第1話 別れ

「はぁっ…はぁっ…!」

日が沈む頃、頭上の夕焼け空と同じ髪の色をした少女は必死に走っていた。

後ろからは、何かを叫ぶ人々の声。

ここからでは聞こえないが、それは恐らく彼女に投げかけられた言葉なのだろう。それに気付いていながらも、彼女は決して振り向かなかった。


         ✩


___数時間前。

「…が…だから…つまりここは…」

忘れ去られたような、山の中の小さな町。ひとつしかない古いつくりの学校で、今日も少ない子ども達のために授業が行われていた。

暖かい昼下がり、日当たりの良い教室、退屈な授業。今はある意味睡眠に適しているような環境だ。窓際に座っていた少女は、眠気に抗えずすっかり夢の世界へと旅立っていた。

「…だというわけだ。では……を…」

教師の話は続く。朦朧とした意識のせいか、手元のノートにはミミズが這ったような文字が生み出されていた。教師の視線がこちらに向いたのにも関わらず、少女の頭はまだ覚醒しない。

「…では、この問題を…フラム。やってみなさい。」

「…すぅ。」

教師の視線が一段と厳しくなる。

「フラムちゃん、フラムちゃん、起きて…」

隣の席の友人の呼びかけにも、彼女は気づかない。

教師の視線が段々と鋭くなってゆく。

「フラムちゃん…」

クラスメイトが諦め気味に彼女の肩を揺らす。

…それでも彼女は起きなかった。

「フラム!!お前今月何度目だ!」

「ふひゃぁいっ!?」

教師の怒鳴り声が辺りに響く。そこでやっと現実世界に帰還した彼女は、クラスメイトに笑われ、教師からもお叱りを受けることとなった。



「はぁ…つかれた…」

放課後。やっと教師から解放されたフラムは、教室で数名の友人と雑談していた。

「ごめんね…もうちょっと強く起こせばよかったかな」

「ううん、ごめんねわざわざ。ありがと」

「それにしてもフラムってほんとよく寝るよね。もう小さい頃からだから慣れたけど。成長期?」

「…だったら私の身長もうちょっと伸びないかなぁ…」

「はは、ないない。」

「なんだと!?」

どっと笑いが起こる。この町では学校に入った時から数少ないクラスメイトの顔ぶれは全く変わらない。そのため付き合いの長い彼女たちは、お互いに遠慮を全くしなかった。

その時、ふと外で強い風が吹いた。窓ガラスがカタカタと音を立てて揺れ、教室の軋む音が聞こえてくる。

いつもの事なので誰も気にはとめないが、1人がため息をついて呟いた。

「…あーあ。こんなオンボロ学校、早く出ていきたい。夏は暑いし冬は寒い。立て付けは最悪だし虫は出る。こんな場所もうやだ。私も都会で可愛い制服着て青春謳歌したいよ。」

「ここじゃ流行りも届かないし買い物に行くような場所はここから数時間かかるし…ほんと田舎って最悪だよね」

「私も…早く都会に出たいなぁ…。」

「…。」

フラムはそれを聞きながら黙って窓の外を見やる。畑と家ばかりで、大きな店も設備もない。その代わり木や草が元気に生えていて、そこら中に緑が溢れていた。

1目見れば分かるような、明らかに発展していない町並み。…それでも彼女は、この町や人が好きだった。皆あたたかくて、やさしい。これはきっと都会にはないものだ。小さな町特有のそれが、彼女には何よりも大切に思えた。

(私は都会に出ることはないだろうなぁ…)

漠然とそう思いながら、友人の話に適当に相槌を打つ。そうこうしている内に日が暮れてきて、空がすっかりオレンジ色になってきた。

ふと時計を見て、いけない、と1人が立ち上がった。

「もう5時じゃない。私、これからお祭りの手伝いがあるの。」

「ああ、そういえば今日だっけ。今年は花火上がるのかな?」

「例年通りやるって、父さんが言ってたよ。」

「そっかぁ。学校終わりにあるから疲れるけど、ちょっと行ってみようかな。…フラムはどうする?」

「行こっかな。折角だし。」

(そっか、もうそんな季節…。)

友人たちの会話を聞きながら、フラムは一言、そう答えた。今日はこの町で恒例の年に1度の夏祭りだ。町での大規模な行事は珍しく、住民は殆ど皆が集まる。勿論フラムも家族と行くつもりだ。

「…じゃあそろそろ帰る?お祭りもあるし」

「そうだね。…ごめんフラム、そこの窓閉めといて。私たちが開けたやつだから」

「はーい」

ずっと開きっぱなしだった近くの窓に近づく。この教室に最新の電化製品など無いので、基本的に窓がずっと開いているのだ。フラムが周りを見れば教室に居た他の生徒も帰る支度をしていて、やっぱり暑そうに汗を拭っていた。

(皆、いつか都会に出てっちゃうのかな…)

長い付き合いだからこそ、この顔ぶれが見れなくなるのは少し寂しい。1人、また1人と教室を去っていくクラスメイトたち。…彼らは田舎のこの町のことも、いつか忘れてしまうのだろうか。

(…やめよう、こんな考え)

首を振ってネガティブな妄想を打ち消しながら、フラムは窓の枠に手をかけた。一瞬、強い風が閉じかけた窓から吹き込んでくる。

「わ」

思わず目を細めたその時、風に乗って赤く光る小さな何かが舞い込んで来たような気がした。

(火の粉…?でもどこからも火なんて…)

「ねぇ、今さ__」

友人達の方を振り返って、フラムは硬直する。…彼女たちの目は、フラムを冷たく見据えていた。

「み、みんな…?どうしたの」

声が震える。

(まるで人では無い何かを見ているような目…)

数歩後ずさりすれば、肩が閉じかけの窓ガラスに触れた。思わずそちらを見る。窓ガラスに写る自分と目が合って、フラムは言葉を失った。

___髪と目の色が、夕焼け色に染まっているのだ。

「ぇ…?」

「魔法使いが出た!!!」

誰かがそう叫んだ。一気に教室が騒がしくなる。

「みんな逃げろ!襲われるぞ!!」

「誰か先生呼んできて!」

「近づくなよ!死ぬぞ!」

呆気に取られている間に生徒はいなくなり、代わりに教師が駆けつける。

「せんせ…?」

「動くな。手を挙げろ」

先程フラムを叱っていた教師は、どこから持ってきたのかその手に包丁を握っていた。

(なん…で…)

助けを求めようと教室の外を見ても、クラスメイトは怯えたようにこちらを見るだけ。さっきまで仲良く話していた友人は、逃げ帰ったのかもう姿が見えなかった。

動揺した頭に、ふと先程の声が蘇る。

『魔法使いが出た!!!』

(__私、魔法使いになったの…?)

魔法使い。それは、穢れた力を持った者のことだと教えられた。いずれその力により理性を失い、怪物と化してしまうのだという。

人が魔法使いになるのは突然で、しかし滅多に無いことだと聞いた時は、他人事だと思っていたのだが…。

(嘘だ、うそ。これは夢なんだ…)

鼓動が早くなる。息が苦しくなり、目の前が霞む。どれだけ言い聞かせても、目は覚めない。窓ガラスには相変わらず髪と目の色が変色した自分が写っている。

「__おい、聞こえないのか」

教師がもう一度声をあげる。

「…やだ、嫌だ、そんなの…」

今日は夏祭りだ。皆で屋台を回って、花火を見て、それから__

「信じたくない!!」

無我夢中で教室から出る。誰かの怒号と悲鳴が聞こえた。

(私は魔法使いなんかじゃない。私は…)

普通の、どこにでもいる女子生徒だ。

廊下を走りながら、そう延々と頭の中で繰り返した。


        ☆


「はぁ…」

気付けば、町のはずれの空き家の近くで座り込んでいた。草が生い茂ったこの場所は居心地が悪かったが、少なくとも簡単に見つかりそうにはない。

(何で…こんなことに)

上の方でふたつに縛ったくせ毛の髪は、相変わらず肩の辺りで揺れている。変わったことといえば、地味なこげ茶色だったそれが明るいオレンジ色をしているという事だけだ。

(信じられない…けど、やっぱり私は…)

「…。」

それ以上は考えられない。思考を断ち切って、フラムは辺りの音に耳をすませた。蛙の鳴き声がどこか呑気に響いている。

(お母さん心配するかなあ…)

いつもならとっくに帰路についている時間だ。何だかこうしていると、悪いことをしている気になってくる。

(帰ったら怒られる、よね…)

寂しくなってきて、思わず俯く。

__その時、向こうの方がにわかに騒がしくなった。

「魔法使いがこっちに行ったぞ!探せ!」

「探してどうするんだよ!?襲われでもしたら___」

「大丈夫、先程都会からその道の者を呼んだ。すぐに来てくれるらしい。」

(まずい…)

思ったよりも事態は深刻なようだった。恐らく彼らが探しているのは自分だろう。捕まれば__

そっと立ち上がる。彼らがこっちに来ない内に早く逃げなければ。

町とは反対側に駆け出そうとして、フラムは誰かとぶつかった。

「…っ!お母…さん」

フラムがぶつかったのは、紛れもなく彼女の母親だった。

「…。」

信じられない、と言ったような目で母親はフラムを見る。その目が怖かったが、フラムは思い切って口を開いた。

「お母さん、あのね__」

「…っ、魔法使いが居たわ!こっちよ!!」

「そん、な」

母親から発せられたその言葉に、フラムは頭が真っ白になる。そうしている内に近くの大人が寄ってきた。

(近所の畑のおじさん…向かいのおばさん…みんな知ってる人ばかりだ)

フラムが話したことのある人達ばかりなのに、彼らは、まるで化け物を見るような目でフラムを見ていた。

彼らは、畑のクワや料理に使うような包丁を持っていた。…まるで、化け物から自分たちを守る武器のように。

「大人しくしろ魔法使い!!」

彼らが一斉にそれを構える。

「やめ…」

その瞬間、フラムは悟った。

__ここに、今の自分の味方は居ないと。

「こっちにこないでよ!!」

振り返って、町と反対側の、森の方へ走り出す。後ろから、誰かの怒号と叫び声が聞こえたが、誰も追っては来なかった。

後ろの方…少し離れているので恐らく町の方から破裂音が聞こえてくる。

(花火、また皆で見たかったな…)

頭の隅で、ふとそんな事を考えた。


やがて、空が暗くなる。

__行く所がないまま、夜がやってきた。

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世界の影で生きる魔法使いの話。 火属性のおむらいす @Nekometyakawaii

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