レシピ・30「ゲート前の最後の一杯」

(でもさー、考えればおかしな話だよね?)


 ――それは、一時間ほど前にスーパーの中で千春と交わした会話。


「だって、へルンに憑いていた子たちは【空間製作委員会】を良く思っていない感じだったじゃない…そうなると、おじさんの話す【アヅマ】はどの立ち位置にいるんだろうと思ってさ」


 首を傾げる千春に私も「そうだなあ」と考え込む。


 …確かに、あの男の行動は異質。


 【ヒダル神】の話が正しいとすれば、仲間である【空間製作委員会】の多くが【順応】し、今や存続さえも怪しいはずなのに、本人は単独行動をし、温泉街では私を神がいるという茶室へ送り出していたのだ。


(…となると【空間製作委員会】の現状を知らないか、それ以前に【順応】した仲間から名前などの情報が漏れた結果、この異界にいるに操作されているとも考えられるが)

 

 一連の行動の中で該当する怪異と遭っていなかったかを考えこむ私に同じことを思ったのか「――あのさ、確認のため今から当人を呼んでみるのはどう?」と提案する千春。


「リスクはあるけど名前を使えば呼び寄せられるし。現状のすり合わせをした方が今後ラクかもしれないじゃない?」


 その提案に私は「…無理だな」と、首を振る。


「――連中が言うには、暴発率も高いそうだし、私が耳にしたのはあくまで下の名前のみ。そも会話をした限りではプライドが高そうだし…本当のところ、当人が本当の名前を言ったかどうかすらも怪しいからな」


 その言葉に「んん、偽名ぎめいってこと?」と首を傾げる千春。


「…まあ、あくまで憶測おくそく範疇はんちゅうだがな」


 私は断りを入れつつ、自身の予想を口にする。


「名が知れた時点で相手を自由に操作できる…だとしたら、みすみす自身の本名を明かすなんて自殺行為はしないはずだからな」



 起きると目の前には下りの階段。

 反対側には、ぼんやりと先の見えない【ゲート】。


 ――私と千春が倒れていたのは駅構内の冷たい床の上。

 

「ここって…へルンたちと別れた【ゲート】近く?」


 千春の言葉に私も周囲を見渡すが、どこか以前と雰囲気が違う気がする。


 そこに「【マヨイガ】閉じろ!」という声と共に【アヅマ】が床を転がる。


「――お前ら運が良かったなあ。ここで俺が空間を閉じなければ、あの羽毛野郎と何百という俺が上から降ってきたんだぞ。感謝しろよ?」


 擦り傷だらけで埃を払う【アヅマ】に「…待って。その人たち、どうなっちゃったの?」と先ほどまで出てきたあたりを見る千春。


「――別に、いくら潰れようと知ったこっちゃねえよ」


 【アヅマ】は吐き捨てる様にそう答える、無理やり立ち上がる。


「運が悪く、まともに生き残れない半端者はここにはいられないからな」


「…ひどい。他の次元から来ても、同じ人間なんでしょ?」


 反論する千春に「だーかーら、連中と俺は別の人間なんだよ」と【アヅマ】は頭についた埃を払って答える。


現代いまの社会と同じ。人を雇って仕事をさせて、残った奴だけが必要とされる。いじめや過重労働もあるだろうが、辞めていったら次はないからな。まあ、社会の爪弾きになっても福祉のお世話になれるから現代こっちの方がマシとも言えるがな」


「いや、それはさすがに…」


 言い過ぎだと私は口にしかけるも「――ほう。だとしたら、そちらはさぞかし良いご身分なんだろうなあ!」と挑発するように声を上げる【アヅマ】。


「今の社会、生まれてみれば裕福な人間なんて一握り。後はその日暮らしに必死で疫病パンデミック戦争テロでも起きれば、あっというまに基盤きばんが崩れて飢えて苦しむ。アンタも大人なら、この世界の脆弱性ぜいじゃくせいぐらい知っているはずだぜ?」


「…そうだとしたら、【アヅマ】。お前は何でここにいる?」


 私は怒りを抑え、静かに彼に尋ねる。


「学生なら、そこまで知っている身なら、未来を変えられるとは思わないのか――政治家になるとか、法の改正に着手するとか。こんな異界ところにいなくとも他にやるべきことはあるだろうに」


 その指摘に「名前、呼んだって無駄だぜ?」とせせら笑う【アヅマ】。


「本名じゃねえし。それに、俺の名前は今――」


 そう言いかけるも、なぜか【アヅマ】の視線が千春に注がれる。


「…お前、何を持ってる?」


「え、これ?」と、そこにベルトに差していた枝を引き抜く千春。


「温泉街の神様からもらった枝…これが?」


 しかし、【アヅマ】は首を振ると「――違うだろ?」と後退あとじさる。


「なんで、それがに見える。連中の一部だぞ…くそ、こんな離れた場所まで来たのに。連中の影響下には入らないと思っていたのに――!」


「え?」と私が声を上げると同時に聞こえる何かが砕ける音。


 ――そこにいたのは、片方の角を無くした和服姿の鹿。

 残った角を片手で砕くのは、いつぞやの茶室で見た白猿であり…


「ああ、連中。【順応】した角で来やがった…!」


 さらに後退りする【アヅマ】――そこで、私は気づく。


 片方の角を砕かれた鹿…だが、その目に生気はなく、神経の通る根元近くまで角を折られても痛がるそぶりはおろか、まぶたひとつ動かさない。


(――そうか。眷属けんぞくになるとはこういうことか…!)


 私は不意に気づく。

 

 眷属になることは向こうの意図に絶対的に従う存在になること。

 意思を持つことを許されず、常に相手の支配下に置かれる。


『…お前は【アヅマ】ではない』


 白猿は口を開き、静かに声を上げる。


『見てきたぞ。切れた両親とのえん、上の名が変わるあいだは我らをたばかれると思っていた様だが、笑止千万しょうしせんばん


 ついで、駅の壁のあちこちから笑いが起きると、猪や狐といった和服姿の人々が【アヅマ】を囲う。


『お前はすでに母方の姓だ――井上いのうえはじめ』


「え、あのおふくろが…俺を引き取った?」


 信じられないと言わんばかりの顔をする、井上と呼ばれた男。


 ――そう。五十音の中でアはイのにあり、はしを意味するツマは人名でとも読む。


(偽名を名乗るにしても、関連する名前を選ぶはずだと思っていたが…)


『飲め、井上はじめ』


 ついで、わんを差し出す白猿。


「おじさん、アイツを止めて!」


 そこに、千春は枝――いや、すでに鹿の角となった物体を輪の中へと投げ込み、私もつられてポケットに入れていた数珠を彼らの足元へと投げる。


 だが、井上はすでに正気を失った目で手にした茶碗の中身を飲み干し、あごを滴る茶のしずくは、ほのかに燐光を放っていた。


「クソ。このままじゃ、レポート通りに射殺されちゃう…!」


 叫ぶ千春に合わせるかの様に輪になっていた動物たちがいっせいに離れ、井上のいた場所には巨大な熊――元・井上であった生き物はふらりと歩き【ゲート】の方へと向かっていく。


(…ゲートの発砲事例も過去に一例だけ――それも、こちら側から侵入した生物だったそうだ)


 不意に思い出される駅構内でのへルンの言葉。そして井上であった熊は頭部を【ゲート】へと入れかけ――直後、その足が止まる。


「うし、上手く行った!」


 千春の声と共に引っかかったのは私が投げた数珠の半分。

 それが地面と熊のつま先の一部を固定し、動けなくしている。


「――これで、そっちの思惑おもわくは外れたでしょう!」


 得意げに白猿に向かって声を上げる千春。


「未来なんて、変えようと思えば変わるんだから。求めるものがあるのなら、【順応】した人や配下においた怪異なんて使わず自分で行けばいいじゃない!」

 

 挑発する様な千春の物言いに、白猿は彼女を見て笑った――気がした。


「え…?」


 次の瞬間に白猿は歩き出し、【ゲート】間近のクマの背に手をやる。


「――まさか、動かないからって押し出す気?…おじさん、回り込もう!」


 【ゲート】へと向かう千春。私もすぐに彼女の後を追い、回り込んでから斜めの状態で動かない熊の上体を力一杯押す。


(…【ゲート】から我々が見える以上、相手は発砲を止めるはずだ)


 ―― 一応付け加えるとするのなら。基本、野生の熊は危険きわまりない。


 本気で走れば一般道の自動車並みの速度だし、手を軽く振るだけで人の顔の肉なんて簡単にこそげとれてしまうほどの破壊力を持っている。


 なので、もし動きだせば大惨事だいさんじになろうという生物を手前から支えてしまった我々の行動は愚行ぐこうとしか言えないわけで、もし同じ様な状況に陥った場合でも、決して真似はしないでいただきたいのだが――


(いや、それにしても。ますます重い感じがするんだが、どうして…?)

 

 そんな折、複数の腕が私たちの周りを支える。


「今のうちに、そのから手を離して…!」


(塊…?)


 覚えのある声に思わず手を離す私。

 同時に周囲の人々も手を離し――ゴトリと重いものが床に落ちる。


「え、金じゃん!」


 千春の足元にあったのは、熊に手をかけた猿の姿を模した金塊。

 【ゲート】からはみだすように倒れる鉱物に周囲の人々は距離を取る。


「――驚いたよ。急に設置した【ゲート】から人と金塊が出てくるものだから」


 そこにやって来たのはトンネル工事でもするようなツナギに長靴、ヘルメット姿をしたへルン室長と職員と思しき人々。


「重そうだからとっさに人をやったが、潰れなくて良かった」


 見れば私の周りにもツナギ姿の人々がおり、みな目の前の金塊に困惑した顔をしていた。


「…遠野さんに、千春くんだね?」


 興奮と疲れで私が息を切らす中、ヘルン室長はこちらに手を差し出す。


「私は大学教授で空間研究をしている。薫・へルンだ。手にしたレポートに沿って【ゲート】を設置したが、予定日より数日遅れる形となった…まずは、詫びを入れたほうが良いかな?」


 首を傾げる室長に「…あ、あれ」と私の横で千春が声を上げる。


「【ゲート】の向こうで、鹿がまだこっち見てる」


 ――見れば、構内には両角の無い鹿がポツンと一体。


 その足元には未だ床に直立したままの半分の数珠――だが、そこから数珠を手にした和服姿の女性の雌鹿が地面から生えると同じく床に落ちていた角を拾い、牡鹿の角のあった片側へとあてがう。


「…あ、繋がった」


 千春の言葉の通り、鹿の角が繋がると生気の戻った赤い眼を持つ牡鹿は雌鹿の手を取り、互いにこちらを見る。


『合わせてくれて、ありがとう』


 口を動かさない二体の鹿。

 その声だけが、室内に響く。


「…これ。片方は、ばあちゃんの声だ」


 気づけば、千春が口元を抑え二体の鹿を見つめる。


「やっぱり…あの数珠ばあちゃんのだったんだ。じゃあ、もう片方の鹿はまさか行方不明になった――」

 

 思わず歩き出そうとする千春を私はとっさに引き止める。


「待て、行っちゃいけない」


 ここで手を離せば、千春は二度と同じ時間軸に戻れない。

 ――私の本能がそう告げる。


『大丈夫、私たちは見守っているから』


 淡い燐光と共に、駅の構内へと消えていく二対の鹿。


『時代と共に変化はあるから…』


「――ばあちゃん、お地蔵様の前であの数珠を持っていたんだ…じいちゃんに、会えるような気がするって、いつも言っていたから」


 千春はそう言うとうるんだ目で彼らが消えたあたりを見つめる。


「お地蔵様には二人の男女が彫られてて…今の二人にそっくりだった」


 ついで、涙をぬぐう千春に「…しんみりしているところ、すまないが」と余計な一言と思いつつ、私は訂正をする。


「それな、お地蔵様じゃない。異界とこの世の境界としての道切みちきりの役割をする――道祖神どうそじんというものだ」

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