レシピ・31「追いかけサンドイッチ」

 ―― 一人の男の子がエレベータボタンの前に立っていた。


 背には塾カバン、片手にはスマホ。


 小学生ほどの子供は軽く息を吸い込むと画面に目を落としつつ、下のマイクへと話しかけるように声をあげる。


「まずは三階から」


 子供は階に着くたびに、再び次の階へとボタンを押す。


「次、六階」

 

 淡々と移動する階数を重ねていく子供。


「九…二…次に――」


「そこまでだ」


 そう言うと、私は階数ボタンを二度押しキャンセルにした。


「あ…」


 顔を上げ、呆然とする子供。スマートフォンの通話はすでに切れており、痩せた男の子は慌てたように持っているスマホをポケットに入れようとした。


「少しのあいだ、預からせてもらうよ」


 怖がらせないよう慎重に。私は彼の手からスマートフォンを取ると、着信先が【空間製作委員会】であることを確認する。


「――今までの履歴から追えば、向こうの住所も割れるな」


 ついで開いたドアの先には、薫・へルン室長――いや、今はへルン教授か。


 彼女は私からスマホを受け取ると「…ありがとう、鑑識へ回しておこう」と、ビニール袋に入れる。


「ここの職員にも依頼をした。室内の防犯カメラの映像もあとで送ってもらえるようにしてある。可能性は薄いが、再犯の可能性もあるからな」


『再犯』という言葉が出た途端、子供の目から「…あ」と光が消える。


「僕。捕まっちゃうの?」


 しだいに膝が震えていく子供。


「どうしよう、これから塾があるのに。初めてサボっちゃう――」


「それは…」と、私が言いかけると「大丈夫、休むのは今日くらいだから」と、エレベータに乗り込んだ千春がすかさず子供の口へとサンドイッチを押し込む。


「アンタは、【空間製作委員会】の連中に利用されていただけでしょ?バイトに誘われて、エレベータで指定された場所に人を送っていただけだし」


「…え、ええ?」と目を白黒させながら、急いでサンドイッチを飲み込む子供。


「――何で、知ってるの。学校でも塾でも、このバイトをしていることは誰にも言っていないのに?」


「そーれーはーねー」と、説明をしようとする千春に「…済まないが」と、隣にいる心配そうな顔をした福祉職員の大坪さんを見つつ、教授は声をかける。


「ここは公共の場。しかも、飲食禁止のエレベータの中。一旦ここを出て、彼の家であるマンションに向かおう」


 その言葉に、子供が小さくうつむく様子が見えた。



 ――物がほとんど置かれていない本棚。

 壁には子供用のランドセルとくたびれた女性もののカバンがひとつきり。


 …駅の近くにある高層マンションの一室。


 玄関の靴箱には料金滞納の通知封筒が重ねて置かれ、明かりのつかない家に、食べ物と思しき物は一つも見つけることはできなかった。


「…ここで、彼女は息子と二人きりで暮らしていたそうだ」


 マンションの家主であった母親。

 彼女を乗せた救急車を見送りつつ、私と教授は上階で話をする。


「…生活相談員の話では夫と一昨年に離婚。会社の受付として働いていたそうだが半年前に社内のいじめで病気を患い退職。貯金を切り崩して生活していたが、あと数ヶ月も保たないと二ヶ月前に福祉課を訪れていたそうだ…ところで」


「――キミが異界に行った時この場所を見ていたということで間違いないね?」と教授は私に尋ねる。


 靴箱の端に置かれた古ぼけた写真立てには古風な家…撮影された幼女は初老の男性に抱えられ、所在なさげにこちらを見ている。


「ええ、異界の都心部のような場所で親子が亡くなり、子供が怪異になる様を、私は見ていますが――」


 思い出した光景に気分が悪くなり、私は正午をさす時計へと目を移す。


 ――そこに、小さな足音がかけてきた。


「なんで、僕らが出ていかなきゃいけないのさ!」


 それは、先ほどの子供。


「ですから、お母さんの具合が良くなっても現状ここには住めないんですよ…」


 そこに、福祉職員の大坪さんが息を切らしながらやってくる。


「前にお母さまが相談された時もそうでしたが、支援がなくては生活ができない状況まで来てしまっていると判断が出ているんです。ただ、資産や保険の解約など監査の対象は残っていますが…現状から考えるとアナタは施設の方に――」


「母さんと、もう暮らせないの!?」


 声を張り上げる子供に「こちらとしては必要最低限ここまでしかできないんです」と、必死に説得を試みようとする大坪さん。


「これからは、お二人とも身の丈に合った生活をしていただかないと…お母さまは自立のためにも退院後に支援を利用し、就労プログラムから就職先を見つけていただき。アナタは養護施設で安全な生活を――」


「ねえ、それって元の親子かたちに戻れるのはいつなの?」


 サンドイッチを口にしながらの千春の言葉に「え?」と顔を上げる大坪さん。


「それは…お母さまの状態にもよりますし、それこそ家によりけりで」


 目を泳がす大坪さんに「――私の親も、役場で職員していて福祉に関わる人の話は時々聞くんだけどさ」と包みから男の子に次のサンドイッチを与える千春。


「間違ってたらアレだから、ぶっちゃけ聞きたいんだけど。支援を受けて就職して将来的に平均的な生活より向上した人って、どれくらいいるの?」


 その言葉に「えっと、あくまで個人差があって」と目をそらす大坪さん。


「…お願い、母さんを悪く言うのはやめて」


「え?」


 見れば、子供が自分の服のすそをにぎり、大坪さんを見上げている。


「母さんは毎日残業してまで働いて、僕にご飯を食べさせてくれて、悪いことは何もしていない。なのに、お金に困っているだけで僕と一緒にいてはいけない人間みたいに聞こえて…」

 

 だんだんとうつむいていく子供の顔。


「僕も、母さんがお金に困っているのは知っていたから。だから、自分に出来ることはないかと思ってバイトを見つけて…でも、そのせいで詮索せんさくされて、余計に母さんを苦しめることになるなんて、思っても見なくて――」


「それは…違う」


 焦る大坪さんに「――私さ、って言葉、イッチバン嫌いなんだよね」と、ボソリと千春がつぶやく。


「なんかさ。生まれた環境より、人は動くことを許されない。貧しければ貧しいまま。いじめられる人間は一生いじめられるまま。どれほど努力しても動かせないものは動かせない。私には、そう言っているふうに聞こえて仕方ないんだよね」


「それは――!」と、大坪さんも声を上げる。


「あくまでわたしたちのできる範囲がここまでということで。それこそ、誰が悪いと言うことでもなくて…」


 言いつつも次第にうつむいていく大坪さん。

 その様子に私は見かね「あの…」と、おずおず手を上げる。


「今までの会話で思ったんですけど――大坪さんは今の仕事に満足ですか?」


 その一言に「は?」と目を泳がせる大坪さん。


「…それが、今は何か?」


 だが、彼女は明らかに動揺しており私は「――いえ、先ほどの話を聞く限り。あくまでマニュアルの範囲内で答えているなと感じまして」と、話しつつも目を逸らす。


「そも、あくまで経験上の話ですが…今の仕事に身が入れられない理由がアナタにもあるのだろうと思いまして」


「――私が、今まで何も考えずに仕事をしているとでも?」


 それに声を震わせる大坪さん。


「…いえ、考えていないというわけではないとは思うんです」と、焦る私。


「でも、あくまで定められた範疇はんちゅうで話が止まってしまっているというか。役所内で決められた内容しか話せていないなと思いまして」


「――そんなの当たり前じゃないですか!」


「は?」


 怒りの混じった声で、大坪さんは声をあげる。


「私はね。あくまで下っの役人なんです…法律や条例で方針が定められている以上、どう答えようがあるんです?私たちは規程ルールを守るしかないんですよ!」


 ついで大坪さんは唇を噛み締め、目に涙を浮かべる。


「私だって、こんなはずじゃなかった…昔は本気で小児科医になりたくて。でも、両親には安定した公務員になれと説得されて。嫌でも、それが現実だからと受け止めて――その気持ちが、同じ福祉にいる遠野さんなら分かると思ってたのに」


「え、ええ…」


 唐突に名指しにされ、困惑する私。


 そこに大坪さんはわっと泣き出し「あー、おじさん泣かしたー」と最初に喧嘩けんかをふっかけたはずの千春が彼女に近づき、なだめるようにサンドイッチを渡す。


「…でもさ。ぶっちゃけこのひと。触手を持った女の怪異と顔がそっくりだよね」と、私の手にもサンドイッチを渡しつつ、こっそりささやく千春。


(――なんだ、気づいていたじゃないか)


 エレベータでぐにゃりと曲がった彼女。

 シャワールームのガラスの向こうにいた女、マヨイガの障子から出た怪異。


 …そう。異界のあちらこちらに彼女は面影を残し、存在していた。


「――本来、エレベータで行方不明になる人間は二人。設置された監視カメラによれば、午前中に大坪くん。夕方ごろに遠野くんがエレベータ内から突如として姿を消した…そう、レポートには書かれていたよ」


 気がつけば、へルン教授が千春からもらったサンドイッチ片手に話をする。


「さらに言えば異界に飲まれた際に強い感情を持つ人間ほど活発な怪異となる。解消のためには、それこそ足元から…レポートに書かれた人間を包括的ほうかつてきに調査し、不安要素を取り除く必要があると考えているが――大坪くん」


「はい?」と、涙交じりでサンドイッチをかじる大坪さんに話しかける教授。


「これから私が作る組織のテストケースとして、君とこの家の女性。そして息子くんに協力を仰ぎたいと思っているんだが…どうかね?」


「――あの。それは、どういう?」


 ますます困惑する大坪さんに「要はね。君たちには、将来的なことを見すえて包括的な援助を提供したいと考えているのさ」と教授は部屋を指さす。


「なので、今日から大坪くんにはこの部屋に子供と一緒に住んでもらい、生活面のサポートをしてほしいと思っている。もちろん、そのあいだキミは医療の学校にいくための勉強をし、母親の体調が良くなり次第、こちらの一員に――」


「え、待ってください」と、話をさえぎる大坪さん。


「この子の生活費はどこから出るんですか?それに今から勉強なんて、資金面もそうですし、どれぐらいの時間が…!」


 慌てる大坪さんに「だから、こちらで支援をするのさ」と教授は続ける。


「家賃や生活費については経費として別途支給。正直、彼に提出されたスマホのデータだけでは情報も不足しているし、話をするにも心の安定が必要だからな。その辺りのケアも含め、小児科医を目指す大坪くんにお願いしたいわけだが…」


「まあ、確かにこの子のケアは必要とは思いますが」


 目を泳がす大坪さんに「――チャンスが目の前にあるんだからさ、素直に受け取りなよ」と後ろ手を組みながら男の子を見る千春。


「キミもお母さんが帰ってくるまで、この部屋でお姉さんが面倒を見てくれるって。今まで通り塾にも通えるから安心しな」


 その言葉に子供は大きく目を開け「いいの?」と、教授を見る。

 教授はそれに「…ああ、そうだよ」としゃがみ、子供に目線を合わせる。


「だからキミは、今後はこの世界で何が起きていて、自分はどうしたら良いか。それらを知るために勉強をしていくんだ。自分やお母さんのためにもね」


「…うん!」


 教授の言葉に大きくうなずく子供。


「――よし。そろそろ娘が、【ゲート】から出た金塊の調査結果を帰国がてらに頼んでいた調査機関から持って来る頃合いだ…本来なら二人と面会するのは初めてになるが、わかっているね?」


 …そこに、廊下の向こうから一人の女性がやってくるのが見えた。


 私は千春からもらったサンドイッチをまだ食べていないことに気づき、慌ててナプキンに包まれた一口サイズのパンを口にほうりこむ。


 サンドイッチは長時間圧力を加えていたことにより全体的に味がなじみ、まろやかになったハムやチーズ――そこに、キュウリのサクサク感が後を追う。


「初めまして」


 ついでオリーブ色の肌を保つ女性が…こちらの世界で初めて会う彼女が微笑みながら手を差し出す。


「物理学者のサオリ・ヘルンです。あなた方のことを心待ちにしていました」


 ――こうして、私たちは再びへルン女史との邂逅かいこうを果たした。

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