幕の内な夜とクロワッサンの朝

レシピ・20「地下の施設と幕の内弁当」

 ――ワゴン車から見た都内は閑散としていた。

 

 街を歩く人影はほとんどなく、ビルに設置された液晶モニターには『外出禁止令、発令中』と表示されたテロップが流れる。


 各地区が赤く塗りつぶされた地図。

 病院からの軽症、重症、死亡などの数字が順に画面に表示され…


『――おじさん。ここってやっぱり』


『ああ。二年後の世界と言うのは本当のようだな』


 そこに『…先ほどは失礼した』と向かいの席の防護服の女性が声をあげる。


 彼女の傍らには、アタッシュケースに入れられた銃器。


『――これを持ち出したのは万が一に備えてのこと。二人に防護服を着てもらっているのは、現在、流行している感染症に罹患りかんし、過去に持ちこませないための苦肉くにくの策だ…理解してくれ』


 …横断歩道で車の前を横断していく一人の男性。

 マスクをした彼はしきりに咳をしながら病院へと向かっていく。


『今、この国では病が猛威を振るっていてね。感染と致死率が高く、全国で対策が追いつかないほどの規模で拡大をし続けている』


 淡々と語る、防護服の女性。


(――ヤマイガ、来マス)


 彼女の言葉に私の頭をふと、【アマビコ】の声がぎった。



「――このような形で持て成すこととなって、すまないね」


 都内の地下施設に設けられた面会室。


 ガラスを隔て向かいに座るのは防護服を脱いだスーツ姿の日本人女性。

 私と千春の前には、折り詰めに入った幕の内弁当とペットボトルのお茶。


「情報の秘匿性ひとくせいと私のスケジュールの都合上、会食という形でしか話ができないことを先に謝っておこう」


 透明な蓋から見える弁当は中央に梅干しが乗る等分されゴマの振られたご飯。

 

 タケノコや人参などの煮しめ、焼き鮭や肉団子に卵焼きといったなかなか豪華なラインナップとなっている。


「一応、先に名乗っておくが…私は、文科省に所属する日米の合同調査チームの最高責任者。かおり・へルンだ」


 彼女は自己紹介をすると弁当のプラスチックの蓋を開ける。


「――では簡潔に、ここまでの経緯を聞かせてくれ」


 ついで彼女は箸を割り、中央の梅干しへと箸を伸ばし始めた。



「…そうか。まあ、そうなるとは思っていたが」


 私たちの話を一通り聞き、煮しめのこんにゃくを口にするへルン室長。


「――もう、気づいているとは思うが。ここは二人のいた世界から一年後に政府が発足した研究所でね。ゲートを使って異界の調査を行ったり関連情報の流出を抑止よくししたりしている」


 人参へと手を伸ばす室長に「――じゃあ。私たちが来たあの洞窟はゲートじゃないの?」と千春が尋ねる。


 それに「そうだ」と、うなずく室長。


「二人を回収したポイントはあらかじめ予測がなされたところ――二年前に私が手紙を受け取った際に指定された場所だった」


 確かに、室長たちに接触した時点で私たちが出てきたはずの洞窟は中が見通せるほど狭いほら穴へと変化していた。


「――となると、私たちがこの世界に来ることは予想できていたのか?」


 私の質問に「ああ」と、室長はタケノコを口にする。


「国立大学で分子物理学の教鞭きょうべんを取っていた私は、政府からの依頼で各所で発生する磁場の乱れを調査していた――そして、二年前の七月に空間の歪みから出現したの封筒を受け取り…異界の存在を知ったんだ」


 等分されたご飯を口に入れていく室長。


「――中に入っていたレポートには二年後の世界の状況と異界とコチラの世界を繋げ、ゲートにする方法の半分が書かれていた。また、その中には、二人のことを含め異界で何が起きていたかということも詳細に書かれていたよ」


「…私たちのことが?」と言いつつ、ガンモドキを口にする私。


「ああ――それから間もないうちに千春くんの手紙が各所で見つかるようになってね。世界中という規模からかんがみて、日米両政府も重い腰を上げ研究施設の前身であったこの場所にゲートが設置されることとなったんだ」


 へルン室長は弁当を脇によけ、一冊のファイルを見せる。


「――あ、それ。私の!」


 中に入れてあったのは何通もの千春の手紙。


 横につけられた付箋ふせんには異界に行った日よりも前の日付が書かれており、見つかった民家の冷蔵庫や棚の写真も添えられていた。


「当初はこれらの手紙も懐疑的なものとして見られていたが、調査が進むに連れて実際に行方不明となった千春くんから出されたものだとわかってね。動画などの処理は大変だったが、おおむね穏便に事が済んだという点は伝えておくよ」


 室長は「ちなみに文科省から出したこちらの手紙は?」と私の方を向く。


「…あ、無事に届いてますよ」


 それに「――そうか」と室長はホッとした顔をする。


「そうなると、こちらからも物を送ることができるという証明はできたんだな」


 鮭の身をほぐし、口に入れる室長に「あの」と、千春が手を挙げる。


「で、二年前から私たちはどうなったか。ぶっちゃけ教えてくれませんか?」


(…すごいな、私でも聞きづらかったのに)


 関西風だし巻き卵を口にしつつ、目をそらす私。


「――ああ。速やかにこちらの生活に戻ってもらったよ」と、答える室長。


「帰ってきたのは八月のあたま…設置したゲートから出てきた形だった」


「あ、ちゃんと帰って来れたんだ…!」


 顔を輝かせる千春。


「――ちなみに、千春くんの場合は動画の影響を考慮し、あらかじめ避難させた家族と共に別の国に移り住んでもらうことになった。現在も存命だ」


「…で、どうなの?お宝は持ってきた?」


 ワクワクした顔の千春に「――残念ながら。そこからは私たちの管轄かんかつから離れたからね」と、昆布巻きをつつく室長。


「すぐに渡航手続きを済ませる形で外国へ。平穏な生活を望んでいるだろうから以降の連絡はこちらも受け付けないようにしていた」


 その言葉にどこか含みのあるものを感じ「あの、私はどうなったんですか?」と、私は室長に尋ねてみる。


「遠野さんは――」と、目を泳がす室長。


「残念ながら今年の春に流感に感染し、亡くなったと聞いている」


「え…?」


 不意に世界がぐらりと歪んだ感じがし、箸を持つ手が止まる。


「我々が依頼した、福祉の保護プログラムで最低限の生活をしていたそうだが、医療機関を受診後に自宅で亡くなっているところを発見されたそうだ」


「…え、なんでおじさんが保護プログラムに?仕事先は?」


 驚く千春に「いや、当然の流れだと思う」と、私は空の弁当箱に箸を置く。


「動画で犯罪者として世間に認知され、福祉の職場はおろか、家にいることすら危うい状況。実家にも迷惑がかかる以上は戻れないし。その後の就職なんて――絶望的としか言いようがないはずだ」


 ため息をつく私に「…まあ、社会復帰が難しいことは、コチラも耳にしていたからね」と室長。


「職業安定所で短期雇用を転々としたことが裏目に出たらしく、金銭的にも余裕がない状況で流感による失業から就職率の低迷に巻き込まれ――まさに踏んだり蹴ったりとしか、言いようはないが…」


「――そんな、おじさんは何も悪くないのに」と声を上げる千春。


「だったら。そっちのチームに入れてもらうとかできなかったの?」


 それに、室長は再度目を泳がせ「…それは難しいな」と弁当箱を脇にやる。


「当時、私が組んだ専門チームにはそれこそ方々から集められたスペシャリストがそろっていた。対し、遠野さんは数日滞在した程度の一般人だ…あくまで保護の対象でしかないことは分かって欲しい」


「そんなの、おかしいよ!」と、千春は声を荒げる。


「ゲートができてから異界の調査研究が始まったのなら、向こうから来た私たちのほうが経験は上じゃん。しかも、話を聞いていたら保護次第すぐに別の場所に移動させたって――まるで、私たちと関わり合いになりたくないみたい」


 それに室長は背筋を整えると「…私が受け取ったレポートには十分すぎるほどの今後の対策が書かれていた」と答えて見せる。


「――そのマニュアルにそって行動した結果の今がある」


「だとしたら、へルンの身だって無事なはずよ!」


 千春の反論にへルン室長は内線の受話器を持ち「…少し、クールタイムを設けようか」と、どこかへ電話をする。


 ――運ばれてきたのは三人分のプリンとフルーツの乗った大きなパフェ。

 小窓を通して千春が私にひとつを渡し、後からコーヒーもやってくる。


「近くの老舗のパーラーからの取り寄せだ。心からのもてなしだよ」


「…戻った時にはぞんざいなのに、ここでは丁重に取り扱うわけ?」


 唇を尖らせながらもナプキンで包まれたスプーンを取り出す千春。


「まあ、アイスが溶けるのも嫌だし。食べさせてもらうけど」


 そう言ってガツガツとアイスを食べ始める千春に「――そうそう、それに一つ頼みたいことがある」と室長は一通の分厚い封筒を机に置く。


「これを、異界に戻る時に出して欲しい…二年前の私に届くはずだ」

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