日種を集める者

《G線上のアリア》その音楽が響く秘密基地で、ぼくとアイリスは苗の定植をしていた。


 もちろん苗は理想郷から持ってきたものを使った。


 失敗して失敗してと、何度も枯らしてしまった苗をまた枯らすことになる――それでもアイリスは挑戦し続けるのだ。


「よし! 苗の実験はこれで最後にして、次はレンカの言う通りに種から育ててみよっか」


 アイリスはそう言うと、ヘレーラが選んでくれた種を何粒かぼくに手渡してきた。


 次代へ繋ぐ小さき種、その重量は軽くとも重く感じられる。


「ふんふん」と、鼻歌を歌うアイリスは種を蒔くための栽培ポットを準備し始めた。培養土は理想郷の土ではなく現世界の土を使うようだ。


 準備は万端……いや、足りない、この場所には何かが足りない。いや、足りないものは分かっている。<照らし合う者>が足りないと分かっている。


「あの、アイリス――」


と、ぼくがアイリスに話そうとした時、


「――あなたたち、こんな場所で何をしているの……」


 そう言って現れたのは五王がひとり、実ノ國の王リナリアだった。


「この場所で美味しい野菜を作るんだよ。野菜の次は動物たちも現世界に来てもらうの。それで現世界の食べ物は美味しいって知ってもらうの――あなたたち五王にも『美味しい』って言ってもらうの」


 アイリスはリナリアに微笑んだ。そこで微笑み返すのが普通だろうけど、リナリアは怒気をにじませた表情で、


「は? わたしたちには肉も野菜も美味しいか美味しくないか分からないでしょ――全部理想郷で取れた物なのだから、悪いか悪くないかなんて腐っているか腐っていないかの違いでしょ。アイリスは現世界で作られた肉や野菜を食べたことがあるの? あるなら訊きたいんだけど、美味しいって何? 品質って何? 薬を使う野菜は美味しいの? 品質が良いの? 天地に左右されるような貧弱な苗が空模様や土模様を気にするの? 美味しくなる条件って何? 不味くなる条件って何? 美味しい美味しくない比べる対象があるとでも言うの? どれもこれも部位で触感が変わるけど、どれもこれも調味料で決まる味でしょ。美味くても不味くても食わなきゃ死ぬのに何を食わせる気? 本当に美味しいも本当に不味いも憶えていないこの現世界に何をこだわっているの?」


 酷い時代に生まれてから今日まで、食した命は全て理想郷で取れた物、そしてぼくたちの消えた未来でも、理想郷で生まれたいのちに頼ることだろう。理想郷の土地無くしてぼくたちは生きていられないのだから。


 でも、ぼくたちは挑戦し続けなければならないんだ。


「こだわらないと食べられない物があるんだよ」とアイリス。


「穢れた土地で植物を育てるなんて植物が可哀想でしょ。もしこの土地で植物が育ち、もし果実が取れたとしてもその果実は汚染物質の毒よ。そんな毒林檎はあなた以外食べられないわよ」


「食べるよ。レンカはわたしと一緒に食べてくれるよ」


 ぼくに話が振られた。答えは決まっている。


「はい、食べます。食べてから、生きるも死ぬもお供しましょう」


 毒林檎だとしても食べる、善悪を知る知恵の実だとしてもぼくたちは食べるだろう。


「じゃあふたりだけね」


「ううん、他の子たちも食べてくれる。リナリアも食べてくれるよ」


アイリスは信じているのだろう。いつの日かリナリアが心を開いてくれると信じているのだ。


「……食べられないわよ」


 と、実ノ國の王は悲しそうにつぶやけば、どこかへ行ってしまった。


「五王はね、みんな空腹なの。だからいつも怒りっぽくなるの」


「空腹……」


「そう。空腹だからこそ、五王にも食べてもらえるように、現世界で農業をするんだよ」


 このセカイの土地が呪われているなら禊祓をすればいいけれど、それをやっても現世界は法則で縛られている。彼の一族曰く――『咲かせず散るが運命なり』。


「アイリス。いま種蒔きは止めておいて、みんな集まったら蒔こう」


「みんな?」


「そう、みんなだよ」


 三相劃の一族と七道巫の一族、そのヒトたちをこの場所に集結させる。


「レンカは、みんなを集めてくれるの?」


「うん、集めるよ。約束する」


 そしてぼくとアイリスは、また小指と小指を繋いだのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天地日種ノものがたり 笑満史 @emishi222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ