ハムチーズサンドイッチとゆで卵

レシピ・27「言霊と呼び出しスーパー」

「――千春、遠野さん。本当にありがとう」


 へルンはそう言うと【ゲート】へと進み、見えなくなると同時に【ゲート】も消える…後に残ったのは、私と千春のみ。


「これで二年後の世界と私たちは連続しなくなったということか」


 ヘルン室長からあらかじめ聞かされていたものの、目の前で起きた光景に私は人知れずため息をつく。


「でも、これでおじさんが死んじゃう未来も回避できるじゃん?」


 千春はそう言いつつも、空間がねじれを起こし食堂とマンションの室内が混在してしまった部屋の壁からフックに引っ掛けられた塾鞄をしげしげと見つめる。


「――どうだかなあ」


 私は再度ため息をつき、はるか底にめりこんでしまった卓上を見つめた。


 …あの場所から鯨が出てきた後、へルンたちを元の世界に戻す頃にはテーブルは地面に沈み込み、今や数珠の影すら見えなくなっていた。


「まあ、先を見すえましょうや。へルン室長の話では、あの子らの乗っかった鯨も地上に出れたって話でしょう?」


「――正確な話では、しばらくデジタル空間を彷徨さまよった後で日本海にいた軍艦のソナーに映り込んで消息を絶ったそうだがな」


「…還ったんだろうねえ。母なる海に」


 なぜか納得する千春に「それで、今後はどうする?」と、私。


「――うーん、まずはねえ」と、言いつつもおもむろに壁際に歩き出す千春。


「私にも、呼び出せるか確かめないと」


 そう言うと、千春は壁を指差し声を上げる。


「出てこい、午前十時の【スーパーマーケット】!」


 シンっと静まり返る室内。

 千春はめちゃくちゃ不満そうな顔をこちらに向ける。


「出ないじゃん…指定した場所」


 唇を尖らせる千春に「――へルンの話では、地名や店名を具体的に言ったほうが成功率が上がるそうだからな」と、私はそれとなく助言してみる。


「よーし、じゃあ【――町――マーケット】の午前十時の店舗前へ!」


 それは、海沿いにある町のスーパーの名前。

 同時に壁の一部が変化を始め、自動ドアが出現する。


「おお!本当に出た。では早速、店内を拝見しまして――」


 歩き出す千春に(時間まで言う必要はあるか?)と思いつつ、私も後に続く。


 中はよく見るスーパーマーケットの作りであり、レジから壁掛け時計、店頭に置かれている品物も生鮮食品から日用品まで揃っていた。


「…へルンの話では、ここって私たちの世界にあるスーパーから空間を抜き出してツギハギされた場所だって言っていたよね?」


 野菜売り場で袋に入ったキュウリを物色する千春に「――まあ、聞いた限りではな」と、私は数分前の会話を思い出しつつ並べられたカートの一台を持ちだす。


 へルンが【ヒダル神】から引き継いだ記憶では、目的の場所の名を呼ぶことで異界とその場を繋げられるそうだが、完全では無いそうで大部分は異界の一部が変化をし、限りなく近い形を形成するとも聞いていた。


「――だからこそ、文字化けした食品も紛れ込んでしまうと?」


 千春の質問に「ああ」と、私は袋入りの食パンを手に取りながら彼女に渡す。


 …元はと言えば、この場所にあるコンビニや家屋などは、以前に異界に紛れ込んだ人々が呼び出すか、【順応】した際に記憶を元に再現されたもの。


 限りなく似ているが我々の住む世界とは違う建築物。

 それゆえに別の空間や怪異なども入り込んでくるわけで――


「…でも、本当に名前を口にするだけで人を操ったり物を呼び出せるの?」


 そこに挟まる千春の疑問。


 ――だが私には、一つ思い当たる節があった。


「昔から【言霊ことだま】というものはある」


 そう、相手の真の名を口にすることで行動を制限する方法。


 古来、名前には力があるとされ子供が生まれた際には本当の名前は隠しておき別の名を付ける風習が日本には存在していた。


「ふーん、ヘルンも怪異の名前は口に出すなって言っていたけれど、この場所ではうかつに名前のあるものを呼ばないほうが良いんだね」


「…まあ、前からそうは言っているがな」


 私の押すカートにはすでにハム、チーズ、バター、食パン、袋入りのキュウリに塩と揃っており、千春はそこに卵パックとバターナイフを追加する。


「――で、今度は何を作るんだ?」


 呆れる私に「サンドイッチ」と大きめのトートバックを二、三枚入れる千春。


「あと、ゆで卵なんてどうかなと思ってね。具材はハムとチーズとキュウリで、移動時にもすぐに食べられるから良いと思って」


 最後に入れたのは折りたたみ式の紙ボックス。

 …なるべく、この先の荷物を減らそうという魂胆こんたんが見え見えであった。


「――で、この場所でサンドイッチを作ったらどこに向かう?」


 私の質問に「【マヨイガ】に決まってるじゃん」と千春。


 ついで、スーパーのバックヤードに続くドアを開けると、千春はお惣菜を作るキッチンの水道の蛇口をひねり、流れる水を確かめる。


「うん、ここの水も大丈夫。おじさん!」


 そでまくりをする千春に私は「…わかったよ」とため息をつき、台の上にカートで持ってきた物を並べる。


「ここで作るんだな?」


「そういうこと!」


 千春はそう言うと調理台から包丁を出し、パンの包装を勢いよく破き始めた。



 ――均等に聞こえるのは、包丁でキュウリを薄く刻む音。

 斜めにスライスされたキュウリは塩で軽く揉み込み、水分を抜いていく。


「おじさん、全てのパンの片面にバターは塗れた?」


 私は最後のパンからバターナイフを離し「うん、OKだ」と応じる。


「じゃあ、ゆで卵のお湯を切って小鍋ごと水にさらして」と、千春。


「冷めたら、鍋の中に少し水を入れてシェイクするの。そうすれば、簡単に殻が剥がれやすくなってむけるようになるわよ」


「…わかった」


 私はもはやこの数日間で使い慣れてしまった携帯コンロの火を消し、ゆで卵の入った鍋に水を注ぐ。


「やっぱ、移動させたばかりでも火だけは使えないみたいだわ」


 千春はそう言うと、試しにつけすぐ消したコンロへと目をやる。


「そも、電気もどこから来るかよくわからないままだしな」


 私は彼女の言葉に同意しつつチーズとハムの包装を剥がし、中身を千春に渡す。


「まあ、空間が向こうとこちらで繋がっているから、通電しているってことで良いのかな?」


 千春はそう言うと、手際よくハムとチーズをバターを塗ったパンの上に並べ、水を切ったキュウリを乗せるとパンでサンドしてホイルで包む。


「――おもしを上に載せるわ、その辺にある物ならなんでも良いの」


 包みを上下皿と輪ゴムで固定しつつ、手を差し出す千春に私は周囲を見渡すと調理台の下に小型の水タンクを発見し、水を入れて渡す。


「ん、ちょうど良い感じ」


 ついで彼女は冷蔵庫の中に包みと重しをセットし、タイマーを一時間にする。


「じゃ、一緒にゆで卵の殻を剥いちゃいましょうか?」


 そう言って、小鍋を手に取る千春。


 ――ゆで卵の剥き方は実にシンプルで、水をほんの少し入れてシェイクすると瞬く間に周囲にヒビが入り、蓋を開ける頃には一部が剥けた状態で顔を出す。


 後は緩んだところから剥いていけば良いので簡単と言えば簡単。


「でも、このシェイクする一手間が大事だからねえ」


 鼻歌まじりに殻を剥く千春に「…そういえば」と、私は彼女の顔を見る。


「【マヨイガ】に行くのは前提として――【ゲート】を開けたらどうする?」


 それに千春は「うーん」と、考え込み「とりあえず、私たちの時間軸にいる室長たちにここまでの経緯を話しておいて、手にしたお金でコンビニ寄っておにぎり買って家に帰ってゆっくり休む」と宣言する。


「ん?」と、その発言に疑問を持つ私。


「ちょっと待て。この場合、家に戻ったら家族の手料理を食べるとか…」


「――私さ。両親が共働きで、ずっと一人で食事を作ってるんだよね」と千春。


「昔は、ばあちゃんと一緒に作っていたんだけど。教え込まれたのが私だけだし、母さんは料理経験が浅いうえに外食するにもお金がもったいないしさ」


「…それは、すまなかったな」


 思わず、殻を剥く手が止まる私に「――まあ、しょうがないんだけどね?」と、苦笑しつつも、剥き終わった卵をボウルに放り込む千春。


「聞けば、どの家でも共働きでないと家計を支えられない状況だそうだから――そうなると家事は誰がするのって話だし。ぶっちゃけ、料理も本当は好きじゃ無いけど、せざるを得ないからさ」


「そうなのか?」


 私の問いかけに「…まあ、ばあちゃんの味が好きだし、食い意地は張っている方だからね」と、卵の殻を剥く作業に戻る千春。


「親父もお袋も、水産加工会社や役場勤めじゃなくて本当は海洋生物学者や司書になりたかったって帰れば愚痴ばかりで。でも二人とも都会に出て就職難で地元に戻って、勧められた結婚で――今はこうしてギリギリの生活だから」


「…一攫千金も、それを理由に?」


 私の質問に「そゆこと」と千春は最後の卵をボウルに放る。


「大金があれば両親も働く必要がないし、私も小言を聞かずに大手を振って暮らせるからさ…ぶっちゃけ、お金を手に入れてからの自分の目標は無いんだけど」


 手を洗いつつ、苦笑する千春。


「――でも生活のためにしたいことを我慢し続けて、それで終わるのが親の勤めって考えは何か変じゃん?生活基盤がしっかりしているなんて当たり前。誰もがしたいことができる、それが普通の家庭であって…おじさんもそう思わない?」


 不意に呼びかけられ、思わずゆで卵をラップで包む手を止める。


「初めて会った時のおじさんもそうだった。真面目に仕事をしているのに生活が苦しそうで、夢も諦めている感じで――そんな社会が当たり前だったら、子供も将来が不安になるとは思わない?先行きの見えない未来で目標持てると思う?」


「まあ…今は社会全体が不況にあえいでいるのは、確かだからな」


 私は、目をそらしつつそう答える。


 ――思えば、バブルが弾けて以降、私や彼女の親世代は下り坂を進んで来た。


 リーマンショックに消費税の増税。

 相次ぐ災害、傾き続ける経済。


 先行きが見通せない状態で、我慢をし続けながら、その場でしがみつくように働くことしかできない社会が、もはや当たり前となっていた。


「――よし、決めた。私、自分が【マヨイガ】で手に入れたお金を基盤にして、自分だけじゃなくて、周りの人たちも幸せにする」


「…ん?」


 顔を上げる私に「おじさんだってさ。どうせ、室長に放っておかれた場合には二年後には死んじゃうんだし、運命共同体になろうや」と、ゆで卵を順次ランチボックスに入れていく千春。


「おじさんも、へルンたちのところで雇われるにはどうしたら良いか考えてさ、ここを出るくらいには一泡吹かせてやろうよ」


 そう言って、千春はタイマーを止めると冷蔵庫からサンドイッチを取り出す。


「――そのためにも金目の物を手に入れて【ゲート】を開く。異論は認めない」


 そして、私に包みを渡した千春は「【マヨイガ】の前へ!」と声を上げた。

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