人参しりしりとさつまいもおにぎり

レシピ・14「漂着しりしり刺身盛り」

 …正直、ここまで早く調理器具と食材がそろうとは思わなかった。


「えーっとお。夕食に使うのは近くの鮮魚センターとスーパーで拝借した刺身に人参と卵。小松菜は味噌汁にするから、おじさん手伝って」


「いいよ。わかった」


 今、私たちがいるのは海岸の近くにある旅館。


 近くにはスーパーや衣料品店なども揃っており、海水を浴びた私たちは旅館でシャワーを浴び、しばらくこの旅館で逗留とうりゅうすることにした。


「…にしても。窓の外を見なければ、特に室内に異常がないってのは新鮮だね」


 窓を見ながら着替えたばかりのシャツにジーンズ姿で米を研ぐ千春。

 同じくシャツに黒ズボンの私は「ああ」と答えて小松菜を切り鍋に入れる。


「ん、じゃあ顆粒出汁かりゅうだしと水を入れて。沸騰したら味噌を入れて」


 千春は炊飯器に米を早炊きでセットすると「…うーん、やっぱり電気が通ってる場所って良いなあ」としみじみ言いつつ、炊飯を押す。


「じゃあ、人参しりしりを作るから。おじさんは卵を割ってかき回しといてね」


「わかったよ」


 セットした二台目の携帯コンロの上にフライパンを置くと、千春は切った人参をごま油で炒め、しなっとしたところで砂糖と酒を加える。


「うーん。でもやっぱり、外の坊さんたちが気になるなあ」


 目の前に広がるのは街灯に照らされた夜間の海。

 砂浜には大量の船がたどり着き、割れた隙間から人が抜け出す様子が見える。


 ――それは、僧衣を着たミイラたち。

 彼らは陸に上がると読経をしながら数珠を持ち、街中を徘徊はいかいしていく。

 

「あの人たち、自分が死んだことに気づいていないのかなあ?」


「まあ、ここが浄土であると思っているかもしれないからな」と、私。


「すがるべき阿弥陀如来あみだにょらいを探しているとか何かしらの理由はあるかもしれないが、文字通り仏さまとなってしまった人たちの考えは私には分からんよ」


「浄土かぁ…まあ。今のところショッピングモールやコンビニのような空間ごとの異常や怪異との遭遇もなかったし。平和っちゃあ平和な場所だよね――あの人たちが徘徊することを除けば」


 醤油と唐辛子を軽く振り、水分が減ったところで溶いた卵を混ぜ込る千春。


「やっぱ炒め物は早い――ほい、沖縄名物。人参しりしりの出来上がり」


 出来上がった人参と卵の炒め物は甘辛く、ご飯のお供に最適。

 そこに、パックを外したお刺身の三点盛りと小松菜の味噌汁が加わる。


「いただきまーす」


「…それにしても、刺身なんて大丈夫なのか?」


 私の質問に「大丈夫じゃね?」と千春。


 ――正直、文字化けをいっさいしておらず。また鮮度も高い刺身が近くの鮮魚店で見つかるなんて思いもしなかったので、いささか戸惑っていた。


「ま、こうして食べている分には問題ないしね――あ、やばい。このイカ、口の中でとろける。ご飯、ご飯!」


 確かに。私もヒラメをつまんでみたが、海沿いということもあり鮮度抜群。

 イカ、ヒラメ、炙りガツオの三点盛りは夏の極上の味覚であった。


「…そういえば、私の祖母は漁師の元締もとじめの家で。船に乗っていた時に釣った魚をその場でさばいて海水で洗って食べたと聞いているよ」


「へー、鮮度が高くないとできないね。そりゃ」


 炙りガツオを口に入れるなり、ご飯をガフガフ食べる千春。


「…そいえば、おじさんの家族ってどんな感じ?言いたくないならいいけど」


 千春の質問に「普通のサラリーマンと主婦だよ」と人参しりしりをつまむ私。


「父親は会社勤め。年の離れた兄が嫁さんを連れている父子の二世帯。だから、次男坊である私は肩身が狭くて、こうして色んなところを転々としているのさ」


「う…世知辛せちがらいなあ」と味噌汁の小松菜を食べる千春。


「ありていにいえば普通の家庭だよ。ただ、今回の件でどうなったかまでは正直わからない。あの手紙が本当だとするのなら政府の方で何かしらの手は打ってくれているとは思っているが――」


「ごめんね」と千春。


「私もできるだけの事をしているけど、今のところ食事を作る事しかできないし」


「十分じゃないか?」と、私。


「こうしてまともな食事を取れるだけ、千春には感謝しているさ」


 ついで、空いた食器を片付け始める私。


「おそらく私だけだったら、あの先をどう生きれば良いかもわからなかっただろうから。生き抜く方法を教えてくれたのは千春だよ」


「う…今日も、結構手を抜いた食事だったんだけどな」


「別に良いよ、あるもので」と私。


 それに「――まあ。ばあちゃんも、なるべく楽に家事ができる人間のほうが、長生きできるって言っていたからね」と千春。


「金言だな」


 私の言葉に照れたように笑う千春。


「あと、何事もほどほどが一番だって」


「そっか…ほどほどにか」


 私の言葉に「うん、何事もだよ」と千春は洗い物を始める。


「――というわけで、今日はさっさと休んで明日は街を見にいこう。一番目立つのはあの水族館だけど、明日の食材も見つけて早めに夕食にしたいし」


「そうだな」


 食器を拭きつつ、私もうなずく。


 ――窓の外から聞こえる潮騒の音。

 そこに徘徊する僧の読経の声も混じり、奇妙な一日は幕を閉じた。



「…なんか、疲れたサラリーマンみたいだ」


 公園でブランコに引っかかった即身仏の背を見て、そうつぶやく千春。


 ――翌朝になっても外は暗く。街灯のあかりのもとで私たちは歩くも僧侶の数は減る様子もなく、街のいたるところを歩き回っていた。


(しかしながらこれは…読経をしつつも、本能で動いているのか?)


 数人ほどで連れ立っているものや、一人で読経するもの。


 徘徊中に道をずれて近くのショーウインドウにもたれかかり読経をするものや、集合住宅の階段を上がったきり列をなして詰まっているものさえいる。


「昨日は理想郷がどうのこうの言っていたけど…これはゆるいゾンビゲームだ」


 身もフタも無い感想をつぶやく千春。


「一応、高僧こうそうにあたる人たちなんだけどなぁ」


 困る私のリュックには朝に千春が炊いたさつまいもご飯のおにぎりと、昨日の人参しりしりの残りにベーコンとアスパラの炒め物が弁当として入っていた。


「ああ、おじさん。今朝のしりしりトーストどうだった?」


「…美味かったよ。上にかけたマヨネーズが最高だった」


 朝食の話題をしつつ、私たちは海沿いの道をすすみ水族館へと向かう。


「――だよねえ。しりしりって、一回作ると味が濃いくて量が多いから余りがちになるんだけど、翌朝にトーストに乗っけて焼けば美味しく食べられるから…昨日近くの電気屋でトースターが手に入って良かったよ」


「ちなみに残った食パンは…」と嫌な予感がする私に「持ってきた」と千春。


「おやつにピーナッツバターを塗ってサンドイッチに」


「…高カロリーだな」


 即身仏は目的意識を持った様子もなく歩いており、中には見覚えのある袈裟を着た僧の姿もあった。


「あれ、昨日の地下にいたヤツじゃない?」


 私も「そうだな」と言いつつ、他にも見覚えのある袈裟を着た僧を確認する。


「――となると、水没した即身仏はこの島に流れ着くのか?」


 …それにしても疑問が残る。

 どうして、彼らがわざわざ海を渡ってこの島に来るのか。

 

(そういえば、へルンは元々寺院のあたりは変化が少ないと言っていたな。それなのに一部が地獄のような様相となっていたし…何かあったんだろうか?)


「あ、水族館。坊さんたちも入っていくね」


 ――そこは海上に設置された中規模の水族館。


 八角形の奇妙な縦長の建物はコンクリート製で、どこかレトロな外観は昭和の高度経済成長期に建てられた箱物施設を思わせた。


「へー、海の上にあるんだ。ワクワクするねえ」


 千春は隣を歩く即身仏を避けつつ、建物の中へと入っていく。


「おじさん、早く入ろうよ」


「そうだな、でも急がないように――」


 水族館に入ろうと階段に一歩踏みだす私。

 ――そのとき、下に見える海上に巨大な影がゆらめいた気がした。

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