第3話
赤子の側に大きな一歩を踏み出したその者は、木守(きまぶり)人の族長メメントその者で、その身体はゆうに3メートルは超える巨大なヒキガエルのようないでたちですが、しっかりとしたしなやかな筋肉質な2本の足で立ち上がり、きめ細やかな土色の鱗が全身をおおっています。身体の表面だけをみれば蛇を連想させるのですが、お腹は風船を膨らませたように立派に膨らんでいて、これまた硬い鱗で覆われているのに、柔らかな動作で膨らませたり、しぼませたりすることができます。そのお腹にはカンガルーのような袋がついており、その袋の中でこの一族の子供達は長い時を過ごします。
族長メメントの話し声は、地響きのように足の裏側から頭のつむじのてっぺんまでをかけあがるような、けれど心地の良い低音で、頭に直接話しかけていると言われれば、たやすく信じてしまいたくなるくらいです。木守族の声は低音の者が多いのですが、族長メメントの声は格別よりも格別でした。それはこの一族の中で誰よりもたくさん子供を育てた事、誰よりも長く母なる木と対話してきた事により培われたものでした。無邪気で善悪の区別のつかぬ子どもに物事の真理をわからせるには、ゆったりと、しかし確固たる意思をもち相手の心に響くように話しかける方法がなによりも効果的である事を、メメントは心より理解をし実践をしてきたのです。それには相手の真理を読みとり理解することが不可欠であり、ひいてはこの森の母なる木々の言葉を誰よりも正確に聞き取ることができるようにまでいたったというわけです。この一族には男女の区別があるのですが、メメントは立派な「男」もとより老紳士でりました。
その彼が子育てをするならば反対する種族などいるはずがありません。木の蔦からぶらさがり見守っていた巡見((めぐるみ)族(猿のようにすばしっこく、長いしっぽを自在にあやつり蔦から蔦へ飛び移りながら森を駆け巡る一族だが、その見た目はチーターの用で手先が器用な一族。)や、ひなたで楽しげにお茶会をしていた小花族(とても小さな愛らしい花をさかせ一見こちらの世界のオオイヌノフグリを連想させるその花はおしゃべり好きで、小話(こばな)族と揶揄されるほど。花びらのガクにあたる部分に顔があり、柔らかな茎に小さな手足が映えている。)や、雨守族(とても美食家で森に雨が降った日には、さまざまな花や実についた雨粒を集めまわる一族。雨が降り注いだ物により雨粒の味が違うようで、その一族の食料庫には真理の森中の雨蜜(あまみつ)があるといわれている。くまん蜂のような見た目ですが、トビのような羽が4枚ついており、飛行中の羽音はとても静かです。一説によると羽ばたきの振動で雨粒が揺れ落ちないように進化を遂げたといわれています)やら、転(うた)族(大きなダンゴ虫のような見た目だが身体の表面部分は岩のようにゴツゴツしており、転(うた)族が転がった後は地面が耕かされ、新しい命が芽吹やすい。)など、ありとあらより森の住人が近くあるいは遠くから見守る中、しかしメメントは赤子のそばにきて、しっかりとしかし優しく赤子を抱きしめた後、赤子を天高らかにかかげあげ、このように宣言をしましま。
「この真理の森全てが、この小さき命の母となろう。」
それはこの森に住む全ての生き物達がこの子の親になるということで、種族をこえて干渉をしてこなかった森の住人たちが、自分たちの秩序を超えていく事を意味しました。
ある者はおののき、ある者はおそれ、ある者はふるえあがりました。そのふるえは恐怖によるものであったり、未知への期待であったりもしました。
かくしてこの人間の赤子は、この真理の森の新たな住人として迎えられました。
一陣の風がさわやかに吹き荒れ、木の葉ずれの音が大きくひびきわたります。それに共鳴するかのように りりんらら族の鈴の音が確固たる彼等の意志で りりんららと鳴らされ、ゆるらり族が舞いをまいます。住人達の驚きの声は、まるで合唱をしているかのようにあたりにひびきわたり、天からは柔らかな光があたりをてらし、その一帯がスポットライトのように、この赤子の未来が明るく輝かしい物になるような願いをこめられたかのように照らされました。
木守族の幼子(のちにソルという名前になるのですが、わかりやすいように、彼の事をこれからソルと呼ぶことにします。この国では産まれてすぐに名前をつけなくても誰も困りません。その子どもが成長をして、本人が名をつけたいと願えば名を与える習慣があります。名前がないと不便と思われかもしれませんが、名前があることにより生じる不便さも実はあるのです。時には本人が望まなくても、賞賛されるべき何かをなした時などに、周りからの推薦で名前を与えられこともありますが、いかなる場合も本人に名を背負う覚悟が必要でした。それ以外は◯◯族の誰か…で、物足りました。種族間にいたっては、名などなくとも、誰が自分の事を呼び、誰が誰の話をしているのか、手をとるようにわかるのです。)が、赤子の側へよちよちと歩いてきたことに気がついたメメントは…赤子が見やすいように、そっと滑らかで優しい動作で足をまげ、ソルに赤子がみえやすいようにしてやりました。ソルはおのれの鱗で覆われた指をそっと、鋭い爪で赤子に傷をつけぬように慎重に、赤子の柔らかな手のひらに自分の人差し指で触れました。赤子は小さいのにしっかりとした力でソルの指を握り、ソルの方をむき笑い声をあげました。幼いソルの心は 灯されたばかりのランタンの火のように暖かな光でみたされ、この赤子を守ってやろうという不思議な気持ちにさせました。これが成長した赤子が兄として慕うソルとのはじまりでありました。
その森の中の出来事を、真理の森の大母の木(真理の森の中でもひときわ大きく高いその木は、われわれが知る豪邸がそのまま幹の中にすっぽりと収まってしまうぐらい幹が太く、木の頂上は下から見上げようとした者が、見上げているうちにゴロンと寝転がってしまうほど高い。)の頂上から、一部始終を逃さずにに見ている者がいました。
大きなトンボのよう丸い目の瞼を、細めながら唸り声をあげました。
その声を聞いたのか、はたまた単なる偶然なのか、族長メメントが誰にもわからぬような自然な動作で、大母の木の方をちらりとみあげました。
ふしぎな国の科学博士 @metasecoiya
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