ピーナッツサンドとベーコンアスパラ

レシピ・17「駅構内とピーナッツサンド」

「――遠野くんは、本当に古い資料が好きだねえ」


 私はそれを聞き、慌てて今しがた読んでいた本を棚へとしまう。


「ああ、良いんだよ。昼休み中だから」


 地元の公文書を扱う資料館。

 そこで、私は一年近く会計年度職員として打ち込み作業の仕事をしていた。


「…すみません。この手の本が好きなもので」


 本は地元の民話や伝説を扱ったもので、公文書を扱う部署だけに地元の資料は充実し、今までの仕事の中でもかなり気に入っている職場ではあった。


「――ん、別に良いから」とアーカイブ作成の責任者である上司は昼食に食べていたピーナッツサンドの袋を小さく畳みながら笑う。


「そういえば、遠野くんは学芸員の資格を持っていたよね」


 その言葉に「…あ、まあ」と言葉を濁す私。


 自分の学力と偏差値をかんがみ、無難に選んでいた地元の大学。


 入った当初は就職率の高いデザイナーになる目標があったのだが、取れる資格の中には学芸員も入っており、地域の文化や古い文献を扱う授業に興味があった私は講習を受けて資格を取得していた。


「歴史や民俗学の資料も読み込んでいるようだし。学芸員になりたいの?」


「いや、まあ…なにぶん」と、目を泳がす私。


「取ったのは美術なんで。専門違いですね」


 ――残念ながら、それは事実。


 いくら伝承や土地の事柄を調べることが好きであろうとも、専門分野の大学を出ていなければ意味がない。


 それに、研究職のみで食べていけるかと言うと、世の中そんなに甘くはなく、博士課程に進み論文を書くこともなかった私にとって夢のまた夢の話であった。


(…そう、私はいつも選択を失敗する。そして最後には後悔する)


 その職場も数ヶ月後には任期が切れた。


 そして、再度受け直した採用試験で私は僅差で落ち、また別の職場へと移動せざるを得なかった――



「大丈夫かい、遠野さん。疲れているようだが?」


 へルン女史の声に、私は我に帰る。


 ――そこは広大な駅の構内。


 米日合同研究チームの最初の拠点であり、無人ながらも店舗などがが並ぶこの場所には、通路に沿って調査用の機材やテントなどが点々としていた。


「いやあ。うっかりこちらに来た時に皿を割ったのはこちらの失態だったんだが…」と、へルン女史。


「――まさかそこからずぶ濡れの二人が出てくるとは思わなかったよ」


 そう、数時間前に駅内に出現した私たちは海水まみれのびしょ濡れ状態。

 

 近くにいたへルン女史は出てきた私たちに驚き、すぐさまシャワーと着替えを提供し、おかげで今はこうした快適な服装で構内を歩けるようになっていた。


「にしても、広いところだろう?あげく空間変動も加わって拡張だの縮小だのを繰り返しているから、全貌ぜんぼうもよくわからないんだよ」


 苦笑するへルン女史は角を曲がった先にある駅の改札口の階段を降りかけ――すぐに回れ右をすると元来た道を戻り出す。


「いかん。この先に新規で調査をしていた場所があったんだが…あの通りだ」


 ちらりと階段下からホームを見るとその先はトンネルへと繋がっており奥から赤い着物をきた巨大な牛の顔が穴全体を覆うようにせり出していた。

 

「こんな感じで、特定できない存在が各所に出現するからな。うかうかしていられない…ああ、そうだ。遠野さん」


 ついで、女史は私の顔を見ると「――もう、気づいていると思うが。ここではあまり名前を口にしない方が良い」と口元に指を当てる。


「名前?」


 首を傾げる私に「聞けば、何度も口にしているそうじゃないか」と、へルンは指折り私の言った言葉を復唱する。


「【胎内巡たいないめぐり】に、【地獄絵図じごくえず】、【即身仏そくしんぶつ】に【補陀落渡海ふだらくとかい】…異界ではうかつな名称を口にすることは対象の存在を認め、呼び出すことに他ならない。そう日誌から読み取っていたと、温泉街にいた時に千春から聞いていたんだが?」


 それに「あ!すまない」と、思わず私は頭を下げる。


「滅多に見れないものだから。つい、夢中になってしまって…」


 私の弁解にへルンは「――ま、口にしてしまったものは仕方がない」とため息をつく。


「以後、気をつけてくれ…にしても、あの寺院の下にそんなに広大な空間があったとはな。水没してしまったとはいえ惜しいことをしたよ」


「まあ、確かに…ん?」


 先ほどから千春がいつまでも静かなので何をしているのかと見れば、おやつに持ってきたピーナッツクリームサンドイッチを黙々と食べていた。


「――ん?二人とも食べる?」


 そう言って、差し出されるサンドイッチに「あ、ここって飲食は…」と、私はへルン女史を見るも「別に、問題ない」と苦笑して、サンドイッチを受け取る。


「ここは、室内であって無いようなものだし。上のゲートから持ってきたものをその場で調理することも多いから、別に構わないよ」


「――ああ。やっぱり近くに元の世界に戻るゲートがあるのか」


 私は甘いピーナッツクリームの挟まれた三角のサンドイッチをかじり、へルン女史も「そうだよ」と応じる。


「ゲートを狙う人間を警戒して、内外に警備兵を設けている。許可なしで移動をすれば蜂の巣になってしまうから気をつけてくれよ」


「マジか」と、パンのかけらを飲み込む千春。


「…私。前にこの場所に来るよう誘われた時には断っていたけれど。何も知らずにやって来て、うっかりゲートに近づいていたら蜂の巣になっていたのか」


 そこにへルンは「大丈夫」とサンドイッチを包んでいたラップを開ける。


「今まで誤射の報告はないし、ゲートの発砲事例も過去に一例だけ――それも、こちら側から侵入した生物だったそうだ」


「へえ、やっぱりここにいる連中のなかには、外に出ようとする奴もいるんだ」


 驚く千春に「…いるだろうね」と、何やら含みありげにサンドイッチを見つめるへルン女史。


「【空間製作委員会】の連中が、外から異界を拡張して実験するように。ここにいる連中も空間の歪みを見つけると外に出ようとする素振りを見せることがある――目的は、定かでは無いがな」


 そうしてサンドイッチにかじり付いた瞬間、へルン女史は人が変わったようにガツガツとむさぼり始め、あっという間に全てを平らげてしまう。


「失礼。最近空腹感が増してね、異界に長居し過ぎているのかも」


「…そうですか」


 今更ながら口元を抑えて咀嚼そしゃくするへルン女史に、私は返答に困り視線を逸らす。


「あのさ、へルン」


 千春は指についたクリームをなめとる女史に奥まで進んだ構内へと顔を向け「――気にはなっていたんだけど、私たちどこに向かっているの?」と尋ねる。


「…ああ、ちょっと面白いものを見つけてね」と、へルン女史。


「ちょうど、異界を探索するのに有効活用できる移動手段がないか探索をしていた私の仲間が連絡を入れてくれてね。それで今朝方こちらも基地へと戻ったんだが――ほら、ここが新しく発見された場所だ」


 エスカレータを上がると、そこは夜のビル群が見えるプラットホーム。


 構内には夏特有の生暖かい風が吹き抜け「…こんなところ、今まで見つかっていなかったからね?」とへルン女史は好奇心に目を輝かせる。


「まるで日本で見た都心部の光景のようだ。ただ、残念なことに今のところ柵を越えた先に――向こうに見える景色の場所に行く方法が見つかっていなくてね。ビルの中に入るのは当面お預けになりそうだ」


 残念そうな顔をするへルン女史の先で、聞こえる警笛。


「おっ…来たぞ!」


 ――ついで、やってきたのは都心部で見るようなオレンジ色の在来線。


 車内は無人ながらも吊り革も座席も揃っており、そのまま乗り込めば都心部を移動できそうに見えた。


「…というわけで、乗り込もう」


 そう言って、空いたドアの前に向かうへルン女史に「え、今から?」と、私は心底驚く。


「ああ。仲間の報告ではこの電車は外と同じく周回するようでね。一時間も乗っていれば駅へと戻るし、安全面でも問題ないようだ」


 それに「おもしろそー!」とドアが開いた途端に先に乗り込む千春。


「私、都心の電車って修学旅行以来乗ったことないんだよね。異界も同じなら、実質、都会を観光できるようなものじゃん…ね、へルン」


「――まあ、私も乗るのは今日で二回目なんだが」と、苦笑するへルン。


「車内で移動しているあいだは、休みながら会話ができるだろう。二人とも私に聞きたいことがあるようだし。ここは腰を据えて話ができると思ってね」


「おう、詳しい話を聞かせてくれや」と、息巻く千春の横で発射のベルが鳴る。


「おじさん。このままだと置いてかれるよ」


「え…ああ」


 そうして私はしぶしぶ電車に乗り込み。車両は線路の上を滑り出しすと昼なお暗い都会の街をゆっくりと走行し始めた――

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