レシピ・16「おにぎり一つと島崩壊」

「…ぶはっ。おのれ、またびしょ濡れになった!」


 千春は手についた水を振り払いつつ、滝から顔を出す。


 ――骨を伝って上に来たところ、いつしか島の高い位置に来たようで近くには周囲に置かれた灯籠と小さなお堂が見えていた。


「…まあ。まつるべき存在は上にありがちだよな」


 私の視線の先、きらびやかな幕のかかった堂の中には鯨の骨。

 頸椎けいついの一部と思しき骨が紫色の座布団の上に鎮座ちんざしていた。


「良かった、ラインカーは濡れてない」


 そう言うとリュックから畳んでいたラインカーを引っ張り出す千春。


「持ってきたのか?」


「――うん。粉の中に入れてある【順応】した皿を割ったら嫌だから。こうして保管しているの」


 そう言って滝から上がった千春だったが、背後を見ると「ありゃ」と声を出す。


「…即身仏さんも付いてきちゃった」


 見れば滝の間から一本の干からびた腕が伸び、手のひらを上にむけている。


「ほい、今日のお供え」


 ついで、私のリュックから出したさつまいものおにぎりを手に載せる千春。


 ――千春いわく、朝炊きのさつまいごはんを使った贅沢ぜいたくおにぎり。

 

 白だしベースに角切りにしたさつまいもを米の上にのせ、さらに昆布を一枚上乗せて炊くことで旨みが全体に染み渡る簡単贅沢なレシピだとは聞いていたが…


「いや、それじゃないだろ?」

 

 私の指摘してきに「ええ、お腹空いているんじゃ無いの?」と驚く千春。


「あ、ほら!引っ込んだじゃん。やっぱりだよ」


 ――しかし、滝の裏に消えた腕は、再び手のひらを上に向ける。


「足りないのかあ、しょうがないなあ」


 そう言って、次のおにぎりを出そうとする千春に「待て待て…」とストップをかけ、お堂の中にある鯨の骨へとあごをしゃくる。


「多分、あれだ。彼らはあの骨を欲しがっているんだよ」


 それに「え?」と、驚いた顔をする千春。


「だって、ふだら――なんとかさんや、即身仏さんたちがこの辺りをうろついているのは、ここが【トコヨ】で理想郷だったからって話じゃあ無かったの?」


補陀落渡海ふだらくとかい、な…確かに、ここには海に流れ着いた【エビス】が祀られている場所だ――でも、なぜここに来た即身仏たちが陸地に上がって経を読み徘徊するのかを私は念頭に入れてこなかった」


「ああ、そういえば。人を救うためにお経を読んでいるんだっけ、理想郷なのに」


「――そう。それに即身仏はその土地を鎮めるための人身御供ひとみごくうに近い存在として地下に埋葬されることが多いんだ」


 滝から離れ、私はお堂の方へと向かう。


「要は、その土地にいるべき存在…なのに、海を渡りこの島まで来ている。その理由が――おそらくこの【エビス】なんだろう」


 本尊ほんぞんとして祀られた鯨の骨。

 滝から伸びた手のひらは、その骨を取ろうとしているようにも見えた。


「自然界に戻ることを目的としているのかあるいは…まあ、憶測おくそくだがな」


 そこに「憶測でも良いじゃん。向こうが欲しがっているんだから、渡そうよ」と、近づく千春。


 その足がパリンと何かを踏み、みれば地面に混じり白いカケラと布の切れ端のようなものが見える。


「――あれ、もしかして普通に近づくとヤバい?」


 首を傾げる千春に「借りるぞ」と私は彼女の腰にさした二股の枝を手にする。


「前の地獄に行った時もそうだが、神性のあるものだ――何かしらの効果はあるだろう」


 ほんの少し、持ち主でない人間が触れると何かあるかもしれないという不安があったが、特に何も起きる様子はなく。私は安堵あんどしつつ一礼と柏手かしわでを打ち、枝をお堂の中へと近づける。


 ――その考えは大当たり。


 枝が触れるか触れないうちにバチンと派手な音が聞こえ、見るとお堂に下がっていたきらびやかな幕は、何十年も時を経たかのようにすすけおり、お堂も寂れた様子へと変わっていた。


「…足元の骨といい。普通に触ってたら、おじさんの時間も進んでいた?」


「浦島太郎もあっという間に白髪のおじいさんになったしな」


 冗談はさておき、触れた存在の時間を進めるが確かにこの場所に存在していたことを私は実感する。


 ――私は改めて礼をし柏手を打つと私は鯨の骨を借り、滝から伸びる手の上へと移動させる。


「あ、また引っ込んだ」


 千春の言う通り、鯨の頸椎けいついを乗せた手はスルスルと滝の中へと消えていく。


「――そうか。ここ、山の上なんだ」


 ふと、下を見てそうつぶやく千春。


 私も視線をさげれば、木々のあいだを縫うように街の灯りが見えており即身仏の影も見えていたが…にわかに空がかき曇り、土砂降りの雨が私たちを襲う。


「え、ちょっと待って。ヤバくない?」


 ――スコール並みの雨が山肌やまはだを襲い、足元はあっという間にぬかるんでいく。


「早くここから離れよう!土砂崩れが起きるかもしれない」


 滝の水は勢いを増し、私は千春と共に山にそって作られた階段を降りていく。


「ひーん、今日はずぶ濡れじゃん。それに土砂崩れに巻き込まれたら私たちだって即身仏だし。これじゃあ、文字通りミイラ取りがミイラだよ」


「んな軽口言っている場合か!」


 予想した通り。山の斜面は地盤じばんが緩んだのか勢いよく崩れていき、そのあいだから見覚えのある頭部が覗く。


「あ、即身仏!」


 ――それは先ほどまで島を徘徊していた即身仏たち。彼らは重なり合った状態で山の一部となり、崩れる斜面とともにその姿があらわとなっていく。


「ヤバい、ここまで水に浸かってる!」


 見れば、水かさは地上まで達し、砂浜に残されていた補陀落渡海ふだらくとかいの船の一隻いっせきが階段先まで押し流されていた。


「乗ろう、もう四の五の言っていられないよ!」


 千春の声に船に乗ると見る間に船は陸地を離れ、沖へと移動する。


「あ、島が――!」


 ――それは、巨大な鯨。


 遠目に見れば、その姿を構成するのは即身仏たちであり、鯨は口を開けて咆哮ほうこうするとそのまま海の中へと…いや、海そのものへと沈んでいく。


「崩れていく。海の一部に――いや、自然へと還るのか?」


 私の言葉とともに鯨は海の中へとぼっしていき、その反動で私たちを乗せた船は海中へと引きずり込まれる。


「やばい、沈む――!」


 千春の叫びな声。


 ――ついで、ラインカーの中で何かが割れるような音がした。

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