り込む。耳鳴りがするほどの静寂が戻り、ようやくリタとサンダーソン上等兵は塹壕から頭を出すことができた。
リタがカンテラを穏やかに掲げると、平地で伏射体勢にあった兵士たちが一斉に立ち上がり勝利に沸く。先任軍曹が白兵戦用の手斧を振りながら、珍しく喜び露わにリタへと賛辞を贈る。
「お見事でしたぞー!」
リタは鷹揚に手を振った。犠牲は出てしまったが、狭い塹壕に全人員を詰めていたら被害はもっと拡大していた。炎の魔女が多くの味方を救ったのは確かだ。今後ナハツェーラーのような白兵戦に長けた敵との戦い方については、偉い将校たちに考えてもらうとして……とりあえず、英雄扱いを甘んじて受け入れよう。
リタは強敵を検分すべく、平地に晒されたナハツェーラーの死体の山へと近寄ろうとした。
「待て!」
「え?」
制したのはサンダーソン上等兵だった。素早くボルトアクションして次弾装填、リタの前に躍り出る。
同時に、一匹の死体が跳ね起きた。腕と脚の区分を廃し、ズルリと胴を引きずり、ただ目標への狩猟本能に突き動かされてガスマスクの頭をもたげ――死体に隠れていた最後のナハツェーラーが、爆発的に加速する。
炎の魔女の弱点は、魔法の発動の遅さ。炎波にしろ爆槍にしろ、攻撃まで数秒の遅れが生じる。短時間でそれを見極めたナハツェーラーが、特攻に打って出た。
サンダーソン上等兵がライフルを腰だめに構え、射撃。地を這う怪人の肩を穿つが、三本足になっただけで怪物は止まらない。折れた銃剣を叩き落とし、ひと蹴りで上等兵を横っ飛びに薙ぎ倒す。リタは反応できなかった。平地に展開した兵士たちは歓喜のポーズを取ったままで、急襲に即応できない。どのみちリタと上等兵を誤射してしまう可能性があるため手出しはできまい。
風切り音。
肉が斬り裂かれ、飛び散る。
鉄の匂いが疾風に運ばれて、リタの鼻を刺激した。
「リタ!」
聞き知った少女の声がした。
鋭利な殺意の切っ先が、リタの喉首2センチ前でギチギチと音を立てて抑え付けられている。その腕を縛っているのは、兵士たちのもっともっと後ろから伸ばされた、有刺鉄線だった。鉄線はそのまま自ら四肢に絡みついて強靭な筋繊維をブチブチと断ち切り、ナハツェーラーの戦闘能力を完全に破壊する。血飛沫が飛び散る凄惨な捕り物だ。
「アメリア……」
くすんだ金髪に寝ぐせが付いたまま、鉄条網の魔女は前線まで駆け付けてくれたのだ。
「リタ! 大丈夫、怪我、してない!?」
鉄線の手綱を握ったまま、アメリアがリタに抱きつく。
「……してない」
「良かった! リタたちが正確な情報のない敵部隊に襲われてるって、聞いて、私すぐ志願して飛び出して、」
「落ち着いて。あたしは平気。犠牲は出たけど、ほぼ完封よ」
アメリアはリタの胸に顔を埋めたまま、まだ何かもごもご喋っている。胸元が湿ってきた。鼻水じゃなきゃいいけど。リタはこの可愛い後輩が、なぜ味方の窮地に慣れてくれないのか不思議に思う。
「リタ、また無茶な戦い方してたでしょ。そんなのもうやめて」
「あー……そりゃ無茶な相談だわ。逆に怠いの」
リタは幼子をなだめるようにアメリアの後ろ髪を撫で梳かした。リタの本性は悪魔の子だ。ダウナーな仮面は一番演じやすいからそう演じているだけで、結局牙を隠すのは疲れる。
でも、アメリアに優しく微笑むのは、不思議と苦ではなかった。
「……てぇ」
横に倒れ込んでいだ上等兵がうめいた。アメリアが慌ててリタから離れ、駆け寄る。
「ええと、上等兵さん、大丈夫ですか?」
「てぇてぇ」
「え? どこが痛いんですか?」
手早く怪我の様子を探るアメリアに対し、サンダーソン上等兵はなぜかガッツポーズを取った。
「アメリアたん
「アメリア……たん?」
リタは当惑するアメリアの首根っこを掴んで引き離した。
「こいつは心配しなくていいよ」
いい匂いのする金髪美少女の代わりにマッチョな衛生兵を呼んでおく。
「いや平気だって……アメリニウム摂取すればこんくらい」
「衛生兵? 衛生へーい! こいつ頭やられてるわ!」
「えっリタそれ本当? 上等兵さんしっかり!」
2人の魔女はマッチョな衛生兵にサンダーソン上等兵が搬送されていくのを見送った。野戦病院にも医療に秀でた魔女がいる。優秀な狙撃手は優先的に治療され、すぐに戦線へと復帰するだろう。彼のライフルに8つ目の傷が刻まれる日も近い。
「帰るよ、アメリア」
「……うん」
陣地の再構築も戦死者の弔いも、魔女の仕事ではない。ただ、魔女の喉首に迫るほどの精鋭を帝国が育て上げていた事実は彼女らの仕事に響いてくるはずだ。ジャバルタリク戦線は敵の出血を強いる戦略を固めている。しかし負けないだけでは勝てない。あの怪人は明らかに帝国軍の生体科学の産物とみていい。
魔女はつい2年前に戦争へ踏み込んだばかりだ。そこにどんな政治的思惑があったのか、リタには知る由もない。連合王国は魔女さえいれば戦線を押し返し、戦争に勝てると高を括っていた。
けれど、遅すぎた。科学は常に戦争の当事者であったのだ。帝国の科学技術が連合王国を上回る限り、今後も劣勢は続く。魔女は、決して科学の歩みに追いつけない。
我ながららしくないと思う。司令部行きのトラックに揺られる最中、リタはアメリアに問うた。
「あたしら、これでいいのかな」
魔女たちはこのジャバルタリクで戦っている。最後の砦を守り続けている。しかしこの戦争の本当の当事者が誰なのか、リタには分からなくなっていた。彼女にとって当事者とは、運命を決する権利を持つ者だ。それは安全な本島から手紙を送り続けるリタの母などでは断じてない。あの女は、運命をプロパガンダ紙の女神に委ねて戦った気になっている木偶の坊だ。そんなことはいい、とっくに見限っている。
リタの漠然とした焦燥感は、ナハツェーラーの刃に煽られたものだ。
いつかすべてを焼き払う兵器が現れるかもしれない。あるいは魔女すら一蹴するほどの強兵が群れを成して突撃してくるかもしれない。その時リタは、当事者でいられるのか。無力な己の自尊心を誰かに仮託する、母のような醜い傍観者になってしまうのか。
二律背反だ。いつか魔女が魔女で無くなってしまうのが、リタは怖かった。
柔らかい手がリタの膝に置かれた。
「大丈夫だよ」
いつも鉄線を握っているのに、アメリアの手は柔らかくて、心地よい。隣の魔女に顔を向ける。クマができたねぼけ
「私たちは、できることをやってる。リタは頑張ってる。それじゃダメ?」
「ダメ、じゃないけどさぁ」
アメリアの瞳はくすんだ空色。薄明りの元では曇天に見える。彼女はいつも希望を見ない。現実を、ただ映している。
「撃たなきゃ勝てない。でも撃っても勝てないかも」
「それは仕方ないよ。頑張って頑張って、それでもダメだったら、あとは赦してもらえるかどうかだよ、リタ」
「赦すって、誰が。帝国の皇帝? それとも神様?」
「一番好きな人」
リタの刺々しい皮肉を、アメリアはこれでもかってほどに柔らかく受け止めた。
「私の一番は田舎のばあちゃん。リタには居ない? 好きな人」
しばらくトラックの揺れに任せて黙っていたら、膝に置かれた手が重くなった気がする。
「好きな人居ないの? リタ。さっきの上等兵さんとか良い感じじゃなかった?」
「自分は田舎のばあちゃんとか無難に逃げといて、あたしには恋バナしろって?」
「いや、そういうのじゃないけど、気になるなぁ、リタの大事な人」
「……」
色々と馬鹿馬鹿しくなって、リタはアメリアの肩に寄りかかった。やはり良い匂いがする。サンダーソン上等兵と同類だと思われたくはないが、彼がアメリニウムなどと抜かす気持ちも少々分かる。
「消去法でアメリア」
「う……嬉しいけど消去法って」
悪魔の子にとって、大事なものなんてそうそうない。アメリアの次にサンダーソン上等兵が入ってしまうくらい、ない。いや彼はそこらの女にとっては強くて紳士なナイスガイなのだろうが、まぁ、ない。
恋バナをせがむ可愛い後輩を適当にあしらい、リタは瞼を閉じた。戦場では決して触れられない柔らかさに身を預け、眠気に意識を預ける。
ジャバルタリク要塞線は眠らない。斜陽の祖国を守るため、兵士と魔女は夜通し敵陣を睨んでいる。仕事を終えた2人の魔女も、短いまどろみの後は険しい現実に立ち返る。
「あんたは、悪魔の子でも赦してくれる?」
アメリアの穏やかな寝息を確認してからリタは呟いた。少しだけ、臆病になってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます