レシピ・28「食って食われてマヨイガ」
――目の前にあるのは、年季の入った門構え。
相当な年数が経っているのか引き戸に使われている木は飴色に変色し、重そうな瓦屋根はところどころ苔むしていた。
「まあ、こんな場所に呼び出さなければもっとよかったんだろうけど」
そんな千春のつぶやきに思わずうなずく私。
――そう。それ相応の場所にあれば趣きのある光景ともとれるが、悲しいことに出現した場所がスーパーマーケットの調理場。室内の調度品とミスマッチな上に屋根の苔が不衛生感をかもし出し、とても残念なことになっていた。
「…んじゃ、さっさと始めますか」
そんな千春の手には、見覚えのある書類の束。
聞けば【ゲート】を出た直後に送ったレポートと前日室長から出すよう言われた封筒の中身をすり替えていたそうで、最新のものはこうして千春が手元に保管していたと聞く。
「――なーんか、まだ異界のルールがあやふやな気がしてさ。ヘルンというか…取り憑いた子たちに詳しく聞いたり、検証をしてからにしておこうと思ってね」
「…抜け目ない。で、それをどうするんだ?」
半ば呆れつつ尋ねる私に「ちょいとこれに細工して、おじさんが異界に行く前に【ゲート】が設定できないかを考えている」と千春。
「私が異界に行くことは前提として、おじさんは完全に巻き込まれた側だから。これで、動画騒動は全部チャラになるんじゃないかと思ってね」
「ん、待て待て」と、千春の話に慌てて声をかける私。
「――そうなると、ここにいる私はどうなる。それに、キミだけが異界を
私の指摘に「んー、まあ。その辺は問題ないと思うけど?」と、千春。
「私の場合は異界に行っても前の時間軸のへルンたちと会う確率の方が高いだろうから、それよか手紙の影響のほうが大きかったし、そっちを解決しないと」
「でもなあ…」と渋る私に「大丈夫だって」と、千春。
「多少のところ、未来って変えても他で調整が起きて
「…それ、誰からだ?」
私の質問に「ヘルンに憑いてた子たち」と即答する千春。
「おじさんが【ゲート】で人参を取りに行っている間にも色々と質問をしたからね。それにレポートも読んでいるから、それなりの対策はできると思うよ」
言いつつも千春は持っていた封筒の中にレポートをしまい、スーパーから持ってきた両面テープで蓋をすると近くの電子レンジに手を伸ばす。
「設定、二〇十九年、五月一日の午前十時【――大学、薫・ヘルン教授研究室】のレポート入れへ!」
「…あ、それ。へルン室長からもらってすぐさま開封した封筒か?」
私の質問に千春は答えず、言うが早いか封筒をレンジの奥に突っ込み手を離す。
――予想通りというか、手を引き抜く頃には何も持ってはいなかった。
「…これで、良し。設定は、室長が話していた時期の二ヶ月前にしてあるから」
両手を叩き、腰に手を当てる千春。
「【ゲート】を設置する期限も、おじさんが行方不明になる二日前ほど前に指定したし。後で先発に出したレポートが送られてきちゃうでしょうけれど、実験としてレポートを送付したと書類にも言い訳を追記したから、問題ないでしょう」
そう言って、満足そうに用意したペンと修正テープを片付ける千春に「…正直その話、穴しか無い気もするんだが」と、私はため息をつく。
「そも、無事に【ゲート】に着けるかもわからないし、向こう側で設置がなされているかどうかも疑問が――」
そんな指摘をさえぎり「ともかく、現状できうる限りの対処はしたもん!」と空のトートバッグを私に押し付ける千春。
「――今から【マヨイガ】に入ります。金目のものを見つけたらこの中に
「…わかったよ」
早くも諦める私の横で、千春は腰のベルトに見覚えのある白い木の枝を
「よし、これで完了。おじさんも数珠の片割れは持った?」
「ん、これだろ?」
私がポケットから出した半分の数珠――それを千春はしげしげ見つめ「…そういや、ばあちゃんもこんな感じの数珠を持っていたな」とボソッとつぶやく。
「ん?」と、首を傾げる私。
「いや、いつも裏山のお地蔵さまにお供えしたあと、数珠を持ってお祈りしていたなって思ってさ」
千春はそう話し、門へと向き直る。
「にしても【マヨイガ】が呼び出せられるなんて盲点だったわ――へルンに憑いていたあの子たちも【順応】した皿をここから持ち出していたようだし…ただ」
ついで、千春が開けた引き戸の先には
中庭には竹が生い茂り、暗い空のもと障子がぼんやりと赤く光っていた。
「あの子たちが危険と感じるほどの怪異もいくぶんか
――そして、私は千春と共に【マヨイガ】へ向かうこととなった。
*
(ああ、【マヨイガ】のことー?)
(ぶっちゃけ、あそこで持ってきた器物を使えば、ボクらが憑いた相手の移動負担を減らせるんだよね)
(そうそう。名前を呼んでこっちに来させた場合、最悪【異界化】から【順応】まで一気に進んじゃうことがあるから)
(【順応】しちゃったの、この前で何人めだったっけ?)
(…でも、あの場所に行く時にはボクらはなるたけ固まって行くの)
(危ないんだよね。ボクら弱いし、向こうは食べようとしてくるから)
「それが何者かについては、あの子たちは教えてくれなかったけど…」
千春はそう言いかけ、手近に開けた引き戸の前で一瞬止まる。
――そこにいたのは、いつぞやの駅構内で見た赤い着物をきた牛の顔。
「避けろ!」
とっさに千春の襟を引くと牛の
「なんでアレがこっちにいるんだ!」
驚きつつも逃げる私に「うーん、空間全体が大きく変化しているからなあ」と落ち着き払いながらも共に走る千春。
「もしくは生息場所が広いとか?他にも、何体かいるのかもね」
そんな千春の背後で、引き戸から顔を出した牛はまるで巨大な獅子舞のようにズルリと胴体を伸ばし、回廊の半分ほどを占めていく。
「これじゃあ、器物を探すどころじゃあ無いぞ!」
パニックになる私に「いや、向こうに別の戸があるじゃん」と、千春。
「ウチらが入って閉めれば、いけるんじゃない?」
「――確かに、戸は境界線でもあるが…」
そうして次の回廊の角を曲がったとき…牛の胴体の中間にある障子がスラリと開き、何本もの触手のように固まった人間の腕が飛び出してくる。
『ねえ、ねえ…』
それは声を上げながら、牛の胴体をつかむと室内へと引きずり込んでいく。
『ちょっと、来てよ』
胴体の向こうから覗くのは、見覚えのある小さな女性の顔。
『誰でも、良いんだから…』
抵抗する着物の牛。
その体を小顔の女と触手とそこから開く手が引き込んでいき――
「…確かにこの場所、マジでヤバいわね」
千春はそう言うと、たどり着いた小部屋の戸を閉めた。
*
――私たちが入り込んだ場所。
そこは大量の棚と古めかしそうな壺や食器の並ぶ通路。
「…あり、もしかして。もうゴール?」
目的の場所についたためか、拍子抜けした声を上げる千春。
だが、私の方はといえば、先ほどの事態で完全に息が上がってしまい、彼女に渡された懐中電灯もまともに点けることができない。
「大丈夫、ちょっと休んでからにする?」
見かねて、近くに置かれた箱に腰掛けようとする千春。
しかしながら、私はその箱に違和感を覚え「…いや。ちょっと待て」と息を整えつつ、下に向かって電灯を当てる。
見れば、箱は紐などがすでに解かれており、先を照らすと同じよう開けられ、空となった箱がいくつも点在していた。
「――棚にも空きが多いね。もしかして、先に誰かが中身を?」
千春の疑問に「…そうかもな」と、私。
試しに、近くに落ちていた小箱を取り上げるも蜘蛛の巣や埃が溜まった様子は無く、ごく最近ひらかれたように見えた。
「あ、横に
「…多分、ここにあるものは別の場所に移されたんだろう。組織的に――」
懐中電灯で廊下の奥を照らせば、突き当たりが広い土間のようになっており、人の気配はない。
「組織的って言うと…今までへルンから聞いていた?」
歩き出す千春に「ああ、名前を言うと呼ぶことになるから口にはしないが…」と落ちた箱を避けつつ、私はゆっくり土間へと進む。
「――まあ、ぶっちゃけ。【空間製作委員会】は、もう俺一人みたいなものだし。いくら呼んでも問題ねえんだけどよ?」
見れば、そこにいたのはいつぞやの温泉街で見た男。
「ここは、【空間製作委員会】の資金源にして本拠地。でも今は人手不足で人員が欲しくてな――いっそ、外に出るまで一緒に行動しようや。どうせ、ここにあるお宝が目当てなんだろ?」
…それは、【アヅマ】と名乗る男で間違いなかった。
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