レシピ・26「ホタテとブロッコリー炒め」

『いただきまーす!』


 テーブルには十二枚の皿と盛られたシチュー。


 中央の大皿には、オーブンで焼いたバケットと千春が味に変化を持たせたいと用意したブロッコリーとホタテのソテーが並ぶ。


 ――だが、その山も子供の姿に戻りお腹を空かせた【ヒダル神】たちによって見る間に崩されていき、今や風前の灯となっていた。


「こらー、ちゃんと噛んで食べるのよー!」


 お母さんのようなことを言いつつ、おかわりのシチューを皿によそう千春。


「…よし、おじさん。この辺で我々もいただきますか」


 そんな千春の声にうながされるまま、私も端に座りお相伴しょうばんに預かる。


 福祉の仕事で食事会を受け持っていたこともあり、十人以上の席には慣れているつもりであったが、【ヒダル神】たちの食べっぷりはなかなかの壮観。


 パンにかぶりつく大きな口。

 あっという間に減っていくシチュー。


(――まあ、仕事をしていたときは次にするレクレーションの準備や配送し損ねた弁当の配達に気を取られて、こうまで呑気に食べられなかったが)


 時間は経ってもクリームシチューはまだ熱く、鶏肉は口の中でほろりと崩れ、白菜や玉ねぎの歯応えが後を追うようについてくる。


「ん、人参やジャガイモも煮えてる…で、二杯目はホタテとブロッコリーを入れたほうが美味しいんだよなぁ。これが」


 言うなり千春は自分の作ったシチューにホタテとブロッコリーを追加し、私の皿にもポイポイ追加する。


「食ってみ、旨みがヤバいから」


 一口食べてみれば…確かに。

 ホタテとバターの風味がシチューに溶け、ブロッコリーの歯応えもなかなか。


「で、仕上げはこのパンで――」


 ツツーっと皿の上を滑らすようにバケットを移動させる千春。

 

「余さず、いただく」


 サクッと口に入れる千春に【ヒダル神】たちもうらやましげに大きく口をあけていたが、ハッと我に帰るとみな手に手に残ったパンを持ち、皿の上に滑らせる。


『うわー、なにこれ』


『シチューを吸ってパンがうまい!』


『見てみて、お皿が綺麗になる』


「…ばあちゃんはね、ご飯は調理する時も食べる時も最後まで綺麗にするように言っていたんだ」


 ふーっと息を吐きつつ、コップに入れた水を飲む千春。

 それに周りの【ヒダル神】たちも『満足、満足』とお腹をさする。


「鍋のダシとして使った昆布も、佃煮つくだににして食べていたし。私もそれに習って、うどんや鍋もの作る時には細かく刻んで食べていた――いま考えれば、もったいない精神の塊のような人だったなあ」


 それに『うどんかあ』とか『いつかは鍋物なべものも食べたいなー』と言いながら食器をキッチンに持っていく【ヒダル神】たちに「作りゃあいいじゃん?」と千春は顔を向ける。


「レシピ教えるし…ってか、ネット環境が整っているのなら、動画を見てやってみたりとかしていないの?」


 それに『うーん、経験が足りないんだよね』と、千春と私の皿も持っていきながら答える【ヒダル神】。


『ボクら、人に憑いて自分たちの手で作らないと実感が湧かないんだ』


『見たことと、やったことはまるで違う』


『見よう見まね、難しい』


「ふーん」と水を飲み干す千春。


「じゃあ、キミらはもっと経験したいんだね…んじゃ、そろそろ皿洗いを」


 そう言って立ちあがろうとする千春に『――それは次に生まれ変わったときにって話だね』と手を拭いつつキッチンから出てきた【ヒダル神】がそう答える。


『皿も鍋もみんなで洗ったし、出かける準備はOKだよ』


「ん、へルンたちを解放してくれるんじゃ――?」


 千春の言葉に一人の【ヒダル神】が『待っていたんだ』と一言。


『…本当は知っていたの』


 別の【ヒダル神】も声を上げる。


『ボクら【順応】していたから。ここから出る方法も必要なことも』


『あとは、お手伝いするタイミング次第。でも、お腹が空いていたからちょっとだけ、ボクらの時間をとらせてもらった感じ』


「…待て、何を言っている?」


 私の質問に【ヒダル神】たちは顔を見合わせると『二年分の時間』と答える。


『上の状況も、道具や人を伝って知ることができた』


『もっとも、ボクらやそっちの行動次第でコロコロ状況も変わったけど』


『前の時間軸ではカレーばかりを作っていたから、今回はシチューにしたんだ』


『もう、カレーばかり嫌だって言ったのが効いたよね』


『めっちゃ美味かった』


『二年間を繰り返した中では一番変化できたんじゃあないかな?』


『次に迎えが来たら、ボクらいなくなる?』


『一応、記憶は残ると思うけど?』


『どうなるかは、その先次第だろうね』


「その先って――」


 千春がそう言いかけた時、私の胸ポケットから何かが転がりだす。


 ――それは、バラバラとなっていた数珠。

 粒はテーブルを転がり、それにともない部屋が振動を始める。


『お、来たよ』


『キタキタキター!』


 テンションが上がる【ヒダル神】たち一行に「何がよ?」と千春。


『この異界を移動している、お坊さんたち』


『飢えているボクらを救ってくれるんだって』


『ボクらの存在を知って、お寺から出て海を渡ってここに来るの』


 その瞬間、テーブルに散らばる数珠の中心に巨大な鯨が出現する。


『おわー』と、声を上げる【ヒダル神】たち。


「【エビス】、それに【補陀落渡海ふだらくとかい】か!」


 鯨の骨と一体化した僧侶の集合体――そこに【ヒダル神】たちはワッと群がり弾かれるように憑かれていた人たちが床に倒れる。


「みんな、鯨にくっついていく!」


 千春の声に上を見れば、燐光を放つ【ヒダル神】たちが鯨に体をぴったりつけ、キャアキャアと楽しそうに声をあげていた。


「コバンザメみたい」


 そんな千春のつぶやきと同時にテーブルの上に落ちるスマートフォン。 


『いっくぞー!』


 瞬間、室内を泳ぐ鯨がスマートフォンの液晶目がけ、体を傾ける。


「――あ、あ…マジか。入っていく!」


 千春の声と同じく反動でカタカタと揺れるスマートフォン。

 見るまに鯨は頭から尾まで吸い込まれていき、最後に女性の手が伸びる。


「…あーあ、かなりしんどかった」


 そこにいたのはへルン女史。

 彼女は疲れた様子でスマホを手に取ると、自身のポケットへと戻す。


「置き土産に二年分の記憶を残してくれたが、何より腹が空くのには参ったよ…それに、これから先もすることが多そうだ」


「へルン!」


 まだ気分が悪いのか、頭を抱えるへルン女史に抱きつく千春。


「おっとっと…」


「――本人で、間違いないな?」


 私の質問と同じく周りのテーブルにいた元・調査員だった人々も起き上がる。


「…ああ、半ば夢の中にいるようだったがね」と、へルン女史。


「千春と一緒に研究をしていた学者だった頃の記憶もあるが、今の私は物理ではなく、ただの数学専攻の博士課程にいる身――だからへルンで構わないよ」


 そう言って、へルンは抱きつく千春の頭を優しく撫でた。

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